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第一章 はじまり
#48
しおりを挟む――肉祭り当日の朝。
オークの森の異常は噂となって多くの街の住人の知るところとなっており、祭りの雰囲気に不安の影を落としている。
だが折角の祭りなのだ、住人達は皆不安を胸の内に隠し、目前の祭りを楽しもうとしていた。外来の客達はどこかいつもと違う祭りの雰囲気に違和感を覚え、勘の鋭い冒険者や商人達は住人から異変の内容を聞き出して既にこの街を後にしている。
一方、護を含むゴールドランク以上の冒険者達は厳しい状況を強いられていた。
一週間前のオークの掃討要請の翌日から、二、三日に一度軽い地震が起こり、その更に翌日にはオークの森の魔獣の数が急増していたのだ。おかげでゴールドランク以上の冒険者は連日駆り出され、魔獣との相次ぐ連戦によって徐々に疲労を蓄積させていた。
当然、彼らの中から何人もの負傷者が出ている。辛うじて死者だけは出ていない事が救いだろうか。
ついでと言っては何だが、連日の魔獣との戦闘による功績がギルドに認められ、護はゴールド+ランクになっている。
肉祭りの前日にも少し揺れの増した地震が起きている。今回も多くの魔獣が現れる事を予想され、あらかじめ怪我人を除く冒険者達には森への掃討要請が出ている。
護はまだ薄暗い朝靄の中、既に店を開いている気の早い屋台や、商品の確認をする露天商達が準備をする大通りを通り過ぎ、開いたばかりの東門をくぐってオークの森へ向かう。前方にはここ数日で時折遠くから見かけたいくつかの冒険者達の姿があった。中にはゴールドランクとなった[迷宮の薔薇]や、[戦場の宴]の面々も含まれている。彼らも護と同じく掃討要請を受けた者達だろう。その足取りは重い。
二、三時間ほどかけてオークの森に辿り着いた面々は、ここ数日で相談し、パーティーごとに決めたエリアに散開して探索を始める。護も一応声を掛けられたが、ソロの冒険者に一定範囲の掃討は無理だろうと判断され、適当に小物の魔獣でも狩っていてくれ。と言われ、つまり遊撃って事でいいのかな。と護は判断し、兎に角出会ったものを片っ端から片付けるようにしている。
疲労の残る体を叱咤し、すぐに遭遇するであろう魔獣を警戒しながら進む彼らだったが、おかしい。隅々まで森を探索しても、出会うのはオークや他のパーティーだけだ。
いや、本来であればおかしくはないのだが、昨日の今日でこれではむしろ不安が掻き立てられる。一度全員で集合し、どのパーティーも同様である事を知った彼らは、もう一度徹底的に探索し、同じ結果が出るようであればギルドに戻って報告、後の指示がないようであれば解散、という事になった。
再び散開し、護も念入りに探索を繰り返すも、オークの他に見つかるのは小動物や虫達くらい。何の成果も挙がらず谷の入り口に集合した彼らが、数人の監視を残してギルドへと報告に戻ろうとした、その時だ。
初めは数人が足元に違和感を覚える程度だった。
だがすぐに全員が感覚を同じくし、徐々に大きくなっていた違和感は、はっきりと分かるほどの揺れとなって彼らを襲う。
揺れの原因はすぐに判明した。どこからやって来たのか、それともどこかに隠れていたのか、波のような岩石系の魔獣の群れが、彼ら特有の重く硬い体で大地を揺らし、草花を吹き飛ばし、木々を薙ぎ倒しながら、護達冒険者に向かって競い合うように激走してきていた。
「なっ!馬鹿なっ!?あれだけの数の魔獣が一体今までどこに!」
「そんな事言ってる場合じゃない!殲滅しないと!」
「んなの無理に決まってんだろ!あの数だけでも脅威だってのに、岩石系の魔獣があの勢いで突っ込んできてんだ、止める事も出来ずに全員挽き肉になっちまうのがオチだ!」
熟練の冒険者である彼らだったが、明らかに尋常でない事態に冷静さを欠き、混乱をあらわにしていた。
怒鳴り合いに参加出来ず、話し合う相手もいない護は、必死にどうすればいいのかを一人で考えていた。
(ど、どどどうする!回避?無理無理絶対捕まる!魔術?岩石系は硬いから俺の攻撃魔術じゃほとんど仕留めきれない!結界?いくらなんでもあんな勢いの大群相手じゃ耐えられるかどうか分からん!ぶっつけ本番で試せってか?無茶言うな!)
護が解決策を思いつくまで待ってくれるはずもなく、無情にも砂色の大津波は目前まで迫っていた。
(……やばい。そうだっ、逃げないと!)
