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第二章 三年前
第三王女アニエス
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【16】
母の部屋を後にしてから行く先も決まってはいなかったので取り敢えず城の長い廊下を歩く。特に行きたい所は無いが、ふと窓の外を見ると 城の西側の裏手の方に現在、建設中の建物が目に入る。もう殆ど外観は出来ていて貴族の屋敷規模の建物だ。
その建物は私達母娘が これから住む別邸であり、やはり王妃側の勢力が強い城内で、私達が肩身の狭い思いをしないように 王妃達と居住区を別々にするのだとは聞いてはいるが、その実のところは王妃の実家であるフォルセナ側に配慮した形であるようだ。そんな複雑な事情ではあるが、私達が別邸に移る事は母も私も全くもって不満はなく、寧ろ大歓迎である。
いくら国王が周囲の人間に私達母娘に危害を加える事は「何人たりとも絶対に許さない!」と周知させてはいるものの、それでもやはり態度や言葉の攻撃までは防げない。だから同じ城にいればそんな人間達と嫌でも顔を会わせてしまうが、私達母娘専用の屋敷が出来ればそこには私達しかいないので嫌な顔を見る必要は最小限で無くなるし、何をしていようが他人の視線に晒される事も無くなる。
私は窓辺で建設中の別邸を見つめながらふと、そこまで足を運ぼうと思いついた。本当は建設中の間は危ないので近寄ってはいけないと言われてはいるが、もう外観は殆ど出来上がっている。少しくらい近付いて見ても危ないという事はないだろう。
そう思い立って早速、城の西側に続く出入り門に向かって歩いていた時、その進行方向に見えた前方にいる人物の姿を確認するなり、思わず「ゲッ」と淑女らしからぬ言葉が飛び出してしまう。
………これだから同じ城にいるとこんな風に顔を会わせる事になるから嫌なのだ。
「………チッ、帰ってきていたのか」
これまた淑女らしからぬ舌打ちが飛び出したものの、だからといって引き返すのも 敵前逃亡を意味するのでそれも出来ない。まあ、向こうも私の顔など見たくもないだろうから、いつものように私の存在を無視して立ち去るだろう。ーーそう思っていたのに、どうしてか今日に限って彼女は自分の侍女達を後ろに引き連れて己の方から私の方へと歩いてきた。
どうして?! こっちに来る?
彼女は綺麗に結い上げた縦巻きの金色の髪を揺らし、羽扇で優雅に扇ぎながら こちらに歩いて来ると、私の数歩前で立ち止まった。そしていつもなら眉間に皺を寄せて嫌な物でも見るような表情をするはずなのに、何故か今日に限っては不自然なほどに上機嫌に微笑んでいる。
「あら? ごきげんよう。どうやらご機嫌が直ったというのは本当のようですわね? よろしかったこと。これで城中が平和になりますわーーねえ? あなた達もそう思いますわよねえ?」
彼女は自分の後方の侍女達に声を掛けると、そんな侍女達は大袈裟なほど大きく首を縦に振る。
「ええ、本当によかったですわ」
「私達、恐ろしくて震えておりましたもの」
「ですから私達は王妃様や王女様に同行させて頂いて本当に幸せ者でしたわね。城に残った者達からどれほど羨ましがられた事か」
私への嫌味とも取れる言葉を口々に語る この三人の侍女達は彼女専用の侍女達なので当然、私の事をよく思ってはいない。だから、さすがに直接ではないにしろ、自分達の主が嫌っている私に対して間接的に意地悪な態度を見せるものの、それは自分の主が一緒にいる時だけで、そうでない時は私の姿を見るなりいつもそそくさと物陰に隠れてしまうので、そんな彼女達の意地悪など大して気にもしていない。
「………ごきげんよう。アニエス姉様。お帰りになっていたのには気付かなかったわ。それに姉様の方からお声を掛けて下さるなんて珍しい事もあるものね? 私に何か御用かしら?」
