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8章
第65話 別れ
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音楽室の窓から見える田んぼに、真っ赤な彼岸花が咲き乱れている。傍を通るときは少し怖いが、遠くから見ている分には色鮮やかで美しい。
一週間の休みが終わり、吹奏楽部の活動が再開した。
きっとまたクラッシュシンバルの音が悪くなっているのだろうと考えると気が重い。こんなことならシンバルを持ち帰ればよかったと海茅がため息を吐きながら基礎練習をしていると、顧問に声をかけられた。
「彼方。教師控室に」
顧問が部員を呼び出すなんて珍しい。叱られることをした覚えはないのに、海茅はビクビクしながら控室に入った。
海茅が椅子に腰かけると、顧問はギョロ目を彼女に向ける。
「コンクール、お疲れさん」
「は、はい。ありがとうございます」
「今まで無理をさせたな」
なんのことか分からず首を傾げる海茅に、顧問は言葉を続けた。
「今日から彼方にはフルートパートに入ってもらう」
海茅は、顧問の言ったことがすぐには呑み込めなかった。
この人は一体何を言っているのだろう、どうしてフルートパートにならなければいけないんだ、という疑問が脳みそを一周して、やっと自分が期間限定のパーカッションパートだったことを思い出した。
返答に困っている海茅を誤解して、顧問は優しく言った。
「五カ月間の穴がある分、福岡や如月には丁寧に教えるよう言っておくから、安心しなさい」
「は、はい……」
ひとまず返事はしたものの、海茅の頭は整理がついていない。
やっと念願のフルートパートになれる。五カ月間、この日を待ち望んでいたではないか。
いや、本当に待ち望んでいたのだろうか。顧問に言われるまですっかり忘れていたではないか。
しかし、海茅には姉から譲り受けたマイフルートがある。フルートパートにならないと、姉に顔向けできないのではないか。両親だって、海茅がフルートパートになることをきっと楽しみにしている。
顧問が立ち上がり、海茅に背を向けた。控室を出ようとしている。
海茅の手にじわっと汗が滲む。
どうするべきか。普通に考えてフルートパートになるのが当然の流れだ。
それなのに、なぜ海茅はこんなに悩んでいるのだろうか。
そんなの簡単だ。
「先生!!」
大声で呼び止められ、顧問が振り返った。
「わ、私、パーカッションのままがいいです……! だ、ダメでしょうか……!」
家族がそれを望んでいても、顧問や部員がそうなることを疑っていなくても、海茅自身が、それが嫌だからだ。
今まで、自分の意志で物事を決めたことなんて何ひとつなかった。
始めにフルートを希望したのも、姉におさがりをもらったからだ。
シンバルだって、先輩がたまたま海茅に割り当てたから。
匡史のLINEを教えてもらったのも、優紀がほぼ強引に教えてくれたから。
校外学習のグループ分けは、匡史が声をかけてくれたから。
勉強を頑張り始めたのも、顧問に言われたから。
これまでのこと全てが、誰かに手を引かれて、海茅はただついて行っただけだった。
だがこの時、海茅はその手を振り払った。
たくさんの人に手を引かれ、様々なことを経験し、感じ、自分を知った海茅の目には、微かながらも歩きたい道が見えていた。
「私、これからもパーカッションがしたいです! シンバルが……したいです!」
きょとんとしていた顧問が、ふっと目尻を下げた。
「シンバルにとりつかれたか?」
その質問には、海茅はニッコリ笑って答えられる。
「はい! すっかり恋に落ちました!!」
期間限定でパーカッションパートだった残り二人は、約束通り希望楽器に移ることになった。そんな中、海茅がパーカッションパートを続投すると聞き、パーカッション部員は大喜びした。
対照的に明日香は残念がっていたが、それでも応援してくれた。
予想と反して、家族は全く悲しまなかった。むしろ姉は喜んでいるようだった。
「よかったね、海茅! 自分の楽器を見つけられて!」
姉にもらったマイフルートは、吹奏楽部に寄付することにした。
