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Ⅰ 呪われた忌み子
9.妹
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「医者に診せたくても金がなかった。ガキの俺はなんとかしようと悪事ばかり働いたが、そう上手くはいかないものだ。ある日捕まって鞭打たれ、やっとのことでねぐらに戻ったら、妹はもう息をしていなかった」
そう話すジェイルの声は、自分で自分を突き放すかのように乾いていた。
「悪いことはするなと兄に向かって説教してくるような、うるさい妹だったよ」
ジェイルがどんなに妹を想っていたか、その声のかすれ方だけでルカにはわかった。
「足手まといな妹でも、急にいなくなられると調子が狂うものだ。こっちはなんで生きてんだかもよくわからなくなる始末で……馬鹿な話だな。そう思うくらいならずっと傍で守ってやればよかったのに」
妹の死に絶望するジェイルを、ルカはありありと思い描けた。こうしてルカにかまい、小言を言い、気遣ってくれる彼は、今もその悲しみの続きにいるような気がしたからだ。
「修道士に言うことじゃないだろうが、女神なんていないし、いてもろくでもない」
ジェイルの言葉は痛々しいほど重かった。
「妹の骸を抱いて死にかけていた時に現れたのが、テイスティスだ。あーだこーだ言って俺から妹を取り上げようとする。まぁ弔おうとしてくれたんだが、俺は不思議だったよ。なんで親切な領主様が、妹が死んでから現れるんだと。まったく、信心深い妹を殺して、生き汚い俺を騎士に仕立てあげる女神なんて、いないほうがマシだ」
ルカはうつむいていた。腰を下ろした敷布は冷えて、固い雪の存在を感じさせる。
妹を亡くしたジェイルの心の傷は、あまりにも深い。修道士として妹の死後の平安を祈りたかったが、それはジェイルにはなんの救いにもならないのだろう。自分の無力さを噛みしめる間に、ジェイルの手はルカの髪を離れようとしていた。
「ほら。済んだぞ」
ルカは感嘆の声を上げた。丁寧に編まれた結び髪は、まるで貴族が身につける上等な飾り紐のようだった。
「あ、ありがとうございます。すごい……」
感謝する声は、驚きのあまり揺れてしまっていた。先に妹の話を聞いたせいか、涙ぐみそうになる。悲しい最期を迎えた彼の妹は、それでも幸福だっただろうか。心優しい兄に、こんなにも綺麗に髪を結ってもらえていたのなら。
「……とても綺麗です。ジェイル様はすごい。すごい方です……」
「編んでまとめただけだ。大げさに言うな」
「大げさではありません! 私にはできないことです。何か、お礼をしないと……」
ルカの勢いに、彼は口元を緩めた。
「そんなに嬉しいのか?」
「はい、とても。とても嬉しいです」
「あっ、そう……ふーん。良かったな」
ジェイルは他人事のような口ぶりだったが眇めた目はどこか照れ臭そうに見えた。
「言い出したのは俺だ。礼なんていい」
「そんな、申し訳ないです。何かお返しを」
「いいんだ、本当に。気にするな」
自分の仕事の出来を確かめるように、ジェイルはルカの髪を手で掬った。
「こうしておまえに触っていると、俺は気分がいい。またほつれたら結んでやるよ」
それを聞いて、ルカはとても胸が痛んだ。ジェイルは忌み子に癒しを見出すほど寂しいのだと思った。少し迷って、ルカは彼の膝にそっと手を乗せた。
「……うん? どうした」
ジェイルはルカに触れられても、少しも嫌そうにしなかった。それだけでルカは、心がはじけそうな喜びを感じる。なんとかしてお礼をしたい、彼の孤独を和らげたい。
その衝動に駆られたルカは、伸びあがってジェイルの頭を胸に抱きしめた。
「……おい。なんだ、急に。なんの真似だ」
ジェイルは身じろいだが、拒まなかった。ルカは自分で抱きついておいて震えていた。
自分の意思で行動するのは怖い。心臓が飛び出してきそうな胸にジェイルを抱き、ルカは子供の時してもらったように彼を撫でた。
「私にも昔、姉のような人がいました。私が寂しかった時にこうしてくれたのです。私は女神様に祈るか薬草を使う以外、人を癒す方法をこれしか知りません」
「は? 馬鹿か。俺は寂しいなんて一つも」
ルカは信じなかった。ジェイルは妹の影を重ねているから、こんなにも忌み子に優しいのだと思った。ルカはそっと囁いた。
「目を閉じてくださって、かまいません。私も喋らないようにしますから」
「……なぜ」
「私のような忌み子が、妹君の代わりになるとは思いません。でも、少しでもジェイル様の慰めになればと思うのです」
ジェイルは沈黙した。気を悪くするかもしれないと思って内心ビクビクしていたルカは、ほっとして彼を撫で続けた。
