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Ⅶ 祈り
6.逃走
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ルカは暗い地下道を泣きながら走った。
成人の儀を受けて、司祭職に任じられ、忌み子でも世の役に立てるのかもしれないと、そう思った矢先に、こうして暗い地下道に放逐される。
戴冠式のために、あんなに必死に覚えた聖なる歌やしきたりは、すべて無意味だったのだろうか。
女神が、ナタリアが、自分に何を求めているのか、ルカにはもうわからない。
ルカは裾を踏んで転けた。司祭服に仕込んでいた聖水が、暗い地下道を転がっていく。
と、聖水が、またコロコロと戻ってきた。まるで誰かに蹴飛ばされたかのように。
暗闇で、足音がゆっくりとルカに近づいてくる。
「なにを寝てんだよ」
「ジェイル、様……」
槍を持たないジェイルは、まるで市井の人のようだった。深いため息をついてルカに屈む。
「ほら、立て。予告通り、さらいに来てやったんだろうが」
「助けてください! 上にナタリア様がいるのです、興奮した民に取り囲まれて」
「そうだな。早くしないと、ここにもじき来るかもしれん」
ジェイルはルカの脇に腕を差し込むと、ひょいと肩に担ぎ上げてしまった。
思っているのと逆方向に行かれて、ルカは必死に訴えた。
「ジェイル様、そっちではありません! ナタリア様を助けてください。お願いです!」
「落ち着け。近衛騎士がうじゃうじゃくっついているんだ、放っといたって無事に城まで帰り着く」
「コパ様の思惑に逆らった今、あの方の周囲は敵だらけです! 私が守らなければならない!」
「はあ……女王陛下を守るとは、へなちょこ修道士が立派になったもんだな」
ジェイルはルカの尻を叩いて黙らせた。
「現実を見ろ。俺がなぜここにいるのか、わからないおまえではないだろう」
ルカは奥歯を噛みしめた。ナタリアが命じたに違いなかった。
「大した姉だな。並みの男より肝が据わっている」
「……ナタリア様と、話されたのですか」
「侍女づてに手紙が来た。味方がいないどころか、なかなか慕われているようだ」
ナタリアは下位の者から好かれる。
誇り高く、嘘をつけない性格だからだ。その性質は政治をするうえで不利に働くことが多い。
「死んでもルカを守れと言っていたよ」
こうやって、ルカなどのために自分の身を危険に晒してしまうからだ。
地下道を行くジェイルの歩みは速かった。ナタリアがどんどん遠ざかっていくのをルカは感じた。
抱擁も平手も、約束も、二度と戻って来るなという意志の表明だ。
ルカは泣きながらジェイルにしがみつくことしかできない。
あまりにも無力だった。誰も守れない、ただ大きな時代のうねりに飲み込まれることしか。
だとしても。
「わ、私は……私は、もう子供ではありません」
ルカの言葉はいかにも弱弱しかった。
「鮮緑の雷筒を手に、必ずやこの地に戻ります。ナタリア様に守られるのではなく、私がナタリア様をお守りするのです。だって、そうでなければ、私はなんのために……」
「……子供じゃないなら、泣くな」
走り出すジェイルに、ルカはしがみついた。
大聖堂の中は思ったより静かだった。近衛騎士はみな熱狂する民を抑えるために駆り出されているらしい。
ジェイルは「目立ちすぎる」と言ってルカから司祭服を取り上げた。
「きゃあっ!」
「キャアじゃねえ。とっとと着替えろ」
まるで子ども扱いだ。布の服から頭巾まで次々と頭へ被せてくる。その手つきは荒く、明らかに焦っていた。ルカはジェイルの緊張を感じ取り、口をとざした。
大聖堂の裏手に広がる森に、栗毛の馬が隠すようにつながれていた。
ジェイルは槍の柄に荷をくくりつけると、ルカを馬に乗せてしまった。
「ひとまず街道に出る。城下は今ごろ大騒ぎだろうからな。追手はかからんだろうが、コパがどう出るか読めんうちは逃げまくる」
ルカは慌てた。ジェイルに行き先を任せるわけにはいかなかった。鮮緑の雷筒はタジボルグ帝国にあるのだ。
「ジェイル様、私は」
「喋るな」
「でも……、んっ」
ジェイルがルカの後頭部を掴んだ。唇を奪われたルカの体から力が抜ける。つながれたままの馬が、バランスの悪さを嫌がって、頭を上下に振る。
「……喋るな」
ジェイルはもう一度同じ言葉を繰り返した。ルカがなおも口を開こうとすると、またふさぐ。緊張がほどけかけたルカは、股に走った痛みに涙目になった。
「話は後だ。立派な目標があるのは結構だが、今は黙って従え。こっちは待たされどおしでイライラしてんだよ……」
「うっ……ふぇ……っ」
「だから、泣くなッ」
低い声で凄まれた挙句、怒鳴られる。泣くなと言われてもルカは涙ぐんでしまった。
