花となれ

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講義が終わって背を伸ばす。ざわざわと賑やかな教室。最近、ようやく見慣れた教授。
あー、学生だなぁ、俺。そんな小さな事にクスッと笑う。
単位も順調。出席日数も稼いでる。遅れを猛スピードで取り返している今日この頃。
だが長らく講義を受けていない科目もある。それに関して言えばノートが欲しい。
あー、どうにかならねぇかなーと鞄にノート等を詰め込んでいると、視線を感じた。
毎日毎日新しいファッションや芸能ネタのゴシップが飛び交うくせに、それと同じ様に静の噂だけは絶えることなく日々更新される。
どうしても見た目が人を惹き付ける上に、事務局の人間に静が未払いの分も含めて学費を全納したことを、事もあろうに学生に漏らされた。
もちろんそれは心の金だが、全納した名義は吉良静本人。後々、困らない様にという配慮だが、それが余計に色々な噂を肥大させた。
遂にヤクザになったらしい。
裏で回収業を始めたらしい。
ハッキングで企業を強請ってるらしい。
臓器を売ってるらしい。
首を傾げる様な噂は、静を孤立させるには十分で…。
「はー、ノートが欲しい」
キャンパスを歩きながら、どうにか休んでた時の講義のノートの入手は出来ないものかと考える。
だが考えたところで全く何も思い付かない。一度、暁に相談するかと思いながら、大学を出た。
雨宮は大学から少し離れた場所で、まるで張り込みをする刑事のように息を潜め待っている。だが車はAudi TT RS Coupe。目が覚める様なブルーのそれ。
目立ちすぎが仇となり、先日、職質を受けた。事なきを得たものの、あの時の雨宮の怒りっぷりは半端なかった。
それを思い出し、ククッと笑いながら一人笑っているのも怪しいと俯く。
大体、雨宮は悪人面だしなと失礼なことを思いながら歩いていると、前に影。その時、狭い歩道の真ん中を陣取るように歩いていることに気が付いた。
ヤバイと端によるが、影は動かない。右へ行こうが、左へ行こうが影は全く動く様子がなかった。
何だ?と、そこでようやく顔を上げた。
「…っ!!」
血液が一気に下がり、身体が震える。瞬間、指先が冷たくなった。なのに身体中の毛穴から、ぶわりと汗が吹き出た。
目の前が赤くなり、ズキッと頭が痛くなる。叫んでもおかしくない状況なのに、恐怖で声が出なかった。
「…あ、あ」
長身でガッチリとした体格。スーツの上からも分かる、鍛えられた身体。
そして、似た、シルエット。
「…お前、鬼頭眞澄っ!!!!」
静の前に居るのは、眞澄だった。心と良く似た鋭い眼光はサングラスで隠されてはいるが、間違いなく鬼頭眞澄だ。
静はハッと我に返り、その場から脱兎の如く逃げた。
頭に次々と甦る、血塗れの成田の姿。日本刀を握る心、耳を劈く銃声…。
「う、わっ…!!」
眞澄の前から走り出したはずの身体が、ガクンと引き戻される。腕を捕まれ、足が滑った。
「くそっ!離せっ!!」
振り返り、腕を掴む眞澄の手に爪を立てた。
「いてっ!!何さらすんじゃっ!」
聞き覚えのある怒声、思い出される全てに吐き気が込み上げた。
離せ!とか、嫌だ!とか、そんな言葉が通用する相手ではないのは百も承知だ。静はそれでも暴れて、眞澄の足を蹴飛ばした。
「いて!!お前なぁ…!たいがいにしぃや!!」
「…たいがいにしぃやは、こっちの台詞」
聞こえて来た眞澄とは違う声に、ハッと顔を上げた。
「雨宮さん!!」
眞澄の背後を取った雨宮は、手を伸ばすと静の腕を掴む眞澄の手をやんわり外す。
途端、引っ張られてたそれがなくなり、静はそこに尻餅をついた。
「…おいおい。あんた、もう男変えたんか」
眞澄がククッと笑う。
雨宮は眞澄の背中に押し付けた鉄の塊をそっと外し、ジーンズの腰の辺りに突っ込むと静に立つように指を鳴らした。
だが、静は腰を上げれずに頭を振った。
「何のつもりだ」
雨宮は眞澄の前に滑り込むと、へたり込んだままの静の腕を掴んで立ち上がらす。静は反対に、そんな雨宮の腕を掴んで首を振った。
「雨宮さん、やめてっ」
デジャヴュにも似た光景。雨宮まで成田みたいな目に遭ったら…!
「誰や、お前」
「俺?俺はー、崎山雅の…部下?」
雨宮は、少し首を傾げて言うと眞澄は舌打ちした。
「ああ、あのにくそい男の」
「まだ完治してないんじゃないすか?護衛は?御園さんは?」
雨宮が眞澄と対峙した状態なのに、周りはとても静かだ。普通ならば、どこからともなく誰かしら飛び出て来そうなのに。
雨宮の言葉に静も辺りを見渡すが、どこにもそれらしき人間が見当たらない。あの、惚けた男の姿もどこにも見えない。
「わしは破門や」
「え?」
「ま、今だけやけどな。チッ…クソガキ、思いっくそ引っ掻きよって」
眞澄は血の滲む手の甲を忌々しげに見て、舌打ちした。
「あの阿呆にやられた傷が痛んでなぁ。場所変えよか。話しよや」
「話?」
雨宮がチラリ、静を見て考える。
眞澄が何か企んでいる様には思えない。第一、そこまで馬鹿じゃないはずだ。だが静と眞澄を勝手に接触させるのはどうかとも思う。
「貴様に背後取られるくらいや。実際、今、あんたとスパーしたらわしは1ラウンドも保たん」
思慮する雨宮に、眞澄がクツクツ笑って腹の辺りを擦った。
「腹、裂いたんですか」
「貴様の大将エグいのぉ。肝臓潰れかけやで。血が溜まって大手術や」
眞澄はそう言って笑って、身体を壁に凭れさせた。そして再度、腹の辺りを擦り、大きく息を吐く。
確かに顔色が悪い。どこか辛そうだ。
静は頭を掻くと雨宮の横をすり抜け、眞澄の腕を自分の肩に掛けた。
「…倒れそうだ、あんた」
驚く眞澄にそう言い捨てる。眞澄はそれに笑うだけだった。
「とりあえず、車、回すわ」
雨宮は仕方がないとばかりに動き出した。

