忌み子と騎士のいるところ

春Q

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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」

40.大風のあと

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 大風は二日後に止んだ。戸を開き、濡れた草を踏んだルカは驚いた。高い天は晴れ晴れと洗い流されて真新しい。

 ルカは「すごい」と言った。

「海の向こうがまん丸で……あ、あれっ、空との境目がない……!?」

 見るところが多すぎ、自分の尾を追いかける犬かのように体が回ってしまう。ジェイルは「落ち着け」とルカの頭を押さえた。被っていた布がずれ、髪があらわになる。蔵にこもる間に切り揃えてもらった髪は、今とても短かった。柔らかい猫っ毛は重さがないぶん長い時よりもいっそうポワポワと巻いてしまう。

「…………」

 ジェイルは布がずれるのも気にせず髪を撫でてくる。(気にしておられるのだ)と思ったルカは努めて明るく言った。

「こうして布で隠すのは楽になりました」

「ああ……」

「そのうちに伸びますからご心配には及びません。……あまり修道士らしくないので、ジェイル様にはしばらくお目汚しかもしれませんけれど」

「いや……」

 ルカが布を被りなおすと、ジェイルの手は行き場をなくして宙を浮いた。自分で自分の右手をおさえ「見ると手が、勝手に……」と言う。ルカはきょとんとした。うさぎのしっぽみたいだ、とは再三言われたが、まさかジェイルがうさぎのその部位に執着するはずもないと思った。

 二人の近くで青い騎士たちは「ああ、やれやれ」と渋い顔をしていた。彼らにとって大風は束の間の休暇だった。過ぎ去ったからには壊れた屋根や塀、水浸しの町と向き合わなければならない。

 オリノコはパンと両手を打ち鳴らした。

「……はい。じゃ、とりあえずここで解散ね。僕はいったん屋敷の様子を見に戻る。各々、他の蔵の様子を見つつ、ゆっくり持ち場に戻ればいいから。それじゃあ」

「オリノコ様!」

 ルカは、領主が帝国行の船を出す話を忘れてはいなかった。蔵にいる間も何度となく尋ねたのだが、オリノコはこの追及を巧みに避けていた。ルカはオリノコに澄み切ったまなざしを注いだ。

「どうか心を開いてください。すべてはあなたが望んだ通りになりました。あなたは私を緑の民に引き渡し、ジェイル様に助けさせた。バミユールとその仲間はことごとく滅び、今、船出を阻む者は誰もいません」

「あー、いやー、うーん……そうねえ……」

 オリノコは口ごもりながら、ジェイルに目でぱちぱちと合図した。

 ジェイルは苦虫を噛み潰したような顔になる。

「おまえが俺に助けを求められる立場だと?」

「えぇーっ、なんてことを言うんだ。僕らは一緒に戦ったじゃない」

「どんな神経でそのセリフ吐いてんだ!? その二枚舌ひっこぬいてやろうかッ」

 怒ったジェイルがオリノコの胸倉を掴む。接近する二人の間に挟まれてルカは困惑した。ルカの頭上で、オリノコはジェイルにぼそぼそと話した。

「シッ、ジェイル君の考えはわかっている。君は別に帝国に行きたいわけじゃないんだろ? ただ護衛を任されたからくっついてきただけだ」

「……あ!?」

「船を出さずに済むんだったら、僕は君たちにいいところを紹介してあげよう」

「てめえ、何をわけのわからないことを……」

「海沿いの揉み屋……」

 ルカが止める間もなかった。ジェイルはオリノコを殴り飛ばした。

「余計なお世話だ! 死ね!!」

 しかし二人は、その揉み屋で数日足止めを食うことになった。オリノコははじめ『大事なことだから落ち着いた場所でゆっくり話そう』と言って二人をそこへ連れて行き、最終的には『いろいろ準備してからまた来るネッ』と言い訳して領主の屋敷へ逃げ帰った。寄せては返す波のような手の平返しに、ルカは唖然とした。

「せんせは、いつもそうなのよ」

 二人を出迎えたアシャギはため息をついた。竪琴を胸に抱く彼女に、ルカは不思議な親近感を覚えた。なんだか夢の中で会ったことがあるような気がするのだ。自分の来し方を話す彼女は物憂げだった。

「……もう高潮で沈んでしまったけれど、あたしのいた村には宝物があってね。それに触ったせいでこんな目になってしまったの」

「えっ……」

「見えないからって色々とひどい目にもあったわ。せんせはそこを助けてくれて……でも、結局は扱いかねたんでしょうね。ここへ放り出したの。そのくせ悪びれもせず遊びに来るんだから、ひどいひとよ」

 身を助けるために揉みの技を身に着け、楽器を覚えたのだと言う。

「でもあたし、あなたにはそんな思いしてほしくない。なんとかしないと」

「!?」

 アシャギはルカが揉み師にされると思っているらしい。それは見えない彼女の一人合点としても、その話しぶりにルカは驚いた。まだ会って二度目だというのに、長年の友達であるかのように言うのだ。そしてルカも彼女からそんなふうに扱われるのが嫌ではない。むしろ嬉しかった。

 しかしジェイルはとても嫌がった。アシャギがルカに寄りかかろうとすると、即座にルカを抱き上げて「一体なんなんだおまえは」と怒る。

「オリノコに何を命じられたかは知らんが、この修道士に色仕掛けが通じると思うな」

「違う。あたしはこの子の味方よ!」

 アシャギは床を叩いて訴えた。ジェイルは決して彼女に気を許さなかったが、ルカにはアシャギが嘘をついているようには見えなかった。

 宿泊するあいだ、彼女はまるで部屋付きの侍女かのようにルカに仕えた。不思議な勘が働くらしく、見えないというのに掃除をし、食膳を運ぶ。他の揉み師が営業に来ても『あたしがせんせに頼まれたのよ』と言ってことごとく追い払う。それでいてルカが夜の祈りを済ませると、ぷいと部屋を出て行く。まるで揉み師らしくないふるまいをジェイルは訝しんでいたが、ルカはとても恥ずかしかった。夜、寝床だけ支度して二人きりにされるのが、なんだかとても気を遣われていると思ったからだ。

 事態が動いたことにはじめに気づいたのはジェイルだった。朝、窓の外を見ていた彼は「あっ?」と声を上げた。呼ばれたルカは彼と一緒に外を覗いた。すぐ前の坂を、黒い軍旗がはためくのが見えた。
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