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第3章 従魔研編

122.エリンの場合

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 ※


 エリンは、その整った顔を、驚愕に歪め、その、城にしか見えない建物を見上げた。

 地図は書いてもらっていたので、ゼン達から少しばかり遅れて、クランの宿舎だという建物にたどり着いたのだが、これは間違いとしか思えない。

 きっとすぐ近くに、もう少しこじんまりとした建物があるのだろう。

 そう思って、門を通り過ぎようとした、その場所に、アルスティエールが呆れた顔をして急に現れた。

 転移術だ。故郷で何度も驚かされたので、これには慣れている。

「何をしておるのじゃ?驚くのも分かるが、通り過ぎて何処へ行くというのじゃ」

「え、じゃあ、やっぱりこの、お城にしか見えない建物が、ゼンさんの言っていた、クランの宿舎、なんですか?」

「うむ。色々怪しい建物じゃが、まあその怪しさは、子猿……ゼンのせいではないからのう。

 ほれ、手を出せ。接触しておらんと、魔術式が面倒になる」

 アルスティエールは、それでもまだマゴマゴしているエリンの手をつかみ、強引に転移する。

 そこは、小城の玄関ホールで、エリンが来てるから、迎えに行って来る、と言って消えたハイエルフを追って、ゼンが今まさに、外への扉を開けようとしていたところだった。

「わざわざ迎えに出てもらって、すまない、アル」

「あのままだと、何処か他の場所に、行ってしまいそうじゃったからな。

 礼なら、昨日出していた南国の、でかい果物を丸々1個所望じゃ!」

「はいはい。エリンさんも、夕食、まだですよね?うちの夕食の方式なんかにも、意見とか欲しいんで、食べていって下さい」

「あ、それは、是非に……」

 と答えつつも、方式ってなんだろうと考えるが、食堂に案内されてすぐに分かった。

 壁際にテーブルが並び、そこに料理の試食用見本が並んでいる。

 ゼンがつくる料理は基本的に、人間風、エルフ風、ドワーフ風、魔族風、獣人族風とあって、今日はその中の3種、エルフ、ドワーフ、獣人族風の料理のどれかを選ぶ。

 前菜、スープ、メイン肉と魚料理と付け合わせの野菜、それぞれ1種、後サラダ。デザートは甘味か果物で、これには種族別はない。飲み物は、種族別でお酒かお茶か、果物のジュースもある。料理の品別で選べるので、迷う者はかなり迷う。

 30人以上はいる冒険者達が、メモ書きを持って、1のエルフ風、2のドワーフ風、3の獣人族風のどれにするか、味見をして悩んでいる。かなり楽しそうだ。

 エリンは、少し気になる料理を味見した後、素直にエルフ風で統一する事にした。

 西風旅団は奇数にスーリアがいるが、受付嬢をしている彼女は、今日遅くなると聞き、女性側の席が一つ余るので、エリンはそちらに同席させてもらう事にした。

「え、と。初めまして。研究棟で、主任補佐をしています。エリンといいます」

「ああ、話は聞いています。俺は、西風旅団のリーダーのリュウエン。呼ぶ時はリュウでいいです」

 体格のいい大柄な少年が気さくに言い、他もそれぞれ自己紹介してくれた。

 中でも気になったのは、女性二人。どちらも、エルフと言われても不思議がないくらいの美少女で、銀髪の方がリュウの恋人で、黒髪の方が、ゼンの婚約者の一人……。

「ギルドとクランの繋ぎで、ゼンの補佐をしてもらえる、という事みたいですが、それはやっぱり秘書的な感じなんですか?」

「はい。私もギルマスからは、そう聞いています。少なくとも、クランが正式に稼働して、軌道に乗るまでは、こちらのサポートをするように、と。

 ゼンさんから、クランで集めようと思っていた人数がもう集まってしまったので、なるべく早く来て欲しい、との事で、今日は部屋決めに参りました。

 最初の勧誘会で、全部決まるなんて、凄いですね」

「俺等も驚いてる。どこかはごねるだろう、と思っていたし、実際ごねた所もあるんだが、ゼンが話でうまくまとめたり、リーダーが模擬戦で実力見せたり、後、ファナ秘書官も、何か後押ししてくれたらしいな」

