忌み子と騎士のいるところ

春Q

文字の大きさ
上 下
65 / 145
間章「ニャンヤンのお祭り」

12.信仰

しおりを挟む
 ルクスに手を引かれ、先の見通せない悪い道をどんどん進んだ先にあったのは、揉み屋だった。

 ルクスの弟分のカーツェは個室を清掃しているところだった。転がり込んできたルカを見て目を丸くしている。

「なんで? なんでルカがここにいるの。呼ぶのは無理だって言ったくせに」

「うるさいよ! そんなことよりニヌバが捕まった」

「えぇっ。あのサギ師が」

 雄黄の騎士団に捕まった男のことだ。(サギ師?)と首をかしげるルカをよそに、ルクスは言った。

「いい気味さ! あいつルカのことハメようとしてたんだ……でも騎士団の連中はしつこく嗅ぎまわるからな。きっとここにも来るぞ。その前に番頭に報告しなくちゃ」

 カーツェの目が猫のようにキラッと光った。

「わかったぞ。それで僕のとこ来たんだね」

「そうだ、おまえから報告しろ。ちゃんと見返りを求めるんだぞ、母さんのこと……」

「うん、うん」

 頭ひとつぶん低いところで交わされる兄弟の会話に、ルカはついていけなかった。ニヌバがサギ師だった点に関してはなんとなく腑に落ちるのだが。

 カーツェが指示通り番頭の元へ向かうと、ルクスはルカをまた別の部屋へ引っ張って行った。

 揉み屋はコの字型をした建物で、通路の脇に横穴のような個室がいくつもある。通りすがりの客は、子供に連れられて歩く修道士の構図に変な顔をしたが、特に話しかけてはこなかった。

 ルクスは歩きながら説明してくれた。

「ニヌバは僕の母さんの客だったんだ。あいつは嫌ったらしいやつでさ、悪い注文を押し通すために、気の弱い揉み師ばかり選ぶんだ。……うちの母さんはとても気が弱いんだよ。ルカみたいに」

 自分の名前を出されると思わず、ルカはパチパチと瞬きをした。

 ルクスは気にせず話し続けているが、どんどん通路が薄暗くなっていることにルカは気づいていた。同じ建物のはずなのだが、壁紙は剥がれかけているし、天井には蜘蛛の巣まで張っている。

「さっき、ニヌバが黄色い帯を巻いた連中に捕まったろう。連中は雄黄の騎士団ってんだけど、ちょっと後ろ暗いところがあると、すぐ捕まえちゃうんだ。ニヌバは確かに嫌なやつだけどさ……でも、変な理由でもう何人も捕まってる。この調子じゃ町からひとがいなくなっちゃうよ」

「そうなのですか……」

 つまり、客として来たのを理由に、店が騎士団から目をつけられる危険性があるらしかった。カーツェは注意喚起のために店の主のもとへ知らせに行ったということらしい。

「……ルカ」

「はい」

 ルクスは一つの部屋の前で立ち止まっていた。他の部屋は入口に透ける布をかけているだけだったのに、この部屋は木戸が嵌まっていた。工芸で栄えた町だ。後から職人が器用に付けたようだ。

「ここにはカーツェの母さんが寝てる。病気なんだ」

「……」

「診てくれるだろ、ルカ。とてもひどい病気なんだ」

 彼の言い方には、有無を言わせない響きがこもっていた。

 ルカは、二人が足繁く聖堂へ来ていたのはこのことを頼むためだったのではないかと思った。いつもルカのそばで無邪気に笑いながら、どことなく瞳や肩を緊張させていたのだ。ルカは言った。

「もちろんです。私は修道士ですもの」

「……うん」

 ルクスの脱力が見てとれた。もっと早く教えてくれれば、とルカは思ったが、商売に慣れた彼らのことだ。なんらかの見返りを払わなければ助けてもらえないと思っていたのだろう。

 部屋の中は薄暗かった。空気は黴臭く、息を吸うだけで喉が痛くなる。

 何か大きなものがある、とルカが目を細めると、それは積み重ねた衣類の塊だった。異臭を放っている。

「だれだえ……?」

 声がしたのは、その臭い布のカタマリの後ろだった。ルクスがぴゃっと駆けつける。ルカは布の向こうから、やせ細った手が伸びてくるのを見た。

「僕だ。ルクスだよ」

「ルクス……レイラの客か、レイラ、レイラの客はあたしの客だ、あの子は気が弱いんだから……」

「おばさん、だめだ、やめてくれ」

 ルクスが寝台に引っ張り込まれそうになっている。

 それは物凄い力だったが、ルカが触れると叫び声をあげて離れた。ルクスが尻もちをつく。

「落ち着いてください。なにも恐れることはありません」

「だれ……」

「私はルカ。修道士です」

 ルカはなるべく優しく言ったが、暗い部屋に現れた第三者の存在に彼女は怯え切っていた。何か怖いことをされると思うのだろう。きっと、その反応が身に沁みつくくらい怖いことをされてきたのだと、ルカにはわかった。

 修道院で事あるごとに罰を受けていたからだ。鞭で打たれたり、暗い反省室に閉じ込められたりしていると、そうされていない時でも心が責められて、何もかもが怖くなってしまう。

「……もう、大丈夫です。私は修道士ですから」

 ルカは、いつかジェイルが言ってくれたことを思い出しながら言った。騎士のように力でひとを守ることはできないけれど、ルカは女神様がどんな方なのかは、ひとよりよく知っていた。

「女神様があなたを助ける先ぶれとして、私を遣わしたのです。全地をあまねく見通す方が、あなたのことをとても気にかけておられます。だから、あなたは本当に安心していいのです」

 ジェイルは理解してくれないが、ルカは女神アルカディアを本当にそういう方だと信じていた。全能の女神はこの世の何もかもを知っていて、彼女の計画に無意味なことは一切ない。

 両親を死に追いやった、醜い忌み子のルカが憎まれながらも生きている。その現実はルカにとって非常に辛いものだったが、しかし、アルカディアが善なる女神であると信じるのであれば、それは単なる悲劇ではない。

 女神には人智を超えた素晴らしい計画がある。ルカは泣き虫で浅はか、そのうえ欲に溺れやすい、どうしようもない修道士だが、その計画を遂行するのに必要なメンバーの一人なのだ。

 だから今こうして生かされている。女神がルカを望んでくれたから。

『女神』という言葉自体に困惑しているカーツェの母に、ルカは優しく微笑んだ。いま苦しみの中にある彼女もまた、自分と同じく女神に愛されている。それを示すために自分はここにいるのだと、ルカは信じていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる

佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 番外編は思いついたら追加していく予定です。 <レジーナ公式サイト番外編> 「番外編 相変わらずな日常」 レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

処理中です...