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幸せごっこ

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 情事の後の湿った空気が部屋中に蔓延していた。二人はすっかり疲れ切ってシーツにごろりと横たわっている。閉めたカーテンの隙間からは朝日が射し込んでいて、部屋の気温は爽やかな朝には少しも似つかわしくなかった。潔は肩で息をしつつ直樹にくっつく。熱かった体は汗で冷えかけていて、素肌が触れると体温に安心した。もう眠ってしまったのかと思ったが、予想外にも直樹は目を覚ましていた。

「潔」

 まだ余韻の残る声でぽつりと呼ぶ。潔は直樹の背を抱き、うん、と返事をした。直樹の声から、直樹が今空っぽの表情で壁を見つめていることが分かった。全て脱ぎ去った、何の飾りもない直樹自身の表情。凪いだ瞳に力の抜けた唇。ふ、と直樹は少し笑った。自分の言おうとする言葉に思わず笑ったようだった。

「ちゃんと傷つけてくれててよかった」

 直樹は笑みの混じった柔らかい声を出す。それが何の皮肉も混じっていない声だったので潔は困惑してしまう。昔のことが思い出される。傷つけ、傷つき、それでも離れられずにいた長い年月。不安になって、直樹、と呼びかけた。思ったよりも小さい声が出てしまった。直樹は潔の方へ体ごと振り返った。合わさった瞳は思った通り、静かな色をしていた。穏やかな笑顔にカーテンから漏れ出た光が筋を引いていた。いっそ神聖とも思われる顔つきに、思わず見惚れる。

「ただこんなに幸せだったら、きっと怖かったと思う」

 ざらついた低い声が、ゆっくりとそう紡ぐ。胸の柔らかいところを抉られたような気がして潔は答えられずにいた。直樹はくすくすと笑って潔の胸の中へと身を寄せた。

「そんな顔しないでよ」

 責めているわけではないのに、潔が辛そうにするものだから悪いことを言ったような気になってしまう。うん、と言って潔は直樹の頭を抱き込んだ。わしゃわしゃと毛の多い髪を弄ぶ。汗で湿っているのが手の平から伝わる。しばらく目を閉じておとなしくしていたかと思うと、直樹はするりと腕から抜け出して体を起こした。

「なに、起きるの?」

 もうこのまま寝てしまいたいと思っていた潔が驚いたように、ほんの少し咎める色をもって言う。

「シャワー浴びてから寝る」

 タフだなあ、と思う。潔は体を起こすことさえ億劫だった。シーツに頬をつけて液体のように寝そべっている。ベッドから降りようとする直樹の手首を捕まえた。たいして力は込めていないのに、直樹は動きを止めて潔を振り返った。決して嫌がるような目ではなかったので、潔は嬉しくなってしまう。きゅうっと瞳を細めて微笑んだ。

「俺も幸せだよ」

 そう言えば、直樹は少し照れたようだった。先程の言葉は怖いくらい幸せだと告白したようなもので、その答えを潔は真っ直ぐによこしたのだ。一瞬面食らった後で、直樹はへにゃりと崩れるように笑った。思わずにやけてしまう時に似た、自然と滲み出してしまった笑顔に見えた。

「そっか」

 満足そうに、嬉しそうにそう言うと、直樹は脇に追いやられていた毛布を引っ張って潔の体に被せた。冷えた体に心地いい重さが乗る。乱れた髪をぐしゃぐしゃと撫でる。前髪がおりると、潔は随分幼く見える。

「寝てていいよ」

 そう言った直樹の声は明らかに上機嫌だった。ぐったりとしていた姿はそこにはなく、来たる朝に似つかわしく生気に満ちているようだった。白い肌が眩しい。返事の代わりに目を閉じる。少しの間があって柔らかな感触が頬に触れ、裸足の足音が遠のいていく。
 暫くしてシャワーの水音がし始めてから、堪えきれなくなって声を上げて笑った。胸に溜まっていた愛しさが溢れ出したような笑いだった。あはは、と正確に笑ってひとつ寝返りを打つ。手を口元に当てたが、なかなか笑いは止まってくれなかった。
 くつくつと笑いながら潔は再びゆるりと目を閉じた。ほの明るい室内に、さあさあと鳴っているシャワーの音。目が覚めれば直樹が隣にいると信じているほど、自分は幸せなんだと思った。
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