上 下
43 / 49
第三章

第42話 クレーム

しおりを挟む
 私は料理を放棄して、コンビニで買ってきたお弁当を一人寂しく口に運んだ。孤独に食べるごはんの味気なさは、一週間経ってもまだ慣れない。
 おかしいな。ちょっと前までこれが普通だったはずなのに。

 話し相手がいないのは退屈だ。笑うことも、怒ることもほとんどない。
 時間が過ぎるのが妙に遅い。この長い一日をどう過ごせばいいのかも分からない。
 再び失業した今、私はどうやってお金を稼げばいいのだろう。就職活動……するしかないのかな。

 収入、老後、結婚……。ムミィと出会ってからは脳みその隅っこに追いやられていた悩みが、再び頭の中をいっぱいにする、つまらない、夢のない悩みたち。考えるだけで気分が沈む。

 考えようとしなくても、ムミィとの思い出が蘇る。

『人生には波があります。真白さんは標準をちょっと下回る、若干不幸のところで凪波を立てている。でもその波が、幸せに向けて高波を上げたら? そのあとの下がり幅が大きくなって、より不幸を感じられると思うのです!!』

 初めて出会った日、ムミィが言った言葉。その時は何を言っているんだこいつはと思っていたけれど、彼の言っていたことは正しかったと、今では思う。

『ジェットコースターと同じです! 高いところまでゆっくりと上がっていき、ズドーンと真っ逆さまに落ちた方が、最高に不幸で楽しいでしょう!?』

 今の私の状況は、ムミィと出会う前とほぼ同じ。それなのに前よりもずっと辛いのは、私が弾けそうなほどの幸せを知ってしまったからだ。

 八カ月間ムミィに占領されていたベッドで横になると、悔しいことにまた涙が溢れた。
 毎日ムミィが寝ていたベッドなのに、匂いひとつ残っていない。
 やっと取り返せたはずなのに、代わりに失ったものが大きすぎて全然嬉しくなかった。

「ほんっと……むかつく……っ。好き放題して……っ、勝手に出て行って……っ!」

 悲しみを通り越してだんだん腹が立ってきた。なにあいつ。先週までまであんなに楽しかったのに。川遊びをしたときにムミィが私に言ってくれた言葉、すごく嬉しかったのに。あれも私を不幸にするための方便だったの? もしそうなら一発殴らないと気が済まないんだけど。

 あんなに気に入っていた神なのに、今や憎しみに近い感情すら沸き起こっている。
 応援したいと思っていた気持ちなんて吹き飛んだ。それどころか、あいつが成功する姿を見たくない。むしろ失敗したらいいのに、なんてことまで思ってしまう。

『そうですね。幸せは、与え、与えられるものではないです。自分で得るものですものね』

 その時の言葉を思い出し、私はふくれっ面で上体を起こした。

「幸せが自分で得るものなのだとしたら、不幸だって同じじゃん。要は私の気持ち次第ってことだよね」

 私はスマホの着信履歴を遡り、「疫病神団体 マル派」に電話をかけた。

《お電話ありがとうございます。疫病神団体 マル派 サリーです》
「柳ですけど! ムミィはいますか?」
《しばらくお待ちください》

 長い保留音のあと、再びサリーの声が聞こえた。

《申し訳ございません。ムミィはただ今席を外しておりまして。御用件がございましたら伺いますが》
「いつ戻ってきますか?」
《……しばらくお待ちください》

 再び流れる保留音。

《お待たせいたしました。ムミィは当分帰ってこないそうです》
「具体的な日にちを教えてくれますか?」
《えっと……》

 サリーの後ろから《八十年後とか適当に言っといて!》というムミィの声が聞こえた。

《……八十年後だそうです》
「……うしろにいますよね?」
《いいえ。いません》
「いますよね!? 代わってください!」
《い、いません!》

 ムミィのやつ、居留守使いやがった。卑怯者め。
 私は深く息を吸い、まくしたてるようにサリーに苦情を言った。

「そちらのムミィさん、私に〝最上の不幸〟とやらを与えてくれるって言ってたんですけど、私、全然不幸になっていないんですよね! それなのに突然いなくなって、私ガッカリしてるんですよ。どうしてくれるんですか? ひとつ文句を言わせてほしいんで、ムミィから折り返し電話いただけます?」

