5 / 19
名もなき男たちの末路
サスペンス復讐シリーズ
しおりを挟む
〇百円本舗、、、献残屋藤吉郎
心の残る人生物語 「名もなき男たちの末路」
(1)人の末路
人生を精一杯生きた男たちの、生きた証の残らない人生道。
人の道を、証を、歴史を残さずに消えていった人生があるからこそ、人は歩き続けるような。。。。。
人の道は荒海を航海するかの如く、、、歩む道は地上に違いはないが、、、決して、平らな道ばかりでは無い。
人生道には坂道あり、下り道あり、曲がりくねった道も、、そして突き当りもあるような、、、、まるで、海が、波がいろいろ変わるように。
しかし、人は歩き続ける、、、命果てるまで。
いつ果てるか分からない道を、霧がかかった、もやもや道を手探りで、時の空間を歩き続ける。
人は環境によって、その人生道が左右されることが多い。
与えられた道を、己の力で、運命で変えることの難しさ、、、この世に生まれた人々は、余程の事が無い限り、定められて運命の道を歩くような。。。
そして、人生道で、その道を極めて、己の雄たけびを叫ぶことは少ない。その人生で、大部分の人が喘ぎ、苦しみながら生きているようなな。。
そうだよ、、、大概は我慢、辛抱と己を抑えて生きている。
男と女は、なんとなく恋をしたり、好きになったりして、、、そして、子供が生まれる。
そうして、生活のために、子供のためにと、家族を守って、男も女も生きているのだ。
社会の一員として、目だ立つこともなく、必死に生きているような。
そして、家族に見守られ、静かにこの世を去っていく。
それがすべてのようだ。
人とはそれでいいのかも知れない。その生活の中で、家族の中で、仲間の中で、喜怒哀楽を共にして生きていくような。
しかし、今の世の中、家族を愛して、大事にした代わりに、待っていることは老後の不安ばかりだ。
決して、精一杯生きてきた割には割が合わない。矛盾した老後が待っている。
そして、後悔と愚痴が残る。
なんとも言えない寂しい人生道のような。。。。
お金があっても同じだ。
今の世の中は、心寂しい気がする。
だからと言って、昔が良いとは言わないが、、なんか、少しだけ、ちょッとだけいいような。
なんか、家族の間にも、少しだけ、人と人の心の間にぬくもりがあるような、、、。
全てが、なんでも、そうだったとは思わないが、
もう少し、心づかいが欲しいような気がする。
(各家庭になりすぎるような)
現在の引き籠りや登校拒否などの社会現象はどうして起こるかと切り詰めれば、、、専門的なことは分からないが、、、
ひと昔前までは無かったような、、、子供が学校へ行くのを拒むことは見られなかった。寒い日も暑い日も、子供同士が誘い合って学校へ行っていたような、、、小学生の場合は上級生が面倒を見ていた、しかし、友達同士で喧嘩もあった、中には苛めもあったかも知れなかったが、子供同士でかばい合って、まとまっていた。
登校する時には町内事、部落ごとに、上級生が引率をしていた。そして、休んだ日には、住まいの近くの子供が、学校給食があった場合は「給食のパン」を届けていた。
なんとなく、自然に子供同士のコミニューケーションが取れていたような、、
そんなことから、引きこもる余裕などなかったのかも知れない。子供同士がお互いを助けあい、励まし合っていた。
そして、家庭では家族がいつも団欒していたような、、、
悲しくても、楽しくても、、、常に喜怒哀楽が見えていた。
そのぐらいの近さで、朝から晩まで一緒にいたような。
常に、子供も大人も、姿が見えて生きていたような。
逆にうるさいくらい、一緒の生活をしていた。人が成長する時には、子供も見える空間で喜怒哀楽を共に感じる生活が良いような。。。
今の時代、何時のころからか子供も一人部屋、プライバシーを守るとか言って、変な家族構成ができ始めてしまった。
大部屋暮しが良いというわけではない、、、家族なら、常に顔が見える位置で、家庭空間が良いような。
