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第20話 針千本

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 起きて、朝の沐浴を済ませ、僕は矢も楯も堪らず、再び玉砂利を手に取った。
 政臣さんは、いつ来るだろう?

 ――ぱらぱらぱら……。

 僕は、現れた文様を見て、頬を綻ばせた。正午過ぎと出た。
 思ったより早い時間に、心が弾む。
 その心持ちのまま、また歌を詠む事にした。
 硯をする音も軽い。

 夜(よ)もすがら
 みづのかんばせ
 思ひつつ
 いつしか寝(ぬ)れば
 夢でまぐわう

 心のままに自由奔放に詠んだのだけれど、ちょっと考えて、一番最後を書きかえた。
 『夢でまぐわう』を、『夢でみえけり』にした。
 ちょっと直接的過ぎて、風情がなかったな。
 次の歌をあれこれと考えていたら、先代が入ってきた。

「充樹。何をしている。ご神託の準備をしなさい」

「はい、先代」

 帳面や筆を片付けようとすると、先代が遮った。

「そのままでよい。あれを入院させた。今後、皇城がどうなるか、占って欲しい。大事なご神託だ」

 ああ……充樹、自由になれたんだな。良かった。
 ほっとしながら、有田焼の器を出してきて前に据える。
 神経を集中させ、平伏して先代に問うた。

「ご神託を授かるのは、皇城の行く末、でよろしいでしょうか」

「近しい未来から、十年のちまで占ってくれ」

「はい」

 未来は移ろうものだ。十年のちともなれば、易々とは占えない。
 僕は器から玉砂利を掬って目線の高さに掲げ、瞼を瞑って長い間精神を研ぎ澄ませた。
 心を無にして、ゆっくりとそれを零す。全て畳に落ちきる頃には、僕は疲れてほうっと細く息を吐いた。
 先代も耳を澄ませて、僕のご神託を待っている。衣擦れの音一つもしない、しん、とした静寂が下りた。
 
「……近しい未来は凶、十年のちは大吉と出ました」

「凶とな?」

「はい。ですが、そこから十年のち、大吉に転ずるのです」

 僕は色取り取りの玉砂利を、注意深く読んだ。

「近しい未来に、裏切り、諍(いさか)いの凶相が出ております。皇城は一時(いっとき)、混乱するでしょう。ですがそれが些細と思えるほど、そののち大吉に転じ、皇城は大きく繁栄するでしょう。具体的に言うと、来世、百代目も安泰、と出ております」

「なるほど。世継ぎが生まれるという事だな。それならば安心だ。あれを入院させたが、その事が皇城にどう影響するのか、気がかりだった」

「ご心配の必要はないかと」

「ああ」

 先代はやや表情を明るくして、頷いた。
 誉められた事のない僕は、それだけで嬉しくなる。
 
「先代のお役に立てるのは、わたくしの喜びです」

「うむ。お前は立派な当主だ。お前のご神託で皇城が、ひいては国が動いておる。励みなさい」

「はい、勿体ないお言葉でございます」

 幼い頃に言い聞かされていた言葉だけれど、十(とお)を過ぎる頃にはもう、先代は殆ど僕に会いに来なくなっていたから、また聞けて誇らしい気持ちでいっぱいになる。
 平伏してからはにかむと、先代がまた、重々しく頷いた。
 
「先代。藤堂様がお見えになりました」

 その時、家人が声をかけてきた。
 政臣さん! 僕は心の中で飛び跳ねた。

「お通ししろ。充樹、上手くやりなさい」

「はい!」

 やがて、政臣さんが背広を着て入ってくる。僕と目が合うと、にこっと笑った。
 どうしよう。例えようもなく、嬉しい。
 三人、それぞれの座布団に腰を落ち着けて、挨拶する。

「こんにちは。皇城さん、充樹」

「こんにちは。政臣さん」

 先代は平伏して、言い置いた。

「今日は、我が家でごゆるりとお過ごしください」

「はい。ありがとうございます」

「では、私はこれで」

 先代は出て行った。

「政臣さん。お久しぶりです……!」

 優しい笑みに、白い歯が零れる。

「そうだな。十日ぶりくらいか? 本当は毎日でも充樹に会いたいが、皇城さんが、会うのに良い日を占ってくれているから、来られなかった」

「先代が?」

「ああ。聞いていないのか?」

 そうか。お腹様とのお勤めがあったりしたから、政臣さんを遠ざけたんだ。

「はい。でも、僕が勝手に占ってしまいますので、実は政臣さんがいらっしゃる日は分かっています」

「へぇ。ご神託でそんな事まで?」

「あの……先代には、内緒にしてくださいね。皇城の為の力を、逢瀬の日当てに使っているなんて知られたら、叱られてしまいます」

 家人に聞かれぬよう、顔を寄せて小さな声で言ったら、政臣さんも小声で返してきた。

「はは。充樹も、俺がサボってあの坂で昼寝してるって事は、内緒だぞ?」

 小指が差し出された。
 懐かしい感覚が、身体を暖かくする。それは、幼い頃の記憶。

「指切り、ですか?」

「ああ」

「昔、母様と約束する時に、した覚えがあります!」

「充樹も、小指を出せ」

「はい」

 僕はしっとりと、政臣さんと小指を絡めた。嬉しくて、嬉しくて、頬が紅潮する。

「歌は、知ってるか?」

「歌?」

「指切りげんまんの歌」

「すみません、知りません」

 そう言うと政臣さんは、絡めた小指を上下に弾ませながら、口ずさんだ。

「指切りげんまん、嘘吐いたら針千本、飲ーます。指切った」

「わ。ちょっと恐い歌ですね」

「そうだな。決まり文句だからあまり意味まで考えた事はなかったけど、恐い歌だな」

 小指を解いて、僕は政臣さんに嘘を吐いている後ろめたさに、恐る恐る尋ねる。

「嘘を吐いたら、針を千本飲まないといけないのですか……?」

 政臣さんは、僕の怯えた顔を見て、頭に掌をぽんぽんと置くように撫でた。

「約束をする時の、ただの子供の言葉遊びだ。本当に飲ませたりしないから、安心しろ。それに、充樹は嘘なんか吐かないだろう?」

 僕は咄嗟に平伏した。表情で悟られないように。

「はい。嘘は吐きません」

 先代の言う事は絶対だ。
 でも同じくらい大事な政臣さんに、正直に打ち明けたいという思いと闘いながら、僕は頭を下げたまま唇を噛み締めた。
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