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第一章 出会い

第九話

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 四月九日(日)19:10

 隼人の学校の最終下校時刻は一八時三〇分である。それ以降は教員や職員も退室し、学校内は誰もいなくなる。
 学校に到着したが、当然校門は閉まっており中に入ることはできなかった。

「だぁくそ! 校門が思いのほか高い」

 俺の目の前には、跳んでも届かないほど背の高い校門が立ちはだかり、侵入を拒んでいた。
 もう少し。あともう少しで届きそうなんだ。何かしら踏み台さえあれば届く。

「そうだ、チャリを踏み台にすれば」

 身長の足りない部分を乗ってきた自転車を踏み台にすることでクリアし、なんとか校内に入ることに成功する。
 花子さんのトイレの窓から侵入し、奥から三番目のドアを乱暴に叩く。

「花子さん! どこだ? 返事してくれ!」

 しかしいつもなら明るい返事が帰ってくるはずなのに、俺の声は静かなトイレに響くだけだった。

「くそなんで返事が聞こえないんだ?」

 二度三度同じことを繰り返してから気付く。

「そうか図書室!」

 確か花子さんとは図書室にいると言ってた。
 トイレを出て図書室まで全力で走る。
 図書室の前に到着し、ドアを開けようと引き戸に手を掛ける。

「だぁくそ! 当然だけど鍵が掛かってやがる!」

 最終下校時刻を過ぎているんだから当然か。

「仕方ねぇ!」

 このぐらいの薄いドアならなんとかなるだろう!
 そのあとのことは……なんとかならぁ!

「オラァ!」

 手加減を一切しないで図書室のドアを蹴破る。
 ドアが木製だったから簡単に蹴破ることが出来たけど、これがもし鉄製のドアだったら確実に怪我をしていたな。
 よし、まだ冷静に判断できる。

「花子さん! どこだ?」

 蛍光灯のついていない暗い図書室に入り、花子さんの名前を呼ぶ。
 先ほどの地震の影響だろうか、本棚がところどころ倒れているのが目に入る。
 中には図書室の閲覧机に倒れ、中からヒビが入っている物もある。
 先ほどの地震がかなり大きかったことを改めて認識できる光景であった。

『隼人? 来ちゃダメ! 逃げなさい!』

 倒れた本棚の奥から俺の名前を呼ぶ花子さんの声が聞こえた。
 花子さんの声から焦りの色がにじみ出ており、置かれている状況が相当に悪いんだろう。

「花子さん! くそどこだ?」

 声の聞こえた方を必死に目で追うが、部屋の暗さも影響していて花子さんの姿は発見することが出来ない。

「声が聞こえるのに何で見えねえんだ?」
『隼人逃げなさい!』

 花子さんが逃げるように叫ぶ声が図書室の中に響く。俺に危険が及ばないようにしてくれてるんだろうけど。
 今の返事で大体の位置がつかめた。多分右斜め前にある本棚の奥だ。
 ってなんだあれ? 仄かに赤く光っているように見える。それも血の様に赤く。
 多分目を凝らさなければ光っていることにも気づかないかもしれないだろう。
 しかし、一度気づいてしまうと目が離せないような、そんな不思議な力を持っている光りだ。

「あの辺……何で?」

 直感的にその場所に花子さんがいることが分かる。
 でもなんで花子さんの姿を確認出来ないんだ?
 そうか! 花子さんを見る方法!

「ノック三回! 近くのドアっぽい……本棚で代用出来るか?」

 半ばただの思いつきだ。
 もしかしたら失敗するかもしれない。でもそれならその時に考えればいい!
 今はまず花子さんを助けることが優先だ。

「花子さん! 遊びましょ!」

 図書室にいつもよりも重い木製の音が三回響く。

『隼人! 逃げなさい! 今すぐ逃げるの! コイツは危険よ!』

 危険? 尚更助け無いとダメだろ!

「何言ってるんだ? 約束しただろ!」

 花子さんと交わした、ある約束のことが脳裏を過る。

『約束?』

 花子さんとした約束、それは必ず守らなければいけないほどのものではなく、ごく普通の軽い約束事である。

「月曜日、会いに来いって! そのぐらいの約束も守らせないで、何がお姉ちゃんだ!」

 俺が今、花子さんを助ける理由なんて、それだけあれば十分だ!

