女子力低くて何が悪い

三谷朱花

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番外編4

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「…レバー・パテ」

 最後に出された料理を見て、アリーナは呟く。

「ええ。貧血にいいと聞きましたから」

 確かに聞いたことはある、とアリーナも控えめに頷く。ほうれん草のポタージュ、ふんわりとしたオムレツも貧血にいいと言いながら出してきたし、パセリのマリネも同じ説明をされた。

「別に貧血なわけじゃないわよ」

 心配されるのが嬉しくないわけではないが、どうしてそう思い込むんだろうと、アリーナは心の中でため息をついた。
 生理の前の症状でライがアリーナが妊娠したと勘違いしてちょっとした騒ぎを起こしたのは今日だ。そして同じ日にアリーナの生理は始まった。あと一日早ければ今日の騒ぎもなかったと思うと、自分自身の体のことながら、もう少し早く始まって欲しかったと思ったのは間違いない。
 ちょっと生理の日が遅れていたため、アリーナももしや、と思わなくもなかったが、生理が遅れることも、生理前に眠気が襲ってきたり、吐き気がしたり、食欲がなかった、と思えるような症状が出たことはまれではあったけれど今までもあったことだし、今朝はいつもの生理前のようにおなかの痛みを感じたため、そろそろだな、と思っていた。

 だが、数日前からアリーナがそういう症状を起こしていることからすっかりアリーナが妊娠していると思い込んでいたライは、今日は非番だったということもあってか、アリーナの調子が悪そうなのを過剰に心配してなのか、朝から医師に見せに行こうと言い出した。
 たぶん今日か明日には生理が始まるだろうと思っていたアリーナは、勿論そんなことにYesと言うはずがない。仕事を休ませようとしたライを押し切り、妊娠はしていないと仕事に行くと言い張ったアリーナは、生理が始まりそう、という話をライとするのにまだ抵抗があって、そのことは口にしはしなかった。

 だが、それが間違いだとわかったのは、職場に到着してからだ。

 アリーナが職場に入って挨拶をすると、挨拶を返してくれた人の視線がなぜかアリーナの後ろに向けられた。アリーナもそれに誘導されて後ろを向いたのだが、そこには、いるはずのないライが立っており、アリーナと目が合うとにっこりと笑っていた。
 いくら何でも職場についてくるとかおかしい、とアリーナはライの勘違いの内容が内容だけに、廊下に出て小さな声で話すようにライにお願いしながら、説得を試みた。
 だが、こんな誰が通るかわからないような場所でちょっとデリケートな話を大っぴらにできるはずもなく、時間をかける気もなかったアリーナの説得は早々に不調に終わった。
 大丈夫だから見守る必要はないと言い張るアリーナに、「それならば今から医師に診てもらって大丈夫だと証明してください」とライは全く引く様子を見せず。

 わざわざ医師に見せる必要性も感じていなかったアリーナは、そのために時間を使うくらいなら、とライにドアの前から動かないこと、朝アリーナの後ろをついて来た時のようにその気配を消すことを望んだ。これ以上の時間のロスをしたくなかったためだ。
 そうして、アリーナが仕事に集中してライの存在をすっかり忘れたころ、生理が始まった。
 ああやっぱり、と思いながら厠から出てきたらライとガイナーが厠の前に立っていて、ライが職場に来ていたのを思い出したくらいだ。
 だがやはり男性二人の前で生理が始まったなどと口にするのは恥ずかしくて、困っていたら、ガイナーの方はどうやら察したらしくライに説明するようにと去っていった。
 二人きりになってもライはまだ察することができないらしく、アリーナは渋々生理が始まったと説明した。

