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2章
第20話 ロングトーンの導線
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◇◇◇
海茅は、クラッシュシンバル以外にも練習しているパーカッションがいくつかあった。そのうちのひとつがサスペンドシンバル――シンバル一枚を専用のスタンドにセットし、スティックやマレットで叩いて演奏するものだ。
侭白中学校吹奏楽部のクラッシュシンバル用のマレット(細長い棒の先端の球体部分に毛糸をグルグル巻いているも)は、年季が入っているのか毛糸がけば立っている。
始めはボロッちくて嫌だなと思っていた海茅も、日が経つにつれこのマレットが手に馴染み、愛着が湧いてきた。
音楽教師控室は、すっかり海茅専用の練習スペースになっていた。海茅はサスペンドシンバルを控室に運び、サスペンドシンバルに二本のマレットを載せる。
海茅がロール(楽器の打面を連続して弾くことで、音に疑似的な持続効果を持たせる奏法)すると、サスペンドシンバルから柔らかな響きが広がった。
クラッシュシンバルが星空なら、サスペンドシンバルは海の波音だ。目を瞑ると、夕日が照らす砂浜で寝転んでいるような気持ちになる。
海茅は心地よい風に当たりながら、さざ波に耳を傾ける。
「……うぅん」
海茅はぴくりと顔をしかめた。波音が乱れていて、時に小石が当たったような余計な音がする。
クラッシュシンバルが評価されるようになった今でも、海茅はスティックさばきが上手ではなかった。
ロールという奏法は、マレットを細かく連打しなければいけないので、海茅ではまだ理想通りの音を奏でることはできない。
海茅は樋暮先輩に助けを求めることにした。彼女には、下手なところをパーカッションの部員に見せることに恥ずかしさなんて感じなくなっていた。一人で解決できずに合奏で恥をかくことのほうがよっぽど嫌だし、そもそもパーカッションパートの人たちは海茅の下手なところを見ても笑わないということを、今の海茅は知っている。
海茅のサスペンドシンバルのロールを見た樋暮先輩は、海茅に尋ねた。
「海茅ちゃんはどう思う?」
「うーん、なんかネチネチした音だなって思います。重いというか……」
「そうだね。手首が硬いから腕で叩いちゃってると思う。サスシンで練習しつつ、スネアスティックの練習である程度手首柔らかくした方がいいと思うな」
「そうですよね……」
クラッシュシンバル、サスペンドシンバル、バスドラムに小物たち……。それぞれ響かせ方が違うので、別の練習法が必要になる。やることが多くて、頭が爆発しそうだ。
「でも、どの楽器も手首の柔らかさは必要だから。きっと他の楽器の音も良くなるよ」
「そうですね……! はい、分かりました!!」
「海茅ちゃんは耳が良いから、手さえ動けば急成長できると思うから、がんば!」
それから、樋暮先輩はサスペンドシンバルロールで大切なことを教えてくれた。
まず、右手と左手で音を揃えること。
「音量、音の粒、音色、それが揃えばロールがまとまるから!」
続けて何かアドバイスをしようとしたが、樋暮先輩はクスクス笑って言うのをやめた。
「響かせることに関しては、私よりも海茅ちゃんの方がエキスパートだから、これは言わなくてもいっか」
「えー! 教えてください!」
「海茅ちゃんにとっては当たり前のことだよ? ロールをするときに、速く叩くことにばかり集中してたらダメだよって話。それより響かせてる音に耳をすませること」
「はい!」
「滑らかなロール目指して頑張って!」
深々と頭を下げる海茅に手を振り、樋暮先輩は練習に戻った。
海茅はへたり込み、サスペンドシンバルを見上げる。
「うぅぅ……」
上手にロールができなくても、ずっと音を鳴らしていたいと思ってしまうほど、海茅はサスペンドシンバルの音が好きだった。
一方、スネアスティック練習は嫌いだった。思うように手が動かないし、単純に退屈なのだ。
やらなければと思いながらも、気が進まずにぼうっとへたりこんでいた海茅に、教師控室にやってきた顧問がため息交じりに声をかけた。
「彼方……。またここで練習してたのか」
「あ! 先生、おはようございます!!」
「おう。悪いが、今から使いたいから別の場所で練習してくれないか」
「はい! すみません!」
「謝ることじゃない」
海茅はサスペンドシンバルを慎重に運びながら練習場所を探した。音楽室も視聴覚室も、他のパーカッション部員で満席。こうなったら管楽器の子たちのように、外で練習するしかない。
部活中に校舎の外に出たのは初めてだった。とぼとぼと奇妙な楽器を運んでいる海茅に、体育会系部員がすれ違いざまにちらりと送る視線が痛い。海茅はできるだけ目が合わないよう、下を向いて歩いた。
毎日通っている場所なのに、歩く時間が違うだけでこんなにも見知らぬ地になるのかと、海茅は体を小さくする。
陽の光が眩しい青空の下、あらゆるところから掛け声や笑い声に混じり、管楽器のロングトーン(一つの音を伸ばし続ける練習)が聞こえる。聞き慣れた楽器の音は、美術館の導線のように、海茅の足を無意識に進ませた。