ジェイルの短い黒髪は手にくすぐったくて気持ちいい。ルカは大きな獣を抱いている気がした。彼の髪からは焚火の匂いがした。薪と土と、甘苦い煙の匂いだ。修道服の胸に感じるジェイルの息は温かかった。
「ルカ。それは違うだろう」
不意に背中に手を回されて、ルカは瞬く。ジェイルはずっと考えていたらしい。
そう話すジェイルの声は、自分で自分を突き放すかのように乾いていた。
「悪いことはするなと兄に向かって説教してくるような、うるさい妹だったよ」
ジェイルがどんなに妹を想っていたか、その声のかすれ方だけでルカにはわかった。
「足手まといな妹でも、急にいなくなられると調子が狂うものだ。こっちはなんで生きてんだかもよくわからなくなる始末で……馬鹿な話だな。そう思うくらいならずっと傍で守ってやればよかったのに」
妹の死に絶望するジェイルを、ルカはありありと思い描けた。こうしてルカにかまい、小言を言い、気遣ってくれる彼は、今もその悲しみの続きにいるような気がしたからだ。
「修道士に言うことじゃないだろうが、女神なんていないし、いてもろくでもない」
ジェイルの言葉は痛々しいほど重かった。
「妹の骸を抱いて死にかけていた時に現れたのが、テイスティスだ。あーだこーだ言って俺から妹を取り上げようとする。まぁ弔おうとしてくれたんだが、俺は不思議だったよ。なんで親切な領主様が、妹が死んでから現れるんだと。まったく、信心深い妹を殺して、生き汚い俺を騎士に仕立てあげる女神なんて、いないほうがマシだ」
ルカはうつむいていた。腰を下ろした敷布は冷えて、固い雪の存在を感じさせる。
妹を亡くしたジェイルの心の傷は、あまりにも深い。修道士として妹の死後の平安を祈りたかったが、それはジェイルにはなんの救いにもならないのだろう。自分の無力さを噛みしめる間に、ジェイルの手はルカの髪を離れようとしていた。
「ほら。済んだぞ」
ルカは感嘆の声を上げた。丁寧に編まれた結び髪は、まるで貴族が身につける上等な飾り紐のようだった。
「あ、ありがとうございます。すごい……」
感謝する声は、驚きのあまり揺れてしまっていた。先に妹の話を聞いたせいか、涙ぐみそうになる。悲しい最期を迎えた彼の妹は、それでも幸福だっただろうか。心優しい兄に、こんなにも綺麗に髪を結ってもらえていたのなら。
「……とても綺麗です。ジェイル様はすごい。すごい方です……」
「編んでまとめただけだ。大げさに言うな」
「大げさではありません! 私にはできないことです。何か、お礼をしないと……」
ルカの勢いに、彼は口元を緩めた。
「そんなに嬉しいのか?」
「はい、とても。とても嬉しいです」
「あっ、そう……ふーん。良かったな」
ジェイルは他人事のような口ぶりだったが眇めた目はどこか照れ臭そうに見えた。
「言い出したのは俺だ。礼なんていい」
「そんな、申し訳ないです。何かお返しを」
「いいんだ、本当に。気にするな」
自分の仕事の出来を確かめるように、ジェイルはルカの髪を手で掬った。
「こうしておまえに触っていると、俺は気分がいい。またほつれたら結んでやるよ」
それを聞いて、ルカはとても胸が痛んだ。ジェイルは忌み子に癒しを見出すほど寂しいのだと思った。少し迷って、ルカは彼の膝にそっと手を乗せた。
「……うん? どうした」
ジェイルはルカに触れられても、少しも嫌そうにしなかった。それだけでルカは、心がはじけそうな喜びを感じる。なんとかしてお礼をしたい、彼の孤独を和らげたい。
その衝動に駆られたルカは、伸びあがってジェイルの頭を胸に抱きしめた。
「……おい。なんだ、急に。なんの真似だ」
ジェイルは身じろいだが、拒まなかった。ルカは自分で抱きついておいて震えていた。
自分の意思で行動するのは怖い。心臓が飛び出してきそうな胸にジェイルを抱き、ルカは子供の時してもらったように彼を撫でた。
「私にも昔、姉のような人がいました。私が寂しかった時にこうしてくれたのです。私は女神様に祈るか薬草を使う以外、人を癒す方法をこれしか知りません」
「は? 馬鹿か。俺は寂しいなんて一つも」
ルカは信じなかった。ジェイルは妹の影を重ねているから、こんなにも忌み子に優しいのだと思った。ルカはそっと囁いた。
「目を閉じてくださって、かまいません。私も喋らないようにしますから」
「……なぜ」
「私のような忌み子が、妹君の代わりになるとは思いません。でも、少しでもジェイル様の慰めになればと思うのです」
ジェイルは沈黙した。気を悪くするかもしれないと思って内心ビクビクしていたルカは、ほっとして彼を撫で続けた。
ジェイルの短い黒髪は手にくすぐったくて気持ちいい。ルカは大きな獣を抱いている気がした。彼の髪からは焚火の匂いがした。薪と土と、甘苦い煙の匂いだ。修道服の胸に感じるジェイルの息は温かかった。
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