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Chapter1「イキワズライ」
#1
しおりを挟む「ねえ! 文化祭のグループどこに所属するか決めた?」
人違いではないか。その言葉も発することができなかった僕は、黙って首を横に振る。
「そっか。私はね、ステージ披露で弾き語りしようと思ってるんだ!」
綺麗に切り揃えられた前髪は、これまで人生という道を踏み外すことなく歩み続けてきたかのように真っすぐで美しい。そのまま視線を下ろすと、純真無垢な瞳で僕を見つめる花咲ユウと目が合った。そんなユウを僕は変わった子だなと思った。
もっとも僕自身が誰よりも変わった人間で、だけどそんな僕に話しかけるユウも大概だ。僕とは違って、ユウの周りにはいつもたくさんの友人がいた。誰にでも友好的で、いつもにこにこ笑う彼女からは、目に見えない幸せが溢れ出ているようだった。当然、ユウの周りにいる人間も皆幸せそうな表情を浮かべていたが、接点のない僕が同じ空間にいるだけで幸せを浴びられるほど、現実は幻想的なものではなかった。
「去年、先輩たちが披露してるのを見てたんだけどね、すっごいキラキラしていてすごかったの! だから私も来年はあの場所に立ちたいってずっと思ってて!」
絶対的ポジションにいるユウが、僕に話しかけるまでは分かる。なぜなら、高校生活における大イベント〝文化祭〟を一ヶ月後に控え、今日はクラスの出し物を『模擬店グループ』と『ステージ披露グループ』の二種類に確定させたところだった。明日は各々がどちらに所属するかを決めると言っていたが、孤独な僕にとっては地獄のような時間になりそうだった。
つまり、そんな絶望的オーラを放っている僕を見かねたユウの純粋な優しさか、一種の興味か、あるいは気まぐれか。いずれにしてもユウの瞳には一切の軽蔑や傲慢は含まれていなかった。
「それでね、もし良かったら練習に付き合ってくれない?」
『手伝うって何を?』
と声に出したわけではないのに、ユウは僕の表情から読み取ったのか朗笑して言った。
「ただ、側で聞いてくれるだけでいいの」
そんなこんなであっさりと心を掴まれた僕は、翌日のクラス会議の場で、ステージ披露グループに所属するため手を挙げた。教壇に立って仕切っていたクラス委員が、僕の行動を理解して表情を曇らせるまで数秒のラグがあった。異変に気付いた他のクラスメイトが何事かと振り返り、さまざまな色の目で僕を見つめてきたあの時の光景はきっと死ぬ直前まで忘れないと思う。
だけど仕方がないことだった。僕みたいなモブキャラにもなれない亡霊はこういうとき、必然と人数が足りないところに振り分けられる。もっとも存在としてカウントされているかも危うく、どこに所属してようが抜け出せたかもしれない。
しかし僕の中で、確かにユウと同じステージ披露グループに所属していたんだという事実をなぜかリアルに求めたくなった。図々しくもこの文化祭を良き思い出として保存したいという欲が生まれたのだろう。
「えーと、名前なんだっけ……?」
クラス委員の鋭利すぎる言葉の刃物を心に刺されながら、僕は自分の名前を告げた――が、壊れた笛のような音が静寂した教室に鳴るだけだった。途端にざわつく異様な空間を瞬く間に戻したのはユウの綺麗な音色だった。
「コウタくんだよ、ね?」
最後の問いかけは名前が合っているかどうかの確認ではなく、私は知っているよ? という甘い香りを感じながら、僕はこくこくと頷いた。
ユウの言葉を受けてクラス委員は「ああ……」と呟いたが、チョークを持つ手は一向に動かない。それでもさすがに何も書かないのはまずいと思ったのか、“コウタ”と僕だけ性ではなく名で書かれた黒板を見て、思わず僕は失笑しそうになった。
だけどユウは僕の名を、文月 コウタという性も含めて知ってくれているのだろうか。それだけでどこか救われる気持ちになった。
♢
「嬉しかったよ」
下校の時間を見計らったように降り始めた雨を茫然と教室で眺めていたら、誰かに声をかけられた。つい数日前なら、そもそも自分が誰かに声をかけられるなどありえないと脳が処理し、雨音にかき消されていたかもしれない。
それがユウの声であることが一瞬で分かり、僕の心は驚くほど弾んだ。購入したばかりの真っ新なノートに一文字目の筆を執るような、妙な緊張感だった。
「一緒のグループに入ってくれてありがとう」
振り向いた僕に、ユウはお手本のような笑顔を浮かべて迎え入れてくれた。
ありがとうとお礼を言われるようなことを僕はしただろうか? むしろ、何の生産性もないまま終わる予定だった文化祭までの道のりに華を付けてくれたり、声の出ない僕に代わって名前を告げてくれたことに僕が感謝しなくてはいけない。
ううんと僕が首を横に振ると一転、ユウはどこか不安げに表情を曇らせた。
「でも、大丈夫だった……? ほら、もしかしたらコウタくんは模擬店グループに入りたかったのかもしれないのに、私が変に声をかけたせいで気を遣わせちゃってない?」
これまでの言葉全てに意味を持たすには、僕がユウの影響を受けて同じグループに所属したという大前提があってこそになる。もちろん、昨日の会話がきっかけになったことは明らかで、ユウが話しかけてくれなかったら今日のクラス会議で僕の名前は黒板に書かれず葬られていたはずだ。
けれど僕がユウの立場なら、自分のためにわざわざ手を挙げてくれたんだと考えることはあったとしても、それをありがとうと本人に伝えるにはあまりにも自信が足りない。もしかしたら元々決めていたことだったかもしれないし、本当は嫌だったけど断り切れずと捉えることだってできる。
でもきっと、もっと確信的な出来事やきっかけがあったとしても、そんな上手い話はないと自ら不幸の道を辿ろうとするのが僕で、それが幸せそうに生きるユウとの根本的な差なんだろうなと感じた。
僕はペンケースから油性ペンを取り出して、自分の手に『ありがとう』と書いてユウに見せた。あまりにも要約しすぎなメッセージが伝わるか不安だったが、ユウは僕の期待通りに「どういたしまして」と顔を綻ばせた。けれど、その表情がどこか哀切に満ちているような気がして、僕の人生はもう純粋に物事を映せないのだと思うと悲しくなった。
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