忌み子と騎士のいるところ

春Q

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新章Ⅰ「忌み子と騎士のゆくところ」

3.ベルマイン

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 そこは水上邸と呼ばれている。沼沢地に築いた大きな堀の中央に屋敷があった。四方を横開きの引き戸で囲った、開放的な平屋だ。開け放てば庭からの風が通る。広い堀の向こうにラウムの高い建築物が見えた。

「……これは良い出来だね」

 領主・ベルマインの言葉に細工師は顔を輝かせた。卓上に広げたブローチや髪飾りはどれも今日この謁見のために支度した特注品である。

「おわかりいただけますかっ」

「うん。特にこの蝶のついた髪飾り……」

「さすがお目が高い! この髪飾りは留め具も意匠も一枚の銀板を切り回して拵えたのでございます」

「翅の透かし彫りが見事だ。彫られているのは聖都の花だね。素材とよく調和している」

「ありがとうございます!」

 細工師は天にも昇る心地だった。ベルマインに認められることの重みを彼は理解していた。このしもぶくれた、髪の薄い車椅子の男が商業都市ラウムを支配しているのだ。細工物も、絵も、衣類も食品も、彼がよしと言わなければ一流として扱われない。細工師は震え声で言った。

「それでは……この髪飾りを領主様の『宝物庫』に加えていただけますでしょうか?」

 ベルマインは屋敷に宝物庫を有しているという。ベルマインの至宝が所蔵された宝物庫。そこに自分の製作した品を納めることは、ラウムにいる全職人にとっての憧れだった。

 領主の淀んだ瞳にほんの一瞬、愉悦の色が浮かぶ。彼は口の片端を持ち上げて言った。

「そうしよう」

 ベルマインが呼ぶと三人の秘書が来た。うち二人が夢心地の細工師を「こちらへ」と契約手続きに案内し、残る一人がベルマインのそばに付く。堀を眺める彼に秘書は告げた。

「お客様がこちらへ向かっておられます。騎士団のアガタ様が――」

「知っているよ」

 一艘の渡し舟が堀を渡ってくるのが見えた。その船影を、ベルマインは虫でも潰すかのように手の中に握りこむ。黒手袋の中で固い金属音が鳴った。

「リカルダスの負債を清算しなくてはならない」

◇◇◇

 堀の水が跳ねる。

「気をつけろ」

「はい」

 ルカはジェイルの手を借りて渡し舟を下りた。新しく買い与えられた靴は底が厚かった。カコンと音を鳴らし、桟橋に降りる。

 頭巾も笠に変えていた。ふちから長い薄布が垂れて頭巾より涼しく顔を隠せる。ただし布は膝にかかるほど丈が長く、動きが悪い。ジェイルが手を引いてくれなければ転んでしまうだろう。

 桟橋には入れ替わりに細工師が来た。彼を乗せ、渡し守が再び舟を漕ぐ。ジェイルが「退路を断たれたわけだ」と、皮肉っぽく呟いた。

「ゆっくりして行けばいい」

 二人は一斉に顔を上げた。秘書に車いすを押させた人物を見て、ルカは目を丸くする。彼が誰なのかは、さっと騎士の礼をとったアガタが教えてくれた。

「ベルマイン様、忌み子とその騎士を連れてまいりました」

(この方が、ベルマイン様……!)

 足が悪いとは知らなかった。

 地に片膝をついたアガタに、ベルマインは言った。

「アガタ。故郷を焼き損ねたね」

「はい。命を果たせず申し訳ありません」

「失敗したうえ、まさか戻ってくるとは」

「申し開きのしようもありません」

 主従のやりとりはひどく淡々としていた。ルカが(私のせいで罰されては)と前に出ようとするのを、ジェイルは片手で制した。ベルマインと交渉ができるかどうかもアガタ次第だった。アガタは言った。

「故郷を焼き損なったのも私が生きてここにいるのも、そこの忌み子のためです。緑の民の血をひく忌み子でありながら女神を信じている。ただいるだけで人の心を惹きつける、とても清らかで危険な方です。この方が害になるか益になるか、ベルマイン様の指示を仰ぎたい」

「自分の口にしたものが毒か薬かもわからないと?」

「……ベルマイン様、あなたは私のような汚れた女を騎士にしてくださいました」

「では、その真贋もこれから明らかになる」

「え、」

 ベルマインはアガタの頭頂を掴んだ。

「小賢しさだけが取り柄の君を取り立てたのが、間違いだったかどうか」

 ベルマインはアガタを地に振り払った。そのまま秘書に車いすを出させる。

 倒れたアガタにルカは駆け寄った。

「アガタ様……!」

「ついて行ってください。早く、あの方の気が変わらないうちに」

 アガタは震えていた。腰が抜けて立てないらしい。ジェイルに促され、ルカはベルマインの後を追った。

(あの方がセイボリーの歓楽街を焼こうとした。自分の領地を。騎士に生まれ故郷を焼かせようと……!)

