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Ⅰ 呪われた忌み子
4.テイスティス
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ルテニアは、女神アルカディアの小指の爪が地に落ちた形だと言われている。それほど小さな国だった。伝承に曰く、女神から国を託された王家は、純白の聖都シュテマを中心にその縦爪を四色に塗り分け、各地を領主に治めさせたという。
即ち漆黒のイグナス、深紅のジェミナ、雄黄のラウム、濃紺のダイバである。
王国は今、領土拡大を目論むタジボルグ帝国の脅威に晒されていた。この冬、王は四度目の遠征軍組織を漆黒のイグナス領に命じた。領主であるテイスティス率いる漆黒の騎士団は、各領の中で最強との呼び声が高い。此度の遠征においても、必ずや侵略軍を打ち払うだろうと目されていた。
軍編成には王と元老院の意向も反映される。ルカは捻じ込まれた人員の一人だった。
星と風を読み、傷を癒す力に長けた修道士は戦の後衛で重宝される。だがルカは従軍資格を満たさない存在だった。社会的に成人していないのだ。本来なら十六の年に受ける成人の儀を、聖都の圧力で受けさせてもらえないまま、今に至る。成人した修道士は一人前と見なされ、就業と婚姻の許可を与えられる。聖なる修道院を離れ、俗世の中で民の規範となって生きることを求められるのだ。
しかし、忌み子のルカにその二つの許可は与えられなかった。ルカは成人できない者として針のむしろのような修道院に繋がれていた。
信仰ひとすじに打ち込んだおかげで、複雑な祈祷儀式は目をつぶっていてもこなせるようになり、各地の修道院を転々とさせられたことで薬草の知識や扱いも他の追随を許さないほどになった。だが、それが戦地で役立つかどうかは別問題だ。まず忌み子の治癒を受けたがる者がいるのかもルカは疑問だった。
周囲から離れていたのも忌み子なりの配慮だったのだが、ジェイルは「とにかく寝場所は移せ」と言った。
「さっきの傭兵たちもそうだが、どうも今回の遠征には妙な連中が紛れ込んでいる。おまえのようにすっとろい修道士が孤立したらどんな目に遭うかわかったもんじゃない。おまえは行軍の時も隊列を乱してばかりだったが……」
ルカは驚いてしまった。ジェイルが何度も隊列に戻そうとしてきたのは、ルカが心配だったかららしい。とはいえ、野営地の中心まで連れて来てもらっても、ルカは不安だった。ジェイルはともかく、遠征軍の人々が忌み子を肯定的に受け入れるとは思えない。
漆黒の騎士たちは、ジェイルがルカを自分の馬に乗せたことにざわついていた。馬がかわいそうだからだ。彼らにとってのルカは、二足歩行して喋る気味悪い生き物、たとえばカエルかなにかなのだろう。
暗くなった野営地の中心では、火が焚かれていた。あたりには大鍋で煮炊きをする匂いが漂い、騎士たちがくつろいでいる。
「テイスティス!」
火の前に立つ大男を、ジェイルは呼んだ。
漆黒の騎士団長、テイスティス。イグナス領の領主をも担う彼の双肩はたくましかった。状況を伝えるジェイルの隣で、ルカは周囲の冷たい視線に怯えていた。皆、糧食を口に運びながらルカを警戒している。
ルカの猫背を、ジェイルはぱんと張った。
「話を聞いていないのか? 早く挨拶しろ」
「は、はいっ……」
ルカは、おどおどと騎士団長の前に立つ。焚火の炎を背負った彼は、焦げ茶色の髪と髭がもみあげで一体化していた。その毛むくじゃらな顔はルカの目に巨大な熊のように映る。ルカは小さな体をますます小さくして、頭を下げた。
「ルカと申します。すみません、ご迷惑かと思いますが寝場所を移させてください」
「ああ。聞いている」
テイスティスは強面に似合わないやわらかな声で言った。髭と同じ焦げ茶色の瞳は丸くいかにも優しげだった。腰をかがめ、両手を前に出す。
「テイスティスだ」
握手を求められたことにも、それが両手なことにも、ルカは困惑した。とにかく失礼にならないよう両手を差し出し返す。次の瞬間、テイスティスはルカの脇に両手を差し入れた。ルカの足は大地から浮いた。
「え。……えっ?」
高い。子供のように抱き上げられた体が、ぶん、と空に向かって勢いよく放られる。
「ぎゃああああ!」
