忌み子と騎士のいるところ

春Q

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間章「ニャンヤンのお祭り」

35.one more night

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 揉み屋から出て、やっとジェイルは口をきいてくれた。

「笑いたければ笑うがいい。俺はこんな辱めを未だかつて受けたことがない」

 ジェイルは力を込めて腕組みしたうえ、イライラと踵を鳴らしている。おかげで作り物の耳と尾が小刻みに揺れて、本物そっくりに見えた。ルカはおろおろと言った。

「でも、とてもよくお似合いですから……」

「あぁ?」

 ルカはゆるみそうになる頬を必死に律した。怖い顔で凄んでも、耳のおかげで可愛らしく見える。

 尾の作り方はさまざまあるが、ジェイルが付けているのは腰に帯を締めて垂らす形式のものだ。服に穴を開ける必要がなく、帯飾りのように見えるので大人が使うぶんにはよい。子供だと走り回った時に落としてしまう。

 ルカは道で立ち止まり、ジェイルの尾を手で確かめさせてもらった。使い古しの布で作ったのだろうか、黒くてごわごわした手触りがいかにも強い雄猫らしい。

「黒い布を黒い糸でかがるのは、たいへん目が疲れるのです。それに、これは中にちゃんと芯も仕込んであります。こんなに上手に作るのですから、きっと針子の仕事はうまくいくでしょうね」

「なんだ。作ったことがあるような口ぶりだな」

 まさか別棟でジェイルを想って作ったとは言えない。ルカは「修道士の仕事でもありますから」とごまかした。自分の作ったものは燃やされてしまったけれど、ジェイルが耳と尾を付けてくれているのが、ルカは嬉しかった。

「今日はルテニア全地の祭日です。何も付けていなければ、かえって目立ってしまうでしょう」

「む……」

「そのままでいてくださいますか? ジェイル様」

「……おまえは?」

 指で頭をつつかれて、ルカは瞬いた。(頭巾に耳をつけたら変だ)とすぐ思ったが、頭巾や帽子でそれをしているひとを見たことはある。

 見たことがあるだけだ。忌み子のルカは、仮装を身につけたことがなかった。

「……では、灰色の耳や尾を見かけたら付けることにしましょう」

「よし。なかったら、あのバカみたいな鈴の付いた服を着ろ」

 大通りで、ザルを掲げた修道士たちの一人が、ちょうどその服を着ていた。歩くたびにチリチリと音が鳴るのだ。バカみたいかはともかく、玉の形状を模した仮装なので丸々としている。あれに頭巾を被ったら道化そのものだろう。

 尻込みするルカの手をジェイルは「来い」と言って引いた。猫たちのために中央を避けなければならないので、ひとの歩ける道幅は狭くごったがえしている。ルカは細い声を張った。

「今日、この町を出るのではなかったのですか?」

「仮装しなければ目立つと言ったのはおまえだろうが。おまえは俺にだけ恥をかかせる気か」

 それは、そうだけれど。

 ジェイルの熱っぽい手に手を握られて、ルカは胸の奥がきゅうっとした。

(夢みたいだ。ジェイル様と、お祭りに来ている)

 人の波の向こうに色とりどりの玉が見えた。猫が前足をかけると、涼やかな音を立てて逃げる。玉を転がすのに飽きて、道の真ん中で寝そべるものもいる。ひとびとはその平和な様子を指さして笑い、食事をとった。遠い昔、女神が祖先を救った記憶に思いを馳せながら。

 その時ルカは、平和な道を歩きながら、光と影が絡まりあっていると思った。アガタの計画によれば、この日、セイボリーの歓楽街は焼かれるはずだった。今頃、騎士たちの恐ろしい暴挙に町全体が恐慌に飲まれていたことだろう。

 悲劇を未然に防げたことを、ルカは自分の手柄とは思えない。むしろ今、こんなにも町が平和で栄えているのが不思議で仕方がないのだ。起きた悲劇と起きなかった悲劇の違いは一体なんなのだろう。

 ジェイルに手を引かれ、仮装を探し、猫や玉を眺める。

 それが楽しければ楽しいほど、ルカは自分が火の海を歩いているような気がした。怖かった。人波に飲まれながら、今、手を伸ばせば救えるはずの誰かを置き去りにしていると思った。

「なにをボーッとしている、修道士」

「あう」

 頭巾に手刀を入れられルカはつむじを押さえた。二人は、まだ仮装を見つけられていなかった。

 揉み師たちが寄付した仮装は本当に評判になっているようで、聖堂の前に置かれた箱はとっくにカラになっていた。屋台のなかには食べ物のほかに仮装を扱っているものもあったが、ジェイルの財布の紐は堅かった。

「当日だからと足元を見ている。どれも質が悪くて高い」

「……もともと、自分で準備しておくものなのです」

 ルカは笑って首を振った。

「私のことは気にしないでください。あなたと祭りの日を過ごせるだけで楽しいから」

「ふーん。とても楽しそうには見えないが」

「それは……」

「また面倒なことをゴチャゴチャと考えているだろう。頭でっかちのお人よしめ」

 ルカは恥じ入った。街歩きに集中していないことを、騎士の目は見抜いていたようだ。

「ごめんなさい、ジェイル様……あ、何を」

 顎をすくわれ、唇を盗まれる。目を閉じる間も与えられず、ルカは赤面した。

 反応は遅れに遅れる。胸を押し返せたのはジェイルが顔を離した後だった。ジェイルは嘲笑った。

「本当に鈍くさいな、おまえは」

「な……何をするのです! こんなにひとのいるところで!」

「いるだけだ。誰も見ていない」

 ジェイルの言う通りだった。ひとびとはちょうど猫が転がしてきた金属の玉に沸き返っていた。歓楽街から流れに流れてきたのだろう。みんな「鈴の音が小さすぎないか」「おまえの声がうるさいせいだ」などと言い合っている。

「どうだ、ルカ」

 猫の耳を生やしたジェイルは道ばたでルカを見下ろしていた。ルカは目を逸らそうとするのだが、ジェイルに頬を押さえつけられ、顔を逃がすことができない。

 ジェイルの声は耳に甘く響いた。

「少しは面倒ごとを忘れられそうか」

「……面倒ごとだなんて、そんな言い方は」

「へえ? 祭りなんてものは金持ちの気晴らしだとばかり思っていたが、違うのか」

「わ、私たちは、女神様と聖なるニャンヤンに感謝を捧げているのです。気晴らしというわけでは……けして……」

 親指で唇を撫でられて、ルカは喋れなくなった。それに、自分の言っていることが間違っているような気もした。年に一度、特別な仮装や料理で祝うのが気晴らしでなくてなんだろう。誰もが今日という晴れの日を喜んでいるのだ。

 親指が唇から離れ、また触れた。いつでも奪えると言われているような気がして、ルカはぞくぞくした。ジェイルの薄い唇が、意思を持った生き物みたいに艶めかしく見える。

「思い返せば、俺は鈴の玉に関して、おまえの望みを叶えてやれなかったからな。ああ、残念だ。欲しいものがすぐ目の前にあるのに、こんなにお預けを食わされて」

「ああ、ぅ……ジェイル様ぁ……」

「なんだ? 妙な声を出して。何か俺におねだりをするつもりか」

 おねだり。

 笑いの滲んだ声で囁かれて、ルカは気が変になりそうだった。彼の瞳を見つめていると、難しいことがもう何も考えられない。ジェイルの胸に、ぎゅうっとすがりついてしまう。

「……ジェイル、忘れさせて」

 ルカは背伸びして懇願した。「忘れさせて、あなた以外のことすべてを」とねだった。
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