忌み子と騎士のいるところ

春Q

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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」

25.夜の冒険

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 日没は熱した鉄球が水に沈むかのようだった。ルカは馬車の窓から海原が金色に沸き立つのを見た。漁船が揺らめく海面を滑ってゆく。一日の仕事を終えて港へ戻る船影が、なんともいえない哀愁を帯びている。

(ジェイル様はこんな景色も知っているかしら)とルカは思った。

 修道院生活の長いルカは、この旅で見たことのない景色とたびたび出会った。ジェイルはそうではない。ルカが驚いて立ち止まるたび『こんなもんが珍しいのか?』と笑うのだった。

 それで同じように立ち止まるのだが、ふと気づくと彼は景色ではなくルカの顔ばかり見ている。ルカは少々焦った。自分は修道士であり、星や薬草についてはいくらか詳しい。『あれはね、これはね』と説明できるのだが彼はそういう時もフーンという態度でそのものよりもルカのほうを見てくる。

(私はジェイル様からもらうばかりで、何も返せていない)

 ジェイルへ、心に残る初めての景色を贈れたらどんなにいいだろうとルカは思うのだった。彼には大変な苦労をかけている。お返ししたいのに、彼は愛らしい実をつける薬草や美しい宗教美術にはまったく無感動で、いつもルカのことばかり見るのだった。

 さて、オリノコに「行こう、行こう」とせき立てられて向かったのは海辺だった。馬車を降りて坂を登り切ったところに食事処がある。そう言われて顔を上げてみると、暗闇の中、道に沿って篝火がぽつんぽつんと等間隔に置かれている。ルカはかすかに寒気を感じた。潮風に煽られた火は青みがかっていて、死者の霊のように見えた。

「この先に食事するところが……?」

「冒険、冒険」

 オリノコは泊まる気らしい。乗ってきた馬車を屋敷へ帰してしまった。

「侍女から聞いたよ。君はせっかくダイバに来たっていうのに海にも行かず、お祈りや薬草摘みばかりしてるんだってね」

「私は修道士ですから……」

「いやいや、若いんだからもっと遊ばなきゃ。ジェイル君と会った時に冒険譚のひとつでも聞かせてあげればいいじゃない」

「…………」

 オリノコの意図は読めなかった。(もしかして本当に親切なだけなのか)とも思うが、領民から聞いた話や、彼が時々見せるしたたかな表情を思い出すと、この親切・・も額面通り受け取ってはいけない気がする。

「うっ」

 坂を登り切ったルカは、眩しさに目が眩んだ。煌々と明かりの灯った館が外海を見下ろすかたちで建っている。まばゆいのは建物だけではなかった。色とりどりの衣で着飾った女たちが「オリノコさまっ」「オリノコせんせっ」と右から左から飛びついてくる。

「久しぶりのお渡りですのねっ」

「あら、こっちの坊やはだぁれ?」

「いけないわ、せんせのお背中がこんなに凝っている!」

「お食事よりも先にお風呂がいいんじゃないかしら? そちらのお若い方もご一緒に……」

 ルカは戦慄した。この女たちの華美な装い。それにオリノコのデレデレと締まりのない顔。ここが単なる食事処でないことは明らかだった。

「オリノコ様、あなたは私を揉み師の館に連れてきたのですか!?」

「うう~ん? んふんふ……」

 オリノコは揉み師たちのうなじを嗅ぎ回っていたが、ルカが怒っているのを見て「おっといけない」と頭を起こした。

「アシャギを呼んでくれるかい。それにこっちの修道士さんには若い男の子を二人ばかりつけてくれ。黒髪の精悍な子がお好みだよ」

「オリノコ様!!」

「? あれ、女の子のほうが良い?」

 ルカは呆れてものも言えなかった。修道士を揉み師で接待しようとする時点で非常識、そのうえ彼はこの場にいないジェイルの代わりをあてがうつもりなのだ。倫理観がないにも程がある。

 帰ることもできず、連れてこられた部屋は広かった。ルカはセイボリーの町にあった別棟のことを思い出す。石造りの壁に四角く切り取られた窓。奥には目隠し布のかかった開口があり、広い湯殿と寝床に続いている。

 この部屋が普段どんなふうに使われているか想像するだけで気が滅入る。

「……なぜ私をここへ連れてきたのです」

「面白いかと思って」

「面白い!?」

「ま、いいじゃない。気がひけるようなら社会勉強だと思えばいい」

 そう言うオリノコは、揉み師の膝枕で酒を世話されている。

(なんてだらしのない……)

 ルカは顔をそむけたかったが、両隣に揉み師をつけられては微動だにできない。部屋には食事の支度もあった。

「苦手な食べ物はありますか?」

「え、えっと……」

「一通り取り分けますね」

 右の一人が焼き魚をほぐし、左の一人は煮物を取り分ける。オリノコの注文通り、二人とも短い黒髪で端正な顔立ちだ。しかし華奢な体つきで、騎士のジェイルとは似ても似つかない。なるほど勉強にはなった。ルカは今日この日まで男の揉み師が存在することも知らなかった。

「自分でできますから……!」

 いたたまれなくて泣きそうなルカを、オリノコは笑った。

「気を使う必要ないよー。そら、暑そうな頭巾も脱いじゃえ」

「!?」

 起き上がってすぐ伸びてくる手を、ルカは避けられなかった。すぽんと忌み子の姿を晒させられて、目を閉じる。左右からかすかに息を呑む音がしたが、それだけだった。オリノコは両手で頭巾を弄びながら言った。

「その子らはゲテモノ客に慣れているし、このアシャギに至っては盲目だ」

「え……」

 オリノコの後ろから、揉み師が顔を覗かせる。青い額飾りの効果もあるのだろうか。瞑目した姿は非常に神秘的だった。オリノコは言った。

「面白いだろう? この子の目は見えないものを見るんだ。ちょっと気味悪いところはあるけど、楽器はできるし揉み師としても一級品なんだよ」

「……せんせ、気味悪いとはなに」

 鈴の鳴るような声だった。盲目とは思えない手つきでオリノコの袖をひっぱる。オリノコは小鼻を膨らませてアシャギに抱きついた。

「それはね、ゾクゾクさせられるってことだ……」

「あんっ、せんせ……」

 いちゃついている。思わずうつむいたルカは、左右から伸びてくる手があることに驚いた。慌てて「私に触ってはいけません!」と声をあげる。
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