忌み子と騎士のいるところ

春Q

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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」

33.大風

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 夕間暮れ、ダイバ沿岸に鉄鐘が鳴り響く。

 市場の商人たちは続々と日よけを畳み、売り場を片付け出す。道にはどこからか飛んできた木板が転がる。港の船はしっかりと碇を下ろし、互いを縄で結び合った。

 領民は地区ごとに声をかけあい、蔵への避難を開始する。最後まで残るのは青い騎士だ。人数を数え、各家に鍵がかかっていることを確かめる。天災にかこつけて空き巣をもくろむ犯罪者は多い。抑止のため、また、風雨から身を守るために武装していた。

 海岸から遠い地域も安心はできない。

 アドルファスは育った苗を鉢へ移し、屋内へ運び込んだ。アガタたちが手伝おうとしても「触れるな」と言って聞かない。「なんという頑固じじいだろう」と、アガタは思っても口には出さなかった。窓のそばに立ち、降り止まない雨を睨み据える。

 大風の到来はダイバにつきものだ。だが今年は例年に比べて早い。アガタは自分がオリノコの手中にいる気がしてならなかった。忌み子と騎士を投げ込んで日和見主義の領地を攪乱するはずが、かえって彼らが手駒のように扱われているのはどういうわけだろう?

 アーチ型の窓の格子が足元に影を作っている。それが鳥かごのように見え、アガタは歯噛みした。

 アドルファスをベルマインのもとへ送り届ければラウムはいっそうの力を得る。国土を分割した後、タジボルグ帝国の庇護を受け、ルテニア王国は新生する。そこに忌み子の姿はない。穢れた騎士に殺されると運命づけられているからだ。

 アガタは騎士だ。主人の望みを叶えることを喜びとする。だから、窓の外に降り注ぐ雨をルカの涙のように思うのは気の迷いだ。窓を叩くか細い風の音は彼が助けを求める声では、ない。

(……私はあの修道士を追い込むことで女神を試せると思っていたが)

 今はどうだろう。かえって女神に試されているのではないか。ひとりため息をつく彼女の胸に、ルカの言葉が去来していた。『女神様のなさることに良いも悪いもないのです』と言う。

『ただ私たちには、女神様の深いお考えがわからないだけ』

 領主に裏切られ緑の民に囚われたルカが、今も同じ気持ちでいるとはアガタには到底思えなかった。

◇◇◇

 ルカは、二度目は逃れられなかった。

 海から上がり、砂と潮にまみれた体を真水で清めた。拭き上げた全身に、再び緑色の図柄をくまなく描き込まれる。昼間と違い、筆を握ったのは老女ではなくバミユールだった。

「んぐぅ……ふぐぅうぅ……!」

止まる。動かない豁「縺セ繧九?ょ虚縺九↑縺

 拘束具を増やされていた。目隠しに口枷、さらには四肢を鎖で繋がれている。ルカは自分が何をされているのかもわからず、目隠しを涙に濡らしながらびくびくと肌を震わせていた。

 ようやく筆先が離れホッとしたのもつかの間、今度は拘束具の上から服を着付けられる。目隠しを外されたルカは言葉をなくした。描き入れられた緑の紋様が透けるような薄衣だ。

(ジェイル様に、こういう服は着るなと言われているのに……!)

 説明しても聞き入れてもらえない。そこに女たちがどっと押しかけてきて、花や貝殻でルカを飾り立てはじめた。

 最終的には、何やら香の焚きしめられた小屋に押し込まれる。苔が敷き詰められた柔らかい床は、寝床だろうか。外からは風雨の音に混じり歌い踊る声が聞こえてきた。ルカははじめ恐怖していたが、そのうちあることに気がついて落ち着きを取り戻した。

(これは、お母様の歌っていた歌だ)

 ルカは壁に耳を当て、独特な節回しに聞き入った。目を閉じると本当に母が歌っているように聞こえた。幼いルカを膝に抱き、優しく口ずさんだ歌。陰口の絶えない王城で声を張り上げて歌った歌。父のそばで、とろけるような声でささやいた歌。

(……オリノコ様は、まるで二人がたくらみをもって結ばれたかのように言っていたけれど)

 絶対に違う、とルカは思う。両親は愛し合っていた。話をしているとき父はいつも母の手を撫でさすった。たいがい母の膝にいたルカは、自分のお腹を守っている手をひとつとられて、子ども心にムッとしていたのだ。小さな手で防ごうとすると、父は笑ってルカを自分の腕に引き取った。王の懐のなんと広かったことか。幼いルカはよくそこで眠り、母の胸で目覚めた。たとえ短い間だったとしても、生まれた時からそういう居場所を与えてもらえたことは類稀なる幸運だったと思う。

 小屋に満ちた不思議な香りが鼻をくすぐる。ルカはひどくジェイルを恋しく思った。貧民窟に生まれ、親を知らず女神も知らない彼を強く抱きしめたい。

「ふ……、ん……」

 塗りつけられた染料のせいか、肌がむず痒い。ルカは非常に強い睡魔に襲われた。

◇◇◇

 豪雨の打ち付けるなか、物見台で黒い影が揺れた。見張りに立っていた民はうつ伏せに倒れている。

 ジェイルは耳に小型の雷鳴石を入れていた。本来は祭具として用いられる品が、この戦時下では騎士たちの通信機として用いられる。しかし雨による雑音が耳を疲れさせる。ジェイルはだるそうに首を鳴らした。

 眼下に緑の民の集落を見据え、嘆息する。

「……まったく、世話の焼ける修道士だ」
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