忌み子と騎士のいるところ

春Q

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間章「ニャンヤンのお祭り」

18.かなしい

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 この世に確かなものは女神だけだということを、ルカは現実として知っていた。

 王子として生まれ、父母に愛された日々は驚くほど呆気なく消え去り、修道院に送られた。

 周囲から忌まわしい化け物として取り扱われて、ようやく両親の罪の深さと自分の醜さを知ったのだ。そういう存在であるルカに、ジェイルは愛をくれた。なんの見返りも与えられないルカを恋人にしてくれて、怒りながらあれこれと世話を焼いてくれた。

 そんなジェイルが揉み師のからだを求めたのかと思うと、ルカはもう、自分がなんなのかわからない。

 今この部屋で、トーチカトーチカといって慕ってくれる揉み師たちも、ひとたび頭巾を脱げば自分を忌み嫌うことはわかりきっている。

 確かなものは女神だけだ。女神アルカディアだけは、どんな時でも嘘偽りなくルカを愛し、認めてくれるのだった。教えの書にも『女神は愛なり』と濃くはっきりとした字で記されている。両親を奪われ、居場所を追われ続けたルカには、その愛に縋る以外に生きる道はなかった。

 どんなつらい運命を強いられようとも、それは短いこの世のことだけだ。いずれは女神がルカを天上の住処に招いてくれ、きっと、教えを守って働いたことを褒めてくださる。

 だから今度も、女神はルカの信仰を試しているのだと思った。ジェイルを通して、肉欲に溺れることを戒めている。ジェイルは確かに強い騎士だけれど、同時に儚く弱い人間なのだった。ルカは永遠の女神を信じる修道士なのだから、彼の愛が去ってしまうことを悲しむ必要はない。いや悲しむべきではない。決して悲しんではならない。

 なのに、とても悲しかった。

 どんなに理性で押し込めようとしても、心の中には嫌だ嫌だと子供のように駄々をこねる自分がいる。ジェイルは、揉み師をどんなふうに愛したのだろう。それはルカを愛するよりも情熱的だったのだろうか。ルカにたくさん口づけてくれた唇で、そのひとにも可愛いとか、綺麗とか、愛しているとか言ったのだろうか。

 傷口が膿むように、ルカの心には悪い思いばかりが浮かぶのだった。現実に忙しく立ち働きながら、妄念の泡がぷくっぷくっと次々に浮かび上がり、目の中ではじけて、瞳が潤む。

 そんな精神状態でも、扉の向こうの男たちは、なぜか変な相談を持ち掛けてくる。

「トーチカよ、あの雌犬に一泡吹かすには武器が足りないのだ。どうする」

「……?」

 ルカは縫い合わせた布を裏に返しながら、首をかしげた。だが、ハッとする。

(そうか、ここは揉み屋だ。このひとは持って回った言い回しで、私に恋の相談をしているのか)

 つまり彼はひとりの女性に恋をしているのだが、しかし自分に魅力がないので振り向いてもらえないと言っている――そう解釈したルカは「私は、あなたに武器がないとは思いません」と返した。

「女神様は人間ひとりひとりに、すでに必要な武器を与えておられます」

「……いま手元にあるものを生かせということか?」

 真面目に聞き返されて、ルカは自嘲した。修道士だというのに同性を愛し、ジェイルのことを引き止められない自分が恋愛相談に乗るなど、無茶もいいところである。

 だが、女神を心に宿したルカは「そうです。お持ちの武器をご自身で磨き上げるべきです」と返した。

「……それから、その方にもう少し丁寧に接して差し上げてはいかがでしょう。お相手が何をすれば喜んで、何をすれば嫌に思うのか、様子を見るのがいいかもしれません」

 好きな女性を『雌犬』呼ばわりするのは良くないと思ってそう言ったのだが、向こうはなぜかそれを聞いて大笑いした。

「なるほど、あの女騎士をもてなしてやるためにも、偵察を怠らず、弱点を探れと言っているのだな!」

 女騎士。きっととても身持ちの固い女性なのだな、とルカは思った。男は話し続けている。

「相分かった。その通りにしよう。そして、祭りの日には奴らに鉄槌を食らわせてやる!」

 ルカはびっくりした。今『奴ら』と言った。この男は、祭りにかこつけて、複数の女性を同時に口説こうとしているのだ。

 男女がみだりに交際することは女神の教えに反している。慌てて「せめて一人ずつ、一人ずつにそうなさってください、何人もを同時になんて、そんなことしてはいけません」と声を上げる。

「フム……確かに、向こうは戦慣れしているからな。ここは万全を期して、一人ずつに分断すべきか……」

 男とはそれ以上喋れなかった。扉の向こうでカーツェが「時間だよ!」と言ったからだ。

 ルカは布の袋に綿を詰めながら気がかりで仕方なかった。男はグループ交際の計画でも立てているのだろうか。言葉選びが荒いせいか、なんだか敵対組織に攻撃をしかけようとしているように聞こえたが。

 あれこれと思い悩みながら作っているのは、黒い猫の耳と尻尾だ。短くて太い尻尾は、黒髪の男性に合うだろう。

(……もしかしたら、ジェイル様が使ってくれるかもしれない)

 その可能性は限りなく低いが、皆無ではなかった。できあがったものは聖堂に寄付して、町のひとびとに自由に使ってもらうつもりだからだ。ルカは想像してみた。

 祭りの日にジェイルが歩いていて、聖堂の前を通りがかる。仮装の道具が置いてあるのがたまたま目にとまり、付けてみようかという気になる。――おそらく、寄り添って歩いている女性に、そうするように促されて。

 ぱたっと涙が作りかけの尻尾に落ちた。

 熱い雫は、黒い生地に浸み込んですぐに見えなくなる。ルカは無言で目元を拭い(別に、それでかまわない)と思った。大事なのはジェイルの横に誰がいるかではなくて、彼がニャンヤンの祭りを楽しんでいるということなのだ。

 ジェイルは不信仰で、女神嫌いで、子供の頃から厳しい生活を強いられて、ニャンヤンの祭りそれ自体を知らなかった。女王の命令でついてきてくれた彼の心が、女のひとと過ごすことで安らぐならルカは嬉しい。

「トーチカ、トーチカ」

 昼に差し掛かった頃、ルカは窓の外から呼ばれた。顔を上げて、あっと思う。

 外は茂みになっていて、小道が揉み屋へと続いている。その茂みのそばで、ルクスが大きく手招きしている。隣に立っている老人は医師だろう。なぜ入ってこないのだろう、と考えて、ルカはハッとした。

(廊下に男の人たちが大勢並んでいるから、入って来られないのか)

 女の揉み師たちならともかく、男が順番を抜かして堂々と入ったらズルになってしまう。二人とも不安そうにひどく青ざめているのが、ルカは気がかりだった。
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