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初夏編:一家でトロワ訪問

【382話】鑑賞会

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2日かけて美術館に絵を飾り、トロワ住民の反応を見ようとその日だけ美術館を開館することにした。絵画なんて一度も見たことがない住民たちは緊張した面持ちで美術館に入る。リングイール一家に2階へ案内された住民たちは、壁に飾られた絵画を見て「おぉぉ」と声をあげた。

「ほんとうに絵が飾ってある…!」

「この町に美術館なんて…!」

彼らはおそるおそる絵の前に立ち、よく分からないまま絵を眺める。子どもたちは早々にあくびをしていたが、大人たちは口元が緩んでいた。双子も一緒に絵をみてまわる。隣に立っていた女性が双子に気付き、恥ずかしそうに自分の髪を手で梳いた。

「わ、わたし、絵なんてはじめて見て。全然知識がないんだけど…」

「それでいいんだよ!わたしも少し前まで見たことなかったもん。はじめて見たのがこの画家たちの絵だったの」

「たしかに世の中にはむずかしい絵もたくさんあるけど、クロネたちの絵はむずかしい意味なんて絵に込めてないよ。ただ、きれいだなって思った景色を伝えたくて描いてるんだ」

「そうなのね…。ああ、だからかしら。わたしは絵のことをなにも分からないけれど、これがなにを描いてるのかすら分からないけど、とっても優しい気持ちになれる絵だなって思ったの。見ていて安らぐわ」

「わかる!!クロネたちの絵って、ほわーって気持ちになれるよね!」

「あたたかい気持ちになれるよねー!」

「アビーとモニカもそうなのね。よかった。間違ってたらどうしようって思った…」

「絵を鑑賞するのに間違いなんてないよ!」

「そうよナナミさん」

うしろからこっそり会話に耳を傾けていたカトリナが、ナナミと呼ばれた女性の肩に手を置いた。突然美人に触れられ、ナナミはポッと顔を赤らめたがカトリナはかまわず話を続けた。

「アカデミックな絵には確かに知識が必要です。でも、絵画鑑賞はただの趣味よ。宗教を知らずとも、寓意を知らずとも、画家の意図が分からなくたっていいんです。あなたはあなたの感じるままに絵画を鑑賞するといいですわ」

「カトリナさん…」

カトリナの使う言葉がむずかしくて、教育を受けていないナナミにはあまりよく分からなかった。それでもカトリナがナナミを肯定してくれていることは汲み取ることができた。

「それに画家だってあなたと同じ人なんですよ。宗教画だって、実はごまかしごまかし裸婦を描きたいだけだったりします」

(あっ、それニコロが言ってた!)

「え?あはは、そんなまさか」

「いいえ、本当に。もちろん、すべてがすべてではないけれどね。だから宗教画を見て"この裸婦は美しい"と思ってもそれは間違いではないんです。絵画鑑賞の感想に間違いなんてないの」

「あはは、そうなんですね。ちょっと気が楽になりました」

初めての絵画鑑賞で、恥をかきたくないと思い緊張していたナナミの肩から力が抜けた。カトリナはニコっと微笑み、ちらりと双子を見てから再び口を開いた。

「そして、人の評価と自分の評価はちがってていいの。例えば有名な画家が描いたから名作だとか、高値で売られているから素晴らしい絵だとか、評価が悪いから駄作だとか、そんな風に決めつけて絵を判断しちゃだめよ」