 「え」と、ぽかんと口を開いたライの表情は、アリーナも今までに見たことがなく少しおかしかったが、その後に自分の勘違いに気付いて恥ずかしそうに顔を赤くするライはもっと見たことがなくて、アリーナの方がびっくりしてしまった。
 しかも、ライは「ご迷惑をおかけしました。ガイナー室長にも、業務後にお詫びを。」とあっさりと踵を返して帰って行ってしまった。耳を赤くしたままだったから、恥ずかしくていたたまれなかったせいだとアリーナは思った。
 そして業務後、ライが今日は非番のため夕食を作るという話になっていたことから、いつも帰る時間より早くにアリーナを迎えに来たライは、その手に菓子折りを持っていて、お騒がせしたお詫びに、とガイナーに差し出していた。ガイナーも苦笑しつつ受け取りながら、ライに「今後は部外者が仕事と関係なく立ち入ることは禁じますから」と釘を刺していた。

 もし今後本当に妊娠したとしたらとライの行動を危惧していたアリーナは、ガイナーの苦言に感謝した。これでライは今日みたいなことはしないだろう、と。
 だが、やはりライは違う。その苦言に対して「仕事があれば許されるんですね」と言ってのけた。反省して菓子折りを持ってきたはずなのに、なぜか許しを得たような感じで嬉しそうに言ってのけたのだ。
 ガイナーが助けを求めるようにアリーナを見たので、アリーナは視線だけで心の奥底から“申し訳ない”と謝っておいた。アリーナもどう対処すればいいのか、さっぱりわからない。
 だが、アリーナも仕事をするなら静かに仕事をしたい。
 帰り道、馬車の中でどうすればライの過剰な行動を抑えられるのか、疲れた頭をフル回転させてみた。
 が、あまりいい案は思い浮かばなかった。
 家に到着してから、着替えながらも考えてみたが、やっぱりいい案は浮かばなかった。

 そして食卓についてみれば、なぜか貧血にいいと言いながら食事を並べられたわけである。
 少なくとも、アリーナは生理中に貧血になったことは一度もない。完全にライの思い込みによる食事内容だとアリーナは思う。

「それほどアリーナのことが心配だと言うことです」
「心配してくれるのはありがたいと思うんだけど…。とりあえず食べましよ」

 貧血にいいという食べ物が並んではいたが、その見た目も香りも、食欲をそそるものだ。折角の食事が冷めてしまうのはもったいないと、アリーナはライへの説得を後回しにした。

「…アリーナがもし本当に妊娠したら、私はきっとアリーナを私の執務室へ連れて行きたくなるでしょうね」

 ぼそりとライがつぶやく。ほうれん草のポタージュを口に含んでいたアリーナは、それが気管に入ってむせた。

「アリーナ、大丈夫ですか」

 慌てたライがナプキンをもってアリーナに差し出す。
 アリーナは手元のナプキンで口元を抑えながら、呼吸が整うのを待ちつつ、ライが差し出したナプキンを受け取った。
 呼吸が整うと、アリーナは手元のナプキンを置いて、受け取ったナプキンで口元をぬぐいながら、キッとライを睨む。

「そんなの嫌よ」
「駄目、ですか」

 すがるような瞳を向けられて一瞬ひるんだアリーナだったが、ここで強気に出ておかないと、本当にそうなりそうな未来が見えて、気持ちを奮い立たせる。

「当たり前でしょう。私の仕事ができません」
「特別に私の執務室に仕事を持ってこれるようにしたらいいじゃありませんか。」

 ライが事も無げに言い放った言葉に、ライならば実現させてしまうかもしれないと思いつつ、アリーナは眉を顰める。

「金庫番の仕事を他の部署でやるなんて聞いたこともないですし、他に漏らすと困る書類だってあります」

 アリーナの言葉に、ライが考え込む。

「それにライ様は騎士団の副団長をしていて、ライ様も機密事項を扱っていますよね? そんなものを扱っている場所に、いくら結婚しているからって私を滞在させるとか問題行動ですよ」

 アリーナは畳みかけるように、ライの立場を強調した。

「…機密事項を扱わなければいいですね」

 考え込んでいたライが口にしたのは、屁理屈もいいところの内容だった。

「ライ様、それは私に、金庫番の仕事をするな、と言ってますか?」

 半目になったアリーナに、ライは慌てたように首を横に振る。

「違います。私が騎士団副団長ではなく、一騎士団員になればいいのか、と考えたんです」

 アリーナは、予想外のライの答えに頭が一瞬止まる。

「えーっと…。…どうしてそんなことに?」
「アリーナが機密事項を扱っている執務室などに来たくはないようですし…それであれば、私が金庫番に頻繁に行く理由を作ればいいわけでしょう? 騎士団の庶務の人間は、度々金庫番に顔を出すでしょう? その立場になれば簡単にアリーナを見に行けると思ったんです。思い付きではありましたが、なかなかいい考えですね。それに金庫番が見張りの位置になる部署に行くのもいいかもしれない」

