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北部編:近衛兵と過ごす時間

おかしくなりそう

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ここ最近、ヴィクスの食事の量がさらに減った。食べるものは、今までよりさらに細かく刻まれた果物の欠片をたったの三つ。

(いっそのこと、早くーー)

精神的に疲弊した近衛兵は、わずかな食事しかしない彼を見て、そう思わずにはいられなかった。

ーーただ一人の近衛兵を除いて。

「殿下、お食事です」

小皿に載せられた果物の欠片を手に、ダフが寝室に入って来る。
ヴィクスはテーブルに置かれた果物を、気が進まないまま掴み口に入れた。

「あの、殿下。果物のサイズが前より小さくなっていませんか?」

「ああ。従者に小さくするよう頼んだんだ」

「ダメですよ殿下。もっと食べないといけないです。そのままだと死んでしまうと、何度言ったらーー」

「ウッ……」

「?」

ヴィクスがそっと口に手を当てたので、ダフは首をかしげて様子を見ていた。
ヴィクスは口に入れていたものを嚥下し、クスリと笑う。

「……とうとうはじまったね」

「殿下? どうされましたか」

「ダフ。この果物に毒が入っていた」

「え!?」

「心当たりはあるけど、気付かないふりをして泳がせておいて。後々必要になる存在だから」

ケホッと咳をしたヴィクスの口から、少量の血が出た。
それでもヴィクスが微笑んだまま解毒しようとしないので、ダフは慌てて彼の顔をこちらに向かせ、エリクサーを口に突っ込む。

「んっ! ちょっと、ダフ。乱暴はよさないか」

注意されても、ダフは謝るどころか怒りを滲ませた大声を出した。

「殿下!! どうして飲み込んだのです!? 口に含んだ時点で毒が入っていると気付いていましたよね!?」

「大丈夫だ。死ぬような猛毒じゃないことも分かっていたから」

「そういう問題じゃありません!!」

「……もういいよ。解毒された。離してくれるかい」

「約束をしてくれるまで離しません! 殿下、今後もしこのようなことがあれば、飲み込まず吐き出してください! いいですか!?」

「……僕だって少しくらい、苦しい思いをしてもいいだろう」

「……」

ダフは眉を寄せ、目の前にいる少年を見た。
対してヴィクスは反抗的な目をして、近衛兵を睨んでいる。

「殿下は苦しみたいのですか?」

「……」

「もう充分、苦しんでいらっしゃるじゃないですか」

「……やめてくれ」

「それ以上ご自身を苦しめて、どうするおつもりです」

ヴィクスは顔を歪ませ、ダフの手を振り払った。

「……っ、君といると、おかしくなりそうだ!!」

「殿下はもうおかしいですよ。ここ最近、前よりもずっとおかしくなりました。どうされたんですか」

「君には関係ないだろう!! 放っておいてくれ。もう、本当に……」

「放っておけないと、ずっと言っているでしょう! 殿下、あなたはーー」

ダフの言葉を遮り、ヴィクスが苦し気な叫び声を上げる。

「君たちは黙って僕を憎んでいたらいいんだよ!!」

「っ……」

自分の叫び声でハッと我に返ったヴィクスは、彼から目を背け、消え入るような声で呟く。

「頼むよ。僕を気遣わないでくれないか。君のその目、落ち着かないんだ。君といると、胸がザワつく。苛々する」

「いいえ!」

「……」

元気よく拒否するダフに、ヴィクスは頭を抱えた。
しかしダフは、さらに大きな声で彼に話しかける。

「気遣われたくないなら、気遣われるようなことをしないでくださいませんか、殿下!」

「……なんて口の利き方をするんだろう、君は、いつも……」

「殿下! 憎まれたくて、今まで俺たちに罪のない人を殺させていたんですか!」

「……ああ、そうだよ」

諦めの混じった声でしたヴィクスの返事に、ダフはこれ見よがしにため息を吐く。

「それなら、無意味なのでおやめいただきたいです! 俺はもう理不尽に人を殺したくありません!」

「やめないよ」

「いいえ! おやめください! なぜなら、俺はあなたを憎めないからです! 例えあのようなことをさせられたとしても」

「……そのようだね。君だけは、前と変わらず僕と接するんだから。食事を気遣い、やたらと話しかけ、聞いてもいないのに学友の話をする……」

「一か月前からめっきりそのようなお話を聞かれなくなりましたが、本当はお聞きになりたいんでしょう? 俺は知っていますよ。興味のないふりをしていますけど、俺が勝手に学友の話をしているとき、手を止めてずっと耳を傾けていらっしゃいます。特に、アーサーとモニカのこととなると、夢中になっていますよね」

「はあ……」

「殿下。あなたがわざと悪政を働いているのは知っています。本当はそれもおやめいただきたいですが……」

「やめないよ」

「はい。これに関しては、殿下にもお考えがあるのでしょう。あなたは心優しい方です。誰よりも傷つきやすい方です。それでも人を苦しめるようなことをしているのは、理由があるのでしょう」

「……」

「ですが、俺たちにまでわざと憎まれようとしないでください。俺は、何をされたって、あなたの味方でいます。だって俺はあなたの近衛兵なんですから」

「本当にもう、やめてくれないか……」

顔を覆うヴィクスの頭に、ダフは遠慮がちに手を乗せる。普段なら殺されそうなものだが、相当参っているのか、ヴィクスは何も言わなかった。ダフはそのまま頭を撫でる。

「やめません。苦しみは、分かち合うものです。あなたの苦しみは、一人で抱え込むには大きすぎるものです。俺たちに支えさせてくれませんか。好きでいさせてもらえませんか」

「君といると、おかしくなるんだよ。僕は君のような人と接したことがないんだ。どうしていいのか、分からなくなる……」

「大丈夫です! 殿下はもとからおかしいですから!」

「……君、さっきからひどいことを言っているね。殺されたいのかな」

「いいえ、殺されたくありませんもちろん!」

「あまり調子に乗っていると……」

「殿下。ご自身で気付いていませんね? あなたはこのような会話をしているとき、少し嬉しそうなんですよ」

「まさか、そんなわけないだろう。怒りで狂いそうだよ」

「いいえ。嬉しいから、〝おかしくなりそう〟なんでしょう?」

「……」

「他の者には見せたくないなら、せめて俺にだけは見せてみませんか。みんなに内緒で、たくさん学友の話を聞きませんか? 辛いことも、苦しいことも、こっそり吐き出してみませんか?」

「……まるで、悪魔の囁きのようだよ」

ヴィクスがそう呟くと、ダフはガハガハと笑い、彼を抱きしめた。
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