トイ・チルドレン

鍵谷端哉

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崩れ行く日常

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 時間は朝の7時。
 キッチンで卵焼きを作っている沙都希さつき
 
 鼻歌交じりでお弁当を作るのも手馴れている。
 次にソーセージを冷蔵庫から取り出そうと開けたと同時に、部屋のドアが開く。
 
「お母さん、何か手伝おっか?」
 
 眠そうな目をこすりながら自分の部屋から出てきたのは由依香ゆいかだ。
 今年で17歳になる由依香は幼い容姿とパジャマ姿で、とても高校2年生には見えない。
 
「あら、由衣香がそんなこと言うなんて珍しいわね。どういう風の吹き回し?」
「新しくできた友達の影響、かな」
「ふーん……」
 
 由依香の言葉に、沙都希の頭に浮かんだのは『彼氏』という言葉だった。
 娘も17歳。そろそろそんな話も出てきてもおかしくない。
 沙都希としては大学を卒業して家を出ていくまでは男と付き合うなんてことはして欲しくなかった。
 だが、それは単なる自分のエゴだとも知っている。
 
「でも、大丈夫よ。まだ早いんだから、もう少し寝てなさい」
「お母さんこそ、もう少し寝てなよ。朝ご飯や弁当くらい、自分で作れるから」
「何言ってるの。今まで、これくらいやってたでしょ」
「お母さん、パート増やしたんでしょ?」
 
 ピタリと手を停めてしまう沙都希。
 そして、目線を下に落としてしまう。
 
「何言ってるのよ。そんなわけないじゃない」
「嘘」
 
 あっさりと見破られ、沙都希はため息をついた。
 
「……誰から聞いたの?」
「店長さん。この前、買い物行ったときに聞いたの。心配してたよ。凄い疲れた顔してるって」
「もう……。すぐペラペラしゃべるんだから」
 
 由依香が沙都希の横に並び、先ほど焼いた卵焼きを包丁で切り始める。
 
「私、大学受験、やめようかな」
「由衣香。いつも言ってるでしょ。お金のことは心配しなくていいって」
「でも、そのせいでお母さんが辛い思いをしてるのはヤダよ」
 
 沙都希は由依香の方を見るが、由依香は手元から目を離さない。
 
「何言ってるの。子供を大学までしっかりと行かせる。……ちゃんと母親らしいこと、させて」
「私がいるせいで、お母さんは再婚もできないし、お金の苦労もしてる」
「由衣香……」
「私なんか、いなかったらよかったのにね」
「由衣香!」
 
 思わず怒鳴ってしまった。
 いつもは由依香を怒鳴るようなことはしない。
 だが、一番言って欲しくない言葉を、一番言って欲しくない人から言われたのだから仕方がないだろう。
 
 相変わらず由依香は沙都希の方を見ない。
 
「バカなこと言わないの! 私は由衣香がいれば、幸せなの! わかった!?」
「でも……」
「変なこと言ってないで、もう、学校行く準備しなさい」
「……」
  
 結局、一度も沙都希の方を見ずに部屋へと戻っていく由依香。
 それから15分後、由依香は制服姿でカバンを持って部屋から出てくる。
 美流渡みると高校の制服はカジュアルなデザインで純真そうな由依香にはあまり似合っていない。
 
「行ってきます……」
 
 顔を伏せたまま玄関へと向かう由依香。
 
「あ、由衣香。今日は早く帰って来るのよ」
「……行ってきます」

 ドアを開けて出ていく、由衣香。

「由衣香……」

 静かな部屋の中に、バタンというドアが閉まる音が大きく響く。
 そして、テーブルの上には由依香に渡すはずのお弁当が残されていた。



 千田せんだストアの店内には軽快な曲が流れている。
 平日の昼にしてはそこそこの客入りだ。
 そんな中で沙都希は懸命に品出しをしている。

「ふう」

 薄っすらと額に浮かんだ汗を拭ったとき、後ろから千田ストアの店長である千田せんだ和夫かずおがやってくる。
 歩いてきただけで、沙都希よりも汗をかいていた和夫は中年らしい貫禄のある腹をている。
 
桐ケ谷きりがやさん、そろそろ時間だろ?」
「え? もうそんな時間ですか?」
 
 沙都希は手首に付けている時計を見る。
 時刻は15時を少し過ぎたところだった。
 今日のパートの終了時間は16時のはずである。
 
「今日は由衣香ちゃんの誕生日だろ? これで由衣香ちゃんにプレゼントを買ってあげなさい」

 和夫がポケットから封筒を出して渡してくる。
 お年玉を入れる袋のような封筒だ。

「いえ、そんなの悪いですよ」
「いいからいいから。由衣香ちゃんは小さい頃からずっと見てきてるからね。私にとっても子供みたいなもんだ」
「……ありがとうございます」