そんな目の前にいる彼女こそ私の腹違いの4歳年上の姉でこの国の第三王女アニエスだ。
ここ最近、父と私の親子喧嘩で城内の雰囲気が悪くなった事もあり、自分達がそのとばっちりを受けないように王妃が自分の娘達を連れてフォルセナに里帰りしていたそうだが、一連の騒動が収まったのを聞いたのかどうやら王妃達親子は国に戻って来ていたらしい。
それにしても、こちらは色々と疲れているというのに、どうしていつものように無視してくれないのだろうか? これがいつもの万全状態ならば嫌味には嫌味で返すところだが、彼女の相手をするには今の私の気分ではますます疲れてしまう。だからここは私が大人になって、彼女の嫌味を適当に聞き流してさっさと立ち去ろう。
内心、そう考えつつ私が愛想笑いを浮かべていると、アニエスはわざとらしく驚く仕草をする。
「まあ、珍しいだなんて。用事がなければ話しかけてはいけませんの? あなたの半分は血統の悪いどこの馬の骨とも知れない血を引いてはいても、もう半分はこの国の王家の血を引く“一応”王族の一員と認められた私の“妹”ですのに」
相変わらず口から出る言葉にはいちいち棘がある。なにが“妹”だ。そんな事これっぽっちも思っていないくせに。
それに普段であれば、私と口を聞くのも汚らわしいと思っている血統至上主義の上流意識の塊のようなプライドの高い彼女が自分の方から私に近付いて話しかけてくる事などあり得ないから珍しいと言ったのだ。しかもその上機嫌が薄気味悪いことこの上ないーーー
「あなたがまだお部屋に閉じ籠っているのではと、丁度お見舞いに行くところでしたのよ? それもあなたときましたら私達がこうして帰国致しましたのに、あなたの母親はともかくとしても私達の“妹”であるあなたが挨拶にも来ないだなんて、まことに非常識ですものね?ですからてっきりあのまま病気にでもなってしまったのかと心配して“姉”である私自らあなたのお見舞いに足を運んだというのに、それが出会った途端、私達の帰国にも「気付かなかった」とか話しかけたら「珍しい、何か用?」だなんて、なんとも薄情な“妹”だこと」
そんな主の言葉に三人の侍女達がまたこぞって声を上げる。
「ああ、アニエス様は本当にお優しい御方ですわ」
「正統なお血筋であられるアニエス様御自ら、わざわざお見舞いに出向かれるなんて、本当にお美しい上に なんとお心のお優しい御方なのでしょう」
「そうですわ。それなのにそんなお優しいアニエス様のお心をお分かり下さらないだなんて、アニエス様、お可哀想に………」
三人の侍女達はそう言って口々にアニエスに同情しているが、それを見ている私の視線はいつも以上に冷ややかだ。
ーーなにが優しい、可哀想なんだ! 今までだって王妃や姉達が何処に外出して帰国しようが、そんな姉達に私が挨拶に出向いた事など一度も無いし、そもそも私達母娘の顔など見たくもない彼女達は普段から私達の存在をはなから無きものとして無視している。それなのに、これ見よがしに“妹”という言葉を使い 私の“心配”などとどの口が言うのだろう。
私はそんな彼女にニッコリと微笑んだ。
「ああ、それは大変失礼致しましたわ。けれど随分と“お静かな”お帰りでしたので全く気付きませんでしたの。ですから今度はお父様の時のように帰国された事が直ぐにでも分かるようにして下されば、その時は是非ともお出迎えさせて頂きますわ。ええ、勿論、花束を持って」
ーーそう、父が戦から戻ってくる時などは、いつでも凱旋パレードで列を成して町中を上げての大騒ぎで帰国して来るので、そんな父が城下に入れば直ぐに帰国が分かるようになっている。しかもその際父はあちこちから花束を貰ってくるので、それを例に踏まえて少し嫌味を含めて言葉にする。
やはり言われっぱなしというのも#面白くはない。………大人になるのは難しい。
するとそんな私の言葉に反応してアニエスの表情がにわかに変わり、眉間に深い皺が寄るもまた直ぐに笑顔になる。
何なんだ? 一体?