眞澄を乗せて向かったのは公園。
さすがに心の塒に連れて行くわけにもいかずに、泣く泣くの選択。途中で飲み物だけ調達して、三人で公園を歩く。
公園と言っても遊具があるような子供が走り回るものではなく、周りに人工の川が流れて小さな丘に芝生が整備され、その中央にある大きな噴水の周りにはベンチが備え付けられた大きな公園。
昼間になると昼食をとるOLや会社員でいっぱいになる場所だ。今は散歩をする老人や、ジョギングをする人が目立つ。
「なんや、こないな場所もあるんやな」
眞澄は近くのベンチに腰を下ろした。そしてフーッと息を吐いて、少し身体を丸めた。
「大丈夫なわけ?こんなとこで傷口開いたとか、勘弁してくださいよ」
そう言って雨宮は、眞澄に調達してきたコーヒーショップのコーヒーを手渡した。
「で、遥々、西の都から何をしに?」
雨宮は隣に立っていた静の肩を押して、眞澄の隣に腰掛けさした。そして同じようにコーヒーを渡し、自分もコーヒーを口にした。
「あの、御園さんは本当に居ないの?」
眞澄の半分が欠けたみたいな違和感。あの、どこか気の抜けた男が足りない。
だが、静の問いに隣の眞澄がギロリと睨む。あ、地雷でしたか?と、空笑い。
「…あれから逢うてない」
「あれから?え?なんで」
「そりゃ、あんだけのことやらかしたらねぇ」
雨宮はクツクツ笑って、そこにしゃがんだ。
「鬼塚への下剋上が、自分の首を絞める羽目になったってことっすよね?」
「…まあな」
眞澄は怒りを露にするわけでもなく、呟く。
なんだ、どうしたんだ。静の知る、心に似た勝ち気で傲岸不遜な男。それが見る影もない。
何だか肩透かしを食らった気分になり、手にしたコーヒーをジッと見つめた。
「鬼頭を破門って、本当ですか?」
「まんまや。あんた、犬小屋、知ってるんか」
「…犬小屋って、あの犬小屋?なら、噂だけ」
犬小屋って。あの家に犬小屋なんかあったっけ?そんな静の思いをよそに、雨宮はゆっくりとコーヒーに口をつけた。
これは口を挟む様な話じゃなさそうだなと、静は黙って二人の話に耳を傾けた。
「ま、そこに送られるわけや」
「え?マジで?いや、あんた顔割れてるやろ」
雨宮は心底、意外そうな言い方をした。犬小屋に送られるって何?静は益々、訳が分からないと二人の様を眺めた。
「わしも、そこまで顔割れてへん。会合もそこまで出てへんさかいな。まぁ、心ほどやあらへんけどな」
「鬼頭組長も思いきったことを」
「…御園が言い出した」
「は?」
「御園」
「マジで!!!」
怒り心頭…って訳?雨宮が信じられないとばかりに、眞澄の顔を見た。
「反省せえってことやな」
眞澄はそう言って、隣に座る静の頭に手を置いた。
「へ…?」
急に置かれた手に、思わず間抜けな声が出る。
「…すまんかったな」
「…は?…え…は?…え…っと。…はい」
謝罪なんて死ぬまでするわけがないと思っていた人間に謝られると、どうしていいか分からない。
そんな簡単に許せることでもないし、馬鹿野郎と一言くらい文句を言ってもいいかもしれない。
でも、あの眞澄が謝ったのだ。それがどれだけの事なのか静は十分に理解出来て、ただ俯いた。
「静…。あんた、たまに御園に逢ってやってくれ」
「は!?」
京都までか!!と出かけた言葉を飲み込み、雨宮を見た。そんな静を見て、雨宮は嘆息した。
「京都までか」
言うのかよ!!違うだろっ!ストレートに言ってどうすんのっ!
もう少し上手い言い回しで言ってくれると期待した自分が馬鹿だったと、静は後悔した。
「電話とかやてええわ。番号はまた教えるさかい。あいつ、あんたを気に入っとる」
「眞澄さんも大変すね」
雨宮はそう言うと、一気にコーヒーを飲み干した。
「あんた、静にずっとついてるんか」
「まーね」
雨宮は煙草を取り出すと銜え、火を点けた。それを眞澄に差し出すと、眞澄は意外にもそれを拒んだ。
「心が顎割った」
「あー、顎はね。煙草、沁みるよねー」
「あんた、崎山の部下って」
「裏鬼塚すよ」
「…チッ。ほんまにあるんか」
「すんませんね」
「ほな、わしは行くわ。急に悪かったな」
眞澄は立ち上がり、低い位置にある静の頭をまた撫でた。
静が顔を上げると、心に良く似た顔の眞澄はあの時とは違う穏やかな顔で笑った。
「おい」
眞澄は静の頭から手を離すと雨宮を手招きして、歩き出す。
聞かれたくない話なのかと、静はベンチから動かずに少し離れた場所に行った二人を見ていた。

