もふけもわふーらいふ!

夜狐紺

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第一章 お屋敷編

第四十四話 読み聞かせ作戦! 上

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 俺は本棚から一冊の本を抜き出して、音を立てずにそっと座椅子に戻る。
「あれ? 本を戻してしまったのですか?」
「もっと、じっくり読んだらいいのに……」
 あぐらをかいて腰を下ろすと、障子の向こうから聞こえてくるのは、白狐の双子――都季とき灯詠ひよみの二人の声。
 俺が立ち上がって本棚に近寄ったことは、すぐに察したらしい。
 今二人の居る縁側からだと、俺の中の様子は分からないはずなのに。それに本棚は障子からは十分離れた位置に有る。つまり俺の影が障子に映った、と言う訳でも無さそうだ。
 狐だからか、やっぱり耳が良いんだろうな。なんて思いながら、俺は膝の上に置いてある一冊の本に視線を落とした。
 さて、と……。
「今度は、寝る体制に入ったのですね、都季」
「寝ぼすけさん……」
 俺が静かになって少し経ったからか、そんな子狐達のひそひそ話が聞こえ始める。大方寝っ転がっているとでも勘違いしたんだろう。
「どうしますか? 都季? 眠られるとつまらないのです」
「部屋には、入れない……」
「また、折り紙の術を使いますか?」
「でも、あんまり作り過ぎるとなくなっちゃう」
「うー、確かにそれはもったいないのです。どうしてやりましょう?」
 外からはそんな会話が聞こえてくる。散々貴重な読書タイムを妨害しておいて、俺が寝てても起こそうとするなんて、中々酷い奴らだな……。だけど、一つだけはっきりしたことが有る。
 子狐達を捕まえにこの部屋から出るのは、何となく負けな気がするのと同じで、子狐達の方も――。
 確信しながら俺は、ハードカバーの本の表紙をそっと開く。
 それなら、きっと、この策――子狐達に軽くしっぺ返しを喰らわせられる方法――は上手くいくはずだ。
 静かに息を吸って。ぱらっと、更にページをめくって……。
「――こんこんきつねのお里には、たくさんのこぎつねたちが仲良く、楽しくくらしています」
「「……?」」
 ゆっくりと読み始めると。途端に、障子に映る二人のシルエットのしっぽが、ぴくっと反応する。
「白いお花のかみかざりを付けた、この女の子の名前はさくちゃんです。とっても元気な咲ちゃんは、いつもお外を明るく走り回っています」
「え、絵本なんて、子供っぽいのです!」
「も、もう、卒業した……」
 子狐達の抗議の声がする。だけど、そのしっぽは反対に、そわそわと動いていて……『早く読んでくれ』と、催促しているのが面白いぐらいに明らかだ。
 正確に言えば、俺が今読んでいるのは絵本じゃなくて、絵と文章の分量が半々ぐらいの、子供向けに書かれたやや長めのお話だ。
 基本的には右側のページに色の付いたイラストが、左側のページに文字が刷られている。時々、左右のページにまたがる大きな挿絵が有ったりとか。
 ページ数は絵本よりももっと多いけれど、その分文字は大きめだ。
 タイトルは、「さくちゃんと空のこぎつね」。
 そして、作者は……「筆壱」さんと、「いにいに」さん。
 何と、今俺が読んでいるこの世界のライトノベル、「もっふるさん、風に舞う」と同じ人達によって作られた作品だった。表紙をちらっと覗いてみれば、確かに「おはなし:筆壱ふでいち 絵:いにいに」と書かれている。
 俺も実際、手に取って座椅子に座ってから気付いたけれど……よく見てみると、柔らかなタッチでとにかくかわいらしい画風は確かに、いにいにさんのものだった。ライトノベルの時とはまた違った、クレヨンをぼかした様な線と、パステル調の淡い色遣いが文章の雰囲気とぴったり合っている。主人公の、子狐の咲ちゃんのしっぽも、とてもふわふわとしていて暖かそうだった。