「まあ、その様子であればこちらの心配など全くの無用でしたわね? それはそうと今回の事でセルリアのユーリウス王子が呼びつけられたのですってね? 王子もお忙しいのに本当にお気の毒だこと。ーーああ、そうそう。お気の毒といえば、クラウス叔父上も大変お気の毒ですわ。ようやく父上から“愛する女性”との婚姻を許されたというのに、あなたに邪魔をされて破談にされてしまったのですもの。
でもおかしいですわよね? あなたには婚約者がいますのに叔父上の婚姻には反対なさるだなんて。お気の毒に、クラウス叔父上は酷く傷心されていらしゃいましたわ。そのご様子を見ていてお可哀想になるくらいーーー」
その言葉を聞いて私の頭に一気に血が昇る。
「は? 愛する女性ですって!? 何を言っているのよ! あの女はただの幼馴染みで親友の妹ってだけだわ!! それに私は身分違いを正しただけよ! だってそうでしょう? クラウスにアリシア程度の女が相応しいわけがないじゃない!!」
そんな私が捲し立てると、アニエスはさも可笑しそうに声を上げて笑う。
「あはは、“それ”をあなたが言いますの? 笑えますわね。あなたの方こそ、セルリアの王太子とはつり合いが取れてはいないでしょうに。少なくとも あの男爵令嬢の方が、どこかの“中途半端”な王女よりも明らかに血統の正しい貴族ですのにね。アリシア嬢もお気の毒だこと。我儘な“誰か”のせいで、その“誰か”とは違い本当にお体を壊されて ご病気になられてしまわれたのですって。ーーああ、それでクラウス叔父上が毎日のように男爵家に通われているそうですわよ? それはもう甲斐甲斐しくーーー」
え?…………クラウス……が?
「………クラウスが? 毎日アリシアの所に?………そんな事はないわ。だってクラウスは薬学研究の大きな集会があるから、それで忙しいって。だから城には中々来られないって………」
私の中の先ほどまでの勢いも どこかに消え去り、どこからともなく心臓の音だけが大きく聞こえてくる。そしてそんな私にアニエスの容赦のない言葉が降り注ぐ。
「ふふっ、それは大人の建前ですわよ。考えなくとも分かりますでしょう? “愛する女性”が病気になってしまいましたのよ? クラウス叔父上にしてみれば、とても平常ではいられませんことよ? それにその事は貴族の間でも噂になるくらい有名ですのに。あなたはご存知ありませんの?
ああ、それともまた箝口令でもしかれているのかしら? あなたは二人を破談にした当本人ですもの。それともユーリウス王子の来訪に浮かれていて耳に入らなかったのかしら? しかも、クラウス叔父上があなたのお見舞いに来ても追い返したのですってね? 自分の婚約者は迎え入れるのに叔父上の方には酷い仕打ちをした上に、しかも会わずに追い返すだなんて本当に信じられませんわ。なんて非情な姪なのかしら?」
アニエスの言葉がグサグサと自分に突き刺さる。
ーー私のもう一つの悩み。それはクラウスの事だ。
決してクラウスを追い返したくて、追い返したわけではない。ーーただ、彼の顔を見るのが怖かった。彼のその口からアリシアの名前が出るのが怖かった。そして…………何よりも嫌われてしまう事が怖かった。だからクラウスを避けた。
そうやっている内に、今まで自分がどうやって彼に接していたのかも分からなくなって、会う事が出来なくなっていた。だから彼が忙しくなって城には中々来られないという事を聞いて、どこか安心さえしていた。
でもその間、クラウスは毎日アリシアの所に会いに行っていた? 私じゃなくて、彼女の所に?
ーーズキズキと胸が痛い。怒りというよりも悲しいような気持ちが わき上がってくる。
………どうして、こんなに胸が苦しいの?
………どうして、こんなに悲しくなるの?
……どうして、アリシアなの?
……どうして、私の所じゃないの?
もはやアニエス達がそこにいる存在すらも頭には無く、
ーーどうして?
という疑問形の言葉だけが頭の中に反芻する。
………分からない。
………分からない。
自然に涙が込み上げてくるのを俯いてグッと堪えていると、頭の上からアニエスの勝ち誇ったような笑い声が聞こえた。そしてトドメとばかりに、彼女の言葉の凶器の槍が再び私に襲いかかってくる。
「ふふっ、もうクラウス叔父上はあなたに会いに来る事はないのではないかしら? 自分と愛する女性との幸せを壊した酷い人間になど、誰も会いたくなどないですものね。事実、もうずっとクラウス叔父上は城の方にはお顔を出されてはいらっしゃらない様ですし。でもアリシア嬢には毎日会いに行かれているのですって。
ーーああ、きっとあなたは叔父上に嫌われてしまいましたのね。無理もありませんわ。憎まれて当然の事をしたのですもの。でもあなたにはユーリウス王子がいらっしゃるから叔父上の事など関係のない事でしたわね?
