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間章「ニャンヤンのお祭り」
12.信仰
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ルクスに手を引かれ、先の見通せない悪い道をどんどん進んだ先にあったのは、揉み屋だった。
ルクスの弟分のカーツェは個室を清掃しているところだった。転がり込んできたルカを見て目を丸くしている。
「なんで? なんでルカがここにいるの。呼ぶのは無理だって言ったくせに」
「うるさいよ! そんなことよりニヌバが捕まった」
「えぇっ。あのサギ師が」
雄黄の騎士団に捕まった男のことだ。(サギ師?)と首をかしげるルカをよそに、ルクスは言った。
「いい気味さ! あいつルカのことハメようとしてたんだ……でも騎士団の連中はしつこく嗅ぎまわるからな。きっとここにも来るぞ。その前に番頭に報告しなくちゃ」
カーツェの目が猫のようにキラッと光った。
「わかったぞ。それで僕のとこ来たんだね」
「そうだ、おまえから報告しろ。ちゃんと見返りを求めるんだぞ、母さんのこと……」
「うん、うん」
頭ひとつぶん低いところで交わされる兄弟の会話に、ルカはついていけなかった。ニヌバがサギ師だった点に関してはなんとなく腑に落ちるのだが。
カーツェが指示通り番頭の元へ向かうと、ルクスはルカをまた別の部屋へ引っ張って行った。
揉み屋はコの字型をした建物で、通路の脇に横穴のような個室がいくつもある。通りすがりの客は、子供に連れられて歩く修道士の構図に変な顔をしたが、特に話しかけてはこなかった。
ルクスは歩きながら説明してくれた。
「ニヌバは僕の母さんの客だったんだ。あいつは嫌ったらしいやつでさ、悪い注文を押し通すために、気の弱い揉み師ばかり選ぶんだ。……うちの母さんはとても気が弱いんだよ。ルカみたいに」
自分の名前を出されると思わず、ルカはパチパチと瞬きをした。
ルクスは気にせず話し続けているが、どんどん通路が薄暗くなっていることにルカは気づいていた。同じ建物のはずなのだが、壁紙は剥がれかけているし、天井には蜘蛛の巣まで張っている。
「さっき、ニヌバが黄色い帯を巻いた連中に捕まったろう。連中は雄黄の騎士団ってんだけど、ちょっと後ろ暗いところがあると、すぐ捕まえちゃうんだ。ニヌバは確かに嫌なやつだけどさ……でも、変な理由でもう何人も捕まってる。この調子じゃ町からひとがいなくなっちゃうよ」
「そうなのですか……」
つまり、客として来たのを理由に、店が騎士団から目をつけられる危険性があるらしかった。カーツェは注意喚起のために店の主のもとへ知らせに行ったということらしい。
「……ルカ」
「はい」
ルクスは一つの部屋の前で立ち止まっていた。他の部屋は入口に透ける布をかけているだけだったのに、この部屋は木戸が嵌まっていた。工芸で栄えた町だ。後から職人が器用に付けたようだ。
「ここにはカーツェの母さんが寝てる。病気なんだ」
「……」
「診てくれるだろ、ルカ。とてもひどい病気なんだ」
彼の言い方には、有無を言わせない響きがこもっていた。
ルカは、二人が足繁く聖堂へ来ていたのはこのことを頼むためだったのではないかと思った。いつもルカのそばで無邪気に笑いながら、どことなく瞳や肩を緊張させていたのだ。ルカは言った。
「もちろんです。私は修道士ですもの」
「……うん」
ルクスの脱力が見てとれた。もっと早く教えてくれれば、とルカは思ったが、商売に慣れた彼らのことだ。なんらかの見返りを払わなければ助けてもらえないと思っていたのだろう。
部屋の中は薄暗かった。空気は黴臭く、息を吸うだけで喉が痛くなる。
何か大きなものがある、とルカが目を細めると、それは積み重ねた衣類の塊だった。異臭を放っている。
「だれだえ……?」
声がしたのは、その臭い布のカタマリの後ろだった。ルクスがぴゃっと駆けつける。ルカは布の向こうから、やせ細った手が伸びてくるのを見た。
「僕だ。ルクスだよ」
「ルクス……レイラの客か、レイラ、レイラの客はあたしの客だ、あの子は気が弱いんだから……」
