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第3部

【8】因縁の再会⑱ー2(〜雨降っても地は固まりません!)

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【8】



そんなこんなで今、私は弟達を引き連れて歩いている。暁さんは至急の呼び出しがあって一旦離れて行ってしまった。

なんとなく無言の空気が流れ、二人の前をとぼとぼと歩いていると、肩から下げていたバッグの紐を後ろから引っぱられる。振り返ると康介だ。


「姉ちゃん、その制服今すぐ脱げ、そして持ち主に返せよ」


「え?」


「え? じゃねーよ。知らない他人から簡単に貸し借りなんかすんなよな。なにか問題が起きたら、どーすんだよ? ったく、子供でもそれくらい分かるってぇの」


「問題って、あのねぇ、緋色くんは知り合いだし悪い子じゃないよ! 制服だって私に気を遣って、わざわざ貸してくれたんだよ? それを何でもかんでも悪い様に決めつけないでよね!」


緋色くんの事を悪く言われているようで、カチンときた私は応戦するように弟を睨みつける。


「はぁ? 昨日今日知り合ったヤツだろ? しかも誰だか覚えてもいないヤツの何を信用出来るっーんだよ。少しは警戒心を養えってんだ。 

なのに誘われたからって、のこのこ無関係のパーティに出席するわ、男の着衣借りるわ、呆れて言葉も出てこねーわ」


そう言って人を小馬鹿にしたように顔を伏せて、短いため息を吐く康介。


ーーホントに姉に対して容赦のないボロクソな態度だ。聞いているだけでもムカつくが、悔しいことに康介が言うことは、その殆どが正論なだけに私には打ち負かせるだけの反撃が出来ないでいる。

相手は年下で、しかも弟なのにーー姉の威厳は一体どこにいった??


「た、確かに言われれば、そうかもしれないケド、でも本当に緋色くんは悪い子じゃないから。主催側のお姉さんもすごく良い人だし、短い間でも接していれば良い人か悪い人かなんて大体分かるよ。 

これでもバイトで接客業してるんだから、そこでつちかった直感力で相手が何を考えてるかが、なんとなく分かるというかーー」


と、言い掛けて康介の更に細められたジト目に思わずたじろぐ。


「な、なによ?」


「……自分を知らねーって怖えな。 おめーほど鈍いヤツが他人の思考なんか早々読めるかよ。その培った直感力とやらで今まで役に立った事あんの?」


ーーそういえば……ないな。うん。


「……た、多少は?」


ごもごもと口ごもりながら言うと、康介がとうとう目を瞑ってしまった。

 
ーーくぅぅ、康介め~ 少しばかり賢いからってバカにして! こんにゃろ~~


今度は私が弟をジト目で睨んでいると、その視界に奏が入る。奏は俯きがちに顔を伏せたまま、こちらに視線を向ける事がない。しかも言葉もなく黙ったままの、その様子に急に心配になってきた。


ーーやっぱり気のせいじゃなく、さっきから奏の様子がどこか変なんだよな。昔から奏は気分が落ちると自分の殻に閉じこもる傾向があるから、ここは年上して相談に乗ってあげないとね。


そんな私は康介を完全無視して奏の方に移動した。


「奏? どうしたの? どこか具合でも悪い?」


私が奏の顔を覗き込むと、奏はハッとした様子で、ようやくこちらに視線を向ける。


「え? あ、いや……なんでもないよ。ごめん」


そう言って笑う奏だが、私はダマされないゾ。子どもの頃からの長い付き合いだからこそ分かる、その場しのぎに作った笑顔なのは、お姉さんには、まるっとお見通しなのだよ。


「こら、なんでもないって顔じゃないぞ? 奏はすぐそうやって我慢しちゃうんだから。どうしたの? なにかあるなら話して? 

奏はいつも私に何かあれば相談してって言うでしょ? あれ、そっくり奏にも言えるからね。私じゃ頼りないかもしれないけど、奏の力になりたいのは私だって同じ気持ちなんだから」


すると奏は私から視線を逸して、ぽそりと口を開いた。


「……嫌なんだ」


「え?」


「珠里が他の男の服を着ているのが、すごく嫌だ」


「へっ? これ?」


私が緋色くんの制服を見ると、奏はふいっと顔を背ける。


なんと、原因はこの制服? 私が緋色くんの制服を着ているのが面白くなくて、それで機嫌が悪かったの?