 旅団のスカウト、ラルクが、自分達もこうなるとは思わなかった、と機嫌よく言う。

「ゼン君は、困った人の事が良く分かる、優しい子だから~」

「……そうね。あいつは、ちょっと聞いただけで、問題の本質を理解して、解決の糸口を見つけたり出来るから。人探しをギルドに丸投げするのは、上手いけど、ちょっとごり押しよね」

 少し批判的に言って、笑っているが、表情は誇らしげだ。

(……いいなぁ。好きな人がいて、それが凄い人で、愛されている喜びがあって……)

 エリンは、この場の雰囲気が、とても和やかで穏やかな為だろうか、自分の中にも暖かさで満たされる様な、疑似的な幸福感がある。

 幼馴染で、ほぼ同年代のハルアが、まさか自分より先に恋愛を、初恋をするなんて、思ってもみなかったのだが、どこか危なっかしく、破天荒な友達が、悪い男にたぶらかされたりしないか、と心配になって、ゼンの事を色々調べ、研究棟でよくよく観察して、そして―――



 エリンは、魔力が余り強くない。精霊魔術も、使えてもそこそこで、とても魔物と実戦的な戦いが出来るような力はなかった。

 そんな中で、他の者にはない、不思議なスキルがあった。

 それは、『感情感応』。簡単に言ってしまうと、周囲や、特定の相手の感情を感じ、共鳴して、勝手にその感情を共有してしまう、という、余り役に立つスキルではない。

 その場の雰囲気が分かる、という意味では、空気が読めていいかもしれないが、そんなのは、よっぽど鈍感でなければ、普通に感じられるものだ。

 しかも、自分で使おうと思って使えるものではなく、時々、あ、スキル発動してる、と勝手に使用状態になっていて、これは一体何の為にあるのだろう、と本人も不思議に思っていた力だった。

 それが、ゼンを観察した時に起こってしまい、しかも、深く長く共鳴してしまった。

 その時、ゼンは何か過去を回想していたらしい。

 ニルヴァーナに、旅の話を聞かれたりした時だった。

 恐らく、そこから連想して更に過去を思い浮かべていたのに、エリンは巻き込まれて、感情面でのみ、なのだが、ゼンの過去を追体験するような事になったらしい。

 圧倒的な、絶望とすら思える孤独。

 かすかな光が見えても、すぐにそれは消え、見えなくなる。

 そして、更なる苦痛を伴った、大きな絶望、喪失。

 しばし凪のように、虚無感が続く。

 そして、とてつもない大きな喜び、歓喜!