子供のころのことだが、親子が和室に布団を敷いて、頭を並べて寝ていた、そんな時に、昔は家もボロだったのだが、天井裏で「鼠の運動会」が始まったぞ、、、と言っては寝かせられた。今なら不清潔と言われてしまうが、、、
今は何処の家にも水道がある。しかし、昔は井戸だった。
そして、井戸からバケツで水を汲んではお風呂などにも入れた。そんなことが子供の仕事とは言わないが、自然にそういう風になっていた。
なんでも豊かではなかった。だから、みんなで協力して、助け合って生きてきた。
そんな生活には「引きこもり」は無かった。
今が悪いとは言わない、、、もう少し、家族なら近寄って、触れあっていった方がいいような。。。。。
(悲しすぎる老後)
今の世の中、何事も寂しすぎるような、、、
人とは誰しもが人生に夢を持ち、希望に満ち溢れているときがある。特に良き伴侶が見つかり、男も女も結婚する時が良いような、、、
しかし、新婚ほやほやの時が過ぎて、二人の新婚生活にも地獄が訪れる。子供が出来て、将来の夢を語っているときの楽しさも、人生時間から見るとほんの僅かなひと時であるような、、、やがて、育児の大変さが身に染みて来る。
人が一つの生命体を育むという時間が、時の空間がどれほど難しく大変なことが分かってくる。
人生の大半をかけて育てた子供たちが、それぞれの家庭を巣立っていく、、、そして、新しい人生空間を作っていく。。
その間の夫婦の苦しみは大変だ、、、楽しみもある。。
しかし、大部分が「苦労」と言う重荷を背負って生きているような。。。
なんの問題もなく育てばいい、、、事件もある、事故もある、、、心身ともに障害を持っている場合もある。。。
それでもいつかは巣立っていく。途中で羽折れてしまう時もある。
しかし、どうにか、こうにか育って、世の中の空間に飛び立った後、、、、残された夫婦には満足感が残るのか、、虚無感が残るのか、、いろいろだ。
それでも、人生を賭けた一代事業である「子育て」が終わる。
残された夫婦には、その先の残された人生が待っている。
残された夫婦にはいろいろあるようだ。。。
その老後の道が明るい幸せだったり、笑いのある豊かな人生道とは限らない。
人とはそれでも生きていかないと、、、
それが幸せか、不幸かはわからない。。。
しかし、生きるも死ぬもそれぞれの人の道。心がけ一つだ。どうせ生きるなら、残された老後は、誰にでも来る。
訪れる老後なら、精一杯、年老を全うしないと。。。
人それぞれに、老い花を咲かせたいものだ。
(2)環境によって、生きる人生空間によって
人とは不思議なものだ、摩訶不思議な生き物のような。。
人によっては寿命も違う。なんでなんだろうと思うことがある。
あの人はいつも元気なので長生きするよと言われていながら、突然に交通事故に遭って亡くなってしまう。
ある人は毎日健康的な日常を規則正しく過ごしている、きっと長生きするなと言われながら、流行り病にかかり、突然に亡くなることもある。
病気をしながら、長生きする人もいる。
本当に人の命とは不思議なものだ。
人の一生、何があるか分からない。そして、人の別れとは突然に襲ってくる。
まったく、人の命とは厄介なものだ。
だからと言うわけでも無いが、与えられた命、大事に使わないと。。。。
朝、目が覚めたらその日を精一杯生きないと、生きていることに感謝しながら、、思いっきり息をして、生きていかないと。
確かに、生きることは大変かもしれない。
そんなに、たやすくは生かしてくれない、、、まったく持って、所業無常なのだ。
だからと言って、人は生きることを放棄はしてはならないような、、、己の寿命は全うしないと。
生きる時間が短い人もいる、、生きたいと願う人もいる、、
しかし、生きられない人がいるように。。
折角、与えられた命、生きられない人のためにも、生き抜かなければ人の道に反するような。
人生を長く生きてくると、いろいろと思う。
世の中、矛盾も多い、そして、理不尽なことばかりのように見える。