 こういうときの和夫は断っても絶対に譲らない。
 なので沙都希は受け取ることにし、頭の中でお返しは何にしようかとぼんやりと考える。
 
「いやあ、家族で子供の誕生日祝いができるなんて、羨ましいよ。私のところなんて高校生になったら、友達と祝うから、お金だけくれって言われたもんさ。はははは」
「……普通の家庭なら、そうなんですかね? 高校2年生にもなって、家族で祝うのはやっぱり、変でしょうか?」
「いやいやいや。そんなことを言ってるわけでは……」
「由衣香は、片親だから、私に気を使ってるのかもしれません。だから、私が誕生会を祝うのを、嫌でも受け入れているのかも……」
「そんなことないさ。いつも由衣香ちゃん、笑顔で言ってるよ。私のお母さん、いつも誕生会を開いてくれるって」
「そうですか……」
「おっと。長話してしまったな。ほら、早くあがりなさい。ご馳走、作るんだろ?」
「はい、ありがとうございます」
 
 正直嬉しかった。
 できれば由依香が帰って来る前に料理の準備を完了させておきたかったのだ。
 これで、もう2品ほど増やせるかもしれない。
 
 ぺこりと和夫に頭を下げ、バックヤードへと歩き出す。
 ――が、ピタリと立ち止まり、振り返る。
 
「あ、店長。由衣香に、私がパート増やしたこと、喋りましたね?」
「うっ! いや、その……つい」
「次の時給の査定、楽しみにしてますね」
「はははは。かなわんな、君には」
 
 にこりと笑う沙都希に、ホッとした表情をする和夫であった。



 17時半。
 テーブルの上には2人ではやや多いくらいの料理が並んでいる。
 由依香が好きな物をできるだけ作ったつもりだ。
 和夫の好意で早くパートを上がれたこともあり、予定よりも早く料理を作り終えたのだ。
 
 料理の出来栄えを見て頷いた沙都希は椅子に座り、由依香が帰るのを待ち始めた。



 同刻。
 由依香は駅前を小走りしていた。
 
 もっと早く帰るつもりだったが、掃除当番を代わったことで遅くなってしまったのだ。
 本当は断るつもりだったが、今日、お弁当を忘れたことで昼食を奢ってもらったこともあり、引き受けた。
  
 今日の朝のことは言い過ぎたと反省している。
 帰ったらまずは謝ろう、そう思っていると突然、後ろから声を掛けられた。
 
亜里沙ありさ
 
 振り向くと、思った通り背広を着た40代の男が立っている。
 自分をその名前で呼ぶのは1人しかいない。
 
「あれ? どうしたの? こんなところで。今日、会う予定じゃなかったよね?」
 
 由依香がそう言うと、男は少し困ったような顔をして由依香の方へ歩み寄ってきた。




 少し寒くなってきた。
 ぼんやりとそう感じて目を覚ました沙都希。
 
 部屋が暗いことで最初、自分が何をしていたのかと混乱したがすぐにハッと思い出す。
 テーブルの上に置いたスマホを見ると、時刻は19時を過ぎていた。
 
 念のため、由依香の部屋をノックし、「由衣香? 帰ってる?」と声を掛ける。
 だが、沈黙しか返ってこない。
 
 メールを確認するが1件も受信していなかった。
 すぐに由依香のスマホへ電話する。
 だが、電源が入っていないとアナウンスされてしまう。
 
 沙都希は自分で血の気が引いていくのを感じた。
 今までこんなことはなかった。
 遅くなるにしても、必ず連絡を入れる子だ。
 
 今度は学校へ連絡を入れてみる。
 この時間なら誰も残っていない可能性もあるのではと心配したが、すぐに繋がった。
 
「はい、美流渡高校です」
「もしもし、私、桐ケ谷きりがやですけど」
「ああ、どうも。元宮もとみやです。どうしました?」
「あ、先生ですか!? あの、由依香なんですけど……まだ学校にいたりしないですか?」
「桐ケ谷ですか? もう校内には生徒はいないと思いますが、ちょっと見てきますね」
「すみません。お願いします」
 
 保留の音楽が流れ始める。
 同時に、言いようもない不安が湧き出てきて、自然と動悸が激しくなっていく。
 そして、15分後。
 
「やっぱり、いないようですね」
「そ、そうですか……。こういうときって、警察に連絡した方がいいんでしょうか」
「大げさですよ。きっと、友達とどこかで話し込んでるんですよ。もう少ししたら帰ってくると思いますよ」
「……そうですよね」
 
 電話が切られ、ツーツーという音が耳の奥に響いた。
 
 あの子が連絡をしないで、友達と話し込む?
 
 沙都希にはどうしてもそうとは思えなかった。
 周りからは少しボーっとしてそうと言われることがあるが、ああ見えてしっかり者なのだ。
 こんな時間なら、何をおいても連絡を入れてくれるはず。
 
 とはいえ、由依香も高校生だ。
 19時になっても帰って来ないからと言って警察に連絡するのも気が引ける。
 担任の元宮先生と同じような対応を取られそうなのと、あとで由依香に大げさだと怒られそうだ。
 
 沙都希は不安を押し殺し、待つことにした。
 だが、その不安が的中と言わんばかりに、21時になっても由依香が帰ってくることはなかった。
 
「もうダメ。警察に電話しよう」
 
 スマホを手に取った同時に、沙都希のスマホに着信がきたのだった。
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