 ……とにかく。かかったな。俺は子狐達の言葉に特に反応せずに、ただ続きを読み進める。
「春と夏の間ぐらいの、すずしいある日のことでした。里のこぎつねたちが集まって、かくれんぼをしようという話になりました」「鬼が決まるとみんな、いちもくさんに走ってにげていきます。かくれんぼが大好きな咲ちゃんが、村の外れの神社の神木のかげにかくれていると――」「『きゃっ!』大きなおけをひっくりかえしたぐらいの、ざーざー雨がふり始めて、咲ちゃんはあわててお堂に入りました」
 ページをめくってみれば、お堂の中で不安げに雨模様を見つめる咲ちゃんが描かれている。
 その表情から、素直な良い子だということがはっきりと伝わってくる。……あの悪戯子狐達とは違って。
「ですが、ここでじーっとしていられる咲ちゃんじゃありません。早速、だれもいないお堂の中を、探検してみることにしました。すると――」
「すると、どうしたの……?」
「だ、駄目なのです、都季!」
 都季が障子を開けようとして、灯詠が慌ててそれを止める。
「ここを開けたら私達の負けなのです!」
「そ、そうだった……」
 思った通り。この部屋から出れば俺の負けなのと同じ様に……この部屋に入ったらその時点で、今度はこ狐達の負け。そんなルールが、子狐達の間でいつのまにか出来上っていたのだ。
「『あれっ?』咲ちゃんはお堂のすみっこで、ひざをかかえて座っている一人のこぎつねを見つけたのです。年は、咲ちゃんと同じ、7才ぐらいでしょうか。いずれにしても、咲ちゃんが初めて見るこぎつねでした」
 抑揚を付けて読み聞かせるのは結構難しくて……ちょっとだけ、恥ずかしい。
 でも、何だか、これはこれで楽しいかもしれないな……。
「『あなた、だれ?』と、咲ちゃんが声をかけてみると、そのこぎつねはゆっくりと顔を上げました。『わあ……!』そして、こぎつねと目が合った咲ちゃんは、思わずしっぽをゆらりとゆらしました。なぜなら――」
 何故なら? 
「『きれいな色!』そのこぎつねの毛の色が、黄色でもない、ぎん色でもない、くろでも白でもない、水色だったからです!」
 ページをめくってみるとそこに居たのは、暗いお堂の中に座るまるで空の様に綺麗な水色の狐だった。
「「えっ……?」」
 障子の外からも、都季と灯詠の驚いた声が重なった。見ればしっぽも膨らんでいて。
 もうすっかり、お話の中に引き込まれてしまっている。……それでいい。 
「それから咲ちゃんが、水色のこぎつねに近付くと――『ぼく、空の子なの』という、小さなおへんじが有りました。『空の子?』『うん。だけど、本当の名前はだれも知らないの……。それに、自分のおうちも分からない……』と、水色の狐は泣きそうな顔でうつむいてしまいました」
「空の子……初めて、聞くのです」
「不思議な名前」
 そして障子に映る二つの影は、無言で顔を見合わせて。 
「「…………」」
 それから二人とも、ぺたん、とその場に座った。
「……油断は禁物ですよ、都季」
「……分かった……いつでも、反撃できる様に……」
「……ええ、準備しておかないといけません」
「……分かってる……」
 そんなひそひそ話は、ちゃんとこっちに聞こえてきている。
 ……よしよし。順調に喰いついてるな。と、内心で俺は笑う。
 ――子狐達に、読み聞かせをすること。
 それこそが、ここから一歩も出ないで、騒がしい子狐達にしっぺ返しを喰らわせられる策だった。
 勿論、このまま普通に読み終えてあげる訳じゃない。
 わざと途中、続きが気になる場面で、ぴたっと読み進めるのを止めてしまうつもりなのだ。
