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幕間③〜闇に蠢くモノ〜

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 夕闇が迫る、ひばりヶ丘学院の校門前――――――。

 休校日のため、生徒や学校関係者の人影がまばらな中、見慣れない服装の外国人女性が、警備室まで入校許可の手続きを行っている。
 女性用の修道服をまとったその女は、入校者一覧の氏名の欄にミランダ・ジョヴォヴィッチ、所属組織に祝川教会と記入して、所定の手続きを終え、入校許可証を受け取った。

 彼女が、任務の初回実行日をこの日に選んだのは、校内への人の出入りが少ないことと、ターゲットとなる女子生徒が頻繁に接触を図るようになった男子生徒が、テーマパークに出掛けているという確実な情報を掴んでいたためだ。

「今日は、生徒さんも少ないんですね? 土曜日に学校に来る生徒は、どんな人たちなんですか?」

 世間話しを装って、彼女が警備員にたずねると、入校許可証を手渡した警備員は愛想の良い表情で応じる。

「土日に学校に来るのは、熱心にクラブ活動をしている生徒だね。もう夕方も近いのに、さっきも、演劇部の一年の女の子が来てたよ」

 ここでは、自身の名であるミランダと名乗ったシスター・オノケリスは、自分の立てた計画が思惑どおり運んでいることに満足しながら、

「そうなのですね。なにごとにも、熱心に取り組む若者が多いというのは、素晴らしいことです」

と、いかにも宗教者が発しそうな言葉と軽い笑みを警備員に返してから、校内に足を踏み入れる。

 ミランダ……シスター・オノケリスが、一人目のターゲットに選んだのは、真中仁美まなかひとみだった。
 両親から魔族の血を受け継ぎ、人ならざる者に特有の強大な能力を持つ東山奈緒ひがしやまなおや周囲に常に多くの生徒が集まっている北川希衣子きたがわけいこを最初に始末しようとすることは、事後処理も含めて、面倒になることが多いと判断したからだ。

 その点、魔族と人間の血を半分づつ受け継いでいる真中仁美まなかひとみは、発動される能力が小さいことが予想される上に、休日は部活動のメンバー以外とは、校内の人間との接点が少ないことがわかっているため、を終えたあとの処理も、比較的容易である。

 彼女の意向は、依頼主である教会側にも伝えており、許可も降りていた。

 オノケリスは、ここまでの手順を振り返り、なにか見落としや落ち度がなかったかを確認しながら、待ち合わせ場所に指定した演劇部の部室に向かう。

 演劇部に所属する真中仁美まなかひとみが、針本針太朗はりもとしんたろうという同じ学年の男子生徒に、演劇の脚本に関する感想やアドバイスをもらうために、彼と二人きりで会おうとしていることは、先週から始めた情報収集で把握することができていた。

 スポーツセンターや市内の図書館をはじめ、ひばりヶ丘学院の近辺で行った聞き取りは、思ったとおりの効果を発揮し、ターゲットとなる五人のリリムの週末の行動について、おおむね予測ができたことから、この日の計画は、比較的スムーズに立てることが可能だった。

 唯一の問題は、真中仁美まなかひとみをどのように、疑念を抱かせることなく人気ひとけの無い場所に呼び出すか……であったが、その点も、シスター・オノケリスが得意とする、あらゆる人間の声帯模写モノマネと、ターゲットである女子生徒が会いたがっている相手が居る、という条件が揃えば、彼女にとって、さほど骨の折れる作業ではなかった。

 前日、伝手つてを使って入手した真中仁美まなかひとみのスマホの電話番号に、非通知設定で発信を行うと、受話器の向こうからは怪訝な声が聞こえた。

 ただ、

真中まなかさん、針本はりもとだよ。土曜日のことなんだけど……北川さんとは、お昼すぎに別れることになったから……良かったら、夕方から会えないかな?」

と、男子高校生の声色を使って問いかけると、ターゲットの女子生徒は、エサ不足の釣り堀の魚のように、アッサリと食いついてきた。
 
 ティーン・エイジャーの純情を利用することに、多少の良心の呵責がなかったわけではないが、自身に課せられた任務というより、「かせ」の前では、他者への同情や感慨などを抱いている場合ではなかった。

「非通知で掛かって来る番号には、もっと細心の注意を払うことだね、お嬢さん……」

 前の週に、スポーツセンターでその姿を確認している、この日のターゲットなる女子生徒の顔を思い浮かべながら、シスター・オノケリスは、ひとちる。

 ターゲットを消し去るための準備だけなく、その事後処理のための仕掛けも滞りなく準備してきた。

 春の彼岸を過ぎたとは言え、陽は西に傾いている。
 彼女の出生した文化圏とは無縁だが、極東のこの国で、『逢魔が時』と呼ばれる時間帯は、繊細な人間が衝動的な行動を取るには、十分な舞台だろう。 

 校舎の最上階にある部室からターゲットに身を投じてもらったあとは、その生徒が、と判断されるだけの材料も準備している。

 真中仁美まなかひとみが、校舎の四階から身を投じたあとは、窓のそばに彼女の遺志を記した便箋を置く手はずだ。

 シスター・オノケリス自身が文面を考案し、日本人スタッフによってしたためられた便箋には、こんな文面が記されていた。

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 愛しいあなたへ

 あなたは、私がいなくても幸せになれると思います。
 私が祈るまでもなく、自分で幸せを掴んでください。
 あなたの望む将来は叶うと思います。
 
 ただ、私はその、あなたの望む将来に必要なかったことが、ただ悲しく……
 あなたが、他の誰かを愛する姿を見るのが苦しい。
 そしてまた、その辛さに悩む姿をさらしながら、おめおめと生きていくことはできません。

 さようなら

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