『……』
「だから返事をしてくれ!」

 再び本棚を三回叩く音が響き、続けて決まったセリフで呼びかける。

「花子さん! 遊びましょ!」

 俺の声は既に呼びかけというよりも、もはや叫びだ。
 お願いだから答えてくれ!

『……隼人』

 花子さんが小さく呟く。
 いつもの明るい花子さんの声じゃない。
 お願いだ! 俺の呼びかけに答えてくれ!

「花子さん! 遊びましょ!」

 三度目の本棚を叩く音が図書室に響く。
 俺の叫びが暗闇に溶けて消える。

『隼人……はーい! 遊びましょ!』

 花子さんが再び呟き、一度俺の名前を呼んでから返事をする。
 いつもと同じ、明るく朗らかな花子さんの声が図書室の空間を伝って俺の耳に届く。
 その声が聞こえた瞬間、

「オラァ!」

 目の前にある本棚を蹴り飛ばし、赤紫色の光を放つ場所に視線をやり、花子さんの名前を叫ぶ。

「花子さん!」
『隼人!』

 花子さんはいつもどおりの茶髪にミニスカートで俺を迎え入れてくれた。
 しかし、その花子さんの眼前には黒い物体が存在していた。
 それは花子さんとは全然見た目が違っていた。
 長い髪の毛の下には白く鋭い目が光り、くちからは二本の牙が長く生え、全体を黒い靄のようなものが纏わりついている。
 花子さんは確かに幽霊だけど、どちらかといえば人間味が残った幽霊と言える。
 それに対して目の前の悪霊は自我というものが感じられない。
 低くて擦れた声にならない音が、悪霊の口から放たれる。その声は周囲の生物を威嚇する為の声ではなく、まるで遠雷の様に轟くだけだ。

「これが……悪霊? 花子さんと全然違う」
『完全に自我が崩壊してる! 隼人逃げて!』

 初めて見る悪霊の姿に足がすくみ、思考を停止させているところに、花子さんの叫び声が聞こえる。

「花子さんも一緒に!」

 その花子さんの言葉に思考を再稼働させ、花子さんを助けるべく手を伸ばすが、

『無理なの! なぜかここから離れられないの! だから隼人だけでも!』

 どういう理由かはわからないけど花子さんはその場所から離れることが出来ないようだ。
 見れば花子さんの足元にある本から、触手のようなものが纏わりついて離すまいと接着剤の如くくっついていた。

「バカ言うな! 俺は約束は守るし、守らせる質なんだ! だから俺は明日絶対に花子さんに会いに行く!」

 叫んでから花子さんの手を握り、強引に自分のもとに引き寄せようとする。
 しかし花子さんが伸ばしかけた腕を自分の胸に引き寄せ、俺が伸ばした手を拒む。
 なんで俺の手を取らないんだ?

『悪霊に呪われたらどうするの? 最後に会えて良かった。私のことはもう良いから早く逃げて!』

 花子さんの口から拒んだ理由が紡がれる。
 瞳が涙に潤んで歪んだ微笑みを向けてくる。
 花子さんの目から涙が頬を伝ってながれ、雫となって図書室に滴り落ちる。

「うるせぇな! 可愛い女の前でくらい、格好つけさせろ!」

 そうだ。可愛い女の子の前でくらい格好つけてもいいだろ?
 そのために学校に来んだ! 花子さんの名を呼んだんだ! 決して最後の別れを言うためじゃない!
 俺の言葉に花子が目を見開いて口に手を当て、目をまっすぐ見つめて言葉を失う。

「なんでだ? どうして連れ出せないんだ?」
『分からないの! この本から離れられないの!』

 再び手を伸ばして花子の手を取り、花子さんを連れ出そうとする。
 しかしどんなに力を込めても本が花子さんを捉えて放そうとせず、目の前の悪霊は徐々に俺たちに近寄ってくる。
 その距離が残り数メートルに迫った時、頭に一つの考えが思い浮かぶ。
 本が花子さんを放さないなら、根刮ぎ移動させる!

