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第三章
第42話 クレーム
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私は料理を放棄して、コンビニで買ってきたお弁当を一人寂しく口に運んだ。孤独に食べるごはんの味気なさは、一週間経ってもまだ慣れない。
おかしいな。ちょっと前までこれが普通だったはずなのに。
話し相手がいないのは退屈だ。笑うことも、怒ることもほとんどない。
時間が過ぎるのが妙に遅い。この長い一日をどう過ごせばいいのかも分からない。
再び失業した今、私はどうやってお金を稼げばいいのだろう。就職活動……するしかないのかな。
収入、老後、結婚……。ムミィと出会ってからは脳みその隅っこに追いやられていた悩みが、再び頭の中をいっぱいにする、つまらない、夢のない悩みたち。考えるだけで気分が沈む。
考えようとしなくても、ムミィとの思い出が蘇る。
『人生には波があります。真白さんは標準をちょっと下回る、若干不幸のところで凪波を立てている。でもその波が、幸せに向けて高波を上げたら? そのあとの下がり幅が大きくなって、より不幸を感じられると思うのです!!』
初めて出会った日、ムミィが言った言葉。その時は何を言っているんだこいつはと思っていたけれど、彼の言っていたことは正しかったと、今では思う。
『ジェットコースターと同じです! 高いところまでゆっくりと上がっていき、ズドーンと真っ逆さまに落ちた方が、最高に不幸で楽しいでしょう!?』
今の私の状況は、ムミィと出会う前とほぼ同じ。それなのに前よりもずっと辛いのは、私が弾けそうなほどの幸せを知ってしまったからだ。
八カ月間ムミィに占領されていたベッドで横になると、悔しいことにまた涙が溢れた。
毎日ムミィが寝ていたベッドなのに、匂いひとつ残っていない。
やっと取り返せたはずなのに、代わりに失ったものが大きすぎて全然嬉しくなかった。
「ほんっと……むかつく……っ。好き放題して……っ、勝手に出て行って……っ!」
悲しみを通り越してだんだん腹が立ってきた。なにあいつ。先週までまであんなに楽しかったのに。川遊びをしたときにムミィが私に言ってくれた言葉、すごく嬉しかったのに。あれも私を不幸にするための方便だったの? もしそうなら一発殴らないと気が済まないんだけど。
あんなに気に入っていた神なのに、今や憎しみに近い感情すら沸き起こっている。
応援したいと思っていた気持ちなんて吹き飛んだ。それどころか、あいつが成功する姿を見たくない。むしろ失敗したらいいのに、なんてことまで思ってしまう。
『そうですね。幸せは、与え、与えられるものではないです。自分で得るものですものね』
その時の言葉を思い出し、私はふくれっ面で上体を起こした。
「幸せが自分で得るものなのだとしたら、不幸だって同じじゃん。要は私の気持ち次第ってことだよね」
私はスマホの着信履歴を遡り、「疫病神団体 マル派」に電話をかけた。
《お電話ありがとうございます。疫病神団体 マル派 サリーです》
「柳ですけど! ムミィはいますか?」
《しばらくお待ちください》
長い保留音のあと、再びサリーの声が聞こえた。
《申し訳ございません。ムミィはただ今席を外しておりまして。御用件がございましたら伺いますが》
「いつ戻ってきますか?」
《……しばらくお待ちください》
再び流れる保留音。
《お待たせいたしました。ムミィは当分帰ってこないそうです》
「具体的な日にちを教えてくれますか?」
《えっと……》
サリーの後ろから《八十年後とか適当に言っといて!》というムミィの声が聞こえた。
《……八十年後だそうです》
「……うしろにいますよね?」
《いいえ。いません》
「いますよね!? 代わってください!」
《い、いません!》
ムミィのやつ、居留守使いやがった。卑怯者め。
私は深く息を吸い、まくしたてるようにサリーに苦情を言った。