まあ、そのユーリウス王子にまで嫌われてしまわない様、精々努力なさる事ですわ。あなたの隠された本性などは いずれ皆にも露見致しましてよ? そしてその内、アリシア嬢のようなご令嬢に王子を取られてしまうかもしれませんわね? ですがそれも自業自得ですわ。人の心まではいくらあなたの我儘でもさすがにどうにも出来ません事よ?」
アニエスは高らかに笑うと、彼女の侍女達もクスクスと一緒に笑っている。
「ああ、そういえば、これはお見舞いですわ。フォルセナの特産物でしてよ? 心配せずとも勿論、毒など入ってはいないので 安心して母娘でお上がりなさいな」
アニエスは侍女達に指示を出すと、侍女の一人が私の前に出てきて持っていたバスケットに被せてある布を開くと、そこには果物がギッシリと詰まっていた。しかし私の目にはその光景が視界に入ってはいるものの、意識の方はそこには向いてはいない。
差し出されたバスケットを受け取らずに立ち尽つくしている私の様子を見て、アニエスは満足そうにクスクスと笑いながら「後でお部屋に届けておきますわね?」ーーと、彼女から言われたような気もするが定かではない。既に私の頭の中は違う意識で占領されていたからだ。
アニエスの言葉が頭の中に響く。
……クラウスに……嫌われた?
ーーアリシアには毎日会いに行くのに 私の方に会いに来ないのは
ーー私が嫌いだから?
ーークラウスが私を憎んでいる?
クラウスとアリシアの幸せを私が壊した
から?
その時、アニエスが口角を上げてニヤリと意味深に笑っていたことにも気付く余裕もなく、上機嫌で去っていくアニエスと侍女達の後ろ姿を茫然としたまま見送った。そして頭の中ではずっと否定していた言葉が反芻し続けている。
………嫌い?………嫌われた?
………もう、私の顔なんて見たくもない?
…………会いたくない?
ーー私よりもアリシアを選ぶの?
【16ー終】
母の部屋を後にしてから行く先も決まってはいなかったので取り敢えず城の長い廊下を歩く。特に行きたい所は無いが、ふと窓の外を見ると 城の西側の裏手の方に現在、建設中の建物が目に入る。もう殆ど外観は出来ていて貴族の屋敷規模の建物だ。
その建物は私達母娘が これから住む別邸であり、やはり王妃側の勢力が強い城内で、私達が肩身の狭い思いをしないように 王妃達と居住区を別々にするのだとは聞いてはいるが、その実のところは王妃の実家であるフォルセナ側に配慮した形であるようだ。そんな複雑な事情ではあるが、私達が別邸に移る事は母も私も全くもって不満はなく、寧ろ大歓迎である。
いくら国王が周囲の人間に私達母娘に危害を加える事は「何人たりとも絶対に許さない!」と周知させてはいるものの、それでもやはり態度や言葉の攻撃までは防げない。だから同じ城にいればそんな人間達と嫌でも顔を会わせてしまうが、私達母娘専用の屋敷が出来ればそこには私達しかいないので嫌な顔を見る必要は最小限で無くなるし、何をしていようが他人の視線に晒される事も無くなる。
私は窓辺で建設中の別邸を見つめながらふと、そこまで足を運ぼうと思いついた。本当は建設中の間は危ないので近寄ってはいけないと言われてはいるが、もう外観は殆ど出来上がっている。少しくらい近付いて見ても危ないという事はないだろう。
そう思い立って早速、城の西側に続く出入り門に向かって歩いていた時、その進行方向に見えた前方にいる人物の姿を確認するなり、思わず「ゲッ」と淑女らしからぬ言葉が飛び出してしまう。
………これだから同じ城にいるとこんな風に顔を会わせる事になるから嫌なのだ。
「………チッ、帰ってきていたのか」
これまた淑女らしからぬ舌打ちが飛び出したものの、だからといって引き返すのも 敵前逃亡を意味するのでそれも出来ない。まあ、向こうも私の顔など見たくもないだろうから、いつものように私の存在を無視して立ち去るだろう。ーーそう思っていたのに、どうしてか今日に限って彼女は自分の侍女達を後ろに引き連れて己の方から私の方へと歩いてきた。
どうして?! こっちに来る?