「そうなんですか?」

「ええ。あなたが好きだと思った絵が、あなたにとって一番の名作なのよ。他の人の評価なんて気にしないで。この子たちのように」

「はい!ありがとうございます、カトリナさん」

カトリナはつぎに双子の頭を撫でて頬を緩めた。

「アビー、モニカ。ありがとう」

「ん?どうしたの?」

「わたしねェ。正直に言うと、ルアン画家の絵の良さがまったく分からなかったの」

「え"!」

「仕方ないよモニカ。きっとカトリナはルアンの美術館に展示されてるような絵をたくさん見てきただろうから」

「その通りよォ。あっち系の絵を見慣れてる私たちが見ると、信じられないほど…なんていうか…」

「雑?」

「…その通りよ。雑に見えてしまうの」

カトリナは観念したように本心を伝えた。モニカはしょんぼりとしていたが、アーサーは分かっていたのか寂しそうに微笑むだけだった。カトリナはそんな双子にニコっと笑う。

「でもね、分かったのよォ。ルアン画家の絵を見るトロワの人たちを見て。きっとルアン画家は、貴族ではなく平民のために絵を描いているんだわ。だって見てちょうだい。絵の知識を知らなくったって、みんな夢中になって彼らの絵を眺めているわ。なにが描いてるのか分からなくたって、しあわせそうに微笑んでいるの」

カトリナが顔を紅潮させている。双子がルアン画家の絵画をだいすきな理由がやっと理解でき興奮しているようだった。

「それは彼らの色彩表現が巧みだからだわ。あの筆致は敢えてなのね。絵具を濁らせないためのテクニックなのね」

「おおー!すごいカトリナ!その通りよ!」

「やっぱり!濁りがない淡い色彩は、見ているだけで心が穏やかになるわ。それに絵の主題も素敵ね。平民の日常の切り抜きが多いわ。きっと平民の人たちは共感できる。彼らの絵に複雑な意味も寓意もない。ただ美しいものを美しく描きたい。その一心で描いている。単純で真っすぐな想いは、純粋に絵を見ることができる平民の心を動かすのね」

小難しい言葉を並べてまくしたてるカトリナに、双子はニコニコした。なにを言ってるのかさっぱり分からないが、どうやらカトリナにクロネたちの絵の良さが伝わったようだ。カトリナはものすごく残念そうな顔をしてため息をついた。

「あぁぁ…。私だって純粋にルアン画家の絵を楽しみたいわァ。今までの教養が邪魔して心から楽しめない…」

「よく分からないけど、僕たちこれからもいーっぱいクロネたちの絵をもらってくるから、1枚でもカトリナのお気に入りになる絵があれば嬉しいなぁ!」

「うふふ。是非出会いたいものだわァ。…アビー、モニカ。ルアン画家の絵はおそらく次の時代の絵画よォ。あなたたちが他人の評価に惑わされずに、あなたたちの感性で絵を見ることができたからこの絵画と出会えたの。きっとこの美術館は数十年後、もしかしたら百年後になっちゃうかもしれないけど、間違いなく有名な美術館になる。あなたたちは歴史的な功績を残したのよォ」

「え?えへへ、カトリナ、まだ気が早いよぉ」

「誇っていいことだわ。あなたたちに出会えてなかったら、私は死ぬまでこの絵の良さが分からなかったかもしれない。本当に感謝しているわァ」

「カトリナァ!」

なぜこれほど褒められているのかはよく分からなかったが、カトリナがルアン画家の良さを理解してくれたことが嬉しくて、双子はカトリナに抱きついた。

◇◇◇

いつの間にかそばにいなくなっていたジルを探すと、彼はエドガの絵の前で立っていた。どこかのカフェで、酒が入ったグラスの前で悲し気な表情を浮かべている女性の絵。カトリナが隣に立ったことに気付いたジルは、ちらりと彼女に目を向けたあとゆっくりとまたその絵に視線を戻した。

「この画家の絵たくさんあるんだけど。見てると落ち着く」

「あら…てっきり見ていて悲しくなると言うと思ったわ」

「この根暗な感じが落ち着く」

「ふふ…確かに根暗そうな画家ねえ」

「あと線がきれい」

「たしかに綺麗ね」

「おなじ絵がたくさんあるんだ。きっと何度も何度も同じ絵を描いて、納得のいくものを作ろうとしてるんだね」

「ふふ。まるでジルみたい」

「ああ、だからか。すごく落ち着く」

その日、一番最後に美術館を出たのはジルだった。彼はトロワへ滞在中何度も美術館を訪れ、エドガのブースで何時間も立っていた。あまりにエドガの絵に夢中になっているジルに、双子はエドガの絵を1枚プレゼントした。ジルはその絵を抱きしめて、震える声で「ありがとう」と言った。
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