司祭としての努力が無駄になった挙句、ナタリアに放り出されてしまったのだ。本当は今頃、清い勤めから解かれて、この身をすべてジェイルに捧げているはずだったのに。
成人の儀を受けて、司祭職に任じられ、忌み子でも世の役に立てるのかもしれないと、そう思った矢先に、こうして暗い地下道に放逐される。
戴冠式のために、あんなに必死に覚えた聖なる歌やしきたりは、すべて無意味だったのだろうか。
女神が、ナタリアが、自分に何を求めているのか、ルカにはもうわからない。
ルカは裾を踏んで転けた。司祭服に仕込んでいた聖水が、暗い地下道を転がっていく。
と、聖水が、またコロコロと戻ってきた。まるで誰かに蹴飛ばされたかのように。
暗闇で、足音がゆっくりとルカに近づいてくる。
「なにを寝てんだよ」
「ジェイル、様……」
槍を持たないジェイルは、まるで市井の人のようだった。深いため息をついてルカに屈む。
「ほら、立て。予告通り、さらいに来てやったんだろうが」
「助けてください! 上にナタリア様がいるのです、興奮した民に取り囲まれて」
「そうだな。早くしないと、ここにもじき来るかもしれん」
ジェイルはルカの脇に腕を差し込むと、ひょいと肩に担ぎ上げてしまった。
思っているのと逆方向に行かれて、ルカは必死に訴えた。
「ジェイル様、そっちではありません! ナタリア様を助けてください。お願いです!」
「落ち着け。近衛騎士がうじゃうじゃくっついているんだ、放っといたって無事に城まで帰り着く」
「コパ様の思惑に逆らった今、あの方の周囲は敵だらけです! 私が守らなければならない!」
「はあ……女王陛下を守るとは、へなちょこ修道士が立派になったもんだな」
ジェイルはルカの尻を叩いて黙らせた。
「現実を見ろ。俺がなぜここにいるのか、わからないおまえではないだろう」
ルカは奥歯を噛みしめた。ナタリアが命じたに違いなかった。
「大した姉だな。並みの男より肝が据わっている」
「……ナタリア様と、話されたのですか」
「侍女づてに手紙が来た。味方がいないどころか、なかなか慕われているようだ」
ナタリアは下位の者から好かれる。
誇り高く、嘘をつけない性格だからだ。その性質は政治をするうえで不利に働くことが多い。
「死んでもルカを守れと言っていたよ」
こうやって、ルカなどのために自分の身を危険に晒してしまうからだ。
地下道を行くジェイルの歩みは速かった。ナタリアがどんどん遠ざかっていくのをルカは感じた。
抱擁も平手も、約束も、二度と戻って来るなという意志の表明だ。
ルカは泣きながらジェイルにしがみつくことしかできない。
あまりにも無力だった。誰も守れない、ただ大きな時代のうねりに飲み込まれることしか。
だとしても。
「わ、私は……私は、もう子供ではありません」
ルカの言葉はいかにも弱弱しかった。
「鮮緑の雷筒を手に、必ずやこの地に戻ります。ナタリア様に守られるのではなく、私がナタリア様をお守りするのです。だって、そうでなければ、私はなんのために……」
「……子供じゃないなら、泣くな」
走り出すジェイルに、ルカはしがみついた。
大聖堂の中は思ったより静かだった。近衛騎士はみな熱狂する民を抑えるために駆り出されているらしい。
ジェイルは「目立ちすぎる」と言ってルカから司祭服を取り上げた。
「きゃあっ!」
「キャアじゃねえ。とっとと着替えろ」
まるで子ども扱いだ。布の服から頭巾まで次々と頭へ被せてくる。その手つきは荒く、明らかに焦っていた。ルカはジェイルの緊張を感じ取り、口をとざした。
大聖堂の裏手に広がる森に、栗毛の馬が隠すようにつながれていた。
ジェイルは槍の柄に荷をくくりつけると、ルカを馬に乗せてしまった。
「ひとまず街道に出る。城下は今ごろ大騒ぎだろうからな。追手はかからんだろうが、コパがどう出るか読めんうちは逃げまくる」
ルカは慌てた。ジェイルに行き先を任せるわけにはいかなかった。鮮緑の雷筒はタジボルグ帝国にあるのだ。
「ジェイル様、私は」
「喋るな」
「でも……、んっ」
ジェイルがルカの後頭部を掴んだ。唇を奪われたルカの体から力が抜ける。つながれたままの馬が、バランスの悪さを嫌がって、頭を上下に振る。
「……喋るな」
ジェイルはもう一度同じ言葉を繰り返した。ルカがなおも口を開こうとすると、またふさぐ。緊張がほどけかけたルカは、股に走った痛みに涙目になった。
「話は後だ。立派な目標があるのは結構だが、今は黙って従え。こっちは待たされどおしでイライラしてんだよ……」
「うっ……ふぇ……っ」
「だから、泣くなッ」
低い声で凄まれた挙句、怒鳴られる。泣くなと言われてもルカは涙ぐんでしまった。
司祭としての努力が無駄になった挙句、ナタリアに放り出されてしまったのだ。本当は今頃、清い勤めから解かれて、この身をすべてジェイルに捧げているはずだったのに。
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