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9:からみあうメモリー!

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「今日は神殿に行くわ。ついていらっしゃい」

「!?」

 朝、マリアにいきなりそう言われてゴズメルは絶句した。目を開けてはいたが、実際のところほとんど気絶した状態だったに違いない。気がつくとマリアの呼んだキャブに乗り込んでしまっていた。

(……まずいなぁ。あたし、今日は体調がよくないのに)

 今夜は満月だった。なんとか気合いで活動しているが、ずっと気持ちが悪いのだ。今日は家で大人しくしていようと思っていたのに、マリアはゴズメルにも都合があるなんて思わないらしい。

(だいたい神殿って……神殿にあたしを連れていくって……えぇ……?)

 キャブに揺られているあいだ、ゴズメルはずっと混乱しっぱなしだった。

 それでマリアが白い羽の生えた神官に「プレイヤーアカウントの住所登録はこちらでいいかしら」と尋ねた時、やっと合点がいった。どうやらマリアは、ゴズメルの住所を登録しにきたらしい。手続きには本人確認が必要なので、ゴズメル自身も連れてきたようだ。

 準備が整うまで、神殿の堅い長椅子で待たなければならない。座ったゴズメルは、自分の思い違いがだんだん愉快になってきた。一人笑いしているとマリアが犬のフンでも見るような目で見てくる。

「おぞましい……なんて気持ちの悪い女なの……」

「いや、だってさぁ……理由もなんにも言わずに連れてくるから、てっきり、あんたがあたしと祈願するつもりなのかと思っちゃった。ギャッ、痛い痛い、なんでぶつんだよ……いや、マジで痛いって……!」

 慌てて訴えたが、瞳孔をかっぴらいたマリアは、ゴズメルを殴るのをやめなかった。

「よくも私にむかって、そんなフザケた口を……」

「そ、そんなに怒ることないだろ、勘違い、ただの勘違いだから」

「あなたは私のことなんて、ひとかけらも好きじゃないくせに」

「へっ?」

 ゴズメルはびっくりした。マリアの声が震えていて、本気でそう言っているように聞こえたからだ。

「ちょっと待ってよ」

 ゴズメルはマリアの両手を押さえる。マリアは口が立つが、腕力はさほどでもない。

「どういう意味だい、それは……」

「……ふふっ。そう、面白いわね……バイコーン貞節を喰う獣の鼻をごまかせると思っているの」

「えっ……?」

 マリアはゴズメルの手を振りほどいた。

「私が何をしたところであなたは私のものにはならない。記憶をなくしてもずっと、たったひとりの面影を求め続けているのでしょう。あなたの放つ甘ったるい匂いで、私は反吐が出そうだわ……!」

「そんな……えぇ……?」

 意味がわからない。だが、ゴズメルは不思議とマリアの言うことを否定できなかった。思い当たるふしなんてひとつもないのに、彼女の言っていることは正しいという気がする。ただひとつの点を除いて。

「あたし、マリアのこと嫌いじゃないよ。なんで急にそんなヒステリックになるんだ」

「……あぁ、そう」

 マリアは黒い角と銀の髪をぶるりと震わせた。

「それなら、いっそ嫌ってくれたらいいのに。ああ、おぞましい……祈願ですって? なぜ私が雑種などという汚らわしいものをこの世界に生み出さなきゃならないの」

 マリアの吐息は切れ切れだった。今にも泣きだしてしまいそうに見えた。だが、さすがは冒険者協会副会長とでも言うべきか、事務的な事柄への対処は完璧だった。ゴズメルに手書きのメモを渡してくる。

「ゴズメル、私は少し風に当たってきます。あなたはこの住所を使って手続きを済ませなさい」

「マリア……」

「ついてこないでちょうだい」

 長椅子から立ち上がったマリアは、ふらついていた。

 ゴズメルは心配だったが、ついてくるなと言われると追いかけることができない。

(本当に、嫌いなわけじゃないのに……)

 殴られてひどいことを言われたのは自分のほうなのに、ゴズメルは罪悪感を覚えていた。

 手の中のメモには、高層マンションの住所が書いてある。

(それにしても住所変更って……まだ居候してていいってことかな。なんで教えてくれなかったんだろ。断られるのが怖かったとか? いや、まさかあの自信満々なマリアに限って……)

 教えてくれればよかったのに、とゴズメルは思った。そうすればゴズメルは素直に有難がったし、マリアを怒らせずに済んだのだ。

(……なんか、なんだろう。この気持ちは)

