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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」
18.dot bak
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「おまえが強くなればいいだけの話だ」
そうテイスティスは言った。ジェイルは忘れたことがない。頭を撫でくりまわしてくるその手をとても重く感じたのは、ジェイルがまだ子供だったからだろうか。
学がなく礼節も弁えない、目つきばかり鋭い浮浪児を、領主自ら騎士として養育する。周囲では憶測が飛び交っていた。
「実はテイスティスが貧民窟の娼婦に生ませた子なのではないか」
「奥方に懐妊のきざしはいまだない。養い子を次期領主に据えるつもりだ」
「入り婿が、最期まで折り合いのつかなかった先代の血を絶えさせようとしている」
事態を受けたテイスティスの妻・ギルダは、夫を激しく糾弾した。
「ようやく領地を継ぎおおせたこの大事な時に領民の心を騒がせるとは、いったい何を考えているのですか。慈善を施すなら他にいくらでも方法はあるでしょう」
勝手に野良犬を拾ってくるなと言わんばかりに怒り狂う。勝ち気な妻はテイスティスの巨躯に臆することなく立ち向かった。怒りに怒って、最後にはいつも泣く。「わたしに子どもができないからですか!」と。
「あんた、俺なんか拾わなきゃ良かったのにな」
ジェイルがそう言ったのは、何度目かの修羅場の後だった。即座に大きな手が頭の上に来る。そのまま殴られるか投げ飛ばされるかすると思ったのだが、テイスティスは髪をわしゃわしゃと撫でてきた。
「気を遣わせてすまんな、ジェイルよ」
「・・・・・・いや、そうじゃなくて」
「ギルダのことなら心配するな。チビにはわからんだろうが、こういうのが意外と夫婦生活の良い刺激になるんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
言い返そうとして、やめた。どうでもよかったからだ。妹を葬ってからのジェイルはまるで心が死んだかのようだった。
本当はすべてが耐えがたかった。
ギルダが問題なのではない。新しい生活に吐き気が止まらなかった。女神信仰を押しつける教育。暖かな寝具に、清潔な衣類。決まった時間、ただ待っているだけで出てくる食事。そんな暮らしを運の良さだけで享受している自分自身が。許せなかった。
「まあ口さがないことを抜かす連中も今にわかる。将来おまえが強くなればいいだけの話だ」
テイスティスは力強くジェイルの頭を撫でた。
「だいたい飢えたチビひとり助けられないなら、領主になった甲斐がないだろうが」
「・・・・・・おれは、助かりたくなどなかった」
「ならば自分以外を助けることだな」
「たすける・・・・・・?」
「そうだ。おまえが強くなって、誰かを守れるくらいになれば、助かった意味もあるだろう」
ジェイルを覗き込む髭づらは恐ろしげで、どこか胡散臭くもあり、しかし領主の威厳に満ちあふれていた。
「騎士というのは、そういうものだ」
ドクンと耳の奥が脈打った。
強ければ守れる。守るのは正しい。なぜ生きているのかもわからない、虫けらのような命に意味を見いだせる。
そのはずだったのだが。
ダイバ領で意識を取り戻したジェイルは、動けなかった。木の壁に蝋燭の火影がちらちらと揺れている。目の前にルカがいた。
「・・・・・・まだ起きてはいけません。熱が高くて」
濡らした手ぬぐいで額の汗を拭き取られる。その冷ややかな感触に、ジェイルは記憶の断片を取り戻した。
「・・・・・・! ・・・・・・!、!!」
「大丈夫です。ここは安全です。私も無事ですから、ジェイル様・・・・・・っ、ジェイルさま!」
おれからはなれろ、とジェイルは叫んだはずだった。だが、息が喉をすかすかと抜けていくばかりで、言葉が出てこない。手足を動かそうとするだけで全身に激痛が走った。胸を押さえるルカひとり振りほどけない。
「あちこちの骨が折れているのです。無茶な体の使い方をしたから・・・・・・!」
弱ければ守れない。守れなければ正しくはなかった。ましてや守るべきものを傷つけるなど騎士として到底許されることではない。
ルカは泣きながら笑った。
「だいじょうぶ。大丈夫です。私はケガひとつしていません。あなたもすぐによくなります。私は化け物だけど、修道士だから」