 しばらくの無言のあと、サリーがクスクス笑うのが聞こえた。

《ヒトからこのようなクレームを受けたのは初めてです。ですがご安心ください。あなたはしっかり不幸になっておりますよ、マシロさん》
「な、なっていません! 私、全然不幸になっていないんで!」

 必死に否定していると、サリーが小さく笑った。なにがおもろいねん。こっちは真剣なんですけど。

《私たちマル派の間では、ムミィがあなたに与えたストーリー性のあるクオリティの高い不幸は今年一番と評価しておりますので、間違いないかと》
「それはあなたたちの価値観でしょう!? 私が不幸になっていないって言ってるんだから、不幸じゃないんです! 不幸かどうかは、自分が決めることなので!!」
《ですが……。ムミィを失い辛いからこそ、こうして電話をしているのでしょう?》

 正論すぎて言い返せない。
 私が唸っていると、サリーが優しい声で言った。

《マシロさん。今の状況を、本当に幸せにしてみせてください。そしたら私たちは、あなたのクレームを真摯に受け止め、対応いたしますので》

 そしてサリーはそっと切電した。
 私はスマホを握りしめた腕をだらんと伸ばす。

「……分かったわよ。この状況を幸せにしたらいいんでしょ。見てなさいよ、ムミィ……。今を絶対に幸せにして、業務不履行で訴えてやるんだから」

 早速私はベッドの上で大の字になり、やけくそ気味に大声で叫んだ。

「あーーー! やっとベッドが返ってきたー! 嬉しいなあ~! 広くてふかふかで気持ちい~! 幸せだなあああ!!」

 不幸は与えられるものじゃない。自分が呼び寄せ、自分がたぐりよせてしまうもの。
 もう、私は不幸を手に取らない。断固拒否。クーリングオフ。
 たとえ不幸として与えられたものでも、全部幸せに変えてやる。大丈夫。私ならやれる。私はこの八カ月間で、幸せの感じ方を覚えたのだから。
  
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

義理の妹が妊娠し私の婚約は破棄されました。

五月ふう
恋愛
「お兄ちゃんの子供を妊娠しちゃったんだ。」義理の妹ウルノは、そう言ってにっこり笑った。それが私とザックが結婚してから、ほんとの一ヶ月後のことだった。「だから、お義姉さんには、いなくなって欲しいんだ。」

ハレマ・ハレオは、ハーレまない!~億り人になった俺に美少女達が寄ってくる?だが俺は絶対にハーレムなんて作らない~

長月 鳥
キャラ文芸
 W高校1年生の晴間晴雄(ハレマハレオ)は、宝くじの当選で億り人となった。  だが、彼は喜ばない。  それは「日本にも一夫多妻制があればいいのになぁ」が口癖だった父親の存在が起因する。  株で儲け、一代で財を成した父親の晴間舘雄(ハレマダテオ)は、金と女に溺れた。特に女性関係は酷く、あらゆる国と地域に100名以上の愛人が居たと見られる。  以前は、ごく平凡で慎ましく幸せな3人家族だった……だが、大金を手にした父親は、都心に豪邸を構えると、金遣いが荒くなり態度も大きく変わり、妻のカエデに手を上げるようになった。いつしか住み家は、人目も憚らず愛人を何人も連れ込むハーレムと化し酒池肉林が繰り返された。やがて妻を追い出し、親権を手にしておきながら、一人息子のハレオまでも安アパートへと追いやった。  ハレオは、憎しみを抱きつつも父親からの家賃や生活面での援助を受け続けた。義務教育が終わるその日まで。  そして、高校入学のその日、父親は他界した。  死因は【腹上死】。  死因だけでも親族を騒然とさせたが、それだけでは無かった。  借金こそ無かったものの、父親ダテオの資産は0、一文無し。  愛人達に、その全てを注ぎ込み、果てたのだ。  それを聞いたハレオは誓う。    「金は人をダメにする、女は男をダメにする」  「金も女も信用しない、父親みたいになってたまるか」  「俺は絶対にハーレムなんて作らない、俺は絶対ハーレまない!!」  最後の誓いの意味は分からないが……。  この日より、ハレオと金、そして女達との戦いが始まった。  そんな思いとは裏腹に、ハレオの周りには、幼馴染やクラスの人気者、アイドルや複数の妹達が現れる。  果たして彼女たちの目的は、ハレオの当選金か、はたまた真実の愛か。  お金と女、数多の煩悩に翻弄されるハレマハレオの高校生活が、今、始まる。

