大阪のつむじ風

献残屋藤吉郎

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托鉢旅路の果てに

托鉢旅路の果てに

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「殺(屋)られたら、死を持って」第五部
      原作者 献残屋藤吉郎



「托鉢」。。。旅路の果に

托鉢とは仏語1)、、、出家が鉢を持って食の施しを受けること。禅宗では特に厳重な

         規律を定め、修行の一環とするが諸宗でも広く行う。

         僧尼が鉢をを持って経文を唱えながら各戸をまわり、米や銭な

         どの施与を鉢に受ける。乞食(こつじき)。

         行乞。鉢開き

    仏語2),,,,,禅宗で粥飯時に、僧尼が鉢をもって食堂に行くこと。




1.「御影守は生きていた」

東京の桧原村で襲われた御影守は、奇跡的に命拾いをした。

一緒にいた安田敬一郎と徳山萌は銃撃され、即死状態であった。難を逃れた御影守は

銃撃された傷を癒すために筑波山に身を隠した。

御影守は「虎の牙」に救われたのだった。偶然に桧原村を訪れていた「虎の牙」が瀕死の状態の御影守を助け出した、、、、

そして、そのまま筑波山の「虎の牙」の館に連れてきて、養生させていたのだった。

どのくらい寝たか、御影守が目を覚ましたのは事故が起きてから、10日目だった。

そして、虎の牙に助けられて事を知った。

「良く寝てたな、、、、心配したよ。、、目が覚めて、良かった。」

と、虎の牙に声をかけられた。

その時に御影守も思った。

心の中で、良く生きていたもの、、、と。。。

「そうか、、俺は死ななかったんだ。。。生きていたのか」

虎の牙の本名を知っている御影守は。。。。。

「西郷さん、助けてくれたんだ、、、ありがとう」

「ところで、安田と徳山はどうした。。。」

「ダメだったのか、、、そうか、、、」溜息しか出なかった。御影守はそれから

二人のことを詳しく聞いた。

後処理は警視庁の明智壮一郎警視が全てやってくれたとの事だった。

身寄りのないふたりの墓まで用意してくれたと。。。

「そうだったのか。。。元気になったら、二人に遭いに行くことを、誓った」

御影守だった。

しばらく、虎の牙の館に厄介になった。

御影守と虎の牙は、、今までのことを振り返って、安田や徳山のこと、相竜会の白木大二郎たちの面影を追った。

夕闇せまる、、、筑波山楼でしばらくは瞑想に。。。。。

そして、御影守が話し始めた。

「西郷さん、、、傷が謂えたら、しばらく、旅に出ようと思う」

「何という目的もないが、、、坊主旅をしようと。。。托鉢だよ」

虎の牙も賛成した。

「私も一緒に、やってみたいな」

ということになり、しばらくしてから二人は旅に出かけることにした。

寒い冬も終わり、、、梅が芽吹きだした春の日だった。



2.旅たち

つくば山麓に春の匂いが立ち込め始めた。

山々の木立から鶯の鳴き声が、、、そんな春の日、山道から東京が望めた。

御影守と虎の牙の二人、托鉢姿で山を下り始めた。二人について、虎の牙のもとで心と体の修行をしていた伊達寅之助が同じ托鉢姿で、虎の牙の愛犬「小虎」と共に

続いていた。

御影守は。。。。「これから旅する間、西郷さん、あなたのことを”寅さん”と呼んでいいかな。。。。」

そして「俺は”影さん”と呼んでくれ。。。一度死んだことになっているので、、、」

二人は呼び名を決めながら、栃木県日光市に向かった。

追従する伊達寅之助は「私は、二人のことを何と呼べばいいのでしょうか、、、」