それでも人は生きなければ、、、矛盾の中に、合理性を見つけ、理不尽な中に喜怒哀楽を見つけて、生き続けなければならないような、、、
人の命に安住の里は無いのかもしれない。この世の出来事はすべて、苦行なのかもしれない。
命を全うする処に人の安住の里はあるような。。。。
(昔から言うように、死んで花実が咲くものか)
人は死んで花実が咲くものかと言われているが、、死んで名を遺すの例えもある。
しかし、この世に生まれてきたからには、この世で咲かせたいものだ。死んでから己は存在することなく、名誉が残ると言われて空しいような、、、残る家族には名誉と言われても花はやはり、見て楽しみ、触れて感動するのだから、やっぱり生きている花が美しい。
自分の経験でこんなこともある。年老いて一人なってしまった高齢者が入社してきた。この世の中、何と言っても稼がないと生きていけない、、、国の保証があるからと言っても、社会福祉国家で独り身になると、食べていけないのが現状だ。
だから、高齢者になっても体が動くうちは働かなければならないような、、、そして、ひとり暮らしは寂しい、わびしいものだ。
病気ななった時、仕事が休みの時、夜になると空しくなるようだ。
そして、会社を休んだと言っては会社側も心配する。
様子を見に行けば一人で亡くなっている。孤独死だ。
本当に寂しい人生模様のような。。。
また、時には具合が悪いからと言って入院をする。そして、治らず、帰らずで、行政の福祉課の世話で、無人仏になるのだ。
本当に悲しい、寂しい、、、だからと言って、若い時にもっともっと、生活空間をきちんとしておけばよかったと思う。
誰しもそう思うのであった。
しかし、現実は思うようにはいかない。
なんだかんだ言っているうちに、時は過ぎてしまうのだった。
人生とは考えれば考えるほど、空しい、寂しいものだ。
人の末路とは皆同じかも知れない。
所業無常なのかも知れない。
(3)幸福な笑いの死はあるのか。。。)
人間の日々に幸せはあるんだろうか、、、幸せな時を過ごしていると思ったら、ある日、突然に不幸が訪れる。どんな不幸かは分からないが、自分の身に病とか、怪我とか、交通事故とかは分からない。
しかし、長い人生には必ずと言っていいほどに「躓き」がる。そして、自分だけは大丈夫と思っていても、それは絶対的ない。
今回、吾輩も病に倒れた。そして、入院したのであった。
人生長くやっていると疲れがたまる。
無理をすると体の至るところに痛みが出るようだ。
身体は自分が思っているほど強くない、、、頑丈では無いのだ、、、そして、心臓、腎臓、肝臓、胃袋、尿機関などが悲鳴を上げた。
今、治療している。
現代の医学は凄い、、、担当する医師や看護婦も凄い、、、
医療機器も凄い。。
まだまだ、治りはしないが、体調の悪いとより、数段良くなっている。
その御蔭で、今、記事を書いている。
ありがたいことだ、人は感謝をしながら、自分一人では生きていけない、しみじみ思い知らされたような。
人間、誰しもが分かっていることだが、健康一番だ。
健康無くして何も出来ない。とにかく、健康を維持することだ。幾つになっても健康がいい、、、、
金があっても。ものがあっても。幸せには慣れないような、、、
健康、、万歳だ。
人は最後は死ぬ、、、しかし、死ぬことは寂しい、わびしい。それも人の定めだ。
別れは辛い、、、しかし、何時かは別れも来るような、死と言う世の定めのように。。。
人は心の持ちようだ、、、心さえゆく道を間違えなければ、、、人の生きる道には幸せが訪れるような、、、
人生無常心は有情、、、、、
(4)人の生き方、幸せな道
人は道を間違えなければ、大概は前に進む。また、間違えたと思えばひきかせばいい、、、その引き返す勇気が必要だ。それを間違えると、後戻りが出来なくなるような、、、
人は誰でも間違える、その間違えた時に気が付けばいい。
恥は掻いてもいい、、、恥を掻かずに、やる過ごすと後悔する。