う~ん。そっか、奏って子供の頃は一人っ子だったから独占欲が強くて、いつも私にくっついて康介と張り合って甘えてたっけ。 

でも妹が出来てから、それも無くなったとは思ってたケド、やっぱりお姉ちゃんに構って欲しいのは、いくつになっても変わらないんだな。

んも~こんなことでイジけちゃう奏ってホントに可愛いんだから。康介もこれくらい可愛げがあったら良かったのに、なんで素直な奏と一緒に育ってきて、あんなぶてぶてしい性格になるんだろう?


私は急いで緋色くんの上着を脱いだ。ちょっと肌寒いけど、これくらいならブラウス一枚でも大丈夫だろう。


「ほら、奏。これでいい? 機嫌直して?」


私は緋色くんの制服を腕に抱えて、奏にお伺いを立てるように首を傾げると、すかさず隣の康介から横やりが入る。


「はぁ、俺の時とはエライ態度の違いだな。俺が言えば、あーでもないこーでもないって散々文句垂れるくせに、奏が言えばあっさり応じるとか、差別もいいとこだぜ」
   

そんな不貞腐れる康介に私は鼻で笑う。


「ふん、奏はあんたと違って健気で可愛いからね。普段からぶてぶてしい態度の弟なんかより、可愛い方の弟のお願いなら、なんでも聞いてあげたくなっちゃうものなの。悔しかったら、あんたも態度を改めて可愛くなりなさいな」


「はっ、冗談。 しかも男に可愛いとか気持ち悪りぃんだよ。言っとくけど奏が健気なのは姉ちゃんの前だけだからな? コイツ普段は猫被ってっけど、どーでもいい相手にはマジで態度悪りぃーー」


「康介……」


康介の会話に被せるように、いつもの奏からは想像もつかない低く冷ややかな声が名を呼ぶと、康介はそれ以上、言葉を続けず押し黙ってしまう。


確かに、今の奏の一言は怖かったかも。うん。


康介は一つ咳払いをすると、今の話には触れずに話題を変えてくる。


「んん……ところで姉ちゃんさ、なんで制服なんて借りてんだ? まさか年下脅して無理やりぎ取ったわけじゃねーよな」 


康介といえば康介らしい突拍子も無い無礼な発言に、思わず目を見張る。


「はぁあ? なんで、そんな発想になんのよ。ひとを追い剥ぎか痴漢みたいに。あんた、私をなんだと思ってるワケ?」


「なんだって言われてもな~ ソイツって姉ちゃんの大好きな『春人』そっくりだって言ってただろ? 

だから姉ちゃんの頭ん中で妄想と現実がごっちゃになって、制服借りる口実で無理やり襲い掛かるとか、押し倒すとかの変態行為をやりかねないと心配になったからにーー」


「………………」


「……おい、なんでそこで押し黙る」


康介の言葉に思わず目が泳ぐ。心当たりがありすぎるだけに思い出しただけでも冷や汗ものだ。けれど、あれは完全に不可抗力だ。決して意思を持って押し倒したわけじゃない。

敢えて言い訳をするなら、勢いと重力のなせる業としか言いようがない。だがしかし、果たしてそれを説明して信用してもらえるだろうか? それでなくても私の妄想癖による奇行は二人もよく知っている。


