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間章「ニャンヤンのお祭り」
15.雛鳥
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一夜明けても、ルカは揉み屋の別棟から外へ出られなかった。
ひっきりなしにひとが訪ねて来るからだ。初め、人目を忍ぶようにやって来たのはルクスの母、レイラだった。
レイラは親友であるサンドラが病に倒れたことを大変気に病んでいた。息子のルクスにサンドラを世話するよう言いつけたのも彼女で、子供たちとサンドラが別棟にいることを知ると、すぐに駆け付けたのだった。
「ああサンドラ、こんなに痩せてしまって……!」
はらはらと涙を流しながら、レイラは寝台に顔を伏せた。ルカはおろおろと「あまり触れてはなりません」と言った。まだサンドラには悪い霊が憑いているのだ。
ルカが触れた手に、レイラは縋りついてきた。
「トーチカ、あなたがトーチカなのですね。病んだ彼女を気に入り、愛したのですか。勇士であるあなたに愛されたから、私の親友は今こんなにも安らいでいるのですか」
ルカはそこでようやく、自分がトーチカという別人に間違われていることに気づいた。誤解を解こうと思ったのだが、カーツェが「そうだよ!」と割り込んでくる。
「僕、見たんだ。このひとは番頭に斬りかかられても全く動じずに、僕の母さんを愛したんだ。その激しさといったら、番頭の剣がはじけとぶほどだったよ!」
「……えっ。いえ、それは違っ」
「いいや、何も違わない!」
ルカを黙らせるかのように、ルクスはきっぱりと断言した。
「番頭はトーチカの男気に惚れ込み、彼とサンドラおばさんに別棟を空けてくれたんだ。だから、もうなんにも心配いらないよ、母さん!」
息子の頼もしい言葉に、レイラはますます泣いてしまった。ルカは二人の少年たちに圧倒されてしまった。こんなに幼いのに、大人を手玉に取るのがなんて上手いのだろうか。
大前提としてルカはトーチカではない。ルカが治療にあたっていただけだと二人ともわかっているはずなのに、なぜこんなにも堂々と嘘を吐けるのか。どうして得体の知れないルカを頼りにするのか。
すべては母親のためだ。
二人とも、自分たちの母親を助けられるのであれば、ルカが化け物だろうがなんだろうがかまわないと思っているようだった。
レイラは、床に伏したサンドラを揉み屋に置いてもらうため、ずっと無理な働きを強いられていたらしい。涙もろいのは、夜通し客の相手をしていたせいもあるのだろうか。両手で顔を覆って「ありがとうございます、ありがとうございます」と泣き、とうとうルカの足元に額づいてしまった。
話を聞いてやって来たのはレイラだけではない。店中の揉み師たちが、トーチカに一目会おうと別棟へ押しかけて来た。彼女たちの主要目的は営業である。
「トーチカ、性欲旺盛なあなたを私たちにも揉ませてちょうだい!」
「まあ、昼間だというのにこんなに部屋を暗くして……このひとって、本当にサンドラに夢中なんだわ」
「ねぇ、お願いよ、私たちも愛のおこぼれに預からせてくださいな……!」
「あの、えっ、えっと、あの」
大勢の女たちに迫って来られて、ルカはもうたじたじだった。みな美しく着飾っているが、その目は獲物を前にした肉食獣と同じである。もし折よく番頭が来て、彼女たちを散らしてくれなかったら、きっと大変なことになっていただろう。
番頭はルカの前に跪いた。
「トーチカよ、ぜひ会ってほしい者たちがいる。みんなあんたが姿を現すのを心待ちにしていたんだ」
「へっ。えぇっ……?」
困惑するルカの左右には、ルクスとカーツェが鼻高々でふんぞりかえっている。
「いいよ! 順に連れておいでよ」
「でもトーチカはうちのサンドラと愛し合うのに忙しいんだから。一人ずつ、短い時間だけだよ」
「そんな、二人とも……」
ルカのか細い声を、その場にいる誰も聞いてくれない。番頭は喜び勇んで出て行ってしまう。ルカはさすがに二人に訴えた。
「なぜ私に嘘をつかせ続けるのですか。サンドラ様はゆっくりと休まなければならないのです。この部屋にこれ以上ひとを出入りさせてはいけません」
