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第1章〜初恋の味は少し苦くて、とびきり甘い〜①
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三月の中頃から異例の寒波が到来したせいなのだろうか、例年、四月の最初の週が終わる頃には散ってしまう桜の花が、珍しく入学式のシーズンに満開を迎えている。
この春から、十年ぶりに両親の地元の街に戻ってきた針本針太朗は、かつての観光スポットから命名されたという花屋敷駅に降り立って、新たな学び舎となる、ひばりヶ丘学院高等部の校舎を目指していた。
改札口を出て、東西に伸びる生活道路を西の方角に進み、小さな十字路を左折して、通学に利用する私鉄電車の高架をくぐると、おしゃれな外観の校舎が見えてきた。
「ここが、高等部の校門かな……?」
小声でつぶやきながら、敷地に入ろうとすると、彼を呼び止める声がした。
「ねぇ、そこは、初等部……小学校の校舎だよ」
針太朗が、声のした方を振り向くと、そこには、自分が通う高等部の制服を着た女子生徒が立っていた。
さらに、彼女は、突然のことに言葉を発することができない彼が返答をする前に、こんな申し出をしてくる。
「私たち高等部の校舎は、もう少し先の方。良ければ案内しましょうか?」
「あ、あぁ……ありがとうございます。そうしてもらえると、助かります」
初対面の相手ということもあり、彼としては、丁寧な言葉づかいを心がけただけなのだが、針太朗の返答を聞いた女子生徒は、クスクスと笑いながら応じる。
「私も同じ学年だから、敬語を使わなくても良いよ、針本くん」
朗らかな表情で語る女子生徒に少し面食らいながら、針太朗は、彼女にたずねる。
「あの……どうして、ボクの名前を……?」
疑問に思ったことを口にした彼に対し、同級生だと名乗る彼女は、彼の胸元を指差し、困惑と緊張で頭の回転が鈍りがちな男子生徒に注目をうながす。
女子生徒の指先が示す先に右手を当てた針太朗は、そこにプラスチックの板状の感触に気づき、
「あっ、そっか……名札か……」
と声をあげ、頭をかく。
自分のうかつさに気づき、気恥ずかしさを感じながらも、あらためてお礼の言葉を述べようと、彼は、女子生徒の胸元の名札にチラリと目をやり、名前を確認した。
「真中さん……でいいのかな? ありがとう。とても助かるよ」
彼が、微妙に視線を反らしながらも、名指しで彼女の苗字を告げ、あわせて感謝の言葉を口にすると、その読み方に間違いはなかったのか、真中仁美は、苗字を訂正せずに、こう返答した。
「どういたしまして! 普通、ウチの学院の生徒は、駅から校舎に続く専用通路を使うからね。系列の小学校に不審者が入ってきた、なんて騒ぎになったら、大変だもんね」
仁美の意外すぎる言葉に、ふたたびバツの悪い想いをしながらも、無事に新たな学び舎に到着できることに安堵しながら、針太朗は、知り合ったばかりの女子生徒にあとをついていくことにした。
◆
私立ひばりヶ丘学院は、中高一貫の男女共学校だ。
針太朗が、思わず迷い込みそうになった小学校の他にも、系列に幼稚園を擁していて、各施設の敷地は、花屋敷駅の周辺に点在している。
編入生と言っても良い針太朗を案内した仁美が語ったように、中等部と高等部に通う生徒たちは、花屋敷駅のプラットホームから学舎の敷地に続く生徒専用通路を使って登校する(彼が通学路と思い込んで歩いていた生活道路の途中で他の生徒と出会わなかったのは、そのためだ)。
また、この学院は、創設当初から、誰もがその名を知る国内の大手飲料メーカーの創業家の支援を受けており、学院と企業を起ち上げた創業者の
「やってみなはれ」
という口癖を重んじて、失敗を恐れず挑戦するという、チャレンジ精神を育むことを校訓としている。