これで海茅は完全にフルートとお別れだ。寂しくもあったが、未練はひとつもなかった。
「さようなら、フルート」
そしてただいま、パーカッション。
一週間の休みが終わり、吹奏楽部の活動が再開した。
きっとまたクラッシュシンバルの音が悪くなっているのだろうと考えると気が重い。こんなことならシンバルを持ち帰ればよかったと海茅がため息を吐きながら基礎練習をしていると、顧問に声をかけられた。
「彼方。教師控室に」
顧問が部員を呼び出すなんて珍しい。叱られることをした覚えはないのに、海茅はビクビクしながら控室に入った。
海茅が椅子に腰かけると、顧問はギョロ目を彼女に向ける。
「コンクール、お疲れさん」
「は、はい。ありがとうございます」
「今まで無理をさせたな」
なんのことか分からず首を傾げる海茅に、顧問は言葉を続けた。
「今日から彼方にはフルートパートに入ってもらう」
海茅は、顧問の言ったことがすぐには呑み込めなかった。
この人は一体何を言っているのだろう、どうしてフルートパートにならなければいけないんだ、という疑問が脳みそを一周して、やっと自分が期間限定のパーカッションパートだったことを思い出した。
返答に困っている海茅を誤解して、顧問は優しく言った。
「五カ月間の穴がある分、福岡や如月には丁寧に教えるよう言っておくから、安心しなさい」
「は、はい……」
ひとまず返事はしたものの、海茅の頭は整理がついていない。
やっと念願のフルートパートになれる。五カ月間、この日を待ち望んでいたではないか。
いや、本当に待ち望んでいたのだろうか。顧問に言われるまですっかり忘れていたではないか。
しかし、海茅には姉から譲り受けたマイフルートがある。フルートパートにならないと、姉に顔向けできないのではないか。両親だって、海茅がフルートパートになることをきっと楽しみにしている。
顧問が立ち上がり、海茅に背を向けた。控室を出ようとしている。
海茅の手にじわっと汗が滲む。
どうするべきか。普通に考えてフルートパートになるのが当然の流れだ。
それなのに、なぜ海茅はこんなに悩んでいるのだろうか。
そんなの簡単だ。
「先生!!」
大声で呼び止められ、顧問が振り返った。
「わ、私、パーカッションのままがいいです……! だ、ダメでしょうか……!」
家族がそれを望んでいても、顧問や部員がそうなることを疑っていなくても、海茅自身が、それが嫌だからだ。
今まで、自分の意志で物事を決めたことなんて何ひとつなかった。
始めにフルートを希望したのも、姉におさがりをもらったからだ。
シンバルだって、先輩がたまたま海茅に割り当てたから。
匡史のLINEを教えてもらったのも、優紀がほぼ強引に教えてくれたから。
校外学習のグループ分けは、匡史が声をかけてくれたから。
勉強を頑張り始めたのも、顧問に言われたから。
これまでのこと全てが、誰かに手を引かれて、海茅はただついて行っただけだった。
だがこの時、海茅はその手を振り払った。
たくさんの人に手を引かれ、様々なことを経験し、感じ、自分を知った海茅の目には、微かながらも歩きたい道が見えていた。
「私、これからもパーカッションがしたいです! シンバルが……したいです!」
きょとんとしていた顧問が、ふっと目尻を下げた。
「シンバルにとりつかれたか?」
その質問には、海茅はニッコリ笑って答えられる。
「はい! すっかり恋に落ちました!!」
期間限定でパーカッションパートだった残り二人は、約束通り希望楽器に移ることになった。そんな中、海茅がパーカッションパートを続投すると聞き、パーカッション部員は大喜びした。
対照的に明日香は残念がっていたが、それでも応援してくれた。
予想と反して、家族は全く悲しまなかった。むしろ姉は喜んでいるようだった。
「よかったね、海茅! 自分の楽器を見つけられて!」
姉にもらったマイフルートは、吹奏楽部に寄付することにした。
これで海茅は完全にフルートとお別れだ。寂しくもあったが、未練はひとつもなかった。
「さようなら、フルート」
そしてただいま、パーカッション。
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