「おい、おい!姉ちゃん!? まさか、ホントに!!」


「珠里!? それって、どういうこと!?」


「ち、違うっ、違うからっ!!」


正面から奏に両腕を掴まれ、横から康介にバッグの紐を引っぱられ、体をブンブンと揺すられる。


ーーひえぇぇ~、首がガクガクするぅぅ、話そうにも揺すられているから舌噛みそうで話せないぃぃ~


「姉ちゃん!! まさか、とうとう犯罪犯しちまったのか!?」


「珠里!!嘘だろ?! 珠里がそんな事するわけないよね!?」


二人に詰め寄られ、これでもかっていうほど前後左右に大きく揺すられて、まるで私の所にだけ大地震が起きてる感覚だ。


ーーこ、これは、震度8ぐらい? 視界がグラグラするよぅぅ~


「ちょ、ちょい待ち! 待ちなさいってばあぁぁ~!!」


私は思いっきり体を捩って二人の揺さぶり攻撃から脱出する。ようやく解放されて、やれやれだ。


あ~まだ、頭がグラングランするわ。


「こんなに揺さぶられたら何も言えないでしょ! 何勘違いしてるのか分かんないけど、この私にそんな男を襲うような大それた真似が本当に出来ると思ってんの!? 

しかもこんな真っ昼間から、こんなに人がいて自分の職場で? 馬鹿も休み休み言いなさいよ! 大体そんな男を襲える度胸があるなら、今頃『乙女ゲー』ユーザーなんてやってないから!」


「ご、ごめん」と奏が申し訳なさそうに誤ってくる。


いや、奏は良いのよ~ たとえ、いくら揺すぶられて首がガクンガクンなっても、頭がクワンクワンして若干吐き気をもよおしても、可愛い奏なら何でも許せちゃうから。


「だよな~ 姉ちゃんがそんな事出来るわけねぇか。いくら似てても所詮現実の男だしな~ しかも色気ゼロの姉ちゃんが迫ったところで、なんの冗談だって、せいぜい笑い飛ばされるのがオチだろ」


ーーぐぬぬっ、康介のヤツ~ だからあんたは可愛くないんだよ! 元はといえば、あんたが疑ったからじゃん。


「はいはい、理解してくれてありがとよ。 だから制服は私がブラウスだけじゃ寒いだろうからって気を遣って貸してくれたの。それに明日の学校行くにも困るだろうからって。 だからご厚意に甘えてお借りしたというか」


「姉ちゃんの制服は? そんなに状態酷いのか?」


「いや、そこまで酷くはないんだけど、染み抜きしても抜けきらない部分があって、それで帰りに駅前のクリーニング屋さんに出そうと思ってて」


すると康介が肩を竦めた。


「姉ちゃん、だからって、わざわざ他人に制服借りなくてもいいんじゃねーか? とりあえず状態酷くねぇなら自分の制服着といて、家に帰ってからクリーニングに出せばいいことだし、ウチの学校は私服OKだろ? だったら明日は私服で学校行けばいいんじゃねーの?」


ーーあ、そうだった。緑峰は私服も可だったんだっけ。でもウチの学校の8割がた制服着用者が多いから、すっかり忘れてたわ。


「で、でもウチの学校の生徒って、ほとんど制服着用してるでしょ? それに私も今まで制服でしか登校した事ないし、いきなり私服登校は抵抗があるというか……」


「んな事気にしてどーすんだ。 別に校則違反でもねーんだし、誰かに言われたら制服クリーニングに出したから私服で来たって、そのまま言えばいいんじゃね?」


「いや、だって、あまり目立つのは好きじゃないし、なんかこう恥ずかしいっていうかさ」


「あのな~恥ずかしいって、姉ちゃんの普段の行動の方がずっと恥ずかしいと思うけどな。 

そういうのは全然平気なのに、なんでたかだか私服で登校するのが恥ずかしいのか、そっちの方がわけ分かんねーな。 それに姉ちゃんが気にするほど周りなんて他人に興味なんかないぜ?」


「そ、それはそうかもしれないけど……」


ーー言われてみれば、確かにそうだ。 自分自身も他人の何かが変わったところで、さほど興味はない。 だけど自分の変化は自分が一番恥ずかしいんだよ! 