人とは不思議なもので、やり直すことが肝心だ。
そのやり直すことができるか、、、出来ない加が、、人生の分かれ道になってしまう。
人の一生は一度きりだ、、、何回でも、自分の思うようにやり直さないと。。。。
ごまかしではいけない、、、納得するまでやらないと。。。
歩みは遅くてもいい。。人など気にせずに、自分の歩幅で進まないと、、、
本当の幸せは来ない、、、表面だけの歩みはだめだ。
人生は難しいようだが、自分に正直に生きないと、、、歩かないと。。。小さくてもいい、人の幸せでは無いのだ。
自分の決めた人生道を歩かないと。。。幸せは来ない。。
(5)人生を歩く道で大事なこと。。。
人に与えるなら、信じて与えろ。。。
与えたら、ごちゃごちゃ言うな。。。注文を付けるな。
人の一生も決まるような。。。。
人とは不思議な生き物だ、、、人にやさしく接せる、そして、思いやりを持ってと、常に心がけているような。しかし、反面、やってやったことに、したことに、恩に着せてしまうところがあるようだ。
どうせ、善意を尽くしてしたことなのに、黙々と尽くせばいい、、、それが出来ないのが人なのかも知れない。
折角したことが無になってしまう、、、時によっては嫌がられる、嫌われるようだ。
どうしてなのか分からない、黙ってした善意は感謝される。
「やってやったとか、、、与えとか、、、」
言うならば、初めからするな、、、誰も頼みはしないよ。。
勝手にしてくれて、してやったは無いよ。
親切の押し売りはいらない、、、、
どうせするなら、やるなら、、、見返りはもとめるな、、、
施しの心を持て。。。。
(6)見返り心は捨てろ、、、奉仕の心で、、
人生の末路が少しでもいい方に、少しでも幸せに導かれるようになるには、やはり、普段からの心がけが必要だ。
そのためには人に奉仕心を尽くす心を常に持ち、日々精進することが肝要だ。常に与える心を持って、人に接することが大事であり、見返りを求めないことだ。
人とは不思議であり、妙なものだ、求める心は無い筈が、なぜか求めてしまう。
人ゆえの心の弱さかもしれない。
家族愛が豊かな愛に包まれて過ごせることも、お互いに求めることもなく、尽くしきれる愛があればこそであるような。
男と女の愛に求め合うのではなく、尽くす愛があればこそ、そして、末永く続く愛があるような、、、、
そこに夫婦円満があり、老後も仲睦まじく過ごせるような、、、
極楽浄土はお互いの愛が有れがこそ、お互いをいつくしみ、労りがあればこそ、そのまま、人生極楽浄土への道に繋がるような、、、、
人生末路は惨めではなく、幸福浄土へと。。。
生きている今、、、今を大事に生きることこそが全てだ。
(7)今を楽しく生きること、くよくよするな、、
人の一生は長いようで短い、、、また、短いようで永い。。
人の一生は不思議なもんだ。。。
人の意志ではどうにもならないような。。。。
良くても悪くても。。それが天命だ。
生きられるだけ生きて、その空間を。。時代空間を楽しまないと。。。
人生良くなるのも、悪くなるのも、、、おのれ次第のような。
人生生まれてきたのだから楽しく。。。
日々を愉快に、、、腐ることなく。。。
まずっても失敗しても、、、笑って過ごす。。
馬鹿になって、、、利口ぶらずに。。。好かれて生きるように。。。人生の道は風に吹かれて、、、、
柳の枝のように、、、川の流れのように。。。
心の残る人生物語 「名もなき男たちの末路」
(1)人の末路
人生を精一杯生きた男たちの、生きた証の残らない人生道。
人の道を、証を、歴史を残さずに消えていった人生があるからこそ、人は歩き続けるような。。。。。
人の道は荒海を航海するかの如く、、、歩む道は地上に違いはないが、、、決して、平らな道ばかりでは無い。
人生道には坂道あり、下り道あり、曲がりくねった道も、、そして突き当りもあるような、、、、まるで、海が、波がいろいろ変わるように。
しかし、人は歩き続ける、、、命果てるまで。
