忌み子と騎士のいるところ

春Q

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間章「ニャンヤンのお祭り」

34.ひりつく心

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 今、揉み屋の小道でルカはうなだれている。

 最悪の事態は防げたけれど、望みを絶たれたアガタは、もはやぬけがらのようだ。こんなはずではなかった。ルカの言葉にもっと強い力があれば、彼女はみずから鈴の玉を手放してくれただろうに。

 そこへ男たちが来たので、ルカはジェイルの上着で頭を隠さなければならなかった。

「ジェイル、ああ、この生意気な雌犬を、おまえはとうとうやっつけたんだな!」

「……ほかの騎士は捕らえたか」

「あたぼうよ。連中、鈴の玉が爆発しないので泡食ってやがった。今は縛り付けて晒しものにしているところだ」

「この方をどうするのですか」

 ルカがジェイルの影から声をあげると、男たちは「あ? この生白いガキは誰だっけ?」と顔を見合わせた。

「確か聖堂にいた……」

「別にどうだっていいだろう、そんなことは」

 ジェイルが怒ってルカを自分の背後に隠した。顎でアガタを示して「こいつをどうする」と言う。

 男たちは下卑た笑みを浮かべてみせた。

「そりゃあ雌犬は躾けるに限る」

「ひひ、きっと面白い見世物になるぜ。こいつの身柄を押さえれば、他の騎士どもも俺たちの言いなりだろうから」

 ルカは、アガタの指がぴくっと反応するのを見た。修道士としてそんな真似を許してはいけない。

「いけません、そんな――」

 だが、声をあげようとすると、ジェイルに頭をムギュッと押さえつけた。

「……よく考えたほうがいい。祭りが終わっても騎士どもが戻らなければ、ベルマインはどう思うか」

「あぁ? そりゃあ――」

「今度は間抜けな騎士どもを送り込む程度じゃ済まんだろう」

「…………」

 男たちは熊手のかたちにしていた両手を、ゆっくりと元に戻した。

「チッ」と舌打ちをして「だが、こいつらに捕らえられた者は多い。恨みは晴らさせてもらう」と言った。

「……逮捕者はどこに?」

 ジェイルの質問に、男たちはぶつぶつと答えた。

「町はずれのブタゴヤに押し込められている。出ていく時に焼き殺すつもりだったようだが」

「別働隊の騎士どもが見張っていて手出しできん」

「罰金か鞭打ちを食らわなければ出ることができない。クソッタレどもめ、小遣い稼ぎのつもりなのだろう」

「今のアガタの状況を知れば、そいつらの態度も変わる。逆に余計な手出しをすれば交渉は決裂する」

「あぁ面倒臭ぇ! まとめて手打ちにすりゃ済む話だろうが!」

「それをすれば最後、おまえらは犬以下のクズということになるな。焼き殺されても文句は言えない」

 ジェイルは淡々と言った。心底どうでもいいと思っている口調だったが、彼は肩をゴキッと鳴らしていた。

「なあ、おまえは俺に勝てそうか?」

「はっ? な、なんだよ、急に」

「俺はこう見えて綺麗好きなんだ。クズを見るとむしゃくしゃする」

 ジェイルの暗いうろのような瞳に凝視され、男たちは「うっ」とのけぞった。やがてひとりが、男たちに「……連れていけ。丁重に」と指図する。

 アガタは立たされ、彼女の剣は草むらから回収された。彼らが行くと、ジェイルは嘆息した。

「ルカ、泣くな」

「……っ、私は、泣いていません」

「変な嘘をつくな」

「これは、透明な血です」

「はぁ……?」

 ジェイルは揉み屋の別棟にルカを連れていった。そこはまだトーチカのための場所だったので、旅の荷物を置くことができた。ルカは「私は悔しい」と言った。

「宗教者としての力不足で、アガタ様を救うことができませんでした。あの方に罪を犯させたのは私です。彼女は女神様の救いを求めていたのに」

「アガタの問題を、おまえが意味不明な理屈で引き受けるな。バカバカしい……」

 別棟で、ジェイルとルカは揉み師たちから歓待を受けた。

「トーチカ、あなたのおかげで私たちは新しい仕事を得ることができました」

「えっ。えっ」

 ルカはびっくりしてジェイルの影に隠れた。

 司祭が揉み師の寄付を受け入れたことは、祭りを楽しむひとびとの耳に伝わっていた。玉を撒いて歩く修道士たちが良い宣伝になったようだ。聖堂のお墨付きという良い評判が立ったことで、揉み師には客のからだを揉みほぐす以外の需要が生まれたのだという。

 そう、客の衣服や小物を直し仕立てる、針子である。

「これでお客様がつかない時でも、私たちは生きる糧を得ることができそうです」

「収益の多くを番頭が吸い上げてしまうのは癪ですが……」

「なんの。いずれは揉み師たちでこの店を乗っ取り、彼を下働きにしてやります」

 ジェイルは迫りくる女たちを「近い。離れろ」と手で遠ざけようとしたが、子供をふたり連れた揉み師はなおも食い下がった。レイラだった。

「トーチカ、私はあなたの裂けた着物を直しました。それに、頭巾も作ったのです。受け取ってくださいますか」

「レイラ様」

 ルカは有難く受け取った。ルクスとカーツェはジェイルが怖いらしく黙りこくっている。

 ほかの揉み師たちは、ルカを囃し立てた。

「親友ばかり贔屓にしてはいけないでしょう。奥に一番のお気に入りがいるのに」

「えっ……サンドラ様が」

「ルカ、母さんはこっちだ」

 渋い顔をするジェイルの背後から、カーツェがルカを引っ張り出した。

 衝立の奥には医師がおり、寝台に半身を起こしたサンドラがいた。やつれて見えるが、彼女の目には光が宿っている。サンドラはしゃがれ声で言った。

「……とんだご迷惑をおかけしたようです。お許しください、トーチカ」

「迷惑だなんて……」

「なぜ私のようなものを、気まぐれに助けたりなどしたのですか」

 その言葉に、ルカは彼女の憎悪を感じ取った。

「母さん」

 サンドラは息子に喋らせなかった。彼女の大きな瞳には涙がいっぱいに溜まっていた。

「あなたは、他の揉み師が病に倒れた時、その誰をも助けてくださいませんでした。他のどんな苦難の時にも、あなたは現れませんでした。それゆえ、私たちはみな見捨てられたものと思っていたのです。なぜあなたは、今になって私のような女を救うのですか」

 ルカはその激しい言葉に深く傷ついた。ルカが来るのは遅すぎ、サンドラのことも、アガタのことも、他の誰のことをも救えはしなかったのだ。

 ルカは洟をすすりあげ、ゆっくりとサンドラに歩み寄った。そして、怒りと恐れに震えている彼女を抱擁した。

「本当に、なぜでしょう、私はあなたの問いに答えることができない」

「どうして。……どうして!」

 そう語気荒く問いながら、サンドラはルカにしがみついていた。子供のように泣きじゃくる彼女が眠ってしまうまで、ルカはサンドラの背中を優しくさすり続けた。

 修繕の済んだ修道服に着替え、頭巾を被る。

(私は、前に進まなければならない)

 こんなに心がひりつくのは初めてだった。肌は傷を負ってもすぐに癒えるが、心はそうはいかない。

「……ジェイル様、お待たせしました。行きましょう」

 彼のもとへ戻ったルカは、衝撃を受ける。ジェイルは黒い猫の耳を付け、太く短い尾を垂らしていた。神に歯向かうジェイルも、揉み師たちからは逃れられなかったようだ。
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