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遊び人の特別
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ぼやけた夢の中で鳴り続ける音が現実のものだと気づいて目が覚めた。自室はまだ薄暗く、日は昇っていないようだった。着信音を鳴らし続けるスマートフォンに目をやれば、午前四時と表示されていた。
眩しく目を刺してくる光に目を細め、優は浮かびあがった名前を見る。女の名前だということはわかったのだが、果たしていつ出会ったのだったかと寝起きの思考を巡らせた。こんな時間に何の用だと苛立つのを隠して、女性の前で見せる感じのいい男を貼り付ける。
「もしもし?」
爽やかな声を出そうとしたが、どうしても寝起きの緩さが出た。自分の名前を呼んでくる声に、なんとなく相手の顔つきを思い出す。確か一度寝ただけの女だ。別段印象に残っていないということは次も会いたいとは思わなかったのだろう。
「最近連絡くれないから、どうしてるのかと思って」
女はそんなことを甘ったるく言ってくる。へえ、それってこの時間やないとあかんかったん、ともう少し忙しい時期だったら口に出してしまっていただろう。
「ごめんなあ、仕事が忙しくて時間とれんくて……また連絡するから」
申し訳なさそうに言ってみるが、一昨日も別の女を抱いたばかりだ。昨夜は一人でゆっくりと眠ったかと思えばこれだ。
ほんとに?と念を押してくる女をなだめ、都合のいい言葉を二、三並べる。ベッドに寝転んだまま交わされる言葉は形式だけの退屈なもので、気を抜けばすぐにでも眠ってしまいそうだった。
「それじゃあ、待ってるね」
そんな言葉で締めくくられて通話が切れる。残ったのは明るすぎるディスプレイと静寂だけだった。こんな時間でありながら朗々と話していた彼女はきっと夜更かしの最中なのだろう。そっちこそ一体誰と何をしているのか。別に興味もないけど、と内心舌を出す。
はあ、とため息をひとつついて寝返りを打った。あんなに眠たいと思っていたのに通話が終われば目が冴えてしまっていた。叩き起こされなければ気持ちよく眠っていられただろうにと恨めしく思う。明日は休日なのだから昼近くまで惰眠を貪るつもりだったのに。
シーツに頬をつけてぼんやりと闇を見つめていると、鼓膜に残った女の声が勝手に繰り返された。一人の部屋は自分の呼吸音すらしないほど静かで、いくら探ってもベッドの中に他の体温はない。
眠りについた街の中で取り残されているような気になってふと不安に襲われる。誰かの熱が恋しくて予定のない明日が途端に空虚に思えた。脳内で会えそうな女を並べる。誰でもいいはずなのにどれもこれも連絡しようとまでは思えなくて、ばつ印ばかりがついていった。柔らかな女の体と甘い熱ではこの寂しさを埋められないらしい。心の奥で求めているのはどうやら違うものだったようで、雑音のようにふっと浮かんだ男の顔に迷いなく電話をかけていた。
こんな時間に出るわけがないと分かっていながらも、続くコール音を聞きながら早く出て欲しいと祈る。思いつきのようにかけているはずなのに時が経つほどに声が聞きたくてたまらないような気がした。
ぷつ、っと音がしてコール音が止む。切れたのだろうかと思うほどの沈黙の後、不機嫌そうな低い応答があった。
「孝一? ごめん、寝てた…?」
まさか本当に出てくれるなんてと思いながら小声で呼びかける。端末からは寝息に近い呼吸と、もぞもぞと身動ぐ音が聞こえていた。繋がっている、と感じる。それだけであんなにも不安だった胸の内がじわりと温まっていった。
「ん……どうした」
孝一は最低限の言葉しか発しない。眠たくて仕方がないのだろう。ほとんど目の開いていない眠たげな顔が脳裏に浮かんだ。
「なんでもないんやけど、ただ……声聞きたいなーって」
「は……?」
冗談めかしてそう言えば、孝一は理解が追いついていない様子で掠れた声を出した。思ったよりも自分の声が弾んでいる。孝一が小さな機械の向こう側にいるというだけで、こんなにも心臓が嬉しそうに鳴っている。
「何かあった?」
「ううん、ほんまに、それだけ」
孝一は真剣味を乗せて聞いてくれる。自分もあの女とそう変わらないことをしていると思いながらも声が甘くなってしまうのを止められない。はあ、と戸惑ったような返事があった。
「寝れなかったのか」
話しているうちに目が覚めてきたのか、孝一の口調は少しずつはっきりとしてきていた。