彼女は綺麗に結い上げた縦巻きの金色の髪を揺らし、羽扇で優雅に扇ぎながら こちらに歩いて来ると、私の数歩前で立ち止まった。そしていつもなら眉間に皺を寄せて嫌な物でも見るような表情をするはずなのに、何故か今日に限っては不自然なほどに上機嫌に微笑んでいる。
「あら? ごきげんよう。どうやらご機嫌が直ったというのは本当のようですわね? よろしかったこと。これで城中が平和になりますわーーねえ? あなた達もそう思いますわよねえ?」
彼女は自分の後方の侍女達に声を掛けると、そんな侍女達は大袈裟なほど大きく首を縦に振る。
「ええ、本当によかったですわ」
「私達、恐ろしくて震えておりましたもの」
「ですから私達は王妃様や王女様に同行させて頂いて本当に幸せ者でしたわね。城に残った者達からどれほど羨ましがられた事か」
私への嫌味とも取れる言葉を口々に語る この三人の侍女達は彼女専用の侍女達なので当然、私の事をよく思ってはいない。だから、さすがに直接ではないにしろ、自分達の主が嫌っている私に対して間接的に意地悪な態度を見せるものの、それは自分の主が一緒にいる時だけで、そうでない時は私の姿を見るなりいつもそそくさと物陰に隠れてしまうので、そんな彼女達の意地悪など大して気にもしていない。
「………ごきげんよう。アニエス姉様。お帰りになっていたのには気付かなかったわ。それに姉様の方からお声を掛けて下さるなんて珍しい事もあるものね? 私に何か御用かしら?」
そんな目の前にいる彼女こそ私の腹違いの4歳年上の姉でこの国の第三王女アニエスだ。
ここ最近、父と私の親子喧嘩で城内の雰囲気が悪くなった事もあり、自分達がそのとばっちりを受けないように王妃が自分の娘達を連れてフォルセナに里帰りしていたそうだが、一連の騒動が収まったのを聞いたのかどうやら王妃達親子は国に戻って来ていたらしい。
それにしても、こちらは色々と疲れているというのに、どうしていつものように無視してくれないのだろうか? これがいつもの万全状態ならば嫌味には嫌味で返すところだが、彼女の相手をするには今の私の気分ではますます疲れてしまう。だからここは私が大人になって、彼女の嫌味を適当に聞き流してさっさと立ち去ろう。
内心、そう考えつつ私が愛想笑いを浮かべていると、アニエスはわざとらしく驚く仕草をする。
「まあ、珍しいだなんて。用事がなければ話しかけてはいけませんの? あなたの半分は血統の悪いどこの馬の骨とも知れない血を引いてはいても、もう半分はこの国の王家の血を引く“一応”王族の一員と認められた私の“妹”ですのに」
相変わらず口から出る言葉にはいちいち棘がある。なにが“妹”だ。そんな事これっぽっちも思っていないくせに。
それに普段であれば、私と口を聞くのも汚らわしいと思っている血統至上主義の上流意識の塊のようなプライドの高い彼女が自分の方から私に近付いて話しかけてくる事などあり得ないから珍しいと言ったのだ。しかもその上機嫌が薄気味悪いことこの上ないーーー
「あなたがまだお部屋に閉じ籠っているのではと、丁度お見舞いに行くところでしたのよ? それもあなたときましたら私達がこうして帰国致しましたのに、あなたの母親はともかくとしても私達の“妹”であるあなたが挨拶にも来ないだなんて、まことに非常識ですものね?ですからてっきりあのまま病気にでもなってしまったのかと心配して“姉”である私自らあなたのお見舞いに足を運んだというのに、それが出会った途端、私達の帰国にも「気付かなかった」とか話しかけたら「珍しい、何か用?」だなんて、なんとも薄情な“妹”だこと」
そんな主の言葉に三人の侍女達がまたこぞって声を上げる。
「ああ、アニエス様は本当にお優しい御方ですわ」
「正統なお血筋であられるアニエス様御自ら、わざわざお見舞いに出向かれるなんて、本当にお美しい上に なんとお心のお優しい御方なのでしょう」