「フン……。じゃ、廊下にいさせてドア越しに話すのがいいな。ルカがトーチカらしくないこともごまかせるし」
「ね、番頭に話を通してさ、来たら一人ずつ金を取ることにしようよ……」
「カーツェ、なんていいこと思いつくんだ! やったぜ、僕たちはこれでお金持ちになれる!」
「いい考えなものですか! なぜそのように悪さを企んでしまうのです」
ルカは首を振り、二人の肩に手を当てて訴えた。
「わかっているでしょう、私はもうここから出て行かなくてはなりません」
ルクスとカーツェは、そんなこと思い付きもしなかったらしい。ぽかんと口を開けてルカを見た。ルカは静かに言葉を続けた。
「私は修道士です。聖堂へご奉仕にあがらねばなりません。お祭りの準備があるし、私を待っているひともいます。何より、サンドラ様を癒すには強い聖水が必要なのです」
「だ……ダメだよ、そんなの、祭りの準備なんて他のやつにやらせればいいじゃないか!」
「聖水ってどこにあるんだ。教えてくれたら、僕とってきてあげるよ、ルカ」
子供たちは必死でルカにしがみついてきた。ルクスが叫んだ。
「嫌だ! どこにも行かせないぞ!」
「ルクス様……」
「行ったら二度と戻って来ないんだろう! 父さんみたいに、僕たちのこと捨てる気なんだ!」
悲痛な叫びに、ルカは胸を締め付けられた。ルクスが涙を見せると、伝染したようにカーツェまで泣き出してしまう。どんなに大人びているように見えても、二人はまだ幼い子供だった。ルカの胸や腰に縋り付き、必死に行かせまいとする。
ルカは身動き取れずに往生した。なんとかなだめようとしても、二人は固く取りついて離れてくれない。髪を撫でるといっそう強く抱きついてくる。その場に膝を折ったルカは、両脇に火の玉を二つも抱えている気がした。
「ルカ、お願いだよ、ここにいて!」
「どこにも行かないで! ルカ!」
雛鳥そっくりに大きな口を開けて泣く子供たちを、ルカは両腕で抱きしめた。だめだった。どうしても彼らを突き放すことができない。
団子になってくっついている三人のわきを、ぶち猫は素知らぬ顔で歩いていった。
ひっきりなしにひとが訪ねて来るからだ。初め、人目を忍ぶようにやって来たのはルクスの母、レイラだった。
レイラは親友であるサンドラが病に倒れたことを大変気に病んでいた。息子のルクスにサンドラを世話するよう言いつけたのも彼女で、子供たちとサンドラが別棟にいることを知ると、すぐに駆け付けたのだった。
「ああサンドラ、こんなに痩せてしまって……!」
はらはらと涙を流しながら、レイラは寝台に顔を伏せた。ルカはおろおろと「あまり触れてはなりません」と言った。まだサンドラには悪い霊が憑いているのだ。
ルカが触れた手に、レイラは縋りついてきた。
「トーチカ、あなたがトーチカなのですね。病んだ彼女を気に入り、愛したのですか。勇士であるあなたに愛されたから、私の親友は今こんなにも安らいでいるのですか」
ルカはそこでようやく、自分がトーチカという別人に間違われていることに気づいた。誤解を解こうと思ったのだが、カーツェが「そうだよ!」と割り込んでくる。
「僕、見たんだ。このひとは番頭に斬りかかられても全く動じずに、僕の母さんを愛したんだ。その激しさといったら、番頭の剣がはじけとぶほどだったよ!」
「……えっ。いえ、それは違っ」
「いいや、何も違わない!」
ルカを黙らせるかのように、ルクスはきっぱりと断言した。
「番頭はトーチカの男気に惚れ込み、彼とサンドラおばさんに別棟を空けてくれたんだ。だから、もうなんにも心配いらないよ、母さん!」
息子の頼もしい言葉に、レイラはますます泣いてしまった。ルカは二人の少年たちに圧倒されてしまった。こんなに幼いのに、大人を手玉に取るのがなんて上手いのだろうか。
大前提としてルカはトーチカではない。ルカが治療にあたっていただけだと二人ともわかっているはずなのに、なぜこんなにも堂々と嘘を吐けるのか。どうして得体の知れないルカを頼りにするのか。
すべては母親のためだ。