「起きてもうただけ」
正しくは起こされたのだが、そんな女のことは話す必要がないように感じられた。ふうん、と何か腑に落ちたように孝一は呟く。
「女の子捕まらなかった?」
こんな時間なら仕方ないとでも言いたげだ。他の女がだめだったから孝一にかけたのだろうと思われているのが不服で、なぜかチリッと胸が痛む。
「孝一やないとあかんかってん」
女を百人並べても埋められなかっただろう隙間を、孝一は通話ボタンを押す指ひとつで塞いでしまった。簡単な言葉の応酬をしているだけなのに部屋の闇が柔らかくなっているのが分かる。
「そういうことにしとく」
優の言葉を受け流して孝一は少し笑う。ありきたりな文句で持ち上げられたとでも思ったらしい。君だけだよ、なんて体裁を整えて女に言うわざとらしさとは違うものなのに。
ただそれを説明する言葉がなくて、優はもどかしく思う。本当に特別で、孝一の声だけが聞きたかったこの気持ちはなんと言えばいいのだろう。女という一括りの中で区別もされない彼女達と、孝一という男と。
「ごめんな、こんな時間に」
もう通話を終わらせようとそう言うと、ほんまや、と言葉だけは迷惑そうに返ってきた。改めてこんな時間の電話に応答してくれたのだと実感する。中身のないやりとりに怒るでもなく孝一はただ付き合ってくれていた。
「ゆう」
眠たいからか、呂律の危うい呼ばれ方をした。それが甘く聞こえて鼓膜の震えが全身に伝わるように思えた。
「おやすみ」
孝一の声に泣いてしまいたくなる。こんなに優しい声を出す男だっただろうか。
優は目を伏せ、たっぷり数秒間その言葉の余韻に浸かった。足先まで温かさに包まれるようで心地いい。
「おやすみ、孝一」
自分の発した声も穏やかなものだった。優の方から電話を切り、スマートフォンを手放す。まだ孝一の声が残ってふわふわとした感覚が続いていた。
会いたいと言えばこの休日は一緒に過ごせたかもしれないと思う。話している最中はそれだけで満たされてしまって考えもつかなかった。
おやすみの声だけで温かさをくれるのは孝一だけだから。だから思いつかなかったのだ、きっと。
思考がぼやけてほどけて溶けていく。合間合間に孝一の声が聞こえる気がしてそれを拾い上げるように目を閉じた。まるで抱かれて眠っているような安心感があった。肌と肌の触れ合いでは届かない、深い場所まで満たされている。
眠りにつく頃には自分を叩き起こした女のことなどすっかり忘れていた。ただ唯一の男の名だけを繰り返して、夢に落ちる。
眩しく目を刺してくる光に目を細め、優は浮かびあがった名前を見る。女の名前だということはわかったのだが、果たしていつ出会ったのだったかと寝起きの思考を巡らせた。こんな時間に何の用だと苛立つのを隠して、女性の前で見せる感じのいい男を貼り付ける。
「もしもし?」
爽やかな声を出そうとしたが、どうしても寝起きの緩さが出た。自分の名前を呼んでくる声に、なんとなく相手の顔つきを思い出す。確か一度寝ただけの女だ。別段印象に残っていないということは次も会いたいとは思わなかったのだろう。
「最近連絡くれないから、どうしてるのかと思って」
女はそんなことを甘ったるく言ってくる。へえ、それってこの時間やないとあかんかったん、ともう少し忙しい時期だったら口に出してしまっていただろう。
「ごめんなあ、仕事が忙しくて時間とれんくて……また連絡するから」
申し訳なさそうに言ってみるが、一昨日も別の女を抱いたばかりだ。昨夜は一人でゆっくりと眠ったかと思えばこれだ。
ほんとに?と念を押してくる女をなだめ、都合のいい言葉を二、三並べる。ベッドに寝転んだまま交わされる言葉は形式だけの退屈なもので、気を抜けばすぐにでも眠ってしまいそうだった。
「それじゃあ、待ってるね」
そんな言葉で締めくくられて通話が切れる。残ったのは明るすぎるディスプレイと静寂だけだった。こんな時間でありながら朗々と話していた彼女はきっと夜更かしの最中なのだろう。そっちこそ一体誰と何をしているのか。別に興味もないけど、と内心舌を出す。
はあ、とため息をひとつついて寝返りを打った。あんなに眠たいと思っていたのに通話が終われば目が冴えてしまっていた。叩き起こされなければ気持ちよく眠っていられただろうにと恨めしく思う。明日は休日なのだから昼近くまで惰眠を貪るつもりだったのに。
シーツに頬をつけてぼんやりと闇を見つめていると、鼓膜に残った女の声が勝手に繰り返された。一人の部屋は自分の呼吸音すらしないほど静かで、いくら探ってもベッドの中に他の体温はない。