従来の習わしにとらわれることなく、積極的に新しい物事に取り組む = 『進取の気性に富む』ことをモットーにする校風に共感を覚え、十年ぶりに戻ってきた両親の出生地で進学先を選んだ針太朗なのだが……。
見ず知らずの生徒だった自分を校舎に案内してくれた真中仁美と教室の前で別れた彼は、自身の選択を早くも後悔しはじめていた。
「昨日まで寒かったから厚着して来たら、今日、急に暑すぎじゃない?」
彼のふたつ右側の席に座る女子は、教室に着いて着席するなり、スカートをバサバサと扇ぎだした。
「うわっ! ポーチの中のファンデが割れてる!! ちょ~最悪なんだけど」
斜め前に座る女子は、始業のベルが鳴る前に、メイクを直そうとしたのか、ポーチからファンデーションを取り出そうとして、自身の小物入れの大惨事に気づいたようだ。
「ねぇねぇ、野球部の中野センパイって、新しく彼女ができたらしいよ?」
「うそ!? 二年の本田さんと付き合ってたんじゃなかったっけ?」
針太朗の二つ前の席に座る女子と、その隣の席に座る女子は、高等部の上級生らしい男子についての話しにハナを咲かせている。
「白草四葉ちゃんて、相変わらず可愛いよね? 学校を辞めて留学するってウワサは、ホントなのかな?」
「でも、付き合っている相手がいるんだよね? 彼氏はどうするんだろう? それより、私は瓦木亜矢ちゃんの今後の活動が気になる」
「そっか、亜矢ちゃんて、大学に内部進学したんだよね? それじゃ、もう、高校生向けのコスメとかの紹介はしないのかな?」
彼の左側の席に座る女子と、その前の席に座る女子は、インフルエンサーとして同世代にカリスマ的な人気を誇る動画配信者の話題に夢中だ。
(どうして、こんなことに……)
引っ越す前は、比較的、大人しく、おっとりとした性格の生徒が多い中学校に通っていたため、そのカルチャー・ギャップに、高等部に入学してきたばかりの男子生徒は頭を抱える。
針本針太朗には、子どもの頃から、苦手なモノが、三つあった。
一つ目は、足がすくむような高い場所。
二つ目は、調味料を問わず辛い味付けの食べ物。
そして、三つ目が、女子と行う会話全般だった――――――。
この春から、十年ぶりに両親の地元の街に戻ってきた針本針太朗は、かつての観光スポットから命名されたという花屋敷駅に降り立って、新たな学び舎となる、ひばりヶ丘学院高等部の校舎を目指していた。
改札口を出て、東西に伸びる生活道路を西の方角に進み、小さな十字路を左折して、通学に利用する私鉄電車の高架をくぐると、おしゃれな外観の校舎が見えてきた。
「ここが、高等部の校門かな……?」
小声でつぶやきながら、敷地に入ろうとすると、彼を呼び止める声がした。
「ねぇ、そこは、初等部……小学校の校舎だよ」
針太朗が、声のした方を振り向くと、そこには、自分が通う高等部の制服を着た女子生徒が立っていた。
さらに、彼女は、突然のことに言葉を発することができない彼が返答をする前に、こんな申し出をしてくる。
「私たち高等部の校舎は、もう少し先の方。良ければ案内しましょうか?」
「あ、あぁ……ありがとうございます。そうしてもらえると、助かります」
初対面の相手ということもあり、彼としては、丁寧な言葉づかいを心がけただけなのだが、針太朗の返答を聞いた女子生徒は、クスクスと笑いながら応じる。
「私も同じ学年だから、敬語を使わなくても良いよ、針本くん」
朗らかな表情で語る女子生徒に少し面食らいながら、針太朗は、彼女にたずねる。
「あの……どうして、ボクの名前を……?」
疑問に思ったことを口にした彼に対し、同級生だと名乗る彼女は、彼の胸元を指差し、困惑と緊張で頭の回転が鈍りがちな男子生徒に注目をうながす。
女子生徒の指先が示す先に右手を当てた針太朗は、そこにプラスチックの板状の感触に気づき、
「あっ、そっか……名札か……」
と声をあげ、頭をかく。