いつ果てるか分からない道を、霧がかかった、もやもや道を手探りで、時の空間を歩き続ける。
人は環境によって、その人生道が左右されることが多い。
与えられた道を、己の力で、運命で変えることの難しさ、、、この世に生まれた人々は、余程の事が無い限り、定められて運命の道を歩くような。。。
そして、人生道で、その道を極めて、己の雄たけびを叫ぶことは少ない。その人生で、大部分の人が喘ぎ、苦しみながら生きているようなな。。
そうだよ、、、大概は我慢、辛抱と己を抑えて生きている。
男と女は、なんとなく恋をしたり、好きになったりして、、、そして、子供が生まれる。
そうして、生活のために、子供のためにと、家族を守って、男も女も生きているのだ。
社会の一員として、目だ立つこともなく、必死に生きているような。
そして、家族に見守られ、静かにこの世を去っていく。
それがすべてのようだ。
人とはそれでいいのかも知れない。その生活の中で、家族の中で、仲間の中で、喜怒哀楽を共にして生きていくような。
しかし、今の世の中、家族を愛して、大事にした代わりに、待っていることは老後の不安ばかりだ。
決して、精一杯生きてきた割には割が合わない。矛盾した老後が待っている。
そして、後悔と愚痴が残る。
なんとも言えない寂しい人生道のような。。。。
お金があっても同じだ。
今の世の中は、心寂しい気がする。
だからと言って、昔が良いとは言わないが、、なんか、少しだけ、ちょッとだけいいような。
なんか、家族の間にも、少しだけ、人と人の心の間にぬくもりがあるような、、、。
全てが、なんでも、そうだったとは思わないが、
もう少し、心づかいが欲しいような気がする。
(各家庭になりすぎるような)
現在の引き籠りや登校拒否などの社会現象はどうして起こるかと切り詰めれば、、、専門的なことは分からないが、、、
ひと昔前までは無かったような、、、子供が学校へ行くのを拒むことは見られなかった。寒い日も暑い日も、子供同士が誘い合って学校へ行っていたような、、、小学生の場合は上級生が面倒を見ていた、しかし、友達同士で喧嘩もあった、中には苛めもあったかも知れなかったが、子供同士でかばい合って、まとまっていた。
登校する時には町内事、部落ごとに、上級生が引率をしていた。そして、休んだ日には、住まいの近くの子供が、学校給食があった場合は「給食のパン」を届けていた。
なんとなく、自然に子供同士のコミニューケーションが取れていたような、、
そんなことから、引きこもる余裕などなかったのかも知れない。子供同士がお互いを助けあい、励まし合っていた。
そして、家庭では家族がいつも団欒していたような、、、
悲しくても、楽しくても、、、常に喜怒哀楽が見えていた。
そのぐらいの近さで、朝から晩まで一緒にいたような。
常に、子供も大人も、姿が見えて生きていたような。
逆にうるさいくらい、一緒の生活をしていた。人が成長する時には、子供も見える空間で喜怒哀楽を共に感じる生活が良いような。。。
今の時代、何時のころからか子供も一人部屋、プライバシーを守るとか言って、変な家族構成ができ始めてしまった。
大部屋暮しが良いというわけではない、、、家族なら、常に顔が見える位置で、家庭空間が良いような。
子供のころのことだが、親子が和室に布団を敷いて、頭を並べて寝ていた、そんな時に、昔は家もボロだったのだが、天井裏で「鼠の運動会」が始まったぞ、、、と言っては寝かせられた。今なら不清潔と言われてしまうが、、、
今は何処の家にも水道がある。しかし、昔は井戸だった。
そして、井戸からバケツで水を汲んではお風呂などにも入れた。そんなことが子供の仕事とは言わないが、自然にそういう風になっていた。
なんでも豊かではなかった。だから、みんなで協力して、助け合って生きてきた。
そんな生活には「引きこもり」は無かった。
今が悪いとは言わない、、、もう少し、家族なら近寄って、触れあっていった方がいいような。。。。。