「おばさん、だめだ、やめてくれ」
ルクスが寝台に引っ張り込まれそうになっている。
それは物凄い力だったが、ルカが触れると叫び声をあげて離れた。ルクスが尻もちをつく。
「落ち着いてください。なにも恐れることはありません」
「だれ……」
「私はルカ。修道士です」
ルカはなるべく優しく言ったが、暗い部屋に現れた第三者の存在に彼女は怯え切っていた。何か怖いことをされると思うのだろう。きっと、その反応が身に沁みつくくらい怖いことをされてきたのだと、ルカにはわかった。
修道院で事あるごとに罰を受けていたからだ。鞭で打たれたり、暗い反省室に閉じ込められたりしていると、そうされていない時でも心が責められて、何もかもが怖くなってしまう。
「……もう、大丈夫です。私は修道士ですから」
ルカは、いつかジェイルが言ってくれたことを思い出しながら言った。騎士のように力でひとを守ることはできないけれど、ルカは女神様がどんな方なのかは、ひとよりよく知っていた。
「女神様があなたを助ける先ぶれとして、私を遣わしたのです。全地をあまねく見通す方が、あなたのことをとても気にかけておられます。だから、あなたは本当に安心していいのです」
ジェイルは理解してくれないが、ルカは女神アルカディアを本当にそういう方だと信じていた。全能の女神はこの世の何もかもを知っていて、彼女の計画に無意味なことは一切ない。
両親を死に追いやった、醜い忌み子のルカが憎まれながらも生きている。その現実はルカにとって非常に辛いものだったが、しかし、アルカディアが善なる女神であると信じるのであれば、それは単なる悲劇ではない。
女神には人智を超えた素晴らしい計画がある。ルカは泣き虫で浅はか、そのうえ欲に溺れやすい、どうしようもない修道士だが、その計画を遂行するのに必要なメンバーの一人なのだ。
だから今こうして生かされている。女神がルカを望んでくれたから。
『女神』という言葉自体に困惑しているカーツェの母に、ルカは優しく微笑んだ。いま苦しみの中にある彼女もまた、自分と同じく女神に愛されている。それを示すために自分はここにいるのだと、ルカは信じていた。
ルクスの弟分のカーツェは個室を清掃しているところだった。転がり込んできたルカを見て目を丸くしている。
「なんで? なんでルカがここにいるの。呼ぶのは無理だって言ったくせに」
「うるさいよ! そんなことよりニヌバが捕まった」
「えぇっ。あのサギ師が」
雄黄の騎士団に捕まった男のことだ。(サギ師?)と首をかしげるルカをよそに、ルクスは言った。
「いい気味さ! あいつルカのことハメようとしてたんだ……でも騎士団の連中はしつこく嗅ぎまわるからな。きっとここにも来るぞ。その前に番頭に報告しなくちゃ」
カーツェの目が猫のようにキラッと光った。
「わかったぞ。それで僕のとこ来たんだね」
「そうだ、おまえから報告しろ。ちゃんと見返りを求めるんだぞ、母さんのこと……」
「うん、うん」
頭ひとつぶん低いところで交わされる兄弟の会話に、ルカはついていけなかった。ニヌバがサギ師だった点に関してはなんとなく腑に落ちるのだが。
カーツェが指示通り番頭の元へ向かうと、ルクスはルカをまた別の部屋へ引っ張って行った。
揉み屋はコの字型をした建物で、通路の脇に横穴のような個室がいくつもある。通りすがりの客は、子供に連れられて歩く修道士の構図に変な顔をしたが、特に話しかけてはこなかった。
ルクスは歩きながら説明してくれた。
「ニヌバは僕の母さんの客だったんだ。あいつは嫌ったらしいやつでさ、悪い注文を押し通すために、気の弱い揉み師ばかり選ぶんだ。……うちの母さんはとても気が弱いんだよ。ルカみたいに」
自分の名前を出されると思わず、ルカはパチパチと瞬きをした。
ルクスは気にせず話し続けているが、どんどん通路が薄暗くなっていることにルカは気づいていた。同じ建物のはずなのだが、壁紙は剥がれかけているし、天井には蜘蛛の巣まで張っている。