もう一刻の猶予もない。護は全力で肉体を強化し、身を翻そうとするが、
「支援術師のやつら、出来る限り頑丈な対物理結界を頼む!攻魔術師は大規模魔術の詠唱を始めてくれ!前衛の野郎共は結界が破れた時のために盾になって術師を守れ!」
一人の冒険者が声を張り上げ、なんとか冷静さを保っていた数人がその指示に従い、他の者達も怒鳴りあっている場合でない事に気付き、慌てて彼らに続く。
(嘘だろ?こんなの勝てるわけない。何で逃げないんだよ!)
思わず固まる護に、指示を出していた冒険者が声を掛ける。
「おい、そこの坊主、マモルとか言ったな。確かお前はソロだし、逃げ足は自信あるよな?」
「えっ!……は、はい、ありますけど」
逃げようとしていた事を見透かされたようで動揺する頭とは裏腹に、反射的に答える護。
「ならちょっと先に帰って街に知らせといてくれや。討ち漏らしがそっちに行くかもしんねーってな。ほら、早く行け!」
まるで自分達だけで全て殲滅し、念のため街に知らせようとでも言うような口ぶりだが、そんなはずがない。どこから来たのかは知らないが、街側ではたった一つしかない谷からの出口に殺到する魔獣の数は、百や二百では無い。
ただでさえ魔獣は普通の獣よりも魔術への耐性が高いというのに、岩石系の魔獣の多くは更に防御力に特化している。大規模魔術でも仕留めきれない魔獣は少なくないだろう。例えそれで弱らせたとしても、後続がどれだけいるかは分からないのだ、生き残れる可能性は限りなく低い。
一人で逃げ出そうとする自らを嫌悪する感情と、ほぼ確実に訪れるであろう迫りくる死に立ち向かおうとする彼らが理解出来ない、いや、理解しようとしない自らの感情が心をぐちゃぐちゃにかき乱し、護は言われるがままに街へ向けて走り出す。
(くそっ!何でだよ、早く逃げろよ!これじゃあ一人だけ逃げようとしてる俺が臆病者みたいじゃないか!こんな所で命懸けて何の意味があるんだよ!)
護の声に応える者はいない。それも当然だ、こんな時でも彼は誰かに感情をぶつけることが出来ず、心の中で澱んだ想いを叫ぶ事しかしない。
――本当は分かっている。
自分は臆病者だ。
いつも誰かの顔色を伺い、嫌われてしまうことを恐れている。
自ら手を伸ばす事をせず、拒まれてしまうことを恐れている。
全力を出すことで異常と知られ、疎まれてしまうことを恐れている。
それは全て、自身が傷つかないためだ。心が傷つくことを恐れ、いつも逃げている。
そして今まで勝てる勝負しかしてこなかった護は、確実性の無い現状に今度は体が傷つくことを、命を落とすことを恐れて逃げている。
だから護は彼らを勇敢だと思った。
無謀だと思った。
戦士だと憧れた。
愚か者だと嗤った。
実の所ただ逃げ切れないとやけになっただけかもしれない。
ゴールドランクの冒険者としての意地で、逃げることが出来ないだけなのかもしれない。
きっとなんとかなると、どこかに希望を見出しているのかもしれない。
それでもここで迎え撃つ事に意味はあると信じている。自分達が何もせずこの砂色の大津波を通してしまえば、その道の先にあるのは肉祭りで人の集まったファスターの街だ。もしかすれば実力者が来ているかもしれないが、例えプラチナランクのパーティーだろうと止めきれるとは言い切れない。
多くの群集は魔獣の群れにパニックを引き起こし、人ごみに足を取られて逃げることもままならず、なすがままに蹂躙され地獄絵図を作り出すだろう。
だからここで少しでも時間を稼ぎ、出来うる限り数を減らさねばならない。
(でも、だからって、自分の命を危険に晒すなんて事、俺には出来ない。俺は死にたくない。命を懸けて誰かを救う勇者になんてなれない!……でも、)
「ここで皆を見殺しにすればっ、また過去を後悔してばっかりのっ、くだらない人間になるに決まってるっ!!そんなんじゃっ、この世界に来た意味なんてなにもないっ!」
街へと向けていた身を翻し、全力で皆の下へ向かう。同時に身体を満たす魔力を大量に練りこみ、魔術の詠唱を開始する。
「我が身に満ちる星まの息吹ちからよ、言の葉に従い具現せよ。勇敢なる戦士に休息を与え、害する者に報復を返す、堅牢なる不落の城砦と成れ!」
街へ向かってからそう時間は経っていない。全力で駆ける護はすぐに冒険者達の気配を捉える。
大規模魔術によって先頭の集団はある程度殲滅されたが、終わりの見えない後続の大波が、目の前で吹き荒れた破壊の嵐が見えなかったかのようにすぐに間を詰める。
支援術師達が全力で張った結界だが、殺到する魔獣達の圧力に長時間耐えられるはずも無かった。それでも護が認識する直前まで破られていなかったのは彼らの優秀さの証明だろうか。
だが結果として結界は破られてしまった。術者の盾となる最前列の前衛の冒険者達がぐっと衝撃に備え、盾を構えている。今までに数え切れぬほどの攻撃を防ぎ、受け流してきた相棒とも言える存在を、今はとても頼りなく感じていた。
結界に押し止められていた魔獣達が次々と来る後続に押され、進撃を再開する。冒険者達との接触に、もう数秒の猶予も無い。
(間に合えっ……!)