「そちらのムミィさん、私に〝最上の不幸〟とやらを与えてくれるって言ってたんですけど、私、全然不幸になっていないんですよね! それなのに突然いなくなって、私ガッカリしてるんですよ。どうしてくれるんですか? ひとつ文句を言わせてほしいんで、ムミィから折り返し電話いただけます?」
しばらくの無言のあと、サリーがクスクス笑うのが聞こえた。
《ヒトからこのようなクレームを受けたのは初めてです。ですがご安心ください。あなたはしっかり不幸になっておりますよ、マシロさん》
「な、なっていません! 私、全然不幸になっていないんで!」
必死に否定していると、サリーが小さく笑った。なにがおもろいねん。こっちは真剣なんですけど。
《私たちマル派の間では、ムミィがあなたに与えたストーリー性のあるクオリティの高い不幸は今年一番と評価しておりますので、間違いないかと》
「それはあなたたちの価値観でしょう!? 私が不幸になっていないって言ってるんだから、不幸じゃないんです! 不幸かどうかは、自分が決めることなので!!」
《ですが……。ムミィを失い辛いからこそ、こうして電話をしているのでしょう?》
正論すぎて言い返せない。
私が唸っていると、サリーが優しい声で言った。
《マシロさん。今の状況を、本当に幸せにしてみせてください。そしたら私たちは、あなたのクレームを真摯に受け止め、対応いたしますので》
そしてサリーはそっと切電した。
私はスマホを握りしめた腕をだらんと伸ばす。
「……分かったわよ。この状況を幸せにしたらいいんでしょ。見てなさいよ、ムミィ……。今を絶対に幸せにして、業務不履行で訴えてやるんだから」
早速私はベッドの上で大の字になり、やけくそ気味に大声で叫んだ。
「あーーー! やっとベッドが返ってきたー! 嬉しいなあ~! 広くてふかふかで気持ちい~! 幸せだなあああ!!」
不幸は与えられるものじゃない。自分が呼び寄せ、自分がたぐりよせてしまうもの。
もう、私は不幸を手に取らない。断固拒否。クーリングオフ。
たとえ不幸として与えられたものでも、全部幸せに変えてやる。大丈夫。私ならやれる。私はこの八カ月間で、幸せの感じ方を覚えたのだから。
おかしいな。ちょっと前までこれが普通だったはずなのに。
話し相手がいないのは退屈だ。笑うことも、怒ることもほとんどない。
時間が過ぎるのが妙に遅い。この長い一日をどう過ごせばいいのかも分からない。
再び失業した今、私はどうやってお金を稼げばいいのだろう。就職活動……するしかないのかな。
収入、老後、結婚……。ムミィと出会ってからは脳みその隅っこに追いやられていた悩みが、再び頭の中をいっぱいにする、つまらない、夢のない悩みたち。考えるだけで気分が沈む。
考えようとしなくても、ムミィとの思い出が蘇る。
『人生には波があります。真白さんは標準をちょっと下回る、若干不幸のところで凪波を立てている。でもその波が、幸せに向けて高波を上げたら? そのあとの下がり幅が大きくなって、より不幸を感じられると思うのです!!』
初めて出会った日、ムミィが言った言葉。その時は何を言っているんだこいつはと思っていたけれど、彼の言っていたことは正しかったと、今では思う。
『ジェットコースターと同じです! 高いところまでゆっくりと上がっていき、ズドーンと真っ逆さまに落ちた方が、最高に不幸で楽しいでしょう!?』
今の私の状況は、ムミィと出会う前とほぼ同じ。それなのに前よりもずっと辛いのは、私が弾けそうなほどの幸せを知ってしまったからだ。
八カ月間ムミィに占領されていたベッドで横になると、悔しいことにまた涙が溢れた。
毎日ムミィが寝ていたベッドなのに、匂いひとつ残っていない。
やっと取り返せたはずなのに、代わりに失ったものが大きすぎて全然嬉しくなかった。
「ほんっと……むかつく……っ。好き放題して……っ、勝手に出て行って……っ!」
悲しみを通り越してだんだん腹が立ってきた。なにあいつ。先週までまであんなに楽しかったのに。川遊びをしたときにムミィが私に言ってくれた言葉、すごく嬉しかったのに。あれも私を不幸にするための方便だったの? もしそうなら一発殴らないと気が済まないんだけど。