二人とも、自分たちの母親を助けられるのであれば、ルカが化け物だろうがなんだろうがかまわないと思っているようだった。
レイラは、床に伏したサンドラを揉み屋に置いてもらうため、ずっと無理な働きを強いられていたらしい。涙もろいのは、夜通し客の相手をしていたせいもあるのだろうか。両手で顔を覆って「ありがとうございます、ありがとうございます」と泣き、とうとうルカの足元に額づいてしまった。
話を聞いてやって来たのはレイラだけではない。店中の揉み師たちが、トーチカに一目会おうと別棟へ押しかけて来た。彼女たちの主要目的は営業である。
「トーチカ、性欲旺盛なあなたを私たちにも揉ませてちょうだい!」
「まあ、昼間だというのにこんなに部屋を暗くして……このひとって、本当にサンドラに夢中なんだわ」
「ねぇ、お願いよ、私たちも愛のおこぼれに預からせてくださいな……!」
「あの、えっ、えっと、あの」
大勢の女たちに迫って来られて、ルカはもうたじたじだった。みな美しく着飾っているが、その目は獲物を前にした肉食獣と同じである。もし折よく番頭が来て、彼女たちを散らしてくれなかったら、きっと大変なことになっていただろう。
番頭はルカの前に跪いた。
「トーチカよ、ぜひ会ってほしい者たちがいる。みんなあんたが姿を現すのを心待ちにしていたんだ」
「へっ。えぇっ……?」
困惑するルカの左右には、ルクスとカーツェが鼻高々でふんぞりかえっている。
「いいよ! 順に連れておいでよ」
「でもトーチカはうちのサンドラと愛し合うのに忙しいんだから。一人ずつ、短い時間だけだよ」
「そんな、二人とも……」
ルカのか細い声を、その場にいる誰も聞いてくれない。番頭は喜び勇んで出て行ってしまう。ルカはさすがに二人に訴えた。
「なぜ私に嘘をつかせ続けるのですか。サンドラ様はゆっくりと休まなければならないのです。この部屋にこれ以上ひとを出入りさせてはいけません」
「フン……。じゃ、廊下にいさせてドア越しに話すのがいいな。ルカがトーチカらしくないこともごまかせるし」
「ね、番頭に話を通してさ、来たら一人ずつ金を取ることにしようよ……」
「カーツェ、なんていいこと思いつくんだ! やったぜ、僕たちはこれでお金持ちになれる!」
「いい考えなものですか! なぜそのように悪さを企んでしまうのです」
ルカは首を振り、二人の肩に手を当てて訴えた。
「わかっているでしょう、私はもうここから出て行かなくてはなりません」
ルクスとカーツェは、そんなこと思い付きもしなかったらしい。ぽかんと口を開けてルカを見た。ルカは静かに言葉を続けた。
「私は修道士です。聖堂へご奉仕にあがらねばなりません。お祭りの準備があるし、私を待っているひともいます。何より、サンドラ様を癒すには強い聖水が必要なのです」
「だ……ダメだよ、そんなの、祭りの準備なんて他のやつにやらせればいいじゃないか!」
「聖水ってどこにあるんだ。教えてくれたら、僕とってきてあげるよ、ルカ」
子供たちは必死でルカにしがみついてきた。ルクスが叫んだ。
「嫌だ! どこにも行かせないぞ!」
「ルクス様……」
「行ったら二度と戻って来ないんだろう! 父さんみたいに、僕たちのこと捨てる気なんだ!」
悲痛な叫びに、ルカは胸を締め付けられた。ルクスが涙を見せると、伝染したようにカーツェまで泣き出してしまう。どんなに大人びているように見えても、二人はまだ幼い子供だった。ルカの胸や腰に縋り付き、必死に行かせまいとする。
ルカは身動き取れずに往生した。なんとかなだめようとしても、二人は固く取りついて離れてくれない。髪を撫でるといっそう強く抱きついてくる。その場に膝を折ったルカは、両脇に火の玉を二つも抱えている気がした。
「ルカ、お願いだよ、ここにいて!」
「どこにも行かないで! ルカ!」
雛鳥そっくりに大きな口を開けて泣く子供たちを、ルカは両腕で抱きしめた。だめだった。どうしても彼らを突き放すことができない。
団子になってくっついている三人のわきを、ぶち猫は素知らぬ顔で歩いていった。
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