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はこ
しおりを挟む昔々、あるところに一人の神様が居ました。
本来神様の数え方は一柱、二柱と言った具合に、世界を支える柱として数えます。
ですが其の神様は少し変わり者で、人に混じって生きようとした為、柱としてでなく隣人として、一人と数えさせて貰いましょう。
さてさて、其の神様は人が、人間も獣人もエルフもドワーフも魔族も全部ひっくるめて、大好きでした。
まあ大好きで無ければ神様が態々地上で、人の隣人として暮らしはしません。
そして神様は、周囲に暮らす人が困っていると、所持していた不思議な箱からその人が必要とする物を取り出して、何時も皆を助けています。
ですがやがて人の数が増えて来ると、人々は神様の近くの場所に住む為に争い始めました。
此れには流石の神様も困ってしまいます。
神様は人と一緒に過ごしたいだけで、自分が争いの火種になるとは考えても居なかったのでしょう。
しかしその時、別の神様達、そう、一柱二柱と数える世界を支える柱の神々が、一人の神様に言いました。
「わかったでしょう。今の人では神と共に過ごす事は出来ないと。いい加減に我々の所に戻りなさい」
肩を落とした一人の神様でしたが、柱の神々の言葉も尤もです。
神様は人が大好きだったからこそ、神々の言葉に従って、人と離れて暮らす事を選びました。
それから千年、二千年、そして万年。
神様は天から地上の人達を見ては溜息を吐きます。
今日も人々は争ってる。
人間と魔族はいがみ合い、エルフとドワーフは相容れず、獣人は獣混じりと迫害を受けて。
でも神様は、箱を布で拭きながら、何時か人の心が成長して欲に負けなくなり、争う事も止めて、また人と一緒に暮らせる日を静かに待ちます。
ずっと、ずっと。
けれども、そんな溜息を吐きながらもずっと待ち続ける神様を、見ていられなくなった者が此処に居ました。
とある世界、此処とは違う別の世界では、道具は100年という年月を経ると精霊を得、此れに変化する事が出来ると言います。
要するに大事に使われ続けた道具には霊魂が宿り、意思を持ち、付喪神と呼ばれる存在に変じるのです。
だったら万年に渡って、神様に磨かれ続けた箱が付喪神に変じても、何の不思議も無いでしょう。
ちなみに付喪神は神と付くけれど、別に神様じゃありません。
どちらかと言えば妖怪変化みたいな物です。此の世界に妖怪は他に居ませんが。
オンリーワンって奴です。
他に例のない存在なので、持ち主である神様も、柱の神々も箱が付喪神になった事には気付きません。
だから箱は決めました。
『よし、僕が神様の代わりに地上に行って、昔みたいに皆を助けて、神様を笑顔にしよう』
大参事の予感です。
箱の付喪神は、神様に大事に大事にされて来た、いわば箱入り息子なので世間の常識って奴の持ち合わせは皆無でした。
いやもしかしたら箱入り娘かも知れませんが、まあ所詮は箱なのでどちらでも大差はありません。
もし箱が意思を持ち、こんな事を考えてると知ったら、柱の神々だけでなく、優しい神様だって止めたでしょう。
ですが箱は神様をサプライズで喜ばせたかったので、何も言わずに黙って下界に降りました。
さぁ、人の事が大好きな、優しい神様の大事な箱は、一体どんな騒ぎを此の世界に齎すのでしょう。
最初に箱がやって来たのは、全十階層に及ぶ、王家の所有する迷宮で、その名を『試練の迷宮』と言う場所です。
何の試練かと言うと、女神に選ばれた勇者が最下層まで降り、勇者の証を得る試練でした。
この迷宮には女神の加護で弱い魔物しか湧かず、其れも階層ごとにキッチリ強さが分かれる為、旅に出る前に勇者がある程度の実力を付けるのに都合が良いのです。
でも今回の勇者、アスル・レインは、村から出て来たばかりの少年で、迷宮の暗さと戦った事もない魔物への恐怖にビクビクして、中々迷宮を進めないでいました。
こんな頼りなくも可愛らしい少年勇者も、この迷宮を踏破し、数年かけて魔王の城へ辿り着く頃には歴戦のムキムキ勇者になってしまうのでしょう。
何だか世の儚さを感じます。
しかし今回は、少しばかり話が違いました。