海茅は、クラッシュシンバル以外にも練習しているパーカッションがいくつかあった。そのうちのひとつがサスペンドシンバル――シンバル一枚を専用のスタンドにセットし、スティックやマレットで叩いて演奏するものだ。
侭白中学校吹奏楽部のクラッシュシンバル用のマレット(細長い棒の先端の球体部分に毛糸をグルグル巻いているも)は、年季が入っているのか毛糸がけば立っている。
始めはボロッちくて嫌だなと思っていた海茅も、日が経つにつれこのマレットが手に馴染み、愛着が湧いてきた。
音楽教師控室は、すっかり海茅専用の練習スペースになっていた。海茅はサスペンドシンバルを控室に運び、サスペンドシンバルに二本のマレットを載せる。
海茅がロール(楽器の打面を連続して弾くことで、音に疑似的な持続効果を持たせる奏法)すると、サスペンドシンバルから柔らかな響きが広がった。
クラッシュシンバルが星空なら、サスペンドシンバルは海の波音だ。目を瞑ると、夕日が照らす砂浜で寝転んでいるような気持ちになる。
海茅は心地よい風に当たりながら、さざ波に耳を傾ける。
「……うぅん」
海茅はぴくりと顔をしかめた。波音が乱れていて、時に小石が当たったような余計な音がする。
クラッシュシンバルが評価されるようになった今でも、海茅はスティックさばきが上手ではなかった。
ロールという奏法は、マレットを細かく連打しなければいけないので、海茅ではまだ理想通りの音を奏でることはできない。
海茅は樋暮先輩に助けを求めることにした。彼女には、下手なところをパーカッションの部員に見せることに恥ずかしさなんて感じなくなっていた。一人で解決できずに合奏で恥をかくことのほうがよっぽど嫌だし、そもそもパーカッションパートの人たちは海茅の下手なところを見ても笑わないということを、今の海茅は知っている。
海茅のサスペンドシンバルのロールを見た樋暮先輩は、海茅に尋ねた。
「海茅ちゃんはどう思う?」
「うーん、なんかネチネチした音だなって思います。重いというか……」
「そうだね。手首が硬いから腕で叩いちゃってると思う。サスシンで練習しつつ、スネアスティックの練習である程度手首柔らかくした方がいいと思うな」
「そうですよね……」
クラッシュシンバル、サスペンドシンバル、バスドラムに小物たち……。それぞれ響かせ方が違うので、別の練習法が必要になる。やることが多くて、頭が爆発しそうだ。
「でも、どの楽器も手首の柔らかさは必要だから。きっと他の楽器の音も良くなるよ」
「そうですね……! はい、分かりました!!」
「海茅ちゃんは耳が良いから、手さえ動けば急成長できると思うから、がんば!」
それから、樋暮先輩はサスペンドシンバルロールで大切なことを教えてくれた。
まず、右手と左手で音を揃えること。
「音量、音の粒、音色、それが揃えばロールがまとまるから!」
続けて何かアドバイスをしようとしたが、樋暮先輩はクスクス笑って言うのをやめた。
「響かせることに関しては、私よりも海茅ちゃんの方がエキスパートだから、これは言わなくてもいっか」
「えー! 教えてください!」
「海茅ちゃんにとっては当たり前のことだよ? ロールをするときに、速く叩くことにばかり集中してたらダメだよって話。それより響かせてる音に耳をすませること」
「はい!」
「滑らかなロール目指して頑張って!」
深々と頭を下げる海茅に手を振り、樋暮先輩は練習に戻った。
海茅はへたり込み、サスペンドシンバルを見上げる。
「うぅぅ……」
上手にロールができなくても、ずっと音を鳴らしていたいと思ってしまうほど、海茅はサスペンドシンバルの音が好きだった。
一方、スネアスティック練習は嫌いだった。思うように手が動かないし、単純に退屈なのだ。
やらなければと思いながらも、気が進まずにぼうっとへたりこんでいた海茅に、教師控室にやってきた顧問がため息交じりに声をかけた。
「彼方……。またここで練習してたのか」
「あ! 先生、おはようございます!!」
「おう。悪いが、今から使いたいから別の場所で練習してくれないか」
「はい! すみません!」
「謝ることじゃない」
海茅はサスペンドシンバルを慎重に運びながら練習場所を探した。音楽室も視聴覚室も、他のパーカッション部員で満席。こうなったら管楽器の子たちのように、外で練習するしかない。
部活中に校舎の外に出たのは初めてだった。とぼとぼと奇妙な楽器を運んでいる海茅に、体育会系部員がすれ違いざまにちらりと送る視線が痛い。海茅はできるだけ目が合わないよう、下を向いて歩いた。
毎日通っている場所なのに、歩く時間が違うだけでこんなにも見知らぬ地になるのかと、海茅は体を小さくする。
陽の光が眩しい青空の下、あらゆるところから掛け声や笑い声に混じり、管楽器のロングトーン(一つの音を伸ばし続ける練習)が聞こえる。聞き慣れた楽器の音は、美術館の導線のように、海茅の足を無意識に進ませた。
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