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苦悩するナツ

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「それにしても、彼女、どうしたんでしょう?」
「……」
「元気がないのはいつもですけど、今日は落ち込んでいるというか……」
「そうだな……」

 俺よりは観察していないと言ってもカオルも朝霧さんのことを見てきたのだから、微妙な違いがわかるようだった。
 肩を落としながら廊下の隅を歩いている朝霧さん。
 ふと立ち止まってはポケットから携帯を出して操作し、ため息をついてまたポケットにしまう。これをほぼ十分おきにやっている。

 ……もしかして、俺のメールを待っているのか?

 結局俺は協会の理念に対する罪悪感から朝霧さんにメールを送っていない。
 アドレスや番号を渡されるだけでも十分極刑に値する重犯だ。
 これ以上、朝霧さんに関われば恐らくすぐに協会にバレてしまうだろう。
 それだけは避けねばならない。支部長の座を危うくする材料にもなってしまう。

「昨日、何かあったんですか?」
「……いや、別に何もない」

 当たり前だが昨日のことはカオルには言っていない。

 ……それにしても。

 朝霧さんの後ろ姿を見る。
 昨日は勢いであんなことを言ってしまったが、やはりかえって彼女を苦しめただけじゃないのかと思ってしまう。
 結果的には希望を与えてから絶望を与えてしまったようなものだ。
 朝、彼女が家から出るときに顔を見たが昨日よりも目の下のクマが濃くなっていた。
 恐らく昨日の夜も眠れなかったんだろう。

 あれから……俺から別れてからずっと携帯にメールが来るか待っていたんだろうか?

 昨日の笑顔から段々と表情が曇っていく様子が、俺の脳内に浮かび上がる。
 ズキンと胸が痛む。

「ナツ先輩。今日は早退したらどうですか?」
「ん?」
「昨日も寝てませんよね? 顔、すごいことになってますよ。せっかくの綺麗な顔が台無しです」
 またも飼いならされたリスが人間に媚を売るような目つきで俺を見てくるカオル。
「今日一日は僕が彼女を見ますよ。疲れているようですし、休んでください」
「平気だ」
「でも……ナツ先輩に倒れられたら、僕……」

 ――なんなんだ。俺が倒れたからって、貴様には関係ないだろう。
 時々カオルの言動がマチと重なる時があり、かなりうざったい。

「お前はお前の仕事をしろ」
「……わかりました。でも、困ったことがあれば頼ってくださいね。僕はナツ先輩のためならすぐに飛んできますから」
「……わかった。それじゃ、彼女が教室に入るまでの観察を頼む」

 そう言って俺は階段の方へと行き先を変更する。

「わかりました!」

 後ろから嬉しそうなカオルの声が聞こえる。
 これ以上、朝からカオルに関わるのも面倒くさいというのもあったが、落ち込んだ朝霧さんの後ろ姿を見るのが辛かった。


 ……メールか。

 一時間目の休み時間。
 俺は机に足を乗せて椅子をグラつかせながら、昨日朝霧さんにもらったメモを見る。
 アドレスと電話番号が書かれている、あの紙だ。

 字は丸っこくて可愛らしい。
 いかにも朝霧さんが書いたという感じだ。

 俺の脳裏に携帯を見て、ため息をついている朝霧さんの姿が蘇る。
 さらに、昨日の「絶対、連絡くださいねー!」と嬉しそうにブンブンと手を振っている姿も同時に頭の中でリプレイされた。

 ……楽しみにしてたのか?
 俺なんかのメールを。

「新藤くん、ああやって黙ってれば格好いいのにねー」
「知ってる? 2組の三好さんが告白したら『黙れ、糞ビッチ。二度と俺に話しかけるな』って言われたみたいだよ」
「あーあ、惜しいなぁ。変態じゃなかったら、私、付き合ってもいいのになぁ」

 ……クラスのクソアマ共のさえずる声が聞こえてくる。

 うるせえぞ。
 貴様らなんぞ、こっちから願い下げだ。
 俺の甘美な妄想を邪魔するんじゃねえ。

「ナツ。何見てるの?」
「うおっ!」

 不意に椅子を後ろに倒され、俺は受身を取ることもできずに思い切り後頭部を床に打ち付けてしまう。

「ぐおっ!」
「ラブレター? ん? なにこれ? 電話番号とアドレスしか書いてないわよ?」

 いつの間にか俺の背後に迫っていたマチが俺の椅子を倒すと同時に、俺が持っていた紙を奪い取ったようだった。

「いいだろう。今度こそ死にたいらしいな」

 ユラリと立ち上がりマチの顔面に向かって右手を伸ばす。
 今度は掴んだ瞬間に握り潰してやる。
 が、俺の右手はマチの左手によって弾かれてしまう。

「へへ、どう? 廻し受け。空手部の助っ人に行ったときに教えてもらったんだ」
「お前は本当に面倒な奴だな。わかった。本気で殺ってやる」

 一歩踏み出しマチの左脇腹に向かって拳を繰り出す。
 マチは左腕を下げて防御の姿勢を取る。
 が、それは囮だ。

 俺は右手を止めて左拳でマチの顎を狙う。
 と、同時に一瞬目の前が真っ白になり、ガクンと膝が落ちる。

「油断してなきゃ、あんたには負けないよ」

 目がチカチカして、鼻の奥にツンとした痛みが走る。
 どうやら、俺の左拳に対してカウンターを入れられたらしい。

 ふっ。ふふふふ。ははははははは。

 なるほど。なるほど。
 どうやら朝の、俺の評価は間違っていたみたいだな。
 悪かったなマチ。俺の人生を賭けてお前を葬ってやるべきだったよ。
 貴様という宿敵を屠るためなら数年、務所暮しを我慢してやるさ。
 もちろん、カオルには少女のプロマイドを差し入れさせるがな。