「そうですわ。それなのにそんなお優しいアニエス様のお心をお分かり下さらないだなんて、アニエス様、お可哀想に………」
三人の侍女達はそう言って口々にアニエスに同情しているが、それを見ている私の視線はいつも以上に冷ややかだ。
ーーなにが優しい、可哀想なんだ! 今までだって王妃や姉達が何処に外出して帰国しようが、そんな姉達に私が挨拶に出向いた事など一度も無いし、そもそも私達母娘の顔など見たくもない彼女達は普段から私達の存在をはなから無きものとして無視している。それなのに、これ見よがしに“妹”という言葉を使い 私の“心配”などとどの口が言うのだろう。
私はそんな彼女にニッコリと微笑んだ。
「ああ、それは大変失礼致しましたわ。けれど随分と“お静かな”お帰りでしたので全く気付きませんでしたの。ですから今度はお父様の時のように帰国された事が直ぐにでも分かるようにして下されば、その時は是非ともお出迎えさせて頂きますわ。ええ、勿論、花束を持って」
ーーそう、父が戦から戻ってくる時などは、いつでも凱旋パレードで列を成して町中を上げての大騒ぎで帰国して来るので、そんな父が城下に入れば直ぐに帰国が分かるようになっている。しかもその際父はあちこちから花束を貰ってくるので、それを例に踏まえて少し嫌味を含めて言葉にする。
やはり言われっぱなしというのも#面白くはない。………大人になるのは難しい。
するとそんな私の言葉に反応してアニエスの表情がにわかに変わり、眉間に深い皺が寄るもまた直ぐに笑顔になる。
何なんだ? 一体?
「まあ、その様子であればこちらの心配など全くの無用でしたわね? それはそうと今回の事でセルリアのユーリウス王子が呼びつけられたのですってね? 王子もお忙しいのに本当にお気の毒だこと。ーーああ、そうそう。お気の毒といえば、クラウス叔父上も大変お気の毒ですわ。ようやく父上から“愛する女性”との婚姻を許されたというのに、あなたに邪魔をされて破談にされてしまったのですもの。
でもおかしいですわよね? あなたには婚約者がいますのに叔父上の婚姻には反対なさるだなんて。お気の毒に、クラウス叔父上は酷く傷心されていらしゃいましたわ。そのご様子を見ていてお可哀想になるくらいーーー」
その言葉を聞いて私の頭に一気に血が昇る。
「は? 愛する女性ですって!? 何を言っているのよ! あの女はただの幼馴染みで親友の妹ってだけだわ!! それに私は身分違いを正しただけよ! だってそうでしょう? クラウスにアリシア程度の女が相応しいわけがないじゃない!!」
そんな私が捲し立てると、アニエスはさも可笑しそうに声を上げて笑う。
「あはは、“それ”をあなたが言いますの? 笑えますわね。あなたの方こそ、セルリアの王太子とはつり合いが取れてはいないでしょうに。少なくとも あの男爵令嬢の方が、どこかの“中途半端”な王女よりも明らかに血統の正しい貴族ですのにね。アリシア嬢もお気の毒だこと。我儘な“誰か”のせいで、その“誰か”とは違い本当にお体を壊されて ご病気になられてしまわれたのですって。ーーああ、それでクラウス叔父上が毎日のように男爵家に通われているそうですわよ? それはもう甲斐甲斐しくーーー」
え?…………クラウス……が?
「………クラウスが? 毎日アリシアの所に?………そんな事はないわ。だってクラウスは薬学研究の大きな集会があるから、それで忙しいって。だから城には中々来られないって………」
私の中の先ほどまでの勢いも どこかに消え去り、どこからともなく心臓の音だけが大きく聞こえてくる。そしてそんな私にアニエスの容赦のない言葉が降り注ぐ。
「ふふっ、それは大人の建前ですわよ。考えなくとも分かりますでしょう? “愛する女性”が病気になってしまいましたのよ? クラウス叔父上にしてみれば、とても平常ではいられませんことよ? それにその事は貴族の間でも噂になるくらい有名ですのに。あなたはご存知ありませんの?
