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第三章 ダンビエール公爵邸
3 薔薇園
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まもなく、シルヴェストルは図書室から居間へと戻ってきた。
小脇には三冊ほど本を抱えている。
まず彼は、ベルティーユの前に並べられた菓子の量に目を丸くした。
「……豪勢だな」
クリームがたっぷりかかった林檎のパイをほおばるベルティーユを見て「餌付けされてる」と呟いたが、家令の「シルヴェストル様もどうぞお座りください」の声に掻き消され、ベルティーユの耳には届かなかった。
「そろそろ帰るから私はいいよ」
「もうまもなく主は戻りますので」
「私の用事は終わったから」
「ど、う、ぞ、お座りください」
低い口調で家令はシルヴェストルに迫る。
黙ってシルヴェストルはベルティーユの隣に座った。
すぐにシルヴェストルの前にも紅茶が置かれる。
「まもなく主は戻りますので、お待ちください」
オリヴィエールが戻るまで、帰れないらしい。
「さっさと帰って本を読みたい」
ぼやきながらもシルヴェストルは図書室から借りてきた本を開きだしていた。
「立派なお屋敷ね。使用人も皆優秀だし……」
紅茶も菓子も美味しい。
ここで自分はやっていけるのだろうか、という不安はますますベルティーユの中で膨らんでいった。
林檎のパイを無言で食べつつも不安は減ることはない。
ただ、満腹になってきていたので、あまり深刻に考えることができなくなっていた。
「ベル! 遅くなって悪かったね!」
玄関でばたばたと靴音が響いたかと思うと、外套を羽織ったままのオリヴィエールが居間に駆け込んできた。
「私もいるんだが」
「ベル、退屈しなかったかい?」
シルヴェストルは完全にオリヴィエールの視界に入っていなかった。
「いいえ。とてもよくもてなしていただいているわ」
ベルティーユが微笑むと、オリヴィエールはほっと胸を撫で下ろした。
「それは良かった。焼き菓子もたくさんあるから、好きなだけ召し上がれ」
「ありがとう。でも、ちょっとお腹いっぱいになってきたから」
「それなら、庭を案内しようか。ちょうど夏咲きの薔薇が咲き始めたところだよ」
家令はオリヴィエールの外套を背後から脱がせ、帽子を受け取る。
女中のひとりがオリヴィエールの革の手袋を受け取り、すばやく居間から姿を消した。
「君の顔も見たことだし、そろそろ我々は帰ろう――」
「シルヴェストルはゆっくりここで本でも読んでいるといい」
長椅子から腰を上げかけたシルヴェストルは、両肩を満面の笑みを浮かべたオリヴィエールに押されて座り直す羽目になった。
「ベルは置いて帰るから」
「付添人の君が先に帰ったら、彼女の評判に傷が付くじゃないか。兄として失格だよ、シルヴェストル」
強い口調で指摘され、しぶしぶながらシルヴェストルは長椅子に座り直すと、読みかけの本を開いた。
「日没までには帰るぞ」
さっさと帰ってゆっくりと本を読みたいのが本音らしい。
「じゃあ、行こうか」
オリヴィエールが手を差し出したので、ベルティーユは菓子を食べるのをやめて椅子から立ち上がった。
居間から開け放たれた窓を抜けて露台へ出ると、中庭へと続く階段があった。
庭は芝生が敷き詰められた場所と、砂利を敷いた小径がある。
丁寧に刈り込まれた生け垣と、色とりどりの花が植えられた花壇、それに林檎や杏、檸檬などの木が植えられていた。
すでに太陽は西に傾き始めている。
オリヴィエールがベルの手を彼の腕にかけたので、腕を組むようにして歩く格好となった。
(ちょっと、はしたなくないかしら?)