 ライはそう言いながら、うんうん、と満足したようにうなずいている。

「いえ、あのライ様。…それだときっと誰も許さないと思いますよ」

 ライが副団長の職を辞してまで一般団員になりたい理由がそれとか、誰も許可しないだろう。

「だれも馬鹿正直に言うわけがないでしょう? 大丈夫、理由は何とでもなります」
「理由がどうとかじゃなくて、ライ様が副団長を辞めると言うのは…許さないと思います」

 ライがどれほど国にとって必要な人間なのかということはアリーナだってよく知っている。

「アリーナも許しませんか?」
「そんな理由なら、絶対に許しません」
「アリーナは騎士団の副団長ではない私は好きではないですか」
「…そんな話はしてないですけど…副団長ではなくてもライ様のこと好きですよ」

 アリーナの答えに、ライが嬉しそうに頷く。

「なら、大丈夫です」
「そんなわけありません」

 アリーナは頭を抱える。

「降格する方法ならいくつかありますし。」
「…わざと降格しようとするライ様は好きじゃありません」

 そのアリーナの一言に、ライが哀しそうに目を見開く。ようやくアリーナは糸口を見つけられたとほっとする。

「当たり前でしょう? 私は自分の仕事に誇りをもってやっています。ライ様もそうじゃありませんか? なのに、私を…見守りたいってそれだけのために自分の仕事をないがしろにしてしまえるんなら…そんなライ様のことは好きになれそうにありません」
「…仕事をきちんとしない私は嫌いですか」
「私がそんなライ様を好きになると思いますか?」

 ライが力なく首を横に振る。

「だったら、今持てる限りの力で、ご自分の職務に当たって下さい。それに、私はいつも見られて仕事をするのはごめんです。私の仕事は集中力が大事なんです。今日みたいにいられたら、集中力を欠けてしまった人もいたと思います。明日私からも皆に謝っておきますが、ライ様も謝って下さいね」

 コクン、と頷くライに、アリーナは今日は珍しい表情のライを見るものだ、と思いながらほっと息をつく。

「謝りますから、私のことを見捨てないでくださいね」

 何やら気弱になってしまったライに、アリーナは苦笑する。

「見捨てるわけありません。…今日のことは、ライ様が浮かれてしまっていたからでしょう? 子供を楽しみにしてくれているのは嬉しいですから」
「…あの、アリーナ。」
「何ですか」
「子供が生まれてからも、“ライ様”と呼ぶんですか」

 何だかきっかけがつかめなくて、結婚してからもアリーナはライ様と呼び続けていた。どうやらそれを変えて欲しいとライは言っているようだ。

「…ライ…。」

 アリーナは小さな声で言ってみたものの、何だかものすごく恥ずかしい気持ちになる。

「え?」

 だが、ライには聞こえなかったらしい。アリーナは恥ずかしい気持ちのまま、口を開く。

「ライって呼んだの」

 アリーナが勢いよく呼んだ名前は十分に聞こえたようで、ライが嬉しそうに頷く。

「ええ、今みたいに大きな声で呼んでくださいね」

 どうやらさっきの小さい声も聞こえていたらしいとわかって、アリーナは憮然とする。

「小さな声で囁いてくださるのはベッドの中だけでいいですから」

 ますます憮然としたアリーナは、手を止めていた食事を再開させる。
 アリーナをからかうライに怒ってはいたが、おいしいごはんを「おいしい」と言わないでいられるわけもなく、ライがいそいそとレバーパテを塗ったフランスパンを差し出すころには、アリーナもすっかり機嫌は直っていた。
 勿論、そのアリーナの様子に、ホッとしたのはライなのだが。


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