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第一章
第15話 ムミィのパブ
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◇◇◇
ムミィのパブには家から徒歩十分で辿り着いた。でも、実際は徒歩十分の距離にこの店はないらしい。ムミィは秘密の近道を使ったと言っていた。
狭い路地裏の奥に、こっそり佇む古びたレンガ造りのお店。看板はかかっておらず、その代わりに扉に細長い花瓶が一本かけられていた。
「店を開いている時はこの花瓶に白い花を挿します。すると暇を持て余した神が、ひょっこり顔を出しに来るんですよ。さあどうぞ、お入りください」
店内は正に小汚いパブ、という感じだった。
何百年張り替えていないんだというくらい、えんじ色の壁紙は色褪せ、ところどころ剥がれている。床には椅子を引きずってできた傷がいたるところについていたし、床板の間には埃がびっしり。なんというか、ムミィらしいずぼらさだ。
日焼けしたポスターやステッカーがぺたぺた貼られているカウンターには、五本のビアサーバーが並んでいる。そしてカウンターの背後は、数えきれないほどのお酒のボトルや徳利で埋め尽くされていた。徳利の中には不思議な光を漂わせているものもあった。おそらくカクリヨのお酒なのだろう。
パブと呼ぶには狭すぎる気もしたけれど、その狭さも隠れ家っぽさを出していて悪くない。
ムミィはジャケットを脱ぎ、代わりにエプロンを身につけた。
「好きなところに座ってください。何か飲みますか?」
「えっと、じゃあ、あの光ってるお酒飲んでみたい!」
私がお目当ての酒を指さすと、ムミィは梯子にのぼり徳利を手に取った。
目の前でお猪口に酒が注がれる。酒で満たされたお猪口は、蛍のような淡い光を放っていた。ムミィが指でお猪口を撫でると、光が水面に集まり、いつしかそれは小さな菊の花となり酒に浮かんでいた。
「これは、天火明命が摘んだ菊で作られた菊酒です」
お猪口を口元に近づけると、ふわりと菊の香りがした。絹のように滑らかなほろ苦いお酒が喉を通り、舌の上には微かに甘さが残る。
私はほうっと吐息を漏らし、頬杖をついた。
「やば、美味しい~。飲みやすいからいくらでもいけそう」
「あ、一杯くらいなら体がポカポカする程度ですが、あんまり飲みすぎると不老長寿になってしまいますよ。お気をつけて」
「なにそれ、こわ。カクリヨのお酒って全部そんな感じなの?」
「そうですね。ヒトが口にすれば何かしらの効能が過度に出てしまうものが多いです!」
カクリヨのお酒は、不老長寿や幸運を招くものもあれば、命を縮めたり災いを呼び寄せたりするものもあるらしい。
さっきたまたま体に良いお酒を選んだから良かったものの、もし私が良くないお酒を選んでいたとしても、ムミィは平然と提供していたんだろうな……。
「真白さん、おつまみどうぞ」
ムミィはそう言って冷奴を出してくれた。刻みねぎも醤油もかかっていないので、
私は戸惑う。
「ムミィ? お醤油は?」
「あっ、はいはい。どうぞ」
ガサガサとビニール袋をまさぐる音が聞こえたあと、ムミィは使い切り刺身醤油――スーパーの寿司コーナーでよく見るやつ――を私に渡した。
カクリヨの光る菊酒と、使い切り刺身醤油との落差たるや。せっかくの非現実感が台無しだ。
「ムミィ……。なにこれぇ……。もうちょっと気の利いた出し方あるでしょ……」
苦言を呈す私に、ムミィは唇を尖らせる。
「いいんですー。僕のパブはいつもこんな感じなんです~。確かにみんなからも不評ですが、なんだかんだ文句を言いながらも来てくれるからいいんです~」
「っていうか、このお豆腐ちょっと変な味しない……?」
ムミィは、今度は手を叩いて笑った。
「さすがは真白さん! それ、スーパーの廃棄食品なんです!」
「……は?」
ムミィは、あるスーパーの店長に憑いたことがあるらしい。その時の報酬として、廃棄食品や無料サービスの物(刺身醤油や油、割り箸など)を数年にわたりもらっているそうだ。
誰にも求められなかった廃棄食品は、神にとってもタダ同然の価値しかない。だからこそ、ムミィは仕事に見合う報酬額に届くまで、半永久的に廃棄食品をもらうことができる。
そしてそれをパブに来たお客さんに有料で提供していると。狡猾なムミィらしい行いだ。
「賞味期限切れの食べ物なんて出されて、お客さん怒らないの?」
「怒りませんよ。腐ってはいないものをちゃんと出していますから!」
「……まあ、神相手だったら賞味期限なんて関係ないのか」
「そういうことです」
それにしたって、お店で出すならもう少し飾り付けても良いのに。ちょっと崩れた豆腐だって、パックから割り箸でほじくって出したのが見え見え。せっかく良い酒を揃えているのにもったいない。