「…来生に気ぃ付けぇ」
「……」
囁くように言われた言葉に、雨宮は紫煙を燻らした。
「あいつはわしみたいに甘くない。何をしよったんか知らんけど、心への憎悪はハンパない。わしが使えんと知った瞬間に、姿眩ましよったけど絶対にまた出てくる」
「来生ねぇ。まぁ、うちも、あんたのおかげで学習したんじゃないすか?なるようになるでしょ」
雨宮はそう言って、カップに煙草を落とした。
コーヒーの残ったカップに落ちた煙草は、ジュッと鳴いてその火を消した。

「犬小屋って?」
眞澄が帰ってから、雨宮と車で帰路についた静は何気に訊ねた。
まさか、あの”犬”の家じゃないよね?
「なんつーの?養成所?みたいなの。俺は詳しくは知らね。ただ、そこにぶちこまれたら弱肉強食しかないらしいぜ」
弱肉強食…食うか食われるか?殺るか殺られるか?何だそれと静は蛾眉を顰めた。
「吉良ぁ、眞澄さんに逢ったことよぉ、」
「言わないよ」
気まずそうに言う雨宮に、静が笑った。
「さすがにちょっと…」
「心になら、俺から言うけど?」
「……崎山さん」
あ、無理無理無理無理。静はヘラッと笑った。
な、無理だろ?と言わんばかりの顔で雨宮も笑った。

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