 そして目を閉じて、がっくりとうなだれて、座椅子に座って本を開いたまま寝落ちしてしまった振りをする。すると、夢中になっている子狐達は続きを読めと俺に催促するために、すぐにこっちの部屋に入って来るに違いない。
 で、眠っている俺を起こそうと、何らかの悪戯を仕掛けようとした瞬間に――。
 突然。俺は目を開けて立ち上がって。驚いてすぐに反応できなくなっている子狐達を捕まえる――と、こんな感じの作戦。実は怖がりの二人なら、まんまと引っ掛かってくれるに違いない。
 それにこの方法なら、子狐達を俺の部屋に自分から入って来させることもできるので、一石二鳥だ。
 非常に単純な、本来なら作戦と言うのもはばかられる様な悪戯なのだが……都季と灯詠に一杯喰わせるには、このぐらいで丁度良いだろう。
 改めて、小さい子供相手に自分でも滅茶苦茶大人気ないとは思うけど……。そういうのはもう今は気にしない方向で行こう、うん。
 休日の貴重な読書タイムを邪魔されたお返しを、きっちりとしなければ。くくく……楽しみだ。
「すると、咲ちゃんは空の子に――」
 そして水色の子狐――空の子は、自分の故郷の場所が分かるまで、咲ちゃんの家で一緒に暮らすようになった。最初は空の子を怖がっていた村の人達とも、段々と打ち解けて仲良くなっていく。
 手掛かりは中々見つからないけれど、狐の里の楽しい日常が続いていく――。
「あっ、それはダメなのです、咲!」
「……とっても……おいしそう……」
 都季と灯詠は俺の行動を疑りながらも、お話の内容をしっかり聞いていて。
 その場面場面に応じて、登場人物に共感したり、忠告したり、色んな反応が返って来た。
「あっ、そうだ、油断は駄目なのですよ、都季……!」
「大丈夫、そこはばっちり……」
 時折、我に返った様に首を横に振って、再びこっちの動きを警戒したりして。
 だけどちょっとしたらまた、話に引き込まれたりしていて。二人が飽きない様に、音読の調子を変えてみたりしながら進めていく。
 ――そして、空の子が村に来てから丁度一年になる、ある日。夜、ふと目を覚ました咲ちゃんは、布団の中に空の子が居ないことに気が付いた。村中を探し回っても空の子が見つからなかった咲ちゃんは――。
「――咲ちゃんは、こわいのをがまんして、今度はまっくらな夜の山の中に、入ることにしました。いつもは色んな音でにぎやかな山は、やけにひっそりとして静かで、空気もひんやりとしていました……」
 文の雰囲気に合わせて、真っ黒な闇の中に咲ちゃんの小さな背中が見えるという、寂しげなイラストが描かれている。俺も声を落として、不安な雰囲気を作り出そうとした。
「「……」」
 障子の向こうの子狐達は静まり返っている。しっぽが垂れていて、ちょっと怖がっている様だ。
 ――よし、この辺で良いだろう。怖い上に続きが気になる場面だし、ぴったりだ。
「…………」
 読むのを止めて俯いて、本を閉じずに、あたかも寝落ちしてしまったかの様なポーズを取る。そのまま動かずに待機。うっすらと目を開けて、都季と灯詠の反応を伺う。
「「……?」」
 しばらくすると、二人は異変に気付いたらしく。大きな狐耳がぴくっと動く。
「景、返事をするのです」
「続きは……?」
 当然答えない。ただ、待つ、ひたすら待つ。
「……どうしちゃったのですかね、景は……」
「…………もしかして、……」
「……。やっぱり都季も、そう思いますか」
「……きっと、そうに違いない、はず」
 今までよりも一層小さなひそひそ話。
「「…………」」
 しばらくしてから、ふと、お互いに顔を見て、こくりと頷き合って。
 すすす……と、障子の開く音に、慌てて俺は目を閉じる。
 二人がそっと畳を踏む、かすかな足音が聞えてくる。
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