(悲しすぎる老後)
今の世の中、何事も寂しすぎるような、、、
人とは誰しもが人生に夢を持ち、希望に満ち溢れているときがある。特に良き伴侶が見つかり、男も女も結婚する時が良いような、、、
しかし、新婚ほやほやの時が過ぎて、二人の新婚生活にも地獄が訪れる。子供が出来て、将来の夢を語っているときの楽しさも、人生時間から見るとほんの僅かなひと時であるような、、、やがて、育児の大変さが身に染みて来る。
人が一つの生命体を育むという時間が、時の空間がどれほど難しく大変なことが分かってくる。
人生の大半をかけて育てた子供たちが、それぞれの家庭を巣立っていく、、、そして、新しい人生空間を作っていく。。
その間の夫婦の苦しみは大変だ、、、楽しみもある。。
しかし、大部分が「苦労」と言う重荷を背負って生きているような。。。
なんの問題もなく育てばいい、、、事件もある、事故もある、、、心身ともに障害を持っている場合もある。。。
それでもいつかは巣立っていく。途中で羽折れてしまう時もある。
しかし、どうにか、こうにか育って、世の中の空間に飛び立った後、、、、残された夫婦には満足感が残るのか、、虚無感が残るのか、、いろいろだ。
それでも、人生を賭けた一代事業である「子育て」が終わる。
残された夫婦には、その先の残された人生が待っている。
残された夫婦にはいろいろあるようだ。。。
その老後の道が明るい幸せだったり、笑いのある豊かな人生道とは限らない。
人とはそれでも生きていかないと、、、
それが幸せか、不幸かはわからない。。。
しかし、生きるも死ぬもそれぞれの人の道。心がけ一つだ。どうせ生きるなら、残された老後は、誰にでも来る。
訪れる老後なら、精一杯、年老を全うしないと。。。
人それぞれに、老い花を咲かせたいものだ。
(2)環境によって、生きる人生空間によって
人とは不思議なものだ、摩訶不思議な生き物のような。。
人によっては寿命も違う。なんでなんだろうと思うことがある。
あの人はいつも元気なので長生きするよと言われていながら、突然に交通事故に遭って亡くなってしまう。
ある人は毎日健康的な日常を規則正しく過ごしている、きっと長生きするなと言われながら、流行り病にかかり、突然に亡くなることもある。
病気をしながら、長生きする人もいる。
本当に人の命とは不思議なものだ。
人の一生、何があるか分からない。そして、人の別れとは突然に襲ってくる。
まったく、人の命とは厄介なものだ。
だからと言うわけでも無いが、与えられた命、大事に使わないと。。。。
朝、目が覚めたらその日を精一杯生きないと、生きていることに感謝しながら、、思いっきり息をして、生きていかないと。
確かに、生きることは大変かもしれない。
そんなに、たやすくは生かしてくれない、、、まったく持って、所業無常なのだ。
だからと言って、人は生きることを放棄はしてはならないような、、、己の寿命は全うしないと。
生きる時間が短い人もいる、、生きたいと願う人もいる、、
しかし、生きられない人がいるように。。
折角、与えられた命、生きられない人のためにも、生き抜かなければ人の道に反するような。
人生を長く生きてくると、いろいろと思う。
世の中、矛盾も多い、そして、理不尽なことばかりのように見える。
それでも人は生きなければ、、、矛盾の中に、合理性を見つけ、理不尽な中に喜怒哀楽を見つけて、生き続けなければならないような、、、
人の命に安住の里は無いのかもしれない。この世の出来事はすべて、苦行なのかもしれない。
命を全うする処に人の安住の里はあるような。。。。
(昔から言うように、死んで花実が咲くものか)
人は死んで花実が咲くものかと言われているが、、死んで名を遺すの例えもある。
しかし、この世に生まれてきたからには、この世で咲かせたいものだ。死んでから己は存在することなく、名誉が残ると言われて空しいような、、、残る家族には名誉と言われても花はやはり、見て楽しみ、触れて感動するのだから、やっぱり生きている花が美しい。
