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31.ハルシネーション(R15性描写)

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 アジリニの中に、ゴズメルの妹がいる。

 耳を疑うような報告を受け、地下アジトは騒然とした。

 通信機は一見、紙でできた巻物にしか見えない。シュルシュルと開くと、白い部分に映像が投影されるのだ。

 巻物の中のリリィは、ノイズを受けながらもしゃべり続けていた。

『思い返せば、最初に動き出した火の輪もゴズメルを狙っていました。彼女はアジリニを通して姉を探していたんじゃないでしょうか。以前も接触してきたようです』

「……ううむ」

 地べたにあぐらをかいたジーニョは考え込んだ。脇から巻物を覗き込むダマキが声をあげる。

「でも、そんなことが本当にありえるんですか? ウタキは確かに亡くなってから火の中へ投げ込まれたのです」

 そこにいる大人のミノタウロス族たちは、グレンが妻の遺骸を焼くところを見ていた。

「長のグレンは誰も触ってはならないと言って、すべてを一人でやり遂げました。苦しみぬいたウタキを楽にしてやり、死に化粧を整えたのです。私たちは長のすることを見届けました。赤ちゃんはウタキとともに死んだはずです。あの火の海は、どう考えても赤ちゃんが生きていられる環境ではありません」

 ミギワは青ざめてうなだれていた。ほかのミノタウロス族も、大きな火に向かって献花を投げた時のことを憶えていた。当時のゴズメルは最後まで逆らったので、座敷牢に閉じ込められていたのだ。

「……普通ならな」

 ジーニョの声は、とても低かった。

「ノァズァークにも死産はある。母体ごと、という例も当然ある。……ただ、父親はミノタウロス族の長だったのだろう。世界との互換性を失い孤立した種族の長だ。その子供がどれほどの腐食を受け継いでいたのかはわからない」

「……長は、代々、特別な言葉を、受け継ぐ」

 グレンの長男であるミギワが小さな声で言った。ダマキは「そうです」とうなずいて後を引き継いだ。

「ミノタウロス族の中でも、特に訛りがきつい。若いミノタウロスは聞き取ることが難しい言葉です。それを受け継ぐと、とても強くなれると伝わっています」

「ああそうなんだろうな。それで問題の子供は長になってから授かったのか」

「……そのはず、です」

「ふっ」

 ジーニョの失笑は、彼の言わんとすることを如実に物語っていた。肩を緊張させて黙り込むミギワと反対に、ダマキは怒った。

「どういう意味ですか! 長は子を望むべきではなかったと? 誰もウタキが悪い苔に侵されるなんてことわかりませんでした。いいえその可能性があるとわかっていたとしても、部外者のあなたにとやかく言われたくはありません!」

 ダマキの怒りようにジーニョは腰を抜かしていた。アジトの中でも比較的言葉が使える彼女は、嫌な顔ひとつせずに調整役を引き受けていた。仲間たちも目を丸くしている。誰もダマキがこんなに大きな声で怒るなんて思わなかった。

「私たちにできるのは必要な準備を整えて祈願することだけ、それに応え、子を授けてくださったのはアジリニ神ではありませんか! なぜ辛い思いをしたグレンとウタキがあなたなんかにそしられなければならないのです!」

「ダマキ、ダマキ」

 ミギワに呼ばれて、ダマキはぐっと言葉を飲み込んだ。

 ウタキの死は、ミノタウロス族全体の心に影を落としていたのだった。長の子供たちも、もちろんそうだ。

 一件を受けて末っ子のゴズメルは里を出ていき、長男のミギワは子作りに消極的である。次男のサゴンに関しては、何を考えているのか誰もわからないのだが、そもそも伴侶を探す気がないように見える。

『死んだやつのことなんざどうだっていいよ! それより、今はどーすりゃいいんだ!』

 一応は当事者であるはずのゴズメルのセリフに、一同は脱力した。映像の揺れ方から、二人が移動中であることが見てとれる。リリィはゴズメルに担がれながら言った。

『おじさま、アジリニの暴走を受けて隔壁がどんどん閉まっています。ひとまず研究所内に入りましたが……』

「……あぁ。こちらのことで時間をとらせてすまない。研究所の職員も異変を察知して集まってくるだろう。ひとまず、移動しつつ身の安全を確保してくれ」

 神殿の稼働は朝の九時からだ。一般プレイヤーがアジリニに異常が起こっていると気が付くまでにはまだ時間がある。今頃、夜勤の社員が慌てふためいているに違いない。

『逃げるのは構わないけどね、この事態に打つ手はあんのかい。じいさん』

「……問題は、その妹とやらが言葉を理解できない点にある」

『あっ?』

 息も上げずに走り続けるゴズメルに、ジーニョは説明した。

「アバターこそ持っていないが、その少女がミノタウロス族であることは間違いない。クメミ山の火の中を漂っていた彼女は、もしかすると火の精霊のようなものだったのかもしれんな。ああ、ミノタウロス族の信仰する『天女』と言うべきか? ……ところが、アジリニが天女から言語を奪ってしまった」