 考えれば考えるほど、ゴズメルは悲しくなった。マリアは筋金入りの純血主義者だ。自分も雑種のくせに雑種を憎んでいて、いっそ憐れんでさえいる。だから、祈願をすることができない。雑種として雑種を生むことを自らに禁じているのだ。

 もしも、そういう彼女が、まかりまちがって誰かに恋をして、そのひととずっと一緒に暮らしたいと思ったら、いったいどうするのかというと――。

 ゴズメルの手の中で、住所を書いた紙がくしゃっと鳴る。だが彼女はそれ以上考えることができなかった。

「お待たせしました。ゴズメル様ご本人でよろしいですか?」

「えっ。あ、ハイ」

 手続きの準備が整ったようだ。長椅子まで来てくれた神官に、ゴズメルはわたわたと向き直った。

 神官は端末を操作しながら、しきりに首をかしげていた。

「申し訳ありません、ゴズメル様。旧住所の記録がないようなのですが、以前のお住まいはどちらですか?」

「えっ……あー、えっと、あたしは冒険者だから、根無し草だったのかも?」

 よくわからないので、ゴズメルはイチかバチかで言ってみた。すると、神官は変な顔をした。

「……それは、両親の代から住所がない、という意味ですか?」

「えー、と……?」

「ゴズメル様」

 神殿職の花形、ハクチョウ族の神官は咳払いして言った。

「本来、この欄が空白ということはシステム上ありえないことなのです。あなたのご両親が祈願を行った時、つまりあなたが発生する前に記入されるのですから」

「えっ」

「なので、何らかのエラーだとは思うのですが……ただ、こちらのデータは上書き保存された形跡がありますね。空欄がとても多いのです」

「……それって、誰かがあたしの記録を故意に抹消した可能性があるってことかい?」

「そこまでは断定できませんが……」

 どういうことだろう。ゴズメルは困惑した。いや、エラーに決まっている。ゴズメルの過去の住所やなんやかやを抹消して、誰が得をするというのだ。というか、誰にそんなことができる?

「ちなみに、元データの復元とかはできるんだろうか?」

「申し訳ありません。完全な復元は不可能です。ただ、ログをたどれば住所くらいは……」

 思わぬ過去の手がかりである。ゴズメルは鼻息が荒くなった。

 その時、せっせと端末を操作していた神官が「あら」と声を上げた。

「ストレージにアイテムが一件だけ入っているようです。取り出してみますか?」

 ストレージは自分専用の金庫みたいなものだ。アイテムボックスとも似ているが、アイテムボックスはたとえば冒険者協会が報酬を振り込むなど第三者が介入できる。頻繁に出し入れするので、間違えて中身を捨ててしまうこともある。ストレージはそれよりもっと深い階層に位置する金庫だ。中に入れたものはアカウントに紐づけられて、ずっと保存される。入れるのはカンタンでも、神殿に来なければ取り出せないという点が少し不便だが。

(……家族の写真とかかもしれないな)とゴズメルは思った。(いや、あたしは冒険者だったんだし、なにかとてつもない宝物を隠していたのかも・・・!?)

 いずれにせよ記憶喪失で一文無しのゴズメルにとっては大きな収穫である。

「取り出してください、お願いします!」

「では、ご本人様確認のサインをお願いします」

 ゴズメルは震える指で、端末にサインをした。神官が虚空に指先をさまよわせ、鍵を回すような仕草をする。

「これは、書類……? いえ、メモのようですね。ご確認ください」

 実体化したメモ用紙を、ゴズメルは慌てて受け取る。

(メモ……またメモか)

 マリアが書いた住所のメモを、ゴズメルは自分の膝に乗せていた。皺の寄った、小さな四つ折りの紙を開く。

 ゴズメルは、最初、そこにバラの花びらが挟んであるのかと思った。

「え……」

 そこには、誰かの赤い唇の痕があった。

 ルージュを引いた唇を、メモ用紙に押し当てたのだとわかる。

 ゴズメルは指を震わせて、その痕をなぞる。

 ストレージの中に眠っていた愛の証は、いまだ色鮮やかなまま保存されていた。

 ぐらっ、とゴズメルの視界が傾いだ。とがった破片を突き立てるような痛みが、ゴズメルの左側頭部を襲う。

「うぁ、あぁぁっ……!」

 痛みから逃れようと、ゴズメルは抱えた頭を左右に強く振った。神官が驚いて声を上げる。「落ち着いてください、ゴズメル様、ごずめるさま」二枚のメモがひらひらと床に落ちた。

 マリアの気持ちと、名前も思い出せない、誰かの。

 もう、失くすわけにはいかない。ゴズメルは身を乗り出して拾おうとしたのだが、体勢を崩したとたん、気が遠くなってしまった。
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