 急に訪れた、穏やかで暖かい、幸福の日々。

 だがそれも、長くは続かない。

 別れ―――離別の悲しみと、それと同じくらい大きな喜び、硬い、決意。

 封じ込められた想い。

 それからの、苦痛と悔恨、死と生のはざまを行き来する、凄惨な日々―――

 ニルヴァーナとゼンの話が終わり、ゼンが退室した後しばらくして、エリンはその場に卒倒した。

 気が付くと、部屋のソファに寝かされ、ニルヴァーナが心配そうな顔でこちらを伺っていた。

「例の、スキルね?」

「……はい。何故か、深く入り込んでしまったようで……」

「気分はどうだ?体調が悪いようなら、早退して寮に戻ってもいいわよ?」

「あ、大丈夫だと、思います。

 ……ニルヴァーナ様、人間って、あんなにも深い苦しみ、強い痛みを受けても、その意志を、曲げず折れずに前を向いて、生きていけるものなんですね……」

「人間が、どう、とかではなく、それはゼン君、個人の資質。彼自身の強さじゃないかしら」

「………」

「エルフは、長命種であるから、余り見た目にはとらわれない。気づいているかな?エルフの研究者達は、誰一人として、彼を子供扱いしていない。

 それは、彼が『流水の弟子』だから、なだけじゃない。

 彼から感じる精神(こころ)、魂は、まるで何百もの戦場で、生と死の境界線を潜り抜けて来た、歴戦の傭兵のような厚み、凄味を感じるわ。

 精神年齢、と言う意味でなら、貴方やハルアよりも、余程年を取った、年上の様よ。

 大人びている、のではなく、もうほとんど大人ね」

「ハルアはともかく、私も子供扱いなんですか?」

「まあ確かに、ハルアより貴方は上かもしれないけど、ゼン君よりは年下に感じるわよ」

「う……」

 色々な意味で経験不足、未熟なのは承知の上だが、ハッキリそう言われるのは悲しい。

「本当に大丈夫?エリン」

「?え、ええ、大丈夫です」

「でも、顔が真っ赤よ」

「!?」

 一目惚れ、というのがあるが、エリンの場合は、“一触惚れ”とでもいう状態だったのだろう。スキルで、感情に触れた、ただそれだけで、相手を好きになってしまったのだ。

 今までだって、スキルが発動し、他人の感情に触れた事は何度もあった。でも、好きだと嫌いだとか、自分の感情に影響する事はなかった。

 だから、これは“特別”なのだ。

「でも……友達が好きになった人を……」

「後から好きになった。そこに、何か問題がある?ハルアが上手く行った後なら、多少の問題はあるかもだけど、恋愛は、別に早い者勝ちじゃないし、先が有利も不利もない。それとも、自分の方が好かれる自信でもあるのかしら?」

「そんなの、ある訳ありません。むしろ、逆です。ハルアは、いつでも自由で、好きな事を好きなようにやって、その自由さに、私は憧れています。

 でも私は、エルフだって以外は、地味で目立たない、そこらにいる、その他大勢に過ぎないんです……」

「やれやれ。確かに、貴方とハルアは対称的だけど、それは、ハルアが必ずしも好かれる訳ではないし、貴方が嫌われる訳でもないでしょう。

 私は、その他大勢を自分の補佐にしたつもりはないわ。

 ハルアにあの娘なりの良さがあるように、貴方にも貴方なりの良さがあるのよ」

「……そうでしょうか?」

「そうなの!困った娘ね。

 ……じゃあ、もっと根本的な問題の方を考えましょうか。ゼン君が、二人の女性と婚約した事は聞いたわね」

「……はい」

「ハルアはもう、自分が何番目であろうと、変わらずゼン君を好きで、彼に自分を好きになってもらいたい姿勢を変えるつもりはない、と明言したらしいわね。

 貴方はどうなの?ハルアに、一人だけを一途に思う相手にしろ、と言った貴方は、当然諦めるのかしら?婚約とは言え、もう相手が二人も決まっている。貴方の理屈だと、とても好きになれる相手ではないわよね?」

 その通りだった。まだ、ゼンの周囲に女性が多い、というだけで、エリンはハルアに、ゼンはやめた方がいい、としたり顔で注意したのだ。

 だが、自分の事になってみるとどうだろう。それによって、自分の気持ちに何か影響があるか、というと、驚くべき事に、何も変わりないのだ。

 ハルアがどうでもいい、と言った気持ちも今なら分かる。それによって、自分の好きの気持ちが変化する事はない。恋人がいるから、とかいないから、とかで好きになった訳ではないからだ。

 勿論、道徳的には、恋人持ちにちょっかいをかけるべきではない。うまくいっている所に、波風を立てるのはいけない、と思うのだが、建前上思うだけで、本音の部分は、もう好きになってしまったんだから、仕方がない、と開き直っている。