自分のうかつさに気づき、気恥ずかしさを感じながらも、あらためてお礼の言葉を述べようと、彼は、女子生徒の胸元の名札にチラリと目をやり、名前を確認した。
「真中さん……でいいのかな? ありがとう。とても助かるよ」
彼が、微妙に視線を反らしながらも、名指しで彼女の苗字を告げ、あわせて感謝の言葉を口にすると、その読み方に間違いはなかったのか、真中仁美は、苗字を訂正せずに、こう返答した。
「どういたしまして! 普通、ウチの学院の生徒は、駅から校舎に続く専用通路を使うからね。系列の小学校に不審者が入ってきた、なんて騒ぎになったら、大変だもんね」
仁美の意外すぎる言葉に、ふたたびバツの悪い想いをしながらも、無事に新たな学び舎に到着できることに安堵しながら、針太朗は、知り合ったばかりの女子生徒にあとをついていくことにした。
◆
私立ひばりヶ丘学院は、中高一貫の男女共学校だ。
針太朗が、思わず迷い込みそうになった小学校の他にも、系列に幼稚園を擁していて、各施設の敷地は、花屋敷駅の周辺に点在している。
編入生と言っても良い針太朗を案内した仁美が語ったように、中等部と高等部に通う生徒たちは、花屋敷駅のプラットホームから学舎の敷地に続く生徒専用通路を使って登校する(彼が通学路と思い込んで歩いていた生活道路の途中で他の生徒と出会わなかったのは、そのためだ)。
また、この学院は、創設当初から、誰もがその名を知る国内の大手飲料メーカーの創業家の支援を受けており、学院と企業を起ち上げた創業者の
「やってみなはれ」
という口癖を重んじて、失敗を恐れず挑戦するという、チャレンジ精神を育むことを校訓としている。
従来の習わしにとらわれることなく、積極的に新しい物事に取り組む = 『進取の気性に富む』ことをモットーにする校風に共感を覚え、十年ぶりに戻ってきた両親の出生地で進学先を選んだ針太朗なのだが……。
見ず知らずの生徒だった自分を校舎に案内してくれた真中仁美と教室の前で別れた彼は、自身の選択を早くも後悔しはじめていた。
「昨日まで寒かったから厚着して来たら、今日、急に暑すぎじゃない?」
彼のふたつ右側の席に座る女子は、教室に着いて着席するなり、スカートをバサバサと扇ぎだした。
「うわっ! ポーチの中のファンデが割れてる!! ちょ~最悪なんだけど」
斜め前に座る女子は、始業のベルが鳴る前に、メイクを直そうとしたのか、ポーチからファンデーションを取り出そうとして、自身の小物入れの大惨事に気づいたようだ。
「ねぇねぇ、野球部の中野センパイって、新しく彼女ができたらしいよ?」
「うそ!? 二年の本田さんと付き合ってたんじゃなかったっけ?」
針太朗の二つ前の席に座る女子と、その隣の席に座る女子は、高等部の上級生らしい男子についての話しにハナを咲かせている。
「白草四葉ちゃんて、相変わらず可愛いよね? 学校を辞めて留学するってウワサは、ホントなのかな?」
「でも、付き合っている相手がいるんだよね? 彼氏はどうするんだろう? それより、私は瓦木亜矢ちゃんの今後の活動が気になる」
「そっか、亜矢ちゃんて、大学に内部進学したんだよね? それじゃ、もう、高校生向けのコスメとかの紹介はしないのかな?」
彼の左側の席に座る女子と、その前の席に座る女子は、インフルエンサーとして同世代にカリスマ的な人気を誇る動画配信者の話題に夢中だ。
(どうして、こんなことに……)
引っ越す前は、比較的、大人しく、おっとりとした性格の生徒が多い中学校に通っていたため、そのカルチャー・ギャップに、高等部に入学してきたばかりの男子生徒は頭を抱える。
針本針太朗には、子どもの頃から、苦手なモノが、三つあった。
一つ目は、足がすくむような高い場所。
二つ目は、調味料を問わず辛い味付けの食べ物。
そして、三つ目が、女子と行う会話全般だった――――――。
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