その声が涙に潤む。ルカはジェイルの胸に顔を伏せ、すがりついた。
「お願いです。まだ、おそばにいさせてください」
そうテイスティスは言った。ジェイルは忘れたことがない。頭を撫でくりまわしてくるその手をとても重く感じたのは、ジェイルがまだ子供だったからだろうか。
学がなく礼節も弁えない、目つきばかり鋭い浮浪児を、領主自ら騎士として養育する。周囲では憶測が飛び交っていた。
「実はテイスティスが貧民窟の娼婦に生ませた子なのではないか」
「奥方に懐妊のきざしはいまだない。養い子を次期領主に据えるつもりだ」
「入り婿が、最期まで折り合いのつかなかった先代の血を絶えさせようとしている」
事態を受けたテイスティスの妻・ギルダは、夫を激しく糾弾した。
「ようやく領地を継ぎおおせたこの大事な時に領民の心を騒がせるとは、いったい何を考えているのですか。慈善を施すなら他にいくらでも方法はあるでしょう」
勝手に野良犬を拾ってくるなと言わんばかりに怒り狂う。勝ち気な妻はテイスティスの巨躯に臆することなく立ち向かった。怒りに怒って、最後にはいつも泣く。「わたしに子どもができないからですか!」と。
「あんた、俺なんか拾わなきゃ良かったのにな」
ジェイルがそう言ったのは、何度目かの修羅場の後だった。即座に大きな手が頭の上に来る。そのまま殴られるか投げ飛ばされるかすると思ったのだが、テイスティスは髪をわしゃわしゃと撫でてきた。
「気を遣わせてすまんな、ジェイルよ」
「・・・・・・いや、そうじゃなくて」
「ギルダのことなら心配するな。チビにはわからんだろうが、こういうのが意外と夫婦生活の良い刺激になるんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
言い返そうとして、やめた。どうでもよかったからだ。妹を葬ってからのジェイルはまるで心が死んだかのようだった。
本当はすべてが耐えがたかった。
ギルダが問題なのではない。新しい生活に吐き気が止まらなかった。女神信仰を押しつける教育。暖かな寝具に、清潔な衣類。決まった時間、ただ待っているだけで出てくる食事。そんな暮らしを運の良さだけで享受している自分自身が。許せなかった。
「まあ口さがないことを抜かす連中も今にわかる。将来おまえが強くなればいいだけの話だ」
テイスティスは力強くジェイルの頭を撫でた。
「だいたい飢えたチビひとり助けられないなら、領主になった甲斐がないだろうが」
「・・・・・・おれは、助かりたくなどなかった」
「ならば自分以外を助けることだな」
「たすける・・・・・・?」
「そうだ。おまえが強くなって、誰かを守れるくらいになれば、助かった意味もあるだろう」
ジェイルを覗き込む髭づらは恐ろしげで、どこか胡散臭くもあり、しかし領主の威厳に満ちあふれていた。
「騎士というのは、そういうものだ」
ドクンと耳の奥が脈打った。
強ければ守れる。守るのは正しい。なぜ生きているのかもわからない、虫けらのような命に意味を見いだせる。
そのはずだったのだが。
ダイバ領で意識を取り戻したジェイルは、動けなかった。木の壁に蝋燭の火影がちらちらと揺れている。目の前にルカがいた。
「・・・・・・まだ起きてはいけません。熱が高くて」
濡らした手ぬぐいで額の汗を拭き取られる。その冷ややかな感触に、ジェイルは記憶の断片を取り戻した。
「・・・・・・! ・・・・・・!、!!」
「大丈夫です。ここは安全です。私も無事ですから、ジェイル様・・・・・・っ、ジェイルさま!」
おれからはなれろ、とジェイルは叫んだはずだった。だが、息が喉をすかすかと抜けていくばかりで、言葉が出てこない。手足を動かそうとするだけで全身に激痛が走った。胸を押さえるルカひとり振りほどけない。
「あちこちの骨が折れているのです。無茶な体の使い方をしたから・・・・・・!」
弱ければ守れない。守れなければ正しくはなかった。ましてや守るべきものを傷つけるなど騎士として到底許されることではない。
ルカは泣きながら笑った。
「だいじょうぶ。大丈夫です。私はケガひとつしていません。あなたもすぐによくなります。私は化け物だけど、修道士だから」
その声が涙に潤む。ルカはジェイルの胸に顔を伏せ、すがりついた。
「お願いです。まだ、おそばにいさせてください」
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