 ルカには理解できなかった。

(どうして……)

 ルカはベルマインが秘書の手を借りて外用から室内用の車いすへ乗り換えるところを見た。何をするにも周囲の助けを借りなければならない彼が、なぜ領民を切り捨てようとするのか。

「それが損切りというものだ」

 広々とした応接間で、ベルマインは言った。

「腐った手足は先にもいだほうがいい」

 車いすにもたれ、とんとんと指でこめかみを叩く。

「ナタリア女王に各領をまとめることは不可能だ。アドルファスの影に隠れて政治に口出しするくらいならまだ可愛げがあったが、正義感を暴走させ、自分の戴冠式でわざわざ王家の醜聞をぶちまけるとは。まったく救いようがない」

 ルカを逃す隙を作るためにしたことだ。ベルマインは厚ぼったい一重瞼の下からルカを見ていた。

「すでに深紅領ジェミナには独立運動の兆しがある。セイボリーはジェミナに程近く、聖都シュテマに反抗心を持っていた。これ以上の膿が出ないよう境を封鎖し、切除することの何が悪いんだろう」

 セイボリーに住まうひとびとの顔が浮かんだ。封鎖されたことで観光業が廃れ、職にあぶれた者たちが何人もいた。歓楽街の女たちも好んでそこにいるのではなかった。地図上の政治で生活が脅かされる理不尽に、ルカは震えた。

「本気で言っているのですか」

「……うん? そうか、君は怒っているのか」

 ベルマインは、目をすがめ、大仰に頭をのけぞらせた。

「その被り物のせいで表情が読めなかった。話をするつもりがあるなら脱ぎなさい」

「いいえ」

 ルカは首を振った。ジェイルに言われた通りだった。

「私はあなたの持ち物ではないので、あなたの要求には従いません」

「なるほど」

 ベルマインは今気がついたとでも言うようにジェイルを見た。

「君の入れ知恵か」

 ジェイルはフンと鼻を鳴らした。返事もしたくないのだろう。以前テイスティスと共に水上邸を訪れた時、散々にやりこめられたらしい。

 まず近くに来いと言う。右を向けと言う。左を向けと言う。足が悪いのだからと思って従うと彼は『対価も求めずに言うことを聞くのだから』と言って、テイスティスからジェイルを買い取ろうとした。

 試着室でジェイルは言った。

『どう考えたってガキの理屈だが、ラウムの法はベルマインだ。俺がテイスティスに仕えているのは紙一枚だけのことで、しかも自分から反故にしたと言って……俺は危うくやつの召使いになるところだった』

 話を聞いた時はルカもまさかと思ったけれど実際に仕掛けられて冷や汗をかいた。女王であるナタリアの力も及ばないラウムで、二人そろって身柄を奪われたら取り返しがつかない。

 ベルマインは首をかしげた。

「おかしいな、てっきり君たちは僕の後ろ盾が欲しいのだと思っていたが」

「……私たちは、あなたに所有されるためにここへ来たのではありません」

 ルカは両手を握りしめて訴えた。

「いまルテニアがまとまりを欠いているのは事実です。共に手を取り合い、帝国の脅威のために立ち向かうためにあなたに協力を仰ぎたいのです。ベルマイン様!」

「そう。君たちは女神の神器を取り戻そうとしているのかな。そのために船を出してほしい、と」

「はい」

「いいなあ」

 たった一言だった。ベルマインの声にこもった泥濘のような感情を、ルカはまともに食らった。

「いったい誰のせいでこうなったと思ってる?」

「ルカ、耳を貸すな」

 笠のせいだろうか。ジェイルの声が遠くかすんで聞こえた。ベルマインの言葉が肌に絡みついてくる。

「どうして英雄のまま死んでおかなかった? アドルファスは君を護国の英霊として、大聖堂で手厚く葬ったそうじゃないか。それがなぜなのかわからない? 君のような人外を葬るためにどれだけ国力を削ったと思っている? 色かぶれと魔女の生み出した化け物を祓おうとすることの何が」

 秘書が悲鳴を上げる。ベルマインが黙ったのは、ジェイルが彼の胸倉を掴んだからだ。

「なるほどな……おまえもグルか」

「ジェイル様、やめて」

「この禿げ散らかした頭でガキ一人を殺そうと精いっぱい悪だくみしたってわけか? 恥を知れ!」

 ベルマインは嘆息した。

「君も忌み子には死んでほしかったはずだ」

「ア!? アタマ涌いてんのか!?」

「忌み子が死んでさえいれば君が汚名を着ることもなかった。テイスティスと共に騎士として華々しく散ることが本懐だったんじゃないのか」

 ジェイルの瞳がぎらりと光った。

「おまえら、ハナから国の半分くらい渡してやるつもりだったな」

「やめてください、もう、やめて!」

 ルカはもう見ていられなかった。ベルマインからジェイルを引きはがし「あなたの目論見はことごとく外れています!」と叫ぶ。

「私とジェイル様は今生きてここにいます。セイボリーの歓楽街も焼かれませんでした」

「何を……」

「それなのになぜこの期に及んで自分を正しいなどと思うのですか。私を殺すより国を分割するより先にできることが、すべきことが、領主のあなたにはいくらでもあるはずだ!」

 開け放たれた窓から風が吹き込む。その風は薄布をめくりあげ、ルカの相貌を露わにした。白い肌、翠の瞳、銀の髪。日に照らされた忌み子の姿をベルマインは見た。

「……君たちの旅はここで終わりだ」

 風が吹き止んだ時、ベルマインはぽつりと呟いた。

「だが、望むのなら終着点を見せてあげてもいい」

 ベルマインが視線を送ると、秘書は小走りに来て彼の車いすの持ち手を握った。

「これは要求ではない。知る気があるなら、ついてきなさい」
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