と,尋ねた。。。

「そうだな、、、寅之助は自分が呼びやすい名前で呼べばいい、、、」

と、困った寅之助は決めてくださいと、、、言われて。。。

「虎の牙を師匠と、、、御影守のことは、影さんでいいよ」

と決めて、、、小虎を引き連れて歩き出した。

三人の托鉢僧(見た目はいかにも僧侶姿)が向かった先は、日光、二荒山にある、相竜会の白木大二郎の墓だった。

どうしても、御影守は墓参りをしたかった。そして、拓鉢の旅に、、、、

日光にはホテルチェーン宇都宮の本部ホテルがあり、さゆり社長に会いたかった。

托鉢姿で現れた御影守に、さゆり社長は驚いた。

さゆり社長は、御影守が東京桧原村の「自立支援救済施設」で、関西連合の大明司次郎に襲われ、銃撃されて亡くなったと。。。

だから、突然、托鉢姿で現れた時にはびっくりしたのであった。

「ご無事でよかった、、、本当に良かった」と

さゆり社長は喜んでくれた。

日光のホテルチェーン宇都宮に着いた、その夜は本部ホテルに泊まった。

御影守にもさゆり社長にも、話さなければならないことがあり、その晩は、懐かしみながら、今後の打ち合わせもしたのであった。

今回の株式売買でのことを、、、今後の新規事業でのことを。。。

そして、今後の事業の展開の打ち合わせは、「宮益坂金融商社」の浜口一郎と進め、御影守は報告を受けて、事業の修正を行うことにした。

浜口一郎の宮益坂金融商社の組織拡大を行い、企業としての展開を進めることにした。

ホテル宇都宮で、打合せを済ませた御影守たちは旅立った。さゆり社長との連絡は直接に決められた携帯電話でとして。。。。

三人の托鉢坊主は一路、東京桧原村へと。。。。向かった先には安田敬一郎と徳山萌の墓があった。





3.桧原村の墓参りから、、、全国へ事業展開に向かう

東京桧原村に着いた三人の托鉢僧は安田と徳山の墓のある寺に参った。御影守も死んだことになっているので、彼の墓もたっていた。

自分の墓参りも変な気分だった。しかし、関西連合の執拗な暗殺から、逃れるためでもあった。

桧原村の自立支援救済施設はホテルチェーン宇都宮の福祉企業「宇都宮株式会社」が立派に運営していた。宮益坂金融商社の浜口一郎たちも参加していた。

御影守はその状況を見て、安心した。この陣営で、福祉事業が展開していけば傘下にある「こども食堂」も、NP法人の「炊き出し団体」も救われると。。。。

御影守たちが目指した、不安社会、不況社会における困窮者たちの食生活、居住生活の援助の手助けになるのではという目的に向かっていた。。。。

また厚生労働省は5年ごとに「ホームレスの実態に関する全国調査」を発表していて。路上生活者(ホームレス)は全国的に4555人。一番多いのは東京都で1126人と。

今。わが国では仕事がない人、住む家がない人などが多数いる、生活困窮者だった。

更に家のない人たちが、路上に集結しています、その見回りをして、その人たちに炊き出しなどもしています。

いろいろな合同見回りボランティアなどもあって、「路上脱出、生活SOSガイド」という冊子を配布して、声をかけて体調や困りごとがないかを聞いて廻る。

いろいろな救済団体があり、困って人々を助けています。

人とは凄いと思う。

そんな人たちがいることに安心し。救われるものだ。

ひとの人生とは不思議なもの

人生の社会悪に立ち向かってきた俺だが。。。いつの間にか、人は許す心を

持つようになり、、、優しい人々や、思いやりのある心に触れることにより、、

自然に世の中を、見直すのだった。。。

世の中に悪人はいない、、、、相手を思い、いつも持っていれば。。。。

「ありがとうの心を、、、」

