忌み子と騎士のいるところ

春Q

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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」

27.鮮緑の瞳

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 アシャギの奏でる旋律はさざ波を思わせた。柔らかくうねりながら砂浜に手を伸ばしては、大きな力に引き戻される。『おいで』、『来て』、と呼ぶ音色につられて、心なしか外の波も高くなって見える。青くぼんやりと光る沖を、隣の揉み師が「魚の群れが光っているんです」と説明した。

「魚たちは、大きな月の真下でお見合いをします。……人間と同じですね」

「…………」

 揉み師として客を口説いているのだ。ルカはそっと身をひき、拒否を示した。

 もう一人の揉み師は、上裸でオリノコの肩を揉んでいた。たまに二人でこそこそ話しているのは、布団に行くかどうかの駆け引きをしているらしい。ルカは早く行ってほしかった。身の安全のためにも今夜は寝ない。女神への祈りを唱え、日の出を見る心づもりだった。

「はぁー、固いんだからな、もう」

 オリノコがそう言った時は、てっきり肩のことかと思った。しかしゴキッと首を鳴らした彼はルカのほうを見ていた。

「真面目さは父親譲りか」

「…………」

「そうかぁ。考えてみれば、君の両親も狭い檻の中で結ばれたんだったね」

 ルカは警戒して返事しなかったが、オリノコは独り言のように続けた。

「いや……違うな。あの二人は確固とした目的を持って檻へ入ったのだから」

「……どういう意味ですか」

「ん? あ、しまった。この話はナイショなんだった」

 わざとらしく話をひっこめると、後ろ手に揉み師の体をさわり「ね、お布団でもっと下のほうを揉んでくれるかい?」などと言い出す。ルカは思わず追求した。

「なんなのですか、いったい」

「いやいや、僕は難しい話をしに来たんじゃないよー。美味い酒と極上のかわいこちゃんを楽しみに来たんだから……」

 竪琴の音色がプツンととだえた。抱き寄せられたアシャギは「あら」と瞑目したままオリノコに頬ずりする。

「せんせ、ひどいわ。さっきは奏でてと言ったのに」

「あぁごめんよ。せっかく気持ちよく弾いていたのにね。でもこのお客さんは酒も色事も嫌なんだってさ。つまらないから一緒にお布団の部屋に行こうね」

「……私がお酒につきあえば、知っていることを教えてくれますか」

「うう~ん? ふふ……」

 暗がりで若い娘の唇を吸うオリノコは、魂をむさぼる鬼のように見えた。ルカを向いてにっこりと笑うのがますます恐ろしい。

「じゃ、飲み比べといこうか。おじさんはこう見えて強いんだぞ~!」

 ルカは嫌な予感がした。「ほどほどのところで諦めてくださいね」と先に言ったけれど、オリノコは聞いていなかったようだ。

 数刻後、オリノコは一人で酔い潰れた。アシャギの膝に顔をうずめ、足をジタバタさせる。

「うぐぅーっ!! ずるい、ずるいって!」

「すみません……」

 忌み子のルカは酒に酔わない。修道士として儀式で口にした際、明らかになった。ジェイルは『毒が効かないのはいいことだ』と納得していたが、ルカは複雑な思いだった。

「……私のような化け物を相手にお酒を飲むなど、つまらないことです。お酒がもったいない」

 とはいえこれほど大量に飲んだことはなかった。酒精の分解が追いつかず、全身の感覚が遠い。オリノコの酔い方を見ると相当に強い酒のようだ。彼は軟体動物のようにグニャグニャしている。

「……いえ、私はもう結構ですから」

 空いた盃に揉み師が酒を注ぐ。断ろうとするルカに、酔ったオリノコは「のみなさぁい!」と声高に主張した。

「勝ったのだから、なお飲むべきだ。うぅ~ん、ヒック……」

「オリノコ様……」

 ルカは仕方なく、一息に盃を干した。水のようだと思っていたものが、急に苦く感じられる。

(なぜこんなものを飲みたがるのか……)

 口を拭い、盲目のアシャギからオリノコを引き剥がす。自分のせいかと思うと見過ごせなかった。

「寝るなら顔は横に向けてください。嘔吐物を喉に詰まらせるおそれがあります」

「オッ? 酔った男に自分から近づいてくるのか君は? 無防備だなぁ~」

「私は修道士ですから、ッ!?」

 襟を掴まれる。ルカは酔ったオリノコの力がこれほどとは思わなかった。

(違う。力が入らないのは私のほうだ)

 ぐりん、と視界が反転する。ルカは寝技をかけられた。瞬きの間にオリノコが上に来る。彼は「はーっ……」と酒臭いため息をついた。

「料理は手をつけないし酒にも酔わないし、一体どうなることかと思ったが……よかったよかった。ようやく効いたみたいだ」

「あ……な、なに……」

 目がかすむ。口が回らない。「戯れだよ」とオリノコは嗤った。

「なるほどね、君は想像以上に幼かった。ジェイル君よりも両親の話に隙を見せるとは」

「……!」

 一服盛られた。

 硬直するルカに、オリノコは「まだ意識がある?」と、困ったように首をかしげた。

「……それじゃ、仕方ない。君の聞きたがっていた両親の話をしてあげよう」

「せんせ、それは……」

「いいじゃないかアシャギ、この子には知る権利があるよ。なんといっても二人の愛と努力の結晶なのだから」

 ルカは頭を動かせなかった。オリノコがアシャギを猫のように撫でている。

「ルカ、君のお父さんはね。緑の民を軍事運用できないかと考えていた」

 難しい話をするつもりはないと言っていたオリノコの口の動きは、なめらかだった。

「君の生まれる前から、帝国の脅威は伝わっていたからね。緑の民の人ならざる身体能力。神秘に満ちた遺物の力。もしも制御できれば王国は盤石の守りを得る」

 表情は固まっているのに、心はあっけなく動く。ルカの緑の瞳は潤んでいた。

「国民の理解さえ得られれば緑の騎士団なんてものも組織する気でいたんだ。……まぁ斬新すぎて誰もついていけなかったんだけど。その成果は奇跡的に残った」

 オリノコは指でルカの涙をぬぐった。

「君だよ。ルカ」

 ぬぐったものを気持ち悪そうに床になすりつける。

「君の両親が努力を積み重ねたおかげでジェイル君への処置も形になった。遺物による人体強化は今までも行われてきたが、戦闘特化にあれほど成功した例はない。愛だねえ、愛」

 ルカはもう、意識を保てなかった。

 オリノコは「さて」と三人の揉み師たちに指示を出した。

「アシャギはルカの頭の中を覗いてくれ。君は馬の準備だ。ひとり残った君には、仕方ない。奥で僕のことをタップリ揉みほぐしてもらおう!」

 アシャギはむくれた。

「せんせったら。そのためにあたしを呼んだの?」

「いや、逆だよ。そのために君のもとへ来たんだ」

 ふくらんだ頬を、つんつんと人差し指でつつく。

「ルカの頭の中にはまだ有益な情報がありそうだ。女王様に渡す前に、君の目でよーく見てもらわないと」

「…………」

 一人の揉み師は馬の手配へ向かい、オリノコはもう一人と奥へ入った。残されたアシャギはルカの頭を膝に抱き「もうっ!」と怒った。

「……ごめんなさいね、修道士さん」

 アシャギは開眼し、ルカの髪に手を当てた。暗闇の中で、彼女の盲いた瞳は鮮緑に輝いていた。
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