「この本を持ち出せば……」
『触れちゃダメ!』

 頭に浮かんだ考えは、花子さんをその場から連れ出すのではなく、捉えてる本ごと移動させようというものだ。
 しかし自分の考えを行動に移そうとした直後、花子がそれを制する。

「どうして?」

 花子さんの行動に荒い口調で答え、目の前の花子さんを見上げる。

『その本、既に瘴気に犯されてる。隼人が触ったらきっと呪われる!』

 呪われる? 悪霊になったら呪いの力が使える、って前に花子さんが話してた。
 つまりこの本に触ったらこの悪霊に取り憑かれるってことか?

「じゃあどうすれば?」
『もう良いから逃げて!』

 くそ! 考えろ、考えろ! 悪霊の対抗手段は……!
 本を取り上げようとした姿勢のまま、どうすれば良いか考えを巡らせる。
 ゆっくりと悪霊が二人に近寄り、二人までの距離が残り二メートルまで迫った時、今日の昼間に祐一から聞いた言葉が頭を過る。

「寄り代となってる物を……壊す……」

 顔を上げ、悪霊の寄り代となっているものを探すべく視線を上下左右に向けると、花子さんを捉えている本の後方に赤黒く光を放っている黒い装丁の本が開いているのを見えた。

「あれか!」

 確かポケットにジッポライターがあったはず。

『隼人、何でそんなの持ってるの?』
「あとで説明する! 今は……」

 ジッポライターに火を点け、悪霊の寄り代になっている本に向かって狙いを定める。

「奴を倒してからだー!」

 赤黒く光を放つ本目掛けて火の点いたライターを投げる。
 俺の投げたジッポライターは、その小さな火を消すことなく数回上下に回転し、狙った本の上に音を立てて落下し、徐々にその火の勢いを大きくさせる。
 浄化の火は本を燃やし、花子さんに手を伸ばそうとしていた悪霊を包み込んだ。

「……倒した?」

 音もなく悪霊は俺たちの目の前から消えた。

『多分……』

 その呟きに花子さんが答える。
 視線を俺に移したあとに涙を目に溜めて笑顔を向ける。

『隼人……ありがとう。ありがとう』

 抱きしめながら今度は遠慮せずに泣きながらお礼を言ってくる。

「いやぁ対処方法聞いといて良かったぁ」

 花子さんを抱き返し、一息ついていたが。
 感動の再会ってやつになるのかな?

「って、ん?」

 あれってさっき投げたジッポライターの火だよな?
 なんかおかしくない?

『ねぇ隼人……おかしくない?』

 俺の怪訝な声に花子さんも振り向き、その異変に気付く。

「あぁ、何でこんなに燃えるんだ?」

 俺の手から放れたジッポライターであるが、悪霊の寄り代となっていた本を燃やしたまでは良かった。
 火は燃やすものがなくなった場合、徐々に小さくなるはずである。しかし、本を燃やした火は小さくなるどころか、徐々に大きくなりつつあることに気付いた。

『ねぇ……あの隣の部屋から出てる液体、何?』

 花子さんが指差し、隣の部屋から流れ出ている液体が萌えていることに気付く。

「えっと確か隣は……化学準備室!」

 地震の影響で隣の部屋でも棚が倒れ、その中身が漏れ出しているのだろう。そしてその流れ出していたものは、

『じゃあ……もしかして』
「化学実験に使う薬品……流れてるのはもしかして……アルコールランプかな?」

 理科の実験などによく使う、馴染みのある器具。特に小学校時代から色々と実験の際にはお世話になったであろう、アルコールランプの中身であった。

『まずくない?』

 花子さんが抱き合っていた俺と視線を合わせ、ボソリと呟く。

「非常に……マズイ。逃げろ!」

 その花子さんの言葉に俺がとった行動は、この場から逃げることだ。それは当然のことながら、犯人と疑われないためである。
 もし俺にやましい出来事がなかったとしても、ここにいればその場から逃げ出すはずだ。

『ダメよ! 火事になるでしょ? 今ならそんなに火が大きくないから消せるよ! 廊下の隅に消化器あるから!』

 逃げようとする俺の腕を引き、自分の顔を急接近させて怒った表情を見せる花子は、今ならまだ消せると俺に言ってきた。
 火が炎となりつつある中に映し出された二人の影は、姉が弟を叱りつけているそれに見えただろう。