そんな俺になりたいような。。。。



4.托鉢旅をしながら。。。

御影守は世直し旅をして来たつもりであったが、供に戦った仲間が、消えてしまい、

托鉢旅に出たのであったが、何かに不安を感じていた。
そして、托鉢旅に出た、虎の牙に。。。。
「虎さん、、、何かを忘れて来てしまったような、そんな日々が続いて仕方がないんだよ。。」と、、、自分に言い聞かせるような口調で話しかけた。
「これから先も、俺たちの生き方は、いいのかな、、、このままで、社会悪を追いかけて行って、、、」
すると、虎の牙は「影さん、、、何を迷ってるんだよ、、、世の中にはまだまだ、悪は生き延びて生きるよ。。。。」
そんな世の中に、一人ぐらい、正義ともまでは言わないが、、、いてもいいような。
「影さん、、、短い人生だ、、、たいしたことはできないよ、、、私たちに出来ることを、精一杯に進むことしかないんだ、、、」
虎の牙は言い放った。
今更、生き方を変えることは出来ないと。。。。
「影さん、、、私たちがしたことは、良かったか、悪かったかは、、、いずれ、世の中が決めたくれるよ。」
そんな話をしながら、三人の托鉢僧は歩みを進めた。
そして、大阪に着いた。
大阪には徳山萌の仲間がいたことを思い出して、、、、恋しい夫婦同士が仲良く、大阪の地に永遠に住み着いていた。。。徳山萌に代わって、墓参りをしなくてはと思い、古びた小さな寺を訪ねた。
今回は桧原村からの長旅だった。御影守たちも昔と違い、飛行機や新幹線を使わずにローカル鉄道や、路線バスを使っての旅で、三人とも疲れたようだ。
三人のお供をしてのボクサー犬の「小虎」も、ふーふー言いながら健気にも附いた来た。
大阪で墓参りを済ませて、京都を巡り、寺院参りをして久しぶりにゆっくりした。。。。大阪にも「宇都宮株式会社」の支社はあるので、さゆり社長とも連絡を取り、大阪にも宿を執った。
たまたま、新規の「自立救済宿泊施設」の計画があったので、大阪支社に来ていたさゆり社長とも会った。
「大阪は浪花連合のひざ元であるが、別段の問題もなく、事業は進んでいますか。。。」との、問いかけにさゆり社長は頷き、今は代が変わり、業務提携しているとのことだった。
さゆり社長の手腕も去ることながら、参謀役の浜口一郎が実績を上げていた。



5.托鉢僧三人が九州へ

大阪でさゆり社長たちと会い、事業報告を聞いて、御影守たちは安堵した。
これからも、道途中で往った安田や徳山にも、そして、相竜会の白木大一郎にも胸を張れた。世の中の心弱い人たちが、社会悪に打ちのめされないように、救済し、守ることができれば、自分たちの悪も報われるのではないかと。。。。
忘れることがないように、托鉢旅に出たのも、己の心を戒め念を押すためでもあった。
九州福岡にも、御影守が懐かしい友がいた、その仲間のために復讐代行をしたことが昨日のことのように懐かしかった。その友にも会い、その仲間たちが今、前向きに事業展開をしていることに、、、御影守は救われた。
悪行ではあるが、やったことによって、今が幸せだということに、、、、
御影守は虎の牙と托鉢旅をして、少しだけ、過去を振り返り、自分たちの道を前に進もうと思ったのであった。
決して、人に対して復讐をすることは良いことではないが、昔からの諺でもあるように、「喧嘩両成敗」と。。。。
御影守は自分に世の正道をあえて、曲げた、屈曲した理屈をつけた。
それで、これからもいいような。。。。
己の道は天国か地獄かと言われても。。。人の道を外した言われても。。。
社会悪には立ち向かい、、、生きていくことに。。。
「人の無常道」を歩き続けると。。。
新たな気持ちで、九州福岡に入った。
これから先、何があるかわからないが、、弱者と共に歩き続けようと。。。

