花となれ

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バタバタしていた屋敷内はいつの間にかいつもの静寂を取り戻しており、人の気配すら感じなかった。
それは表に出ても同じで、屋敷の門近くにも見張りは居なかった。
「誰も居ないのか?」
妙な違和感が沸き起こる。心の所と違い、此処に来たときは大勢の組員が居た。
それはいつでもそうで、静が庭を散歩する時でもあちこちで見かけたし、この敷地内には数多くの監視カメラもあった。
それだけ”厳重”だったのに、今は人っ子一人居ないと言っても過言ではない。馬鹿デカイ屋敷に御園と静しか居ない様な、そんな感じ。
「みんなでオヤジのトコに行かはったんかいな?」
御園はそう言いながら、並べられた車にキーレスを向けた。
ファンという音と共に、一台の車のハザードが光る。サンダーブルーのボディにルーフは白。ミラーが誇示するように赤に染められ、まるでミニカーの様な車。
そこに並ぶ車の中で、一番”場違い”なそれはこれでもかとそのカラーで存在をアピールしていた。
「これ、なんて車?」
可愛いなんて形容詞も似合いそうな車。名前は何だろうと御園に尋ねると、御園は意外そうな顔を見せた。
「あら?静も車好きなん?心はんとこ、ようけエエ車おしたやろ」
「いや、俺、車は分かんないし」
確かに心のところの駐車場には、世界に何台かの名車もあれば数千万円の値段の車も数多くあった。見る人間が見れば目を見張るような車庫の中だろうが、静にはその価値は皆無だったし興味もなかった。
「興味ないん?まぁ、俺もやねんやけどね。これ眞澄のん。眞澄も好きやねん、車。これはクーパーS with JCW GP kit。ミニクーパーって聞いたことあらへん?」
「さぁ…」
車と言えば”トヨタ”という社名しか思いつかないので、そんな外車の名前を言われても全く分からない。大体、そんな長い横文字の名前の車があるなんて、今日、今、この時間まで知らなかったくらいだ。
だが、この車は何かの映画で観た事がある様な、そんな気がする。
「京都はねぇ、道が狭いんよ。さかいに、こへんちっさい車がちょうどええんよねぇ。眞澄もそれで買うたんやけど、これがまた全世界2000台の限定生産モデルやねんて。ほら、ここにシリアルナンバー」
御園の指差す所に目を向けてみれば、数字が刻印されていた。それを見ると、益々この車がミニカーに見えてくる。
「…本当だ」
なるほど、これがその全世界2000台のうちの一台という訳か。
こういうこだわりを好むのは、何となく心に似ているなと静は思った。
「でも、眞澄は身体が大きいさかいに乗りにくい言うて、俺がほとんど乗ってるんよ。笑うやろ」
「本当に観光するのか?」
半ば呆れたように言うと、御園は手に持っていた本を静に渡した。
表紙には賑やかな写真と風情ある寺院の写真が所狭しと印刷され、風情もへったくれもない。キャッチフレーズは”おこしやす”。またベタな…。
御園は車に乗り込むと、中から助手席のドアを開けた。
「乗って」
静は半ば諦めた様に、車に乗り込んだ。

以前、成田のRX-7 FD3Sもそうだったが、この車もバックシートがない。
そして、運転席と助手席のちょうど真ん中に、馬鹿みたいに大きな時計が搭載されていて思わず目を疑った。
時計にしては邪魔だし、大きすぎるそれはどうみてもスピードメーターだった。
車に無知識で興味のない静からしてみれば、”どういう意図で?”という疑問しか浮かばない。
心と知り合ってから一生のうちに乗る事もまぁないであろう高級車に乗ってはきたが、どれもこれも静からすれば、そこまでの価値があるのかさえさっぱり分からないというのが本音であった。
そもそも車は1台あれば十分ではないのか?と、まずそこから食い違ってくる。価値観の違いだなと静は息を吐いた。

京都は車が混むとは噂には聞いていたが、本当に混む。
狭い道しかない京都は本通りに車が流れ込み、それこそ糞詰まり状態。碁盤の目の土地に抜け穴もなく、歩いた方が早いのではないか?という疑問すら過るが、歩道に目をやれば、そこもまた人、人、人。
さすが観光地として伸し上がるだけはあって、通行人は見た感じからして余所者だ。それも民族入交り状態。
まさか、ここを歩くのかと静はげんなりした。
「動かんなぁ。失敗したわぁ。ええとこ連れて行ったろう思ったんに、道間違うて表通り入ってしもたし…」
御園がハンドルに顔を載せて、少しうんざりした様に言い放った。
車内には、この状況を知らずに能天気な音楽がFMから流れている。緩やかに動いてはいるが、すぐに変わる信号にスピードメーターの針は少し動いてすぐ落ちるを繰り返した。
「…道、間違えたのか?」
「堪忍え、ここ抜けたら流れるさかい」
「いや、別に渋滞は慣れてるから…」
「あ、せやね静の土地のが渋滞えげつないね」
“まあね”なんて、にべもない返事をしながら膝の上の本をパラパラ捲る。どれもこれも見たことある所がメインで、静は流すようにページを捲った。