ムミィのパブには家から徒歩十分で辿り着いた。でも、実際は徒歩十分の距離にこの店はないらしい。ムミィは秘密の近道を使ったと言っていた。
狭い路地裏の奥に、こっそり佇む古びたレンガ造りのお店。看板はかかっておらず、その代わりに扉に細長い花瓶が一本かけられていた。
「店を開いている時はこの花瓶に白い花を挿します。すると暇を持て余した神が、ひょっこり顔を出しに来るんですよ。さあどうぞ、お入りください」
店内は正に小汚いパブ、という感じだった。
何百年張り替えていないんだというくらい、えんじ色の壁紙は色褪せ、ところどころ剥がれている。床には椅子を引きずってできた傷がいたるところについていたし、床板の間には埃がびっしり。なんというか、ムミィらしいずぼらさだ。
日焼けしたポスターやステッカーがぺたぺた貼られているカウンターには、五本のビアサーバーが並んでいる。そしてカウンターの背後は、数えきれないほどのお酒のボトルや徳利で埋め尽くされていた。徳利の中には不思議な光を漂わせているものもあった。おそらくカクリヨのお酒なのだろう。
パブと呼ぶには狭すぎる気もしたけれど、その狭さも隠れ家っぽさを出していて悪くない。
ムミィはジャケットを脱ぎ、代わりにエプロンを身につけた。
「好きなところに座ってください。何か飲みますか?」
「えっと、じゃあ、あの光ってるお酒飲んでみたい!」
私がお目当ての酒を指さすと、ムミィは梯子にのぼり徳利を手に取った。
目の前でお猪口に酒が注がれる。酒で満たされたお猪口は、蛍のような淡い光を放っていた。ムミィが指でお猪口を撫でると、光が水面に集まり、いつしかそれは小さな菊の花となり酒に浮かんでいた。
「これは、天火明命が摘んだ菊で作られた菊酒です」
お猪口を口元に近づけると、ふわりと菊の香りがした。絹のように滑らかなほろ苦いお酒が喉を通り、舌の上には微かに甘さが残る。
私はほうっと吐息を漏らし、頬杖をついた。
「やば、美味しい~。飲みやすいからいくらでもいけそう」
「あ、一杯くらいなら体がポカポカする程度ですが、あんまり飲みすぎると不老長寿になってしまいますよ。お気をつけて」
「なにそれ、こわ。カクリヨのお酒って全部そんな感じなの?」
「そうですね。ヒトが口にすれば何かしらの効能が過度に出てしまうものが多いです!」
カクリヨのお酒は、不老長寿や幸運を招くものもあれば、命を縮めたり災いを呼び寄せたりするものもあるらしい。
さっきたまたま体に良いお酒を選んだから良かったものの、もし私が良くないお酒を選んでいたとしても、ムミィは平然と提供していたんだろうな……。
「真白さん、おつまみどうぞ」
ムミィはそう言って冷奴を出してくれた。刻みねぎも醤油もかかっていないので、
私は戸惑う。
「ムミィ? お醤油は?」
「あっ、はいはい。どうぞ」
ガサガサとビニール袋をまさぐる音が聞こえたあと、ムミィは使い切り刺身醤油――スーパーの寿司コーナーでよく見るやつ――を私に渡した。
カクリヨの光る菊酒と、使い切り刺身醤油との落差たるや。せっかくの非現実感が台無しだ。
「ムミィ……。なにこれぇ……。もうちょっと気の利いた出し方あるでしょ……」
苦言を呈す私に、ムミィは唇を尖らせる。
「いいんですー。僕のパブはいつもこんな感じなんです~。確かにみんなからも不評ですが、なんだかんだ文句を言いながらも来てくれるからいいんです~」
「っていうか、このお豆腐ちょっと変な味しない……?」
ムミィは、今度は手を叩いて笑った。
「さすがは真白さん! それ、スーパーの廃棄食品なんです!」
「……は?」
ムミィは、あるスーパーの店長に憑いたことがあるらしい。その時の報酬として、廃棄食品や無料サービスの物(刺身醤油や油、割り箸など)を数年にわたりもらっているそうだ。
誰にも求められなかった廃棄食品は、神にとってもタダ同然の価値しかない。だからこそ、ムミィは仕事に見合う報酬額に届くまで、半永久的に廃棄食品をもらうことができる。
そしてそれをパブに来たお客さんに有料で提供していると。狡猾なムミィらしい行いだ。
「賞味期限切れの食べ物なんて出されて、お客さん怒らないの?」
「怒りませんよ。腐ってはいないものをちゃんと出していますから!」
「……まあ、神相手だったら賞味期限なんて関係ないのか」
「そういうことです」
それにしたって、お店で出すならもう少し飾り付けても良いのに。ちょっと崩れた豆腐だって、パックから割り箸でほじくって出したのが見え見え。せっかく良い酒を揃えているのにもったいない。
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