6.復讐代行と托鉢旅

御影守が東京鶴巻町の事務所兼住まいを引き払って、しばらくが過ぎた。
そんなこともあって、なんでも相談室に訪ねて来る人もなく、人生相談は人を介して、相談を持ち込んでくる人はいた。
しかし、以前のように人生問題で頼って来る人もなく、宇都宮株式会社や金融関連会社からの相談がほとんどだった。
従って、生活困窮者の悩みや、子ども食堂絡みの相談ごとばかりであった。
今の時代、働きたくても働けない、働いても働いても生活が正常にならない。。。。
家がない、、、家族がいない。。。老後の生活が不安。。。
人生だれでも一生懸命働いたつもりであったが、気が付けば、自分の周りには誰もいない。。。そんな人たちが多い、、、孤独な老後を過ごしているような。。。
どうしてなのか、、、働けるる時から、老後を考えている人が少なく。。。気が付けば年を老いてしまっている。。。。
本人の心がけも悪いようだ。。。。しかし、精一杯働いて、老後を夢見て家を建てたが、世の中が悪いのか、人の世の仕組みが悪いのか。。。。
家を建てたが、生活費が残っていない。。。
そんなことで、生きていけないのだ。。。。。
困った先に考えること、、、、それは「死」だ。
そんな人たちを救済しようと、御影守たちは社会悪に立ち向かいながら、少しでも、
貢献しようとしている。
悪銭ではあるが、、、考え方が間違っているが、世直し事業をしようとしている。
何度も何度も、、、自分たちに言い聞かせていた。
自分たちが生きている間は、弱きものを助け、救済をしていこうと。。。。。
言い聞かせて、、、考え直して。。復讐代行をしていこうと思った。

7.時給自足と托鉢業

今の時代に足りないもの、、、それは時給自足だ。。。
何でも揃う世の中で、苦労せずに、欲しいものを手に入れることが出来る。
金が全ての世の中のような、、、、そんな世の中だから、物が不足しては物不足と嘆き、、、物が無いのも世の中のせいにして、それぞれが努力をしていない。。。
そして、日常生活に必要な物が値が上がれば、物価高と文句を云い、何でも世の中のせいにしてしまう。
可笑しな世の中だ、、、、生活の中で工夫が足りないような。。。。
中には精一杯努力して、切り詰めて、やりくりをしている人たちも多くいる。
しかし、世情では風評が飛び交う、、、住ずらくなると、世の中のせいにしたり、人に擦り付けるようだ、、、、
少し前の世の中、、、物が無い世の中。。。人は工夫して生きて来た、。
時代の少し前の人たちが出来たことを、、、今の時代の人に出来ない訳がない。同じ人間だ、、、そんなに変わっている訳がない。
やってみないと、、、、努力してみないと、、、物不足が起きたら、物価高で物が買えなくなったら、、、我慢をしないと。
そして、工夫をしないと。。。
人間には出来ることがある。それは「自給自足」の生活だ。
今こそ自給自足に、食べる物、着る物、全て、人が使う物は自分で工夫して用意しないと。。。。
今こそ、自給自足の時代だ。。。。
御影守たちは「自立支援救済施設」を作って、その施設の中で農園経営や、場所によってはリサイクル施設等などの運営をと考えている。
更に、場所によっては林業を。。。漁業と考えて、自給自足の生活を、環境施設を作り上げていこうと思っている。
それが悪銭でも利用しようと考えているのであった。
托鉢をしながら、迷い道に迷っているところであった。