ようやく車は御園が目指した目的地に到着し、車を駐車場に放り込むと二人は並んで歩き出した。
定番の清水寺、茶碗坂、八坂神社を抜けて祇園へ。テレビや雑誌で知ってはいたものの、休日というのも手伝って殺人的な人混み。
それでも初めて見る清水の舞台からの京都は絶景で、季節が季節なら紅葉や桜は素晴らしいだろうということは容易に想像出来た。
御園に訳の分からぬまま連れて行かれた地主神社は、右も左も女だらけで男同士なのは自分と御園だけ。
ただでさえ人を惹き付ける容姿を持つ御園と静は、注目の的となった。
御園に言われるままに参ればキャーなどと場違いな歓声が上がり、静は関西のノリ?と一人納得したりしたが、おみくじを引いて納得。縁結びの神様だった。
男2人っきりで、まして修学旅行の学生でもない一端の大人が参れば、まさしく二人して恋の成就に来たと勘違いされても仕方ない。しかも、見た目が見た目だ。
階段を上がってすぐにある邪魔な位置の石は、同じように離れた場所に置かれた石に目を瞑ったまま歩いていければ、恋が叶うらしいが…。
まず、あの人混みで辿り着くのは不可能ではないかと不思議に思えた。
「うっそー?大吉かいな。待ち人来やはるやて」
静のくじを覗き込み、御園が声を上げた。
「…お前は」
「末吉…微妙やろ。まあ、このおみくじもバイトのおばちゃんが折って袋に入れてんねん。参拝多い日は大吉すくのうしたり、反対にぎょうさんしたりな。俺もよぉ手伝わされたわ」
「夢なくすし…」
「ほうか?そりゃすまんかったなぁ」
こんな何気ない会話をしていると、ただでさえ極道に見えない御園は本当に柔らかく見えた。

盆地の土地は気温も瞬く間に上昇し、静はここ何日かの睡眠不足とまともに食事を摂っていなかったせいで、車に戻る頃には倒れかけていた。
車の助手席を倒して額に腕を載せ、静は大きく深呼吸をする。地下に車を入れていたせいか、車内の気温はさほど上昇していなくて助かった。
「どうもあらへん?無理させたねぇ、人がぎょうさんおって驚いた?」
御園が冷たいペットボトルを静の頬に当てながら顔を覗き込む。その表情は本当に極道とは言いがたいもので、静はフッと笑った。
相馬といい御園といい極道とは無縁に思える男が、なぜ任侠の世界に生きるのか。
しかもただのチンピラでなく二人とも会社で言うならば重役とも言えるポストに着任していて、所属している組はただの一般市民でさえ聞き覚えのある組だ。
相馬に至っては弁護士の国家資格まであるというから驚きだ。だが恐らく弁護士として生きていたとしても、あの饒舌さと怜悧な頭脳でその世界でもその名を轟かせていただろう。
「何を難しい顔しとるん?」
「あんたらの人生設計間違ってるよな」
「ら?眞澄と俺?」
「ちげーし。あんたと相馬さん」
眞澄と心は人生設計成功者だ。心のような我が儘で傲慢知己な人間が、一般社会で通用するとは微塵も思わない。
眞澄の横暴さは心のそれとは違うものがあるが、やはり眞澄の性格も他所で通用するとは思えない。
二人ともタイプは違うが、専横に振る舞う様はまさに極道のそれだ。
「俺と北斗?北斗のこと信頼してんねんなぁ。やて北斗はこの世界あってんで」
「似合わねーし」
「中身の冷たい男や。弁護士ん資格を取ったんも何となくらしいけど、ほんまは検事が合うとる。罪状認否述べさしたら天下一品や。それこそ懸河の弁ふるって、死刑にしたい奴は絶対死刑にしはるよ。他人を擁護しはるような、やわい男やない」
「見えねぇ」
「ほうか?えろう北斗をかってるんやねぇ。具合良うなってきた?お腹空いたやろ?ご飯行こか」
御園はニッコリ微笑むと、アクセルをゆっくり踏み込んだ。

