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42 わからないこと
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長期間、オスカーが屋敷を空けることはよくあるらしい。
お金の管理や取引先とのやり取りは、家政を取り仕切るかたわら、ナンシーとジェイクが分担してくれた。
メイドや従僕も慣れたもので、必要があれば自分たちで判断して、仕事をこなしている。
そして、夜会や茶会はない。つまり私の仕事は、ゼロ。しばらくは暇を持て余して、気まずい日々を過ごすのだろう、と思っていた。
その予想は大きく外れた。
「うーん……『経験』の意味って、8歳くらいの子にどう教えたらいいのかしら」
書き物机に向かってから、もう30分。毎日毎日、こんなことばかり考えている。
『アリス、もっと勉強を教えてよ!』
と、アレンに頼まれたので、昼間はその準備に追われている。
(ああ、難しいなあ。こっちから物を持っていけないから、紙に書いて教えられないし)
あれから何度か、紙やペン、子ども用の服なども抱いて寝てみたけれど、あちらの世界では忽然と消えてしまうのだ。
けれど、母の形見のネグリジェはそのまま。もしかすると、古いものなら過去へ持って行けるのだろうか。
だとしても、あれがあるのは明らかに変だ。小物入れにしまったはずの、綺麗な方の懐中時計。
(服もペンも持って行けないのに、あれだけはしっかり首から下がってる。何か意味があるのかしら……ああ、わからない)
私は、べたっと書き物机に突っ伏した。
昼間だというのに、窓の外はどんよりと薄暗い。灰色の雲がかかっているせいだ。
ぼうっと眺めているうちに、そういえば……と考え事が浮かんでくる。
(わからないといえば、アレンの家族について、いろいろ謎が残ってるのよね)
わかっていることといえば、アレンの父親は亡くなっていること。アレンの部屋を荒らしたのが、母親だということ。
母親に関しては、アレンへそれとなく尋ねたことがある。だけど、彼がひどくうろたえて黙ってしまったので、あまり詳しくは聞けていない。
とにかく、母親は少なくとも生きている。そして、なぜか時々暴れるらしい。
(そう……ご両親の事情は、多少はわかってきた)
なのに、一緒に住んでいるはずの《オスカー》だけは、気配すら感じない。
(アレンの話だと、お母さんは《オスカー》に付きっきりみたい。それなら、2人の会話が聞こえてもよさそうなのに)
ただ……引っかかる。アレンの母親が喚いていた時、彼女は《オスカー》を探していた。けれど、家の中にこもっているという《オスカー》は、何の反応も示さなかった。
(もしかして、《オスカー》はもう死んでる……? でもアレンの話ぶりでは、まだ生きているみたいだった)
それなら、なぜ《オスカー》の声が聞こえないのだろう。物音もだ。7歳の男の子なら、家の中でも飛んだり跳ねたりしているだろうに。
いくら考えても答えが見つからず、頭の中で「わからない」をこねくり回す。
(というか……そもそもあそこへ行った時、周りに注意を払うことがあまりなかったわね。いつも、すぐにアレンを呼ぶから。次にあの部屋へ行ったら、声や音に集中してみようかな)
そう決めると、疑問だらけの心が少し落ち着いた。
授業の準備を済ませて、夜を待つ。
ベッドに入ってしばらくすると、いつものように、ふわっと体が浮く感じがして──。
(よし)
荒れた部屋に降り立った私は、拳を握った。この間も危惧したように、ずっとここへ来られる保証はないからだ。
いつもなら、すぐにアレンを呼ぶのだけれど、今回は違う。
私は呼吸の音を抑えて、耳を澄ませた。
(……あっ!)
か細い声が聞こえてくる。右手の壁からだ。
そうっと近付いて、壁に耳をつけ、息を殺した。
お金の管理や取引先とのやり取りは、家政を取り仕切るかたわら、ナンシーとジェイクが分担してくれた。
メイドや従僕も慣れたもので、必要があれば自分たちで判断して、仕事をこなしている。
そして、夜会や茶会はない。つまり私の仕事は、ゼロ。しばらくは暇を持て余して、気まずい日々を過ごすのだろう、と思っていた。
その予想は大きく外れた。
「うーん……『経験』の意味って、8歳くらいの子にどう教えたらいいのかしら」
書き物机に向かってから、もう30分。毎日毎日、こんなことばかり考えている。
『アリス、もっと勉強を教えてよ!』
と、アレンに頼まれたので、昼間はその準備に追われている。
(ああ、難しいなあ。こっちから物を持っていけないから、紙に書いて教えられないし)
あれから何度か、紙やペン、子ども用の服なども抱いて寝てみたけれど、あちらの世界では忽然と消えてしまうのだ。
けれど、母の形見のネグリジェはそのまま。もしかすると、古いものなら過去へ持って行けるのだろうか。
だとしても、あれがあるのは明らかに変だ。小物入れにしまったはずの、綺麗な方の懐中時計。
(服もペンも持って行けないのに、あれだけはしっかり首から下がってる。何か意味があるのかしら……ああ、わからない)
私は、べたっと書き物机に突っ伏した。
昼間だというのに、窓の外はどんよりと薄暗い。灰色の雲がかかっているせいだ。
ぼうっと眺めているうちに、そういえば……と考え事が浮かんでくる。
(わからないといえば、アレンの家族について、いろいろ謎が残ってるのよね)
わかっていることといえば、アレンの父親は亡くなっていること。アレンの部屋を荒らしたのが、母親だということ。
母親に関しては、アレンへそれとなく尋ねたことがある。だけど、彼がひどくうろたえて黙ってしまったので、あまり詳しくは聞けていない。
とにかく、母親は少なくとも生きている。そして、なぜか時々暴れるらしい。
(そう……ご両親の事情は、多少はわかってきた)
なのに、一緒に住んでいるはずの《オスカー》だけは、気配すら感じない。
(アレンの話だと、お母さんは《オスカー》に付きっきりみたい。それなら、2人の会話が聞こえてもよさそうなのに)
ただ……引っかかる。アレンの母親が喚いていた時、彼女は《オスカー》を探していた。けれど、家の中にこもっているという《オスカー》は、何の反応も示さなかった。
(もしかして、《オスカー》はもう死んでる……? でもアレンの話ぶりでは、まだ生きているみたいだった)
それなら、なぜ《オスカー》の声が聞こえないのだろう。物音もだ。7歳の男の子なら、家の中でも飛んだり跳ねたりしているだろうに。
いくら考えても答えが見つからず、頭の中で「わからない」をこねくり回す。
(というか……そもそもあそこへ行った時、周りに注意を払うことがあまりなかったわね。いつも、すぐにアレンを呼ぶから。次にあの部屋へ行ったら、声や音に集中してみようかな)
そう決めると、疑問だらけの心が少し落ち着いた。
授業の準備を済ませて、夜を待つ。
ベッドに入ってしばらくすると、いつものように、ふわっと体が浮く感じがして──。
(よし)
荒れた部屋に降り立った私は、拳を握った。この間も危惧したように、ずっとここへ来られる保証はないからだ。
いつもなら、すぐにアレンを呼ぶのだけれど、今回は違う。
私は呼吸の音を抑えて、耳を澄ませた。
(……あっ!)
か細い声が聞こえてくる。右手の壁からだ。
そうっと近付いて、壁に耳をつけ、息を殺した。
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