あんなに気に入っていた神なのに、今や憎しみに近い感情すら沸き起こっている。
応援したいと思っていた気持ちなんて吹き飛んだ。それどころか、あいつが成功する姿を見たくない。むしろ失敗したらいいのに、なんてことまで思ってしまう。
『そうですね。幸せは、与え、与えられるものではないです。自分で得るものですものね』
その時の言葉を思い出し、私はふくれっ面で上体を起こした。
「幸せが自分で得るものなのだとしたら、不幸だって同じじゃん。要は私の気持ち次第ってことだよね」
私はスマホの着信履歴を遡り、「疫病神団体 マル派」に電話をかけた。
《お電話ありがとうございます。疫病神団体 マル派 サリーです》
「柳ですけど! ムミィはいますか?」
《しばらくお待ちください》
長い保留音のあと、再びサリーの声が聞こえた。
《申し訳ございません。ムミィはただ今席を外しておりまして。御用件がございましたら伺いますが》
「いつ戻ってきますか?」
《……しばらくお待ちください》
再び流れる保留音。
《お待たせいたしました。ムミィは当分帰ってこないそうです》
「具体的な日にちを教えてくれますか?」
《えっと……》
サリーの後ろから《八十年後とか適当に言っといて!》というムミィの声が聞こえた。
《……八十年後だそうです》
「……うしろにいますよね?」
《いいえ。いません》
「いますよね!? 代わってください!」
《い、いません!》
ムミィのやつ、居留守使いやがった。卑怯者め。
私は深く息を吸い、まくしたてるようにサリーに苦情を言った。
「そちらのムミィさん、私に〝最上の不幸〟とやらを与えてくれるって言ってたんですけど、私、全然不幸になっていないんですよね! それなのに突然いなくなって、私ガッカリしてるんですよ。どうしてくれるんですか? ひとつ文句を言わせてほしいんで、ムミィから折り返し電話いただけます?」
しばらくの無言のあと、サリーがクスクス笑うのが聞こえた。
《ヒトからこのようなクレームを受けたのは初めてです。ですがご安心ください。あなたはしっかり不幸になっておりますよ、マシロさん》
「な、なっていません! 私、全然不幸になっていないんで!」
必死に否定していると、サリーが小さく笑った。なにがおもろいねん。こっちは真剣なんですけど。
《私たちマル派の間では、ムミィがあなたに与えたストーリー性のあるクオリティの高い不幸は今年一番と評価しておりますので、間違いないかと》
「それはあなたたちの価値観でしょう!? 私が不幸になっていないって言ってるんだから、不幸じゃないんです! 不幸かどうかは、自分が決めることなので!!」
《ですが……。ムミィを失い辛いからこそ、こうして電話をしているのでしょう?》
正論すぎて言い返せない。
私が唸っていると、サリーが優しい声で言った。
《マシロさん。今の状況を、本当に幸せにしてみせてください。そしたら私たちは、あなたのクレームを真摯に受け止め、対応いたしますので》
そしてサリーはそっと切電した。
私はスマホを握りしめた腕をだらんと伸ばす。
「……分かったわよ。この状況を幸せにしたらいいんでしょ。見てなさいよ、ムミィ……。今を絶対に幸せにして、業務不履行で訴えてやるんだから」
早速私はベッドの上で大の字になり、やけくそ気味に大声で叫んだ。
「あーーー! やっとベッドが返ってきたー! 嬉しいなあ~! 広くてふかふかで気持ちい~! 幸せだなあああ!!」
不幸は与えられるものじゃない。自分が呼び寄せ、自分がたぐりよせてしまうもの。
もう、私は不幸を手に取らない。断固拒否。クーリングオフ。
たとえ不幸として与えられたものでも、全部幸せに変えてやる。大丈夫。私ならやれる。私はこの八カ月間で、幸せの感じ方を覚えたのだから。
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