「こんな観光、いつまでやる訳?」
御園に連れられるまま敷居が高そうな料亭に連れて行かれ、二人して湯豆腐を食べた。大食いの静もずっと食べていないからか、いつものようには食べれずに何だか物足りなさを感じた。
だが生け簀で泳いでいる鮎をすくって、目の前で炭火焼きにしてくれた鮎の塩焼きを口にすると静の胃袋は一気に活動を始めた。
一人分でもそれなりの量のある湯豆腐をペロリと平らげ、御園が追加で頼んだ季節の天ぷらも鱧しゃぶもきっちり二人前戴き、御園を驚かせた。
「静は驚かしはるわ。そへんな華奢な身体に、よぉあんな入るわ」
車に戻ると御園は飽きれた様に言い笑う。そんな御園に静は唇を尖らせた。
「好きなだけ食えって言うから」
「いや、ええんよ。ええけど、一人前もたいがいあるんに、二人前、いや俺の分もちょっと食べたなぁ。やのに、ほんまに綺麗に平らげて。こない言うたらあれやけど、見た目に反してよう食べはるわ。胃がびっくりしてはらへん?」
「普通だろ。ってか、久々に食ったからあれが限界」
「はぁ?普通やったらまだ食べはるん!?おっかない子やねぇ」
クツクツ笑う御園を見て、静は不貞腐れ顔を車窓に向けた。
「あ!見たことあるここ!」
車窓から見えた景色に、静が声を上げた。大きな川に掛けたれた橋。右側には山が聳え、アングルだけなら絶景。
「ああ、あれやあれ、刑事もんのドラマとかでよお死体浮いとる川」
「ああ!それだ!」
「あないなん嘘やで。こへん観光客で溢れとるんに、人殺して川にほかす阿呆どこにおんねん」
確かにそうだ。長く続く木製の橋は観光客の撮影スポットになっているのか人で溢れ、その近くにはいくつもの店が並ぶ。
長い川に沿うようにある河原はどこまでも人が居て、実際こんな場所で死体なんか捨てれば犯人ですと語っているのと同じ。チープなドラマもいいとこだ。
「でも綺麗じゃん」
「せやねぇ」
「人多いけど」
「せやねぇ。観光客で生きとる町やさかいねぇ」
何だか本来の日常を忘れそうなくらい、長閑な時間が流れる。
心に出逢って、人生の大半を無茶苦茶にされた借金がたった1日でなくなり…ある日、半ば強制的に京都に連れてこられ、今は観光。
あまりに猛スピードで流れるリアルに、頭が、精神がついて行かない…。
「なぁ、いつまで、俺を捕まえてるつもり?」
車窓から目を離さずに、徐に静が言い放った。
「あれ?心はんの元に帰りたいん?」
「ちげーよ。親が入院してて。妹も、親戚に預けてるし」
「うーん、実はねぇ、心はんが来よるんよ…京都に」
「え…?」
ぽんと言われた言葉に、静は耳を疑った。ハンドルを握る御園を見ると、前を見据えたまま微笑を零した。
「あんはんを返せ言うて、ご立腹や」
「……」
「せやから、今日は見納め」
「見納め?」
「静には悪いけど、俺は眞澄を命懸けで守らなあかへん。静の質実剛健なとこは好きやし気に入ってるんやけど、心はん怒らせてしもたら、ただじゃおれん。あの怒り収める術を誰も知らんさかい、あんさんを攫ってきたことはなかったことにせんとあかん。静が生きて心はんのもと帰ったら、ほして仕舞いな話でもあらへん。静が死んでも攫われたこと言わへんって言うたて、それを信じるんは難しいねん。ほな、残された道は一つしかあらへんねん。堪忍な…」
御園のその表情は、今までと同じ柔らかな笑顔だった。言っていることは、眞澄を守る為に静を殺すという物騒極まりないことなのに、表情は穏やかだ。
そのとき静は、やはり御園斎門は極道だと確信めいたものを感じた。
どれだけ穏やかな表情であろうが外見であろうが、あの大多喜組が足元にも及ばないほどの巨大な勢力を持つ極道の頂点に近いところに居る人間なのだ。
そう、何よりも恐ろしいのは怒鳴り散らして威圧して暴言を吐き、自分を強く見せようと外見ばかり着飾るような人間ではなく、御園のように穏やかに死の宣告をしてくる男。
静はそこで、拘束されているわけでもないのに逃げれないと悟った。
今、車を飛び出して逃げることも出来るのに、それが出来ないのだ。
これが御園斎門かと、静は諦めたように息を吐いた。
「ここに連れ出したんも、最期の観光やね…。心はんの声も聞いたやろ」
「やっぱりお前、計画的か」
御園は普段は惚けたように見せてはいるが、静の見る限り聡明な男だ。
それなのに、まさか監禁している静の部屋に、こともあろうか心の連絡先まで登録された携帯を忘れて行くことなんてあるはずがない。
だけど伸ばした手は止めれなかった。それは心に来るなと伝えるためか、声が聞きたかったからか…。
「堪忍え。親御さんや妹はんには逢わしたられへんけど」
「一気に殺してくれよ。助からないように…」
人間、殺されると分かると覚悟するのか、ニヤリと笑う静に、御園は息を呑んだ。
諦めか、もがき、喚き、泣きついて人間の生への執着を見せるべきか。
それを無駄な足掻きだと、鼻で笑って殺されるのを待つのか。
死のうとしている人間に誰かが”死にたいと言う人間は醜い”と言った。
すると”生きたがる人間は傲慢だ”と自殺志願者は笑った。
どちらが正解か、どちらも間違いか。
神仏についてしっかりと学んできた御園でさえ、正しい正解は未だ分からない。
恐らく、死ぬまでそれは分からないだろう。やはり、自分はまだまだだなと御園は感じた。
「俺、アイツには殺されたくないなぁ」
「分かっとるよ。俺が殺したるさかいに」
優しさの混じった声をかけながら、御園の手が静の髪を撫でた。
どこか慰められているような、そんな感じに静は目を閉じた。

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