「『苛烈なる反撃の守護砦』!」
死を覚悟した冒険者達の前に、打ち破ること困難な不可視の城壁が構築される。無情にも彼らを飲み込むかと思われた砂色の大津波だったが、盾を構える冒険者達の目の前でくしゃりと砕け、潰れ、または破裂して弾かれ、駄目押しに後続に撥ねられて踏み潰される。
ただ壁にぶつかるだけならば命を落とすまでには至らなかっただろう。
しかし結界魔術と同じく限界まで上げた付与魔術によって、衝撃の完全なる反射効果が付与された強固な結界が、突進の勢いをそのまま接触部――主に頭部に返し、破壊する。
体が小さく、体重の軽い魔獣はただ弾き飛ばされるだけで済んだが、ほとんどの魔獣は数百キロから数トンの重量と勢いをもって、そうとも知らずに自らを破壊すべく突撃しては屍の山を積み重ねていった。
「……なんだ?何が起きてる!」
「結界だ、それも恐ろしく高性能の……!だがこんなものプラチナランクの支援術師でも張れるとは思えん!一体どこの誰が……?」
助けが来たのかと後ろを振り返る者もいたが、護はまだ彼らの目に映る位置まで来ていない。当惑する冒険者達の中、集団の中央辺りに固まっていた[迷宮の薔薇]の面々は、以前あった出来事を彷彿とさせるこの状況に考えを照らし合わせていた。
「……ねえ、確かあの時もすごい結界に助けられたって話だったわよね?」
「あの結界もすごかったけど、これは更に数段上。……でも、結界の作りが似てる気がする、精度が高すぎてどちらも今の私には出来そうにない」
「もしかして、『永遠なる影炎を駆るシャドウフレイム漆黒の貴公子プリンス』?いや、でもまさか」
「またアタシらはそいつに助けられたかもしれないってわけか。二度も命を救われたとなれば、こりゃあ礼をしないわけにもいかないね。……いい男だといいんだけど」
「一体どんな礼をするつもりよ……。それに、まだ助かったと決まったわけじゃないわ。少し魔獣の勢いは衰えてきてるけど、またいつ結界が破られるか……」
「その心配は必要ないと思う。結界が張られてからあれだけの魔獣の突進を受けたのに小揺るぎもしていない。……私もそろそろ夫が欲しい」
[迷宮の薔薇]の会話を聞いていた冒険者から次第に他の者へ、やがて話は全体に伝わり、この結界を張ったのは『永遠なる影炎を駆る漆黒の貴公子』という認識が共有された。そして、
「うおおおおおおおっ!『永遠なる影炎を駆る漆黒の貴公子』っ、お前になら抱かれてもいい!」
余計な話も伝わった。これがせめて乱暴な言葉遣いの女の叫びであったならまだ護も嬉しかったかもしれない、だが現実は野太い男の雄叫びだ。
結界への衝撃に備えて束の間足を止め、維持するために集中していた護だったが、耐久度に対する不安が杞憂であった事が分かる。
そして魔力の消費を抑えようと、少しでも近付こうとした護の強化された聴覚が、無常にも雄叫びを耳に拾い、護は二重のショックで足を止めてしまった。
「い、いやいや、『永遠なる影炎を駆る漆黒の貴公子』なんて俺は知らない!俺には関係無い……!」
皮肉にも味方のはずの冒険者の言葉で結界は僅かに揺らぎを見せるが、それでも魔獣に突撃を完全に反射し続けている。積み重なった屍の山で見る事は出来ないが、既に砂色の大津波はその数を五分の一にまで減らしていた。
だがここに来て状況は変化を見せる。谷の入り口である道の両側は急勾配すぎて上ることが出来なかったのだが、屍の山を足場にして越えていく魔獣が出始めたのだ。
(まずい、囲まれる……!?)
護は慌てて助けに向かおうとするが、予想と違い冒険者達を無視して谷を越えた魔獣達はバラバラな方向へと走り去っていく。ファスターに向かう道を通って来た者達は始末したが、いずれも護に固執する様子は無かった。
「え、ちょ、え?散った奴らはどうすれば……っていうかこれどういうこと?」
混乱する護の言葉に答える者はいない。結界に包まれた彼らも、度重なる状況の変化に付いていけずに混乱している。そして死地を乗り切った事をようやく悟り、歓喜の声が爆発する。
だが彼らは谷を越えた後、魔獣が散った事を知らなかった。
「まずい……!おいお前ら、ファスターが危ねえ!今すぐ街に戻るぞ!」
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