ああ、それともまた箝口令でもしかれているのかしら? あなたは二人を破談にした当本人ですもの。それともユーリウス王子の来訪に浮かれていて耳に入らなかったのかしら? しかも、クラウス叔父上があなたのお見舞いに来ても追い返したのですってね? 自分の婚約者は迎え入れるのに叔父上の方には酷い仕打ちをした上に、しかも会わずに追い返すだなんて本当に信じられませんわ。なんて非情な姪なのかしら?」
アニエスの言葉がグサグサと自分に突き刺さる。
ーー私のもう一つの悩み。それはクラウスの事だ。
決してクラウスを追い返したくて、追い返したわけではない。ーーただ、彼の顔を見るのが怖かった。彼のその口からアリシアの名前が出るのが怖かった。そして…………何よりも嫌われてしまう事が怖かった。だからクラウスを避けた。
そうやっている内に、今まで自分がどうやって彼に接していたのかも分からなくなって、会う事が出来なくなっていた。だから彼が忙しくなって城には中々来られないという事を聞いて、どこか安心さえしていた。
でもその間、クラウスは毎日アリシアの所に会いに行っていた? 私じゃなくて、彼女の所に?
ーーズキズキと胸が痛い。怒りというよりも悲しいような気持ちが わき上がってくる。
………どうして、こんなに胸が苦しいの?
………どうして、こんなに悲しくなるの?
……どうして、アリシアなの?
……どうして、私の所じゃないの?
もはやアニエス達がそこにいる存在すらも頭には無く、
ーーどうして?
という疑問形の言葉だけが頭の中に反芻する。
………分からない。
………分からない。
自然に涙が込み上げてくるのを俯いてグッと堪えていると、頭の上からアニエスの勝ち誇ったような笑い声が聞こえた。そしてトドメとばかりに、彼女の言葉の凶器の槍が再び私に襲いかかってくる。
「ふふっ、もうクラウス叔父上はあなたに会いに来る事はないのではないかしら? 自分と愛する女性との幸せを壊した酷い人間になど、誰も会いたくなどないですものね。事実、もうずっとクラウス叔父上は城の方にはお顔を出されてはいらっしゃらない様ですし。でもアリシア嬢には毎日会いに行かれているのですって。
ーーああ、きっとあなたは叔父上に嫌われてしまいましたのね。無理もありませんわ。憎まれて当然の事をしたのですもの。でもあなたにはユーリウス王子がいらっしゃるから叔父上の事など関係のない事でしたわね?
まあ、そのユーリウス王子にまで嫌われてしまわない様、精々努力なさる事ですわ。あなたの隠された本性などは いずれ皆にも露見致しましてよ? そしてその内、アリシア嬢のようなご令嬢に王子を取られてしまうかもしれませんわね? ですがそれも自業自得ですわ。人の心まではいくらあなたの我儘でもさすがにどうにも出来ません事よ?」
アニエスは高らかに笑うと、彼女の侍女達もクスクスと一緒に笑っている。
「ああ、そういえば、これはお見舞いですわ。フォルセナの特産物でしてよ? 心配せずとも勿論、毒など入ってはいないので 安心して母娘でお上がりなさいな」
アニエスは侍女達に指示を出すと、侍女の一人が私の前に出てきて持っていたバスケットに被せてある布を開くと、そこには果物がギッシリと詰まっていた。しかし私の目にはその光景が視界に入ってはいるものの、意識の方はそこには向いてはいない。
差し出されたバスケットを受け取らずに立ち尽つくしている私の様子を見て、アニエスは満足そうにクスクスと笑いながら「後でお部屋に届けておきますわね?」ーーと、彼女から言われたような気もするが定かではない。既に私の頭の中は違う意識で占領されていたからだ。
アニエスの言葉が頭の中に響く。
……クラウスに……嫌われた?
ーーアリシアには毎日会いに行くのに 私の方に会いに来ないのは
ーー私が嫌いだから?
ーークラウスが私を憎んでいる?
クラウスとアリシアの幸せを私が壊した
から?
その時、アニエスが口角を上げてニヤリと意味深に笑っていたことにも気付く余裕もなく、上機嫌で去っていくアニエスと侍女達の後ろ姿を茫然としたまま見送った。そして頭の中ではずっと否定していた言葉が反芻し続けている。
………嫌い?………嫌われた?
………もう、私の顔なんて見たくもない?
…………会いたくない?
ーー私よりもアリシアを選ぶの?
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