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Ⅲ 別離
7.月下
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山沿いを何日も歩くうちに景色が変わった。ひらけた道は雪に覆われ、夜も明るい。
襲撃を受けたのは、満月の夜だった。
テントのそばに立ち、白い息を吐くルカの頬は、寒さにかじかんで赤くなっていた。
紗幕のように空を覆う薄い雲が、月に浮かぶ女神の横顔を、より高貴に見せている。
夜の祈りを捧げていたルカは、視界のはしに何か閃くのを見た。次の瞬間、焚火のそばにいた隊長と無口な騎士が揃って立ち上がる。くたびれて兜を脱いでいた見習い騎士が、怯えた声を上げる。
闇夜に光ったのは緑の民の目だった。褐色の肌に緑の髪と瞳を持つ彼らは闇に紛れる。
数年ぶりにルカを攫いに来たらしかった。
敵から丸見えの視界を塞ごうと、隊長が雪を蹴りかけて焚火を消す。降ってわいた暗闇にルカは頭上を切り裂く風を感じた。
「危ない!」
ルカは見習い騎士に体当たりした。が、遅かった。緑の民の飛び道具が彼の顎を裂く。
手を濡らす夥しい鮮血に、戦地での記憶が蘇る。ルカは激しい眩暈を覚えた。だが、すくんだ体を鞭打って彼の体を支える。闇に慣れた目が雪の明るさを捉え始めていた。
「大丈夫、太い血管は無事です……!」
すぐさま修道服の裾を破って応急処置を試みる。残る二人の騎士たちはすでに敵と刃を交わしていた。
ルカは、傷つかない化け物のために誰かが傷つくことは本当に無意味だと思った。公務より何より、失われてしまうかもしれない人命の方がずっと大切に思える。
「やめてください! 狙いは私でしょう!」
その叫びに、剣撃の音が奇妙にねじれた。ルカは向かって来る軽い足音を聞いた。靴を履かない緑の民だとすぐわかった。咄嗟に身を伏せ、見習い騎士の頭を守る。
同時に耳元で鉄靴が鳴った。
ルカの目の前で、あの無口な騎士が緑の民の頭を蹴飛ばしていた。
雪煙を上げて互いに距離を取り合い、先に体勢を立て直したのは緑の民の方だ。
円盤状の飛び道具が騎士を襲う。切っ先がチッと鳴って、兜と鎧の切れ目にかすった。
喉を狙われた騎士は、重心を落として避ける。撥ね上げられた兜が、雪の上に落ちた。
「ジェイル様……?」
雲の切れ間から月が覗く。
ジェイルだった。
振り向いた彼の顔には、額から鼻筋にかけて痛々しい傷跡があった。
無言で敵に向き直る彼は、槍を手にしていた。ぶん、と鞭のように振り下ろす穂先を、緑の民は飛びのいて避ける。ジェイルが薙ぎ払うと、誰も彼に近寄れなかった。
その背に守られ、ルカは混乱していた。
無口な騎士はジェイルで、何日も一緒に旅していた。今も任務でここにいる。姿を消したどころか聖都に留まっていたことになる。
ジェイルが、ぐっと槍を握りなおした。
「……女神は、ろくでもないな。本当に」
緑の民が二人がかりで距離を詰めてきた。襲ってくる刃を、ジェイルは柄でいなしては突き、振り払う。
ルカの目には、その穂先から黒い花が咲いたように見えた。
敵の一人が、血の出た首を押さえる。ジェイルは追って突いた。
雪に散る鮮血から、ルカは思わず顔を背ける。続けざまに肉の裂ける音が立つ。
返り血を浴びた白い鎧姿は壮絶だった。
「や、やめて……」
雪に倒れた死体をジェイルは、まるで弄ぶかのように繰り返し突いた。
騎士らしからぬ追い打ちに、ルカは声を上げた。