「さっき、ニヌバが黄色い帯を巻いた連中に捕まったろう。連中は雄黄の騎士団ってんだけど、ちょっと後ろ暗いところがあると、すぐ捕まえちゃうんだ。ニヌバは確かに嫌なやつだけどさ……でも、変な理由でもう何人も捕まってる。この調子じゃ町からひとがいなくなっちゃうよ」
「そうなのですか……」
つまり、客として来たのを理由に、店が騎士団から目をつけられる危険性があるらしかった。カーツェは注意喚起のために店の主のもとへ知らせに行ったということらしい。
「……ルカ」
「はい」
ルクスは一つの部屋の前で立ち止まっていた。他の部屋は入口に透ける布をかけているだけだったのに、この部屋は木戸が嵌まっていた。工芸で栄えた町だ。後から職人が器用に付けたようだ。
「ここにはカーツェの母さんが寝てる。病気なんだ」
「……」
「診てくれるだろ、ルカ。とてもひどい病気なんだ」
彼の言い方には、有無を言わせない響きがこもっていた。
ルカは、二人が足繁く聖堂へ来ていたのはこのことを頼むためだったのではないかと思った。いつもルカのそばで無邪気に笑いながら、どことなく瞳や肩を緊張させていたのだ。ルカは言った。
「もちろんです。私は修道士ですもの」
「……うん」
ルクスの脱力が見てとれた。もっと早く教えてくれれば、とルカは思ったが、商売に慣れた彼らのことだ。なんらかの見返りを払わなければ助けてもらえないと思っていたのだろう。
部屋の中は薄暗かった。空気は黴臭く、息を吸うだけで喉が痛くなる。
何か大きなものがある、とルカが目を細めると、それは積み重ねた衣類の塊だった。異臭を放っている。
「だれだえ……?」
声がしたのは、その臭い布のカタマリの後ろだった。ルクスがぴゃっと駆けつける。ルカは布の向こうから、やせ細った手が伸びてくるのを見た。
「僕だ。ルクスだよ」
「ルクス……レイラの客か、レイラ、レイラの客はあたしの客だ、あの子は気が弱いんだから……」
「おばさん、だめだ、やめてくれ」
ルクスが寝台に引っ張り込まれそうになっている。
それは物凄い力だったが、ルカが触れると叫び声をあげて離れた。ルクスが尻もちをつく。
「落ち着いてください。なにも恐れることはありません」
「だれ……」
「私はルカ。修道士です」
ルカはなるべく優しく言ったが、暗い部屋に現れた第三者の存在に彼女は怯え切っていた。何か怖いことをされると思うのだろう。きっと、その反応が身に沁みつくくらい怖いことをされてきたのだと、ルカにはわかった。
修道院で事あるごとに罰を受けていたからだ。鞭で打たれたり、暗い反省室に閉じ込められたりしていると、そうされていない時でも心が責められて、何もかもが怖くなってしまう。
「……もう、大丈夫です。私は修道士ですから」
ルカは、いつかジェイルが言ってくれたことを思い出しながら言った。騎士のように力でひとを守ることはできないけれど、ルカは女神様がどんな方なのかは、ひとよりよく知っていた。
「女神様があなたを助ける先ぶれとして、私を遣わしたのです。全地をあまねく見通す方が、あなたのことをとても気にかけておられます。だから、あなたは本当に安心していいのです」
ジェイルは理解してくれないが、ルカは女神アルカディアを本当にそういう方だと信じていた。全能の女神はこの世の何もかもを知っていて、彼女の計画に無意味なことは一切ない。
両親を死に追いやった、醜い忌み子のルカが憎まれながらも生きている。その現実はルカにとって非常に辛いものだったが、しかし、アルカディアが善なる女神であると信じるのであれば、それは単なる悲劇ではない。
女神には人智を超えた素晴らしい計画がある。ルカは泣き虫で浅はか、そのうえ欲に溺れやすい、どうしようもない修道士だが、その計画を遂行するのに必要なメンバーの一人なのだ。
だから今こうして生かされている。女神がルカを望んでくれたから。
『女神』という言葉自体に困惑しているカーツェの母に、ルカは優しく微笑んだ。いま苦しみの中にある彼女もまた、自分と同じく女神に愛されている。それを示すために自分はここにいるのだと、ルカは信じていた。
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