眠りについた街の中で取り残されているような気になってふと不安に襲われる。誰かの熱が恋しくて予定のない明日が途端に空虚に思えた。脳内で会えそうな女を並べる。誰でもいいはずなのにどれもこれも連絡しようとまでは思えなくて、ばつ印ばかりがついていった。柔らかな女の体と甘い熱ではこの寂しさを埋められないらしい。心の奥で求めているのはどうやら違うものだったようで、雑音のようにふっと浮かんだ男の顔に迷いなく電話をかけていた。
こんな時間に出るわけがないと分かっていながらも、続くコール音を聞きながら早く出て欲しいと祈る。思いつきのようにかけているはずなのに時が経つほどに声が聞きたくてたまらないような気がした。
ぷつ、っと音がしてコール音が止む。切れたのだろうかと思うほどの沈黙の後、不機嫌そうな低い応答があった。
「孝一? ごめん、寝てた…?」
まさか本当に出てくれるなんてと思いながら小声で呼びかける。端末からは寝息に近い呼吸と、もぞもぞと身動ぐ音が聞こえていた。繋がっている、と感じる。それだけであんなにも不安だった胸の内がじわりと温まっていった。
「ん……どうした」
孝一は最低限の言葉しか発しない。眠たくて仕方がないのだろう。ほとんど目の開いていない眠たげな顔が脳裏に浮かんだ。
「なんでもないんやけど、ただ……声聞きたいなーって」
「は……?」
冗談めかしてそう言えば、孝一は理解が追いついていない様子で掠れた声を出した。思ったよりも自分の声が弾んでいる。孝一が小さな機械の向こう側にいるというだけで、こんなにも心臓が嬉しそうに鳴っている。
「何かあった?」
「ううん、ほんまに、それだけ」
孝一は真剣味を乗せて聞いてくれる。自分もあの女とそう変わらないことをしていると思いながらも声が甘くなってしまうのを止められない。はあ、と戸惑ったような返事があった。
「寝れなかったのか」
話しているうちに目が覚めてきたのか、孝一の口調は少しずつはっきりとしてきていた。
「起きてもうただけ」
正しくは起こされたのだが、そんな女のことは話す必要がないように感じられた。ふうん、と何か腑に落ちたように孝一は呟く。
「女の子捕まらなかった?」
こんな時間なら仕方ないとでも言いたげだ。他の女がだめだったから孝一にかけたのだろうと思われているのが不服で、なぜかチリッと胸が痛む。
「孝一やないとあかんかってん」
女を百人並べても埋められなかっただろう隙間を、孝一は通話ボタンを押す指ひとつで塞いでしまった。簡単な言葉の応酬をしているだけなのに部屋の闇が柔らかくなっているのが分かる。
「そういうことにしとく」
優の言葉を受け流して孝一は少し笑う。ありきたりな文句で持ち上げられたとでも思ったらしい。君だけだよ、なんて体裁を整えて女に言うわざとらしさとは違うものなのに。
ただそれを説明する言葉がなくて、優はもどかしく思う。本当に特別で、孝一の声だけが聞きたかったこの気持ちはなんと言えばいいのだろう。女という一括りの中で区別もされない彼女達と、孝一という男と。
「ごめんな、こんな時間に」
もう通話を終わらせようとそう言うと、ほんまや、と言葉だけは迷惑そうに返ってきた。改めてこんな時間の電話に応答してくれたのだと実感する。中身のないやりとりに怒るでもなく孝一はただ付き合ってくれていた。
「ゆう」
眠たいからか、呂律の危うい呼ばれ方をした。それが甘く聞こえて鼓膜の震えが全身に伝わるように思えた。
「おやすみ」
孝一の声に泣いてしまいたくなる。こんなに優しい声を出す男だっただろうか。
優は目を伏せ、たっぷり数秒間その言葉の余韻に浸かった。足先まで温かさに包まれるようで心地いい。
「おやすみ、孝一」
自分の発した声も穏やかなものだった。優の方から電話を切り、スマートフォンを手放す。まだ孝一の声が残ってふわふわとした感覚が続いていた。
会いたいと言えばこの休日は一緒に過ごせたかもしれないと思う。話している最中はそれだけで満たされてしまって考えもつかなかった。
おやすみの声だけで温かさをくれるのは孝一だけだから。だから思いつかなかったのだ、きっと。
思考がぼやけてほどけて溶けていく。合間合間に孝一の声が聞こえる気がしてそれを拾い上げるように目を閉じた。まるで抱かれて眠っているような安心感があった。肌と肌の触れ合いでは届かない、深い場所まで満たされている。
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