「……前言を撤回するようで、身勝手かもしれませんが、初めて好きになった人なんです。諦めきれません」

 自分に、こんな人の迷惑を顧みない、我が侭な所があるとは、思ってもみなかった。

「うんうん、その方がいいわ。恋愛なんて、理屈で割り切れるものじゃないんだから、感情優先でいいのよ。

 貴方はむしろ、そういうのを我慢して押し殺そうとすると思っていたけど、我慢なんて、しない方がいいの。自分が、それ程強い想いを相手に持てるなら、それで正解だと、私は思うわ」

 ニルヴァーナは、どちらかと言うと引っ込み思案で、人の前に出るより後ろに下がるのを選択しがちなエリンの性格を、微笑ましく思ってはいたが、歯がゆくも感じていたので、初恋による心境の変化は、好ましいものに思えた。

「ゼン君に婚約者は、レフライアに聞いた所、魔術師のサリサリサという女性は、強気な方で、もう一人の、私達もよく知るザラさんは、控えめな女性よね。

 つまり、無理に置き換えると、ハルアと貴方みたいな感じ。つまり、どちらにも、可能性があると思えるわ。

 どちらも年上で、その点から言うと、容姿的にはギリギリ年上かしらね。でも、他種族とは成長の違うエルフが、そこで考えても仕方がない。本当は遥かに年上なんだし」

 いつまでも若い容姿のエルフは、他種族にとって、恋人にするには、即物的に言って都合のいい相手なのだが、ゼンという少年が、そんな功利的な理由で女性を選ぶとは思えないので、余り常識的な考えでは、通用しないかもしれない。

「そうですね……。

 それに、従魔の研究機関が終わったら、ゼンさんは冒険者稼業に戻って、研究棟との接点はなくなって、会う機会もほとんど……」

 そもそも研究棟の者は、余り外に出ないので、出会いが少ないとよく言われている。

 確かに、実験期間が終われば、ゼンとは距離を縮めるどころか、物理的にも大きく離れてしまうだろう。

「そこで、エリンにいい話があるの。レフライアから頼まれたのだけど、ゼン君がつくる予定のクラン、小規模とはいえ、それなりの人数の集団になるわ。そういった所では、各々それぞれのチームの情報、全体の情報などを収集し整理する補佐役が必要だろう、と言うの。

 あの子は、何でもかんでも自分でやってしまうから、時々、自分が冒険者だって事を忘れてるんじゃないかって、そんな訳ないのにね。

 で、その役割を、ギルドから派遣して、こちらとの連絡も密にして行きたい、とギルマス様は言っているの。その為にギルド公式のクラン認定もするとかって話」

「はあ、凄い話ですね。その、何が私にいい話なんですか?」

「だから、貴方がその役割に、行ってみない?って話よ。向こうに住み込みの秘書役、となるのかしら」

「……その秘書とか補佐とかを、私が、ですか?」

「嫌なら無理には勧めないけど?」

「い、嫌じゃないです!で、でも、私なんかに務まるかどうかと思って……」

「大丈夫よ。普段やってる事と、そんなに変わりはないし、分からない事があれば、それこそ聞いて段々と仲良く、打ち解け合って行けばいいのよ」

「……そんなに上手く行くんでしょうか?」

「それは、貴方の努力次第でしょ?」

 そうして、エリンが、ギルドからのクラン派遣に、正式に決まったのだった。




*******
オマケ

エ「実は、ですねゼンさん」
ゼ「何ですか?」
エ「私、寮で同室の子がいるんですけど、その子は、私が面倒見ないと、どうしようもなくて、世話のかかる子で。時々は、研究棟に泊ったりもしてるんですが」
ゼ「はあ」
エ「私が寮からこちらに移ると、色々困るかもしれないんです。で、こちらは、部屋が随分広いじゃないですか」
ゼ「そうですね。3人ぐらいは余裕かな、と」
エ「だから、その子も一緒に来ては駄目でしょうか?」
ゼ「駄目、という事は、全然ないですよ」
エ「良かった。じゃあ、ハルアにも言っておきますね」
ゼ「え”」
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