自分の経験でこんなこともある。年老いて一人なってしまった高齢者が入社してきた。この世の中、何と言っても稼がないと生きていけない、、、国の保証があるからと言っても、社会福祉国家で独り身になると、食べていけないのが現状だ。
だから、高齢者になっても体が動くうちは働かなければならないような、、、そして、ひとり暮らしは寂しい、わびしいものだ。
病気ななった時、仕事が休みの時、夜になると空しくなるようだ。
そして、会社を休んだと言っては会社側も心配する。
様子を見に行けば一人で亡くなっている。孤独死だ。
本当に寂しい人生模様のような。。。
また、時には具合が悪いからと言って入院をする。そして、治らず、帰らずで、行政の福祉課の世話で、無人仏になるのだ。
本当に悲しい、寂しい、、、だからと言って、若い時にもっともっと、生活空間をきちんとしておけばよかったと思う。
誰しもそう思うのであった。
しかし、現実は思うようにはいかない。
なんだかんだ言っているうちに、時は過ぎてしまうのだった。
人生とは考えれば考えるほど、空しい、寂しいものだ。
人の末路とは皆同じかも知れない。
所業無常なのかも知れない。
(3)幸福な笑いの死はあるのか。。。)
人間の日々に幸せはあるんだろうか、、、幸せな時を過ごしていると思ったら、ある日、突然に不幸が訪れる。どんな不幸かは分からないが、自分の身に病とか、怪我とか、交通事故とかは分からない。
しかし、長い人生には必ずと言っていいほどに「躓き」がる。そして、自分だけは大丈夫と思っていても、それは絶対的ない。
今回、吾輩も病に倒れた。そして、入院したのであった。
人生長くやっていると疲れがたまる。
無理をすると体の至るところに痛みが出るようだ。
身体は自分が思っているほど強くない、、、頑丈では無いのだ、、、そして、心臓、腎臓、肝臓、胃袋、尿機関などが悲鳴を上げた。
今、治療している。
現代の医学は凄い、、、担当する医師や看護婦も凄い、、、
医療機器も凄い。。
まだまだ、治りはしないが、体調の悪いとより、数段良くなっている。
その御蔭で、今、記事を書いている。
ありがたいことだ、人は感謝をしながら、自分一人では生きていけない、しみじみ思い知らされたような。
人間、誰しもが分かっていることだが、健康一番だ。
健康無くして何も出来ない。とにかく、健康を維持することだ。幾つになっても健康がいい、、、、
金があっても。ものがあっても。幸せには慣れないような、、、
健康、、万歳だ。
人は最後は死ぬ、、、しかし、死ぬことは寂しい、わびしい。それも人の定めだ。
別れは辛い、、、しかし、何時かは別れも来るような、死と言う世の定めのように。。。
人は心の持ちようだ、、、心さえゆく道を間違えなければ、、、人の生きる道には幸せが訪れるような、、、
人生無常心は有情、、、、、
(4)人の生き方、幸せな道
人は道を間違えなければ、大概は前に進む。また、間違えたと思えばひきかせばいい、、、その引き返す勇気が必要だ。それを間違えると、後戻りが出来なくなるような、、、
人は誰でも間違える、その間違えた時に気が付けばいい。
恥は掻いてもいい、、、恥を掻かずに、やる過ごすと後悔する。
人とは不思議なもので、やり直すことが肝心だ。
そのやり直すことができるか、、、出来ない加が、、人生の分かれ道になってしまう。
人の一生は一度きりだ、、、何回でも、自分の思うようにやり直さないと。。。。
ごまかしではいけない、、、納得するまでやらないと。。。
歩みは遅くてもいい。。人など気にせずに、自分の歩幅で進まないと、、、
本当の幸せは来ない、、、表面だけの歩みはだめだ。
人生は難しいようだが、自分に正直に生きないと、、、歩かないと。。。小さくてもいい、人の幸せでは無いのだ。
自分の決めた人生道を歩かないと。。。幸せは来ない。。
(5)人生を歩く道で大事なこと。。。