そりゃ昔っから康介は、そういうところは気にしないっていうか、元より合理的な性格だからなのか、そういった面では以外に図太かったりもする。


すると奏が口を開いた。


「それなら、俺の制服を貸すよ。 俺は私服でも全然平気だから」


それを聞いて私は首を横に振った。


「それはダメだよ。第一、奏と私じゃサイズが違うから私が着るには、ちょっと大きすぎると思う」


緋色くんは私と身長がさほど変わらないからサイズが大丈夫でも、奏は康介と同じく身長があるので、それでなくても弟の服をたまに借りて着たりもするが、やはり大きいので、それが良くて普段着にしている時もある。


「まあ、そうだな。明らかに男物の制服を着ている方がかえって変に目立つし下世話に勘ぐられるとも限らないから、特に彼氏がいない女はやめておいた方が無難だよな」


「そうそう、だから奏は全然気にしなくていいからね。奏も気を遣ってくれて、ありがとう」


笑って言うと、奏の表情がまだ不安そうだ。


「……でも、その制服だけは珠里に着て欲しくない」


ーーああ、まだ気にしてるのか。 もぉ~奏ったら。


「あはは、着ないから大丈夫。そこまで奏に気にされたら着れないってば。私も身内ならともかく他人の制服を着るのは、さすがにちょっとな~っても思ってたし、

明日はちょうど体育授業もあるからジャージで登校するつもり。私も初めっから、そう言えばよかったよね。心配かけて、ごめんね?」


そう言って奏の腕をポンポンと叩くと、奏は安心したかのように、いつもの優しい王子様スマイルに戻る。

 
うんうん。今度は本当の笑顔だね。 やっぱり奏はこっちの方がカッコイイよ。


すると奏は突然、自分が着ていた白いシャツの上着を脱いだかと思うと、さり気なく私の背後からシャツを肩に掛けた。


「え?」 


「代わりにこれ着てて。ブラウス一枚じゃ、まだ寒いから」


ふわりと優しい柔軟剤の良い香りがする上着に包まれ、その現状にあたふたしてしまう。


「だ、だけど、それだと奏がTシャツ一枚になっちゃうよ? そっちの方が寒いと思う。本当に気にしなくていいよ、私は大丈夫だから」


と、上着を戻そうとするも奏がそれを許さない。


「俺の方は大丈夫。運動部なだけあって、これくらいの寒さなんて大した事ないから。それより珠里の方が寒がりなんだから着てて。 俺に遠慮なんかしなくていから」


「で、でも、ほら、昔っから奏は体調崩しやすいし、これで風邪なんか引いちゃったりでもしたらーー」


「それは子供の頃の話だし、今はバレー部で鍛えられているから逆に丈夫すぎるくらいだよ。俺は珠里が風邪をひく方が心配だから」


なぜか緋色くんに制服を借りるよりも奏に上着を借りる方が、なんとなく素直に受け入れられないでいる。 更に言えば、柔軟剤の優しい香りが妙にこそばゆい感じがして、なんだか落ち着かない。


「わ、私は大丈夫だよ? 私も体は丈夫な方だしさ、やっぱり奏の方がーー」


「……俺の服は嫌?」


ふいに奏が悲しそうな顔をする。 


ーーええっ? ちょっと待って!


「ちが、違うよ、奏! 嫌なんて、そんな事絶対にないから!! ええっと、なんていうか、そのーー」


慌てて奏を傷つけまいと言葉を選ぼうにも上手く言葉に出てこないで焦る私に、横からグイッと片袖を引っ張られた。見れば呆れ顔の康介だ。


「はぁぁ、聞いてらんねぇな。 あのさ姉ちゃん、今更なに遠慮してんだよ。奏は大丈夫だって言ってんだろ。ひとの好意はありがたく受けとけよな。 

それに奏よか姉ちゃんの方が風邪ひく確率断然高けぇし、風邪ひいて俺に移されでもしたら、そっちの方が困るんだよ。だから、つべこべ言わずに大人しく着とけや!」


「わ、わかったってば」


次第に苛々し始めた康介にジロリと睨まれて、私は急いで奏の上着に手を通す。やはり体格差で奏のシャツは少し大きい。


「奏、ありがとう。じゃ、遠慮なく借りるね?」


そんな私の言葉に、奏がニッコリと笑いながら「うん」と嬉しそうに頷いた。


ーーやっぱり奏は素直で可愛いですね。うん。 





【8-続】


 





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