「わははは! イキのいいチビだ。ほーら、高い、高い、高ーい!」
「やめてえええ!」
「テイスティス……」
空中に放り投げては受け止める挨拶を、ジェイルは呆れたように見ていた。
即ち漆黒のイグナス、深紅のジェミナ、雄黄のラウム、濃紺のダイバである。
王国は今、領土拡大を目論むタジボルグ帝国の脅威に晒されていた。この冬、王は四度目の遠征軍組織を漆黒のイグナス領に命じた。領主であるテイスティス率いる漆黒の騎士団は、各領の中で最強との呼び声が高い。此度の遠征においても、必ずや侵略軍を打ち払うだろうと目されていた。
軍編成には王と元老院の意向も反映される。ルカは捻じ込まれた人員の一人だった。
星と風を読み、傷を癒す力に長けた修道士は戦の後衛で重宝される。だがルカは従軍資格を満たさない存在だった。社会的に成人していないのだ。本来なら十六の年に受ける成人の儀を、聖都の圧力で受けさせてもらえないまま、今に至る。成人した修道士は一人前と見なされ、就業と婚姻の許可を与えられる。聖なる修道院を離れ、俗世の中で民の規範となって生きることを求められるのだ。
しかし、忌み子のルカにその二つの許可は与えられなかった。ルカは成人できない者として針のむしろのような修道院に繋がれていた。
信仰ひとすじに打ち込んだおかげで、複雑な祈祷儀式は目をつぶっていてもこなせるようになり、各地の修道院を転々とさせられたことで薬草の知識や扱いも他の追随を許さないほどになった。だが、それが戦地で役立つかどうかは別問題だ。まず忌み子の治癒を受けたがる者がいるのかもルカは疑問だった。
周囲から離れていたのも忌み子なりの配慮だったのだが、ジェイルは「とにかく寝場所は移せ」と言った。
「さっきの傭兵たちもそうだが、どうも今回の遠征には妙な連中が紛れ込んでいる。おまえのようにすっとろい修道士が孤立したらどんな目に遭うかわかったもんじゃない。おまえは行軍の時も隊列を乱してばかりだったが……」
ルカは驚いてしまった。ジェイルが何度も隊列に戻そうとしてきたのは、ルカが心配だったかららしい。とはいえ、野営地の中心まで連れて来てもらっても、ルカは不安だった。ジェイルはともかく、遠征軍の人々が忌み子を肯定的に受け入れるとは思えない。
漆黒の騎士たちは、ジェイルがルカを自分の馬に乗せたことにざわついていた。馬がかわいそうだからだ。彼らにとってのルカは、二足歩行して喋る気味悪い生き物、たとえばカエルかなにかなのだろう。
暗くなった野営地の中心では、火が焚かれていた。あたりには大鍋で煮炊きをする匂いが漂い、騎士たちがくつろいでいる。
「テイスティス!」
火の前に立つ大男を、ジェイルは呼んだ。
漆黒の騎士団長、テイスティス。イグナス領の領主をも担う彼の双肩はたくましかった。状況を伝えるジェイルの隣で、ルカは周囲の冷たい視線に怯えていた。皆、糧食を口に運びながらルカを警戒している。
ルカの猫背を、ジェイルはぱんと張った。
「話を聞いていないのか? 早く挨拶しろ」
「は、はいっ……」
ルカは、おどおどと騎士団長の前に立つ。焚火の炎を背負った彼は、焦げ茶色の髪と髭がもみあげで一体化していた。その毛むくじゃらな顔はルカの目に巨大な熊のように映る。ルカは小さな体をますます小さくして、頭を下げた。
「ルカと申します。すみません、ご迷惑かと思いますが寝場所を移させてください」
「ああ。聞いている」
テイスティスは強面に似合わないやわらかな声で言った。髭と同じ焦げ茶色の瞳は丸くいかにも優しげだった。腰をかがめ、両手を前に出す。
「テイスティスだ」
握手を求められたことにも、それが両手なことにも、ルカは困惑した。とにかく失礼にならないよう両手を差し出し返す。次の瞬間、テイスティスはルカの脇に両手を差し入れた。ルカの足は大地から浮いた。
「え。……えっ?」
高い。子供のように抱き上げられた体が、ぶん、と空に向かって勢いよく放られる。
「ぎゃああああ!」
「わははは! イキのいいチビだ。ほーら、高い、高い、高ーい!」
「やめてえええ!」
「テイスティス……」
空中に放り投げては受け止める挨拶を、ジェイルは呆れたように見ていた。
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