 大きく深呼吸をしてマチに詰め寄ったときだった。
 教室のドアがバンと開く。

「ナツ先輩、大変です」

 教室にやってきたのはカオルだった。

「邪魔するなカオル。俺は今からこいつと決着をつけてる最中だ」
「朝霧ホノカが早退しました!」

 マチに向けていた拳をピタリと止める。

「……どういうことだ?」
「なになに?まだその朝霧って子を狙ってるの?」
「黙れマチ。口を挟むな」
「どれどれ?」
「あっ!」

 マチがカオルの持っている資料をパッと取り上げる。

「へえ、昨日は後ろ姿しか見れなかったけど結構可愛い子じゃない」
「ちょ、ちょっと宮村先輩、返してくださいよ!」

 カオルが資料を取り戻そうとして、ピョンピョン飛び跳ねる。
 マチは面白そうに右手で資料を高々と上げて笑う。

「ほら、もうちょっとだよ。頑張れー」

 相変わらず女にちょっかいをかけられやすい奴だ。

「カオル。資料なんかいい。で、朝霧ホノカが早退した? どういうことだ?」
「あ、はい。えっとですね。朝霧ホノカのクラスメイトの隊員の話しでは、一時間目が始まって十五分くらいしてからだそうです」
「なんだ? 体調を崩したのか?」
「いえ。いきなり泣き出したそうです」
「……泣き出した?」
「あら、穏やかじゃないわね」

 マチが心配そうな顔をする。
 こいつは例え会ったこともない奴でも、平気で全力で心配するのだ。そんな性格でよく疲れないものだ。

「それで、その……ずっと携帯を見てたそうです」
「……なに?」
「そして、どうしてメールくれないんですか、とつぶやいた後、泣き出したそうです」
「……」
「メール? 彼氏と喧嘩したとかじゃない?」
「いえ、朝霧ホノカは彼氏どころか友達もいません。一体、誰からのメールを待ってたんでしょう?」
「うーん。ほら、両親とか兄弟とかじゃないの?」
「それも難しいですよ。彼女は一人っ子ですし、両親も仕事が忙しいみたいで、ほとんどメールのやりとりはないみたいですから」
「……そこまで個人情報を知ってるあんたたちに引くわ」

 マチとカオルが話をしている中、俺の心臓は爆発しそうなほど高鳴り始める。
 十中八九、俺からのメールを待っているんだろう。

 まさか、泣いて早退するとは……。
 あの可愛らしい顔が涙に歪むところを想像すると、突如怒りが湧き上がってくる。
 俺じゃなく他の奴が原因だったとしたら、そいつを八つ裂きにしてやるところだ。

「ナツ先輩、どうしましょう? 今は第二部隊が昇降口近くまで保護しています。授業を休ませて保護を続行しますか?」
「……」

 くそ、カオルの奴、部隊まで動かして大げさにしやがって。
 ……が、今はそんなことはどうでもいい。

「ナツ? どうしたの? 難しい顔しちゃって」
「ナツ先輩?」
「ん? ああ、少し待ってくれ」

 ちっ。全然頭が回らない。
 俺があんな可憐な子を泣かせている……。

 なにが姫のような少女を影から守るだ。
 これでは逆に傷つけてるじゃないか。

 ……昨日の彼女の嬉しそうな、楽しそうな顔。
 そして、いつも孤独で教室の隅でポツンと寂しそうにしている朝霧さん。
 それが脳裏に浮かんだ瞬間、俺の中で何かが弾け飛んだ。

「第二部隊は撤退させろ。俺が保護につく」
「え? ナツ先輩?」
「ちょ、ちょっとナツ? 授業サボる気? そんなこと許されると……」
「お前と議論してる暇はない。彼女は今、どこだ?」
「あ、はい。えっと、校門前だそうです」
「マチ!」
「え? あ、はい!」

 不意に俺に声をかけられて肩を掴まれたことにビックリしたのか、顔を真っ赤にするマチ。

「お前の命は見逃してやる。そのかわり今日の分のノートを明日見せろ。わかったな!」

 俺はそういうと同時にカバンをつかみ、ドアへと向かう。

「もう少し私を見てくれてもいいじゃない……」

 ふとそんな声が聞こえた気がした。
 が、今はそれどころじゃない。

 教師に見つかっても面倒なので、俺は全力で昇降口へと走っていった。
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