何せ此処には付喪神になった箱がやって来てるのです。
おどおどビクビクしながら歩くアスルは、デンと床に置かれた箱を発見しました。
こんな迷宮には不自然な程綺麗な箱に、アスルは不思議そうな顔をしますが、
『あけてください』
と蓋に書かれていた為、疑う事無く箱を開けます。
どう考えても怪しいので、もし仮にアスルがこの迷宮を踏破して、勇者として基礎的な知識を身に付けた後なら、或いは開けなかったでしょう。
けれど今のアスルは初心者同然。
だって此処はまだ一階層で、アスルはこの迷宮に入ってから暗い道をまっすぐ歩いて来ただけなのです。
当然魔物だってまだ未遭遇。
故にアスルはこの迷宮で何も学んでないのですが、怖くて早く出たいのに、勇者の証を手に入れるまでは出さないと言われてる彼は、当然勇者の証を欲していました。
だから箱は何も迷わず勇者の証をポンッと出します。
勇者の証は女神由来のアイテムなので、基本的には複製なんて不可能なのですが、其処は何たって神様秘蔵の箱なのですから、望まれたら出してしまえるのでしょう。
大喜びで迷宮の道を引き返すアスル。
彼の喜びように箱も大変満足気です。
アスルは歴代勇者の中でも最速で試練の迷宮をクリアした者として褒め称えられ、魔王退治の旅へと外の世界に出されました。
……どう考えても短すぎる時間に疑いを持たない辺り、王家も割と無能かも知れません。
まあ当たり前なのですが、結局迷宮で一度も魔物と戦っていないアスルは、外の世界の魔物に襲われ危機に陥り、旅の女戦士に救われます。
そしてそのまま二人は恋に落ち、一つのカップルが誕生しました。
年齢的にはオネショタって奴です。
箱の初仕事は大成功と言えるでしょう。
意気揚々と、箱は次の場所へと向かいます。
次に箱がやって来たのは、名も無き村でした。
いえ実際には何らかの名前があり、古い資料なんかを調べれば判明するのかも知れませんが、村人達が自分達の村の名前を呼ぶ事は無く、また他所からの人間もまず来ない為、皆村の名前を忘れてしまったのです。
さてそんな村に、父と母、其れに幼い娘と言う構成の一家が住んでおりました。
大層仲の良い家族だったのですが、一年ほど前から娘は村長の家に預けられています。
別に娘が要らなくなったとか、一家が村長に借金をしていて娘を奪われたとかではありません。
其れと言うのも、以前に大きな町に出かけた時に、身体の弱かった母は肺の病気を貰ってしまったからでした。
此の肺の病気は感染し、特に抵抗力に乏しい人間には移り易い為、幼い我が子を傍には置いて置けなかったのでしょう。
今日も娘は朽ちた教会で祈ります。
「優しい神様、どうかお母さんを助けて下さい」
そう、この村の教会は、なんとあの一人の神様を祀る教会でした。
だからと言う訳ではありませんが、箱はこの娘の前に姿を現します。
祈りを終えた娘は、不意に出現した箱に首を傾げますが、
『あけてください』
と書かれているのを見て、文字が読めずにもう一度首を傾げました。
まあ田舎村の幼い娘が文字の読み書きなんて出来る訳がありません。
予定が狂った事に、箱は少し焦ります。
折角あの優しい一人の神様に祈ってくれていたのに、何とか開けて貰わないと、この幼い娘を助けられません。
カタカタカタと箱は自らを震わしながら、
「アケテアケテアケテアケテケケテケ」
と必死に声を発しました。
でも必死過ぎて、正直ホラー染みた行為を行っている事に箱は自分では気付いていません。
こんな物に遭遇したら百人中九十九人は逃げるか、或いは箱を燃やそうとするでしょう。
「開ければいいの? まってね、よいしょ」
しかし娘は、何と百人中一人の部類でした。
恐らく善意に包まれ育って来たのでしょう。
流石は一人の神様を祀る教会がある村の子だけはあります。
小さな手で、頑張って箱を開けました。
すると中から、真っ白で糊の効いた白衣を着た、優しそうな壮年男性が出て来たではありませんか。
「おや、此処は何処だね? 午前の診察中だった筈だが……」
そう、箱の中から出て来たのは、近所では名医と評判の、町の内科医である佐々木先生だったのです。