婚約破棄をされ、父に追放まで言われた私は、むしろ喜んで出て行きます! ~家を出る時に一緒に来てくれた執事の溺愛が始まりました~

ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
男爵家の次女として生まれたシエルは、姉と妹に比べて平凡だからという理由で、父親や姉妹からバカにされ、虐げられる生活を送っていた。 そんな生活に嫌気がさしたシエルは、とある計画を考えつく。それは、婚約者に社交界で婚約を破棄してもらい、その責任を取って家を出て、自由を手に入れるというものだった。 シエルの専属の執事であるラルフや、幼い頃から実の兄のように親しくしてくれていた婚約者の協力の元、シエルは無事に婚約を破棄され、父親に見捨てられて家を出ることになった。 ラルフも一緒に来てくれることとなり、これで念願の自由を手に入れたシエル。しかし、シエルにはどこにも行くあてはなかった。 それをラルフに伝えると、隣の国にあるラルフの故郷に行こうと提案される。 それを承諾したシエルは、これからの自由で幸せな日々を手に入れられると胸を躍らせていたが、その幸せは家族によって邪魔をされてしまう。 なんと、家族はシエルとラルフを広大な湖に捨て、自らの手を汚さずに二人を亡き者にしようとしていた―― ☆誤字脱字が多いですが、見つけ次第直しますのでご了承ください☆ ☆全文字はだいたい14万文字になっています☆ ☆完結まで予約済みなので、エタることはありません!☆

お兄ちゃんはお医者さん!?

すず。
恋愛
持病持ちの高校1年生の女の子。 如月 陽菜(きさらぎ ひな) 病院が苦手。 如月 陽菜の主治医。25歳。 高橋 翔平(たかはし しょうへい) 内科医の医師。 ※このお話に出てくるものは 現実とは何の関係もございません。 ※治療法、病名など ほぼ知識なしで書かせて頂きました。 お楽しみください♪♪

侯爵令嬢として婚約破棄を言い渡されたけど、実は私、他国の第2皇女ですよ!

みこと
恋愛
「オリヴィア!貴様はエマ・オルソン子爵令嬢に悪質な虐めをしていたな。そのような者は俺様の妃として相応しくない。よって貴様との婚約の破棄をここに宣言する!!」 王立貴族学園の創立記念パーティーの最中、壇上から声高らかに宣言したのは、エリアス・セデール。ここ、セデール王国の王太子殿下。 王太子の婚約者である私はカールソン侯爵家の長女である。今のところ はあ、これからどうなることやら。 ゆるゆる設定ですどうかご容赦くださいm(_ _)m

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

無能の少女は鬼神に愛され娶られる

遠野まさみ
キャラ文芸
人とあやかしが隣り合わせに暮らしていたいにしえの時代、人の中に、破妖の力を持つ人がいた。 その一族の娘・咲は、破妖の力を持たず、家族から無能と罵られてきた。 ある日、咲が華族の怒りを買い、あやかしの餌として差し出されたところを、美貌の青年が咲を救う。 青年はおにかみの一族の長だと言い、咲を里に連れて帰りーーーー?

処理中です...