 ゴズメルが障害物をジャンプしてまたいだようだ。ジーニョは酔いそうになる映像を、天女像の間にも投影した。からだの大きなミノタウロス族たちに手元を覗き込まれて、苦しかったのだ。

「アジリニと一体化した天女は、言葉もわからないまま大量の情報にアクセスしてしまった。覚醒した今、巨大な赤ん坊のように目に映るものをオモチャにしているのだろう。当然、対話するどころではない」

『こんちくしょう、どうしようもないなら無理って言えばいいだろ!』

「無理ではない。言葉を学習させればいいと言っているんだ」

『は……?』

 二人は使われていない実験室への侵入に成功したようだ。巻物に映り込んだゴズメルを、ジーニョは指さした。

「結局のところ、天女が求めているのはおまえだ。ゴズメル」

『えーっと、襲ってくる相手に言葉を教えろって言ってんの? そんな悠長なことしてられるわけ』

「違う。同じミノタウロス族、同じ性別、同じ親から生まれたおまえを、天女は情報源として食いたがっている」

『……!?』

「おまえは言葉にも不自由がないようだから、まさしく最適な学習データだろうな。要はおまえを天女に食わせたあと、お嬢さんが交渉を試みれば」

『そんなの絶対ダメーッ!!』

 リリィの叫び声が、地下アジトに反響した。彼女は巻物をゆさぶって『もっとマシな方法を思いついてくださいませっ』と叫んだ。

『そんな酷いことを仰るなら、おじさまがこちらに来て直接アジリニとお話しなさったらいいのです!』

「しかしミノタウロス族をここに取り残すことになる……」

『じゃあアジトを引き払って全員で来てくださいな!』

「いや、これだけの数の一般プレイヤー、それも純種をむざむざカトーの手にかけさせるわけには……」

『お、じ、さ、ま!』

「ふぇえ・・・」

 巻物いっぱいに顔を押し付けて怒るリリィに、ジーニョはタジタジだった。と、画面が急に天井を映す。ゴズメルが取り上げたらしい。画面外の二人の声だけが聞こえる。

『リリィ、落ち着きなって』

『だってゴズメル、こんなのあんまりだわ……! ンッ、だめぇっ……』

 ちゅっ、と吸い付くような音が聞こえてくる。

『あっ、あっ、ゴズメル、ゴズメルぅ』

『ぺちゃくちゃ喋ってないで、もっと下品に舌を伸ばしな。いじめられるの好きだろ』

『へぁあ、あ、すき……っ』

 時と場所をわきまえずイチャつく二人に、ジーニョは呆然とする。映ってなければ声も聞こえないと思っているのだろうか。ミノタウロス族も天女像の中央に映る映像を見上げているのに。

 ラブシーンは次第に激しくなり、オズヌと夫は三人の子供たちの耳をふさぐのに忙しかった。

『ふーっ、ふーっ、ごじゅえう、あ、あ、おっぱい、おっぱいもイジメてくらひゃいっ』

『へぇ、リリィはおっぱいをイジメられたいのか。なんで?』

『おっぱいひもちぃいのっ、あぁん、お願い、リリィのおっぱいをぶって、ぶってぇ、パンパンって叩いて……!』

『このヘンタイ妖精めっ! めちゃくちゃにイジメちゃうからなっ』

『にゃああんっ』

 唐突に始まった公開セックスショーに、地下アジトには気まずい空気が流れていた。きゃあきゃあ言っているのは、若いナギとムクゲくらいだ。と、ゴズメルが巻物を放り出したらしい。

 大きく揺れた画面に、一瞬、ゴズメルの後頭部が映った。

 ピンク色の片角が、ひらめく。

「あ。……あーっ!!」

 パズルのピースが埋まるような感覚に、ジーニョは絶叫した。その場にいるミノタウロス族も、通信中のゴズメルも飛び上がるほどの声量だった。

 ジーニョは巻物を破れそうなくらい引っ張って叫んだ。

「角だ、角! カトーのやつが折ったのだろう!? それも世界がアップデートされる前のはずだ。角は脳にほど近いうえ、種族の重要な形質を含んでいる! 食わせれば天女に言葉を与えられるかもしれん!」
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