「もう、おやめください! ジェイル様!」
ジェイルの手が止まる。ルカを見つめ返す彼の目は、ひどく虚ろだった。
襲撃を受けたのは、満月の夜だった。
テントのそばに立ち、白い息を吐くルカの頬は、寒さにかじかんで赤くなっていた。
紗幕のように空を覆う薄い雲が、月に浮かぶ女神の横顔を、より高貴に見せている。
夜の祈りを捧げていたルカは、視界のはしに何か閃くのを見た。次の瞬間、焚火のそばにいた隊長と無口な騎士が揃って立ち上がる。くたびれて兜を脱いでいた見習い騎士が、怯えた声を上げる。
闇夜に光ったのは緑の民の目だった。褐色の肌に緑の髪と瞳を持つ彼らは闇に紛れる。
数年ぶりにルカを攫いに来たらしかった。
敵から丸見えの視界を塞ごうと、隊長が雪を蹴りかけて焚火を消す。降ってわいた暗闇にルカは頭上を切り裂く風を感じた。
「危ない!」
ルカは見習い騎士に体当たりした。が、遅かった。緑の民の飛び道具が彼の顎を裂く。
手を濡らす夥しい鮮血に、戦地での記憶が蘇る。ルカは激しい眩暈を覚えた。だが、すくんだ体を鞭打って彼の体を支える。闇に慣れた目が雪の明るさを捉え始めていた。
「大丈夫、太い血管は無事です……!」
すぐさま修道服の裾を破って応急処置を試みる。残る二人の騎士たちはすでに敵と刃を交わしていた。
ルカは、傷つかない化け物のために誰かが傷つくことは本当に無意味だと思った。公務より何より、失われてしまうかもしれない人命の方がずっと大切に思える。
「やめてください! 狙いは私でしょう!」
その叫びに、剣撃の音が奇妙にねじれた。ルカは向かって来る軽い足音を聞いた。靴を履かない緑の民だとすぐわかった。咄嗟に身を伏せ、見習い騎士の頭を守る。
同時に耳元で鉄靴が鳴った。
ルカの目の前で、あの無口な騎士が緑の民の頭を蹴飛ばしていた。
雪煙を上げて互いに距離を取り合い、先に体勢を立て直したのは緑の民の方だ。
円盤状の飛び道具が騎士を襲う。切っ先がチッと鳴って、兜と鎧の切れ目にかすった。
喉を狙われた騎士は、重心を落として避ける。撥ね上げられた兜が、雪の上に落ちた。
「ジェイル様……?」
雲の切れ間から月が覗く。
ジェイルだった。
振り向いた彼の顔には、額から鼻筋にかけて痛々しい傷跡があった。
無言で敵に向き直る彼は、槍を手にしていた。ぶん、と鞭のように振り下ろす穂先を、緑の民は飛びのいて避ける。ジェイルが薙ぎ払うと、誰も彼に近寄れなかった。
その背に守られ、ルカは混乱していた。
無口な騎士はジェイルで、何日も一緒に旅していた。今も任務でここにいる。姿を消したどころか聖都に留まっていたことになる。
ジェイルが、ぐっと槍を握りなおした。
「……女神は、ろくでもないな。本当に」
緑の民が二人がかりで距離を詰めてきた。襲ってくる刃を、ジェイルは柄でいなしては突き、振り払う。
ルカの目には、その穂先から黒い花が咲いたように見えた。
敵の一人が、血の出た首を押さえる。ジェイルは追って突いた。
雪に散る鮮血から、ルカは思わず顔を背ける。続けざまに肉の裂ける音が立つ。
返り血を浴びた白い鎧姿は壮絶だった。
「や、やめて……」
雪に倒れた死体をジェイルは、まるで弄ぶかのように繰り返し突いた。
騎士らしからぬ追い打ちに、ルカは声を上げた。
「もう、おやめください! ジェイル様!」
ジェイルの手が止まる。ルカを見つめ返す彼の目は、ひどく虚ろだった。
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