まだ正式に婚約したわけではないのに、と思ったが、手を振りほどくのも失礼に思えたので、ベルティーユはそのまま歩くことにした。
歩いていると時々腕や肩が当たるので、そのたびに身体が硬くなる。
考えてみれば、これほどオリヴィエールと近づくことなどこれまで一度もなかった。
王妃候補だった間は、他の男性と間違っても噂になることがないよう、常に父と兄以外の男性からは離れているようにしていた。
それはオリヴィエールが相手でも同じだった。
彼はとても紳士だけれど、周囲の目は必ずしも好意的であるとは言えない。
ベルティーユがなにげなく口にした一言だって、揚げ足を取られないとは限らないのだ。
常に周囲を過剰なほどに意識してきた彼女には、王妃候補でなくなったとはいえ、急に意識を変えられるものではない。
(ここはオリヴィエールのお屋敷だから、使用人たち以外の目はないけれど)
ベルティーユの心配に気付いているのかいないのか、オリヴィエールは彼女の歩調に合わせるようにゆっくりと歩きながら庭の説明をしてくれた。
小脇には三冊ほど本を抱えている。
まず彼は、ベルティーユの前に並べられた菓子の量に目を丸くした。
「……豪勢だな」
クリームがたっぷりかかった林檎のパイをほおばるベルティーユを見て「餌付けされてる」と呟いたが、家令の「シルヴェストル様もどうぞお座りください」の声に掻き消され、ベルティーユの耳には届かなかった。
「そろそろ帰るから私はいいよ」
「もうまもなく主は戻りますので」
「私の用事は終わったから」
「ど、う、ぞ、お座りください」
低い口調で家令はシルヴェストルに迫る。
黙ってシルヴェストルはベルティーユの隣に座った。
すぐにシルヴェストルの前にも紅茶が置かれる。
「まもなく主は戻りますので、お待ちください」
オリヴィエールが戻るまで、帰れないらしい。
「さっさと帰って本を読みたい」
ぼやきながらもシルヴェストルは図書室から借りてきた本を開きだしていた。
「立派なお屋敷ね。使用人も皆優秀だし……」
紅茶も菓子も美味しい。
ここで自分はやっていけるのだろうか、という不安はますますベルティーユの中で膨らんでいった。
林檎のパイを無言で食べつつも不安は減ることはない。
ただ、満腹になってきていたので、あまり深刻に考えることができなくなっていた。
「ベル! 遅くなって悪かったね!」
玄関でばたばたと靴音が響いたかと思うと、外套を羽織ったままのオリヴィエールが居間に駆け込んできた。
「私もいるんだが」
「ベル、退屈しなかったかい?」
シルヴェストルは完全にオリヴィエールの視界に入っていなかった。
「いいえ。とてもよくもてなしていただいているわ」
ベルティーユが微笑むと、オリヴィエールはほっと胸を撫で下ろした。
「それは良かった。焼き菓子もたくさんあるから、好きなだけ召し上がれ」
「ありがとう。でも、ちょっとお腹いっぱいになってきたから」
「それなら、庭を案内しようか。ちょうど夏咲きの薔薇が咲き始めたところだよ」
家令はオリヴィエールの外套を背後から脱がせ、帽子を受け取る。
女中のひとりがオリヴィエールの革の手袋を受け取り、すばやく居間から姿を消した。
「君の顔も見たことだし、そろそろ我々は帰ろう――」
「シルヴェストルはゆっくりここで本でも読んでいるといい」
長椅子から腰を上げかけたシルヴェストルは、両肩を満面の笑みを浮かべたオリヴィエールに押されて座り直す羽目になった。
「ベルは置いて帰るから」
「付添人の君が先に帰ったら、彼女の評判に傷が付くじゃないか。兄として失格だよ、シルヴェストル」
強い口調で指摘され、しぶしぶながらシルヴェストルは長椅子に座り直すと、読みかけの本を開いた。
「日没までには帰るぞ」
さっさと帰ってゆっくりと本を読みたいのが本音らしい。
「じゃあ、行こうか」
オリヴィエールが手を差し出したので、ベルティーユは菓子を食べるのをやめて椅子から立ち上がった。
居間から開け放たれた窓を抜けて露台へ出ると、中庭へと続く階段があった。
庭は芝生が敷き詰められた場所と、砂利を敷いた小径がある。
丁寧に刈り込まれた生け垣と、色とりどりの花が植えられた花壇、それに林檎や杏、檸檬などの木が植えられていた。
すでに太陽は西に傾き始めている。
オリヴィエールがベルの手を彼の腕にかけたので、腕を組むようにして歩く格好となった。
(ちょっと、はしたなくないかしら?)
まだ正式に婚約したわけではないのに、と思ったが、手を振りほどくのも失礼に思えたので、ベルティーユはそのまま歩くことにした。
歩いていると時々腕や肩が当たるので、そのたびに身体が硬くなる。
考えてみれば、これほどオリヴィエールと近づくことなどこれまで一度もなかった。
王妃候補だった間は、他の男性と間違っても噂になることがないよう、常に父と兄以外の男性からは離れているようにしていた。
それはオリヴィエールが相手でも同じだった。
彼はとても紳士だけれど、周囲の目は必ずしも好意的であるとは言えない。
ベルティーユがなにげなく口にした一言だって、揚げ足を取られないとは限らないのだ。
常に周囲を過剰なほどに意識してきた彼女には、王妃候補でなくなったとはいえ、急に意識を変えられるものではない。
(ここはオリヴィエールのお屋敷だから、使用人たち以外の目はないけれど)
ベルティーユの心配に気付いているのかいないのか、オリヴィエールは彼女の歩調に合わせるようにゆっくりと歩きながら庭の説明をしてくれた。
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