ちなみに近所とは言いましたが、彼が評判なのは此の世界では無い、もっと医療の発達した世界での話なので、彼ならこの村を救う事だって出来るでしょう。
何せ此の世界に飛ばされた時に、前の世界で処方箋を書いた事のある薬は取り出し放題の異能が付与されているのです。
勿論佐々木先生は、異世界の菌、此の世界の人々が免疫を持たない病原体の保有者でもありましたが、行き成りの異世界からの召喚に顔を真っ青にした柱の神々が菌の処理は行ってくれたので事なきを得ました。
地味に世界の危機だったかも知れません。
けれども箱はそんな事は露とも知らず、村の娘がやって来た偉い先生に縋り付いてお母さんを助けてと泣くのを見、満足気にその場を去ります。
この後佐々木先生は、柱の神々から事情を聞き、漸く状況を把握した優しい神様の謝罪を受けて、笑って箱を許しました。
直ぐに元の世界に帰る事も出来たのですが、佐々木先生はこんな風に母を失いかけて泣く子を減らそうと、神々へ此の世界の滞在を願います。
何せ佐々木先生は、奥さんを早くに亡くし、息子と娘は既に成人して同じ医者としての道を歩んでるので、残した診療所も何方かが継いでくれる事がわかっていました。
ならばより多くの人を救える世界を選ぼうと、彼はそう思ったのでしょう。
そうして多くの人を救い、また多くの弟子を育てて、医聖ササキの名は此の世界の誰もが知る事となったのです。
さてさて自我を持った箱の存在が神様や、柱の神々にバレたので、世界中で箱の大捜索が始まりました。
何せ気軽に異世界召喚をかましてしまう箱なので、放って置けば世界にどんな影響を与えるかわかったもんじゃありません。
しかし一人の神様は、柱の神々に願います。
どうかあの箱をあまり怒らないでやって欲しいと。
管理不行き届きだったのは自分で、あの子は良かれとやっているのだから、叱りはするのでどうか許してやって欲しいと。
柱の神々も、一人の神様が本当は人と暮らしたいのを、自分達の言葉で自重している事を知っている為、その願いを受け入れます。
罰しはしない。
新しく此の世界に生まれた、彼の者の意思は善性である。
されどその力は世界への影響が大きく、年長者である一人の神の導きが必要だろう。
故に箱を発見すれば、彼は一人の神の元へと返す。
とても優しい世界でした。
箱は神様の所有する箱だったので、実はカクレンボも得意です。
ほら、誰だって物を無くして部屋の大捜索をした経験はあるでしょう?
一人の神様だって其れは同じで、箱はその時に神様や神々からカクレンボする技術を身に付けたのです。
しかしとは言え、流石に世界中を探されていれば、見付かるのも時間の問題でした。
だから次が箱の最後の仕事です。
最後に箱がやって来たのは、何と魔王城。
魔王城と言えばアレ、人間と争う魔族達の王が住む、此の世界で最も邪悪と噂される場所でしょう。
過去何度も勇者に攻め入られながらも、その度に華麗に復活して再利用される、魔族にとっては不屈の象徴でもありました。
その魔王城の玉座に座わる此の城の主、魔王は呟きます。
「ああ、嫌だな。戦いたくない……」
そう、魔王は悩んでいました。
人間の世界に忍び込ませた部下から、勇者の誕生報告を聞いたからです。
そもそも魔族が人間に対して戦いを挑むのは、戦わねば負けて支配されるからでした。
魔族は力と魔力が人間よりも並外れて強くて、知能も高く寿命も長いと言う、一見全ての面で人間を上回るハイスペック種族に思えます。
けれども一点、数を増やすと言う能力に関してのみは、人間に圧倒的に劣りました。
寿命が長いと言う事は、成人するまでの期間が長いと同じ。
つまり子供を作れるようになるまでに、とても時間が掛かるのです。
勿論子育てにも。
仮に魔族が人間の10倍の能力を持つとしましょう。
しかし人間は100倍の速度で増えて行きます。
すると生産規模や経済規模的に、魔族社会は巨大な怪物である人間社会に飲み込まれてしまうのでした。
そしてやがては優れた能力を持ちながらも、魔族は人間の社会に隷属する様に生きる羽目になる。
そんな風に考えて魔族は人間に、確実に自分達が勝る力で対抗する事を選んだのです。
ですがそんな魔族に対し、怯えた人間は神々の一柱である女神に助けを求めました。