8.山奥でひとり暮らし

九州地方は温泉が豊かで、御影守たちも宝仙寺温泉から湯布院温泉方面に向かって、托鉢旅を続けていた。宝仙寺温泉から山道を辿り、托鉢を続けてたいたら、途中の山中で、山籠もり生活をしている年老いた男と出会った。
宝仙寺温泉から山道を歩いていると、いかにも山男と言った老人が猟銃を持って歩いて来た。御影守たちが、軽く会釈をしてすれ違った時に先方から。。。
「どうも、、、あんたたちこんな山の中を歩いて、何処へ行きなさるかね、、」
と、人懐こい笑顔見せて、問いかけてきた。
御影守が、、、「湯布院温泉まで托鉢していこうと思ってます」
と答えたら、、、その老人が、それは大変だと言ってきた。
これから湯布院温泉までは山中で何もない、、、日も暮れてきたが、野宿でもするのかと、、、、
もしよかったら、この先にわしの家があるが、寄っていかねえかと言われたので、、、御影守たちは老人の親切に甘えることにした。
正直言って、御影守たちは不安だった。知らない道で、旅先で、街灯もない山道であったので、、、、ぶらり旅ではあるが、日も暮れてきたので。
猟銃を持った老人の後に付いて行った。
しばらくすると、山道から横道に入った所に、山奥にしては大きな家があった。
家に着くと、老人は
「取ったばかりの猪で、上手い鍋飯をご馳走するから、ゆっくりしていくといい」
と言いながら、大きな家の中に入っていった。
家の中には大きな囲炉裏があって、御影守たちをその囲炉裏に案内した。
老人は挨拶しながら「わしは山本勘蔵だ、、、人は山勘と呼んでいる。よろしくな」
老人は独り住まいで、猟師をしながら、自給自足の生活をしているらしい。
山勘の話だと、先祖伝来の山持ちで。その山で猪や鹿を取って、生計を立ててる。
山での話をしながら、御影守たちが坊さんと思って、
その晩は山勘の作った猪鍋を食べながら、世間話が弾んだ。
山勘も一人暮らしで、御影守たちが来てくれたことに歓迎をしていた。
偶然知り合った山勘と、意気投合して楽しい、そして、旨い猪鍋をご馳走になり、托鉢旅も悪くないなと快く、受け入れていた。
  
9.人里離れた山奥にも悪銭の手が。。。。

御影守たちは一晩を山勘と称する老人の家で過ごして、その山勘から湯布院温泉までの道筋を教えて貰った。そして、旅たちの支度をして、山勘から朝食を用意して貰い、済ませた時に山勘のところに来客があった。
話を聞いているうちに、御影守たちは今までの人生経験から、きな臭さを感じた。
少し心配になって聞き耳を立てて、様子を伺った。
御影守の直感で機転を利かせて、成り行きを見ることにした。
来客との間に問題があって、なんかのトラブルを起こしているらしい。
しばらく、御影守たちは旅支度をする振りをして、問題の内容を噛みしめていた。
そして、トラブルが起きた。
来客の数人が山勘に大声を出して、今にも飛び掛かりそうであった。しかし、山勘も強かった。
毅然として、言い放ち、相手の言い分を聞こうとはしなかった。
山勘は、、、「お前たちと話し合う気はない、、、帰って大谷に話しておけ。。。」
と、怒鳴り返して、猟銃を突き付けた。
押しかけたやくざ風の男たちは、山勘の勢いに押し返されて、ぶつぶつ文句を言いながら、、、「覚えておけよ、、、山勘、後悔するなよ」
と言いながら、帰っていった。
御影守が声をかけた、、、「大丈夫ですか、、、もし、良かったら話を聞かせてくれませんか、、、何か出来るかも知れませんので。」と。
事の成り行きを見てて、御影守は山勘が、なにかの理由で言い篝をつけられていると考えた。
御影守は自分たちは僧侶ではなかく、人生相談もやっている話をして、山勘から事情を聴きだした。その結果、御影守たちは山勘の手助けを、協力をすることにした。
山勘はもともと、宝仙寺温泉の地元博徒であった。しかし、娘が後を継いだ温泉旅館経営のために、博徒を廃業し、猟師になって山籠もりを始めたのであった。
先祖伝来の山持であったので、集落のあったところに家を建てた。
しかし、時が経ち、集落には住む人もいなくなり、山勘が一人だけとなった。娘たちには山を下りて、一緒に住もうと言われているが山勘は山に残っていた。
山勘が住んでいる集落の人たちは、山を離れ、その土地を大谷建設に売買してしまっていた。安い価格で購入して、大谷建設は山に囲まれた窪地に産業廃棄物処理施設を作ろうとしていたのである。
山勘は大谷建設の事業のやり方を見てきているので、事業所側の言い分だけを聞いて、信用出来なかった。そして、的確な処理が出来るとは思っていない。
自分たちが住んでいた、緑豊かな山林をゴミの山にしたくなかったのであった。
更に、住民を騙したような商いで、土地を手に入れ、当初は温泉ホテルを作ると計画していた話をもちかけていたのであった。
今では地域住民が反対しているにも関わらず、強引に廃棄物処理施設を作ろうとしている。金の力と政治力を使って、そして、暴力というか、圧力をかけている。
そんな中で、山勘だけは土地を売らずに頑張っていたので。
その権力をぶっつけて来たのであった。
  

