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第五章 新婚旅行

1 旅立ち

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 ベルティーユが礼状をすべて書き終えたのは、新婚旅行に出発する一刻前のことだった。
 昨夜はオリヴィエールとともに夕食を摂った後、ひたすら書き物机に向かってカードにペンを走らせた。
 深夜になって様子を見に来たオリヴィエールが、一緒に寝室に行こうと誘ったが、就寝前の口づけだけして先に眠ってもらった。
 オリヴィエールは物凄く残念そうな顔をしていたが、ミネットに頼んでオリヴィエールを寝室に閉じ込めてもらった。放っておくと、いつまた邪魔をしにくるかわからないからだ。
 結婚するまではわからなかったが、オリヴィエールはやたらとベルティーユのそばにいたがる。
 新婚の夫とはそういうものです、と家政婦長は別段珍しくもない現象のように言ったが、ベルティーユはオリヴィエールの話し相手をしている余裕などなかった。まして、閨での夫婦の仲を深める行為に付き合っている暇もなかった。
 オリヴィエールは多少不満げな顔をしているように見えないこともなかったが、無視することにした。母親からは、夫の言いなりになってしまうのはよくないし最初が肝心だ、と言われていたのだ。
 礼状はどうしても旅行前に出してしまいたかった。
 これは遅くなればなるほど、ダンビエール公爵夫人の評判を落とすことになる。夫人の評判が落ちれば、夫であるダンビエール公爵の評判も下がる。
 貴族というものは、そういうものだ。
 特に、これまで王妃候補として教育を受けてきたベルティーユには、自分の評判を強く意識してきた。自分の評判だけでなく、カルサティ侯爵家の評判も重視してきた。いくら自分に非がなくても、父や兄の行動で自分の評判が落ちることもあったからだ。
 その意識はダンビエール公爵夫人となったいまでも変わらない。
 自分はオリヴィエールの妻という個人である前に、ダンビエール公爵夫人なのだ。王族ではなくても、貴族というものはなかば公人だ。
 そのことを忘れてはいけない、とベルティーユは常々考えていた。

「ふわぁ……」

 公人とはいえ、寝不足ともなれば欠伸も出る。
 できるだけ大口を開けないように手袋をはめた両手で口元を押さえつつも、ベルティーユは欠伸をしながら馬車に荷物が積まれていくのを車止めに立って眺めていた。
 さきほどまでペンを持ち続けていたので、右手の指が痛い。
 肩も凝っているし、椅子に座り続けていたので、腰も痛い。
 これから数日は馬車に乗って旅をするのだと考えただけで、気が重くなった。
 とはいえ、新婚旅行は重要だ。
 夫婦でダンビエール公爵家の領地に向かうとともに、公爵の友人知人の招待に応じて交際を深めるつとめがある。

(アレクサンドリーネも来るようだし)

 昨日、兄が届けてくれたという手紙の内容をベルティーユは思い出した。
 カルサティ侯爵家に届いたというベルティーユ宛の手紙の中に、ラクロワ伯爵夫人アレクサンドリーネ・マルからの手紙も含まれていた。
 前日、ダンビエール公爵邸で催されたベルティーユの結婚式に参列していたにもかかわらず、アレクサンドリーネはわざわざカルサティ侯爵家へベルティーユ宛の手紙を出したのだ。
 ミネットから聞いた話では、シルヴェストルは半刻ほどオリヴィエールと話をしてから帰ったらしい。
 アレクサンドリーネからの手紙の内容は、簡単なものだった。
 ベルティーユが新婚旅行で訪ねるという貴族の城館に自分たちラクロワ伯爵夫妻も招かれているとのこと、城館で会うのを楽しみにしているということ、新婚旅行を楽しむ心得などが書かれていた。
 内容は一見すると普通だったが、封は開けられており、シルヴェストルが目を通しているのは明らかだった。
 カルサティ侯爵家では、時々ベルティーユ宛にダンビエール公爵との結婚を止めるようにとの妙な忠告の手紙が届くので、たとえ親友の名で出された手紙であってもベルティーユの手に渡る前に父や兄が内容を確認することになっていた。
 アレクサンドリーネはそれを知っているので、内容は当たり障りのないものになっている。
 ただ、これまでベルティーユの旅行先に招かれているなどという話は一度もしていなかったアレクサンドリーネが、旅先で落ち合おうなどと書いてきたことには疑問を感じていた。

(あれは明らかに、お兄様に読ませるために書いたんでしょうね。あれを読んだお兄様がどうなさるのかはよくわからないけれど……まさかお兄様まで旅先に現れたりはしない、わよねぇ?)

 昨日のオリヴィエールの口振りでは、兄が旅行に出掛ける話をしたわけではなさそうだった。
 わざわざ兄が手紙を携えて訪ねてきたのだから、なにか重要な用事があったに違いないのだが、その辺りはミネットもわからないらしい。

(アレクサンドリーネに会えるのは楽しみだけど、ただの旅行で終わらないということかしら)

 そもそも新婚旅行はただの旅行とは違うのだが、ベルティーユはその点については意識していなかった。
 夫が朝から晩までそばにいて、新婚だからふたりの仲を深めようなどと言って睦み合うことにほとんどの時間を費やす計画であることも知らなかった。
 旅行に同行する使用人たちの間では周知の事実だったが。

「――あら?」

 馬車の回りで荷物を運ぶ手伝いをしていた男たちに目を向けたベルティーユは、見知った顔があることに気付いた。

「あなた、ディス?」

 土竜もぐら色の簡素な服に身を包んだ大柄な男は、ベルティーユの声で作業の手を止めた。

「お久しぶりです、お嬢様。いや、いまはダンビエール公爵夫人、ですな」

 二十代後半の立派な体躯の青年は、愛想の良い笑みを浮かべて返事をした。
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