怯えた人間達を哀れに思い、女神は勇者の力を与えます。
人間と魔族のパワーバランスは拮抗、いえ、何と逆転してしまいました。
それ程に勇者の力は凄かったのです。
でも勇者の力にも弱点があり、その時点の魔族の中で最も強い者を倒すと、満足して消えてしまうのです。
じゃないと流石に魔族が絶滅してしまうので。
その後暫くは充電期間を置き、また人間が危機を感じ始めると勇者の力は再び誰かに宿る。
そんなシステムが出来上がりました。
つまり勇者が現れた以上、魔族で一番の力を持つ魔王は、死の運命が決まったも同然なのです。
勿論人間との和平は出来ません。
その道を選べば、緩やかに魔族は取り込まれて隷属の道を強いられるでしょう。
いやどうかわかりませんが、昔の魔族の学者はそう判断したので、今更その道は違えられぬのです。
自分が犠牲になって魔族を救う必要性は、魔王になった時から理解していました。
けれどもだからって、出来れば死にたくないのが人情ってもんなのです。
幸い勇者は、何故か真っ直ぐに魔王城を目指さず、まるで観光するかの様にあっちこっち、時には逆方向にも立ち寄っているので、到着には随分と余裕はある筈。
まあ実際には勇者は女戦士との旅(デート)に夢中なだけなのですが、そんな事は流石の魔王も知りません。
なので何とか、魔族を救えて自分も死なずに済む方法は無いものかと、魔王は頭を捻って考えます。
箱が魔王城にやって来たのは丁度そんな時でした。
『あけてください』
不意に現れたその箱に、魔王は大層驚きます。
駆け出し勇者や幼い村娘なら兎も角、魔王ともなれば流石にその箱がどんなに凄い代物かが理解出来てしまうのでしょう。
特に装飾が派手な訳ではありませんが、魔王には神の力の影響でその箱がとても輝いて見えました。
罠かも知れない。
その可能性に思い至らなかった訳じゃありません。
でもこんな凄い箱を用意できる存在が相手なら、罠なんて仕掛けなくても魔王を消し飛ばす位の事は出来るでしょう。
だから魔王は疑いを捨て、エイヤとばかりに箱を開けます。
箱の中から出て来た物は、魔王だけでなく、此の世界の全ての存在、そう、神々すらをも驚愕させる物でした。
魔王が望んだのは、自分が死なずに魔族も助かる方法。
つまりは人間と争わずとも、人間社会に飲み込まれない魔族だけの新天地です。
其れに応えた箱は、何と自分の中から魔族の全てが移り住んでもまだ余裕のある、世界を旅する巨大な浮遊大陸を出したのでした。
魔王は箱に対し、深々と感謝を捧げると、全ての魔族に対して浮遊大陸への移住を命じます。
未だ高度の上がり切っていない今なら、あの大陸への移住は可能でした。
因みに後世、この空をふらふら移動する浮遊大陸による日照権侵害の問題が大きな社会問題として取り上げられますが、其れでも人間と魔族の戦いが続く事に比べればとても些細な問題でしょう。
はてさて、やりたい放題やった箱ですが、流石に此処まで目立てば神々の手で捕らえられ、一人の神様の元に引き渡されます。
おかえりなさいと言う神様に、
『あけてください』
と箱はカタカタ身を震わせました。
この旅で、物、優しい人、そして大陸を出した箱は、今なら一人の神様が望む優しい世界を出す事が出来る。
そう思ったのです。
けれども神様は首を横に振りました。
だって新しい世界なんて出したら、此の世界の柱の神々は胃痛でマッハでしょう。
「ええんよ。人と暮らすのは儂の夢だけれども、何時か遠い未来に叶えばえぇ。今は其れより、共にその時を待てる友を得たんが嬉しいんじゃ」
そう言い、神様は箱を撫でます。
箱はその手に撫でられて、カタカタと身を震わせる事を止めました。
優しい神様とその箱は、世界が今よりも優しくなるのを待ってます。
ずっと、ずっと。
でも時折、下界を覗く神様が哀しそうな顔をした時に、箱は天をこっそりと抜け出す事があるそうです。
いつかあなたの前にも、不思議な箱が『あけてください』と、やって来るかもしれません。
如何かその時は、疑わずに箱を開けて下さい。
優しい願いが、叶うと良いですね。
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