「よ、よし!」

 有無を言わせない花子さんの言葉に、廊下に出て消化器を持って戻ってくる。

「間に合ったか?」
『結構やばいよ! 早く隼人!』

 えっと、どうやって使うんだっけか? 確かこのピンを外して……と。

「喰らえー!」

 消化器から霧状の消火剤が図書室中に充満し、勢いを増していた炎と眩しいまでの光を消し去った。
 その様子を確認した花子さんが、

『間に合……った?』

 短く呟く。
 家事が大きくなる前に消化に成功した。

「いや、手遅れだろう」
『何で? 火は消えたよ』

 俺の言葉に疑問を抱き、何が手遅れだったのかを花子さんが尋ねてくる。
 その答えは簡単なことだ。
 なぜなら、

「防災ベルが……」
『あ!』

 防災ベルがけたたましく鳴り響き、学校の前に消防車が集まりつつあったからである。

 四月八日(日)19:30

 悪霊を浄化し終えてから二十分後、隼人は警察官に拘束され、事情聴取を受けていた。

「それで、どうしてこんなところにいるのかな?」
「えっと……」

 なんでこんな目に合わなくちゃいけないんだ?
 俺があいつを祓わなければ今ごろこの学校は……どうなっていたんだろ?
 いやそれよりも何よりも、今はこの場をなんとかしないといけないんだけど、何も思いつかん。

『隼人! 私の言うとおりにして!』

 答えに困っていたところに、花子さんが耳元で囁く。
 花子さんが大声で話したところで、目の前の警官には何も聞こえないんだけどな。

「花子さん?」
『大丈夫。私の声はほかの人に聞こえないから』
「ん? どうしたのかね? なんで君はこんなところにいるのかな?」

 いよいよ行動が怪しくなってきたのか、警官が語気を強めて隼人に詰め寄る。

『近くを通ってたら火の手が見えて』
「えっと……ですね、近くを通ってたら火の手が見えて」

 花子さんの言うとおり、言葉をそのまま複写して口にする。

『火事になったらまずいと思って窓を割って入りました』
「火事になったらまずいと思って窓を割って入りました」

 え? それってかなりマズイ行動じゃないの? 花子さん大丈夫? このままだと俺、悪ものになっちゃうよ。

『廊下の隅にある消火器を持って現場に駆けつけたら』
「廊下の隅にある消火器を持って現場に駆けつけたら」
『思ったより火の手が早くて、急いで消化しました』
「思ったより火の手が早くて、急いで消化しました」
「……なるほど」

 俺の言葉を聞き、まだ完全には納得していないと言った表情で警官が厳しい視線を向ける。
 しかし、直前の地震のことや発火場所が化学準備室ということもあり、俺の言葉が嘘か本当か決めかねているようだ。
 多分もうひと押しすればなんとかなりそうだな。ライターは花子さんに持ってもらってるから見つかることはだろう。

「自分の学校ですし、知らんふりは出来ませんから」

 まぁぶっちゃけ俺の学校が火事になろうが全然構わないんだけどな。
 むしろ火事になってもらった方が、学校を公に休めるから嬉しいまであるんだが……。

「……いきさつはわかった。まぁ小火だったからよかったが、でも危険だったことは間違いない。君が巻き添えになったらどうするつもりだったのだ?」
「いや、それは……すいません」

 俺のダメ押しが効いたのか、警官はひとまず納得したようである。そして俺の行動に対しての注意をする。
 まぁ、確かにその通りですよね。はい。

「ふむ、とりあえず君のおかげで大事にならないで済んだ。そのことについては我々としても嬉しい。明日には生徒のみんなに通達されると思う。あとは先生の言うことをよく聞いて行動するようにね!」

 とりあえず警官は隼人のことを解放することを決めたようだ。

「は、はぁ」
「じゃあ今日はもう帰っていいよ」
「え?」
「何か忘れ物でも?」

 忘れものって訳じゃないんだけど、花子さんをどうしようか?

「えっと……」

 花子さんの事を心配して視線を向けると、花子さんが片眼を瞑って隼人に優しく話しかける。

『大丈夫! 後でWIREちょうだい!』

 花子さんのその言葉に安心して頷いて答える。

「いえ、大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」

 一言謝罪の言葉を言ってから花子さんにもう一度視線を送り、その場を立ち去る。
 生ぬるかった風が気温が下がって冷たく駆け抜ける。
 さっきまで熱いところに居た所為か、やけに心地よく感じる帰り道だった。
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