10.地域権力の圧力

地方における権力争いは、大きい小さいはあっても、内容は違ってもいろいろあるものだ。宝仙寺温泉における地権者と、地方建設会社の確執は以前からあり、大谷組
の大谷市衛組長との間には博徒時代からの因縁があって、何事にも万事が上手くいかなかった。
山勘時代には、大谷組長は駆け出しだったので、何かと頭が上がらなかったような、、、そんなこともあってか、今でも大谷組長は山勘が苦手で、どこか逃げ越しだった。交渉事は若頭の川谷一郎に任せて、表面には出てこなかった。
今回の土地買収の問題にしても、若頭の川谷一郎が仕切っており、地元有力者の町会議員の谷田川二郎衛が動いていた。
大谷組との問題が起こると地元警察が丸く収めてしまっていた。谷田川議員と警察署長が地元高校の同級生ということもあって、何かと黒い噂があった。
そんなこともあって、山勘たちの訴えが揉み消されていた。その上、山勘の娘が経営する温泉ホテルが、大谷組によって、営業妨害をされていたのであった。
山勘が何度か交渉したが、その度に、大谷組長には逃げられていた。
そして、大谷組に土地を売った地元住民たちも、今では嫌がらせをされていた。山勘の説得に無理やり協力させられ、事あるごとに、無理難題を突き付けられていた。
そんな話を山勘から聞いた御影守たちは、何か方法、対策は無いものかと知恵を絞った。以前なら、問答無用で、喧嘩両成敗で大谷組グループを抹殺していたのだが。。。。
今回は荒療治は出来ないような、、、そこで、御影守が考えたこと。
「困窮者自立救済住宅」を立てる計画であった。宇都宮株式会社に「困窮者自立救済住宅」を建設する計画を立てさせ、農園経営とか宿泊施設(山小屋)経営をすることにして、土地買収をさせる。現在、残っている山林や原野を利用して、、、
そして、大谷組関係の買収した山林等を売り渡してもらう交渉をする。
現在、反対されている産業廃棄物施設を辞めて貰う代りに、大谷組から、それらの利益等を考えて買収する。大谷組には利益還元をして、地元住民との問題も解決し、欲張り地元有力者の谷田川二郎衛にもそれなりの利益を持たせれば、解決するような、、、と、思い、山勘側と大谷組との交渉を引き受けた。地元住民との話し合いも円満に解決するように。。。
まだ、御影守たちは僧侶、修行中の托鉢僧と思われていたので、その交渉に当ることになった。
その交渉は、しばらく時間を要したが大谷組の要求を全面的に受け入れてまとまった。
御影守には円満解決した後に、やることがあった。

11).御影守たちの計算
 
御影守の計らいで、山勘たちの土地買収問題を解決した。しかし、御影守たちは一件落着とは思っていなかった。
宇都宮株式会社の困窮者自立支援住宅の建設計画が終了するまでは、じいっと見守っていた。自立支援住宅計画が完了して、困窮者が、孤独な老人たちが入居して、農園運営が始動するまでは、辛抱していた。
そして、御影守たちは動き始め、、、大谷組に対しては買収に関しての不正事項、脅迫、営業妨害に対する違反行為を調べて、損害賠償を申し出たのであった。
勿論、大谷組は抵抗した。しかし、今度は問答無用で恐慌行使をしたのであった。
まずは先制攻撃、大谷組長を襲撃した。そして、地元有力者の谷田川二郎衛議員を
銃撃したのであった。
ふたりとも即死であり、地元新聞に掲載された。地元は大騒ぎであった、しかし、狙撃犯人が分からないで、地元警察も動きが取れなかった。
犯人逮捕に時間がかかり、その捜査にミスがあった、
そして、谷田川議員との黒い噂が立証され、地元警察署長も逮捕された。

御影守たちは警察署長が逮捕された翌日に、山勘に別れを告げて、托鉢旅に出発した。

御影守たちが今回は無償で復讐代行をしたのであった。

いつものように復讐代行の銃撃は「虎の牙」が行った。そして、今回は虎の牙の弟子である、、、寅之助が手伝いをしたのである。

托鉢僧の三人は、宝仙寺温泉での代行を済ませてから、湯布院温泉に向かった。

久しぶりの復讐代行であったが、心は晴れていた。

そして、宇都宮株式会社からも、わざわざさゆり社長も来てくれて。九州の地にも宇都宮株式会社の自立救済住宅計画の足がかりが出来た。

御影守の考えでは、日本全国に福祉事業を展開していきたいと思っている。

少しでも、家のない、身寄りのない、孤独な高齢者の救済を行い、子ども食堂を広めていきたいのであった。

その一番元をたどれば、、、社会悪からの悪銭ではあるが、、、

いいとは思わないけど、、、いいような気もする。

御影守たちは宝仙寺温泉の社会悪を凝らしめ、不正を行う者たちを法では罰せぬ始末をつけた。今の世の中では法を適用しても、法的規制を少しだけ受けて、あとは何の問題もなく日常生活を送ることが出来る仕組みに許せない姿勢を、御影守たちは示したのであった。

法治国家と言っても、表面的な形だけの罰を受けることを知っている、社会悪の連中には悪事を働いても、人を陥れるようなことをしても、せせら笑っている社会悪には「死の掟」をもって罰しなければ許せないと、御影守たちは思っていた。

昔からある「喧嘩両成敗」なのであると、、、、

山勘には説明しなくても、事の事情が分かっていたようだ。

御影守と虎の牙,そして伊達寅之助に子飼いの「小虎」は、山勘たちの街を後にした



12。托鉢旅再び、、熊本阿蘇から湯布院温泉へ

御影守たちは熊本阿蘇へ向かった。御影守の九州福岡の友人、高木。その高木の紹介の依頼人、大須賀真奈美の兄である大須賀誠の復讐代行を行った時の墓参りをしたのであった。

大須賀誠のように生真面目な仕事一筋の人間が、なんとなく、御影守は好きだった。その人間を騙して罠にかけた人間たちをゆせなかった。

墓参りをして、大須賀誠の面影が浮かんできては、懐かしく思いながら、合掌したのであった。

熊本阿蘇での墓参りを済ませて、御影守と虎の牙たちは湯布院温泉に着いた。

懐かしい人たちの墓参りも済ませ、少しだけ、安堵したのか、湯布院温泉でゆっくりした御影守たちであった。

温泉に時を過ごし、ゆっくり食事をとりながら、これからのことについて、虎の牙と話し合いをした。

その結果、一端、東京に戻り、御影守は人生相談室を開きながら、命の続く限り、世直し稼業をしていくことにした。

そして、宇都宮株式会社関係の業務と、浜口一郎たちに任せた金融業の仕事を手伝って、少しでも福祉事業に関わっていこうと考えていた。

虎の牙にも手伝ってもらい、困窮者自立支援住宅経営とその関連事業、そして子供福祉事業である「こども食堂」などを援助していこうと考えて、御影守は東京に戻った。

やるからには必死に努力していこうと思った。

托鉢旅から戻り、濁った日本の空を少しでも、青空にしていきたいと願う御影守たちであった。
















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