人に与えるなら、信じて与えろ。。。
与えたら、ごちゃごちゃ言うな。。。注文を付けるな。
人の一生も決まるような。。。。
人とは不思議な生き物だ、、、人にやさしく接せる、そして、思いやりを持ってと、常に心がけているような。しかし、反面、やってやったことに、したことに、恩に着せてしまうところがあるようだ。
どうせ、善意を尽くしてしたことなのに、黙々と尽くせばいい、、、それが出来ないのが人なのかも知れない。
折角したことが無になってしまう、、、時によっては嫌がられる、嫌われるようだ。
どうしてなのか分からない、黙ってした善意は感謝される。
「やってやったとか、、、与えとか、、、」
言うならば、初めからするな、、、誰も頼みはしないよ。。
勝手にしてくれて、してやったは無いよ。
親切の押し売りはいらない、、、、
どうせするなら、やるなら、、、見返りはもとめるな、、、
施しの心を持て。。。。
(6)見返り心は捨てろ、、、奉仕の心で、、
人生の末路が少しでもいい方に、少しでも幸せに導かれるようになるには、やはり、普段からの心がけが必要だ。
そのためには人に奉仕心を尽くす心を常に持ち、日々精進することが肝要だ。常に与える心を持って、人に接することが大事であり、見返りを求めないことだ。
人とは不思議であり、妙なものだ、求める心は無い筈が、なぜか求めてしまう。
人ゆえの心の弱さかもしれない。
家族愛が豊かな愛に包まれて過ごせることも、お互いに求めることもなく、尽くしきれる愛があればこそであるような。
男と女の愛に求め合うのではなく、尽くす愛があればこそ、そして、末永く続く愛があるような、、、、
そこに夫婦円満があり、老後も仲睦まじく過ごせるような、、、
極楽浄土はお互いの愛が有れがこそ、お互いをいつくしみ、労りがあればこそ、そのまま、人生極楽浄土への道に繋がるような、、、、
人生末路は惨めではなく、幸福浄土へと。。。
生きている今、、、今を大事に生きることこそが全てだ。
(7)今を楽しく生きること、くよくよするな、、
人の一生は長いようで短い、、、また、短いようで永い。。
人の一生は不思議なもんだ。。。
人の意志ではどうにもならないような。。。。
良くても悪くても。。それが天命だ。
生きられるだけ生きて、その空間を。。時代空間を楽しまないと。。。
人生良くなるのも、悪くなるのも、、、おのれ次第のような。
人生生まれてきたのだから楽しく。。。
日々を愉快に、、、腐ることなく。。。
まずっても失敗しても、、、笑って過ごす。。
馬鹿になって、、、利口ぶらずに。。。好かれて生きるように。。。人生の道は風に吹かれて、、、、
柳の枝のように、、、川の流れのように。。。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》
小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です
◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ
◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます!
◆クレジット表記は任意です
※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください
【ご利用にあたっての注意事項】
⭕️OK
・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用
※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可
✖️禁止事項
・二次配布
・自作発言
・大幅なセリフ改変
・こちらの台本を使用したボイスデータの販売
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる