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第三章 ブロンテとルノワール

第二十話

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 軸となっていたものがなくなった俺は、思っていた以上に暇を持て余すことになった。
 葵と付き合っていた間は、放課後になると彼女を迎えに行き、一緒に下校して、葵が寄りたいところに行って解散する、というのが日課になっていた。

 それが突然なくなると、放課後に何をしていいのか分からない。俺、葵と付き合う前までどうしていたんだっけ。
 悩んだ末、俺は、帰り支度をしている木渕に声をかけた。

「木渕、今日暇?」

 暇な時は友だちと遊ぶっていうのが正解だよな?

「ごめん! 今日予定ある」

 正解じゃなかったようだ。

 あからさまに残念そうな顔をしていたのだろう。木渕は俺の背中を強く叩き、ガハハと笑う。

「そんな顔すんなって! 明日なら相手してやるからさ!」
「別にいいし」

 俺は妙にこっ恥ずかしくなって、顔をしかめた。
 木渕は良いヤツだから、乱暴に手を払われても、笑って「はいはい」とあしらう。

「暇を持て余しているのなら、図書館に行けばよろしいぞ! その空っぽの頭に有用な知識を詰め込むがいい! 数学六十八点の若者よ!」

 ジジイ口調でちゃかす木渕を、俺は「うるせぇっ」と軽く殴った。
 そして今、ジジイ木渕のアドバイス通りに図書館に来ている。なんて素直なんだ俺は。

 趣味は何と聞かれたら、俺は読書と答えるが、実際はそこまで本を読んでいるわけでも、本がものすごく好きなわけでもない。蓋を開けると、俺が読んだことがあるのは、超有名ファンタジー小説とか、三国志とかそこらへんだ。あとは漫画しか読まない。

 つまり、趣味が読書ってなんかかっこいいよな、と思って言っているだけの格好悪いやつなのだ。
 俺はしばらくぼうっと本棚を眺めていたが、ズラリと並ぶ本の中から一冊を選べと言われても困る。
 考えることに疲れ、今月のオススメが並べられている本棚から適当に一冊手に取り、一番目立たない奥まった席に座った。

 選んだ本は、俺も読んだことのある作家の超短編集だ。
 ページをめくり、文字を目で追うが、他のことを考えてしまって集中できない。

 勉強も、人付き合いも、俺はいつだって目の前のことと別のことを考えてしまう。だからあまりうまくいかない。
 葵は今頃何をしているのだろうか。まだ俺の愚痴をSNSに投稿しているのかな。それとも、友だちとカフェで自撮りでもしているか。もしくは、もう新しい彼氏を見つけていたりして。

 それにしても、世の中にはぽっちゃりした人が少ないな。学校でも、店でも駅でも、歩いているのはほとんど華奢な女性だ。きっと女性はスラッとしたスタイルを目指して頑張っているのだろうし、一般的な男性はああいったスタイルが好きなのだろうな。

 ……どうして俺だけ違うんだろう。

「さっきからずっと、十ページから十三ページまでを延々とループしてるけど、どうして?」
「へっ?」

 突然声をかけられて、俺は間抜けな声を出した。
 いつの間にか、隣に女子が座っていた。このピンク髪のツインテールは――

「か、栞奈ちゃん」
「結也先輩、ひっさしぶりー!」

 栞奈ちゃんはニッコリ笑って、「やっほー」と真隣にいる俺に手を振った。このタイミングで葵の友人……絶対に何かある。

 俺が警戒していることに気付いてか、栞奈ちゃんは噴き出した。

「あははっ。そんな顔しないでよー」
「どうしたの? 栞奈ちゃんが図書館にいるなんて、珍しいじゃん」

 何とか声を絞り出した俺に、彼女は首を傾げてぷぅと頬を膨らませた。
 ピンクの髪が俺の本にかかる。毛先の色が抜けかけて、ほんのり白みがかっていた。

「それはこっちのセリフー。結也先輩が図書館に来るなんて、初めてなんじゃなーい?」
「確かにあんまり来ないな。今年入って初めてかも」
「でしょでしょ? 会ったことないもーん!」

 この口ぶりからして、栞奈ちゃんはよく図書館を利用しているのだろう。少なくとも、俺よりはずっと。

「栞奈ちゃん、本好きなの?」
「うん! 好きー! 今読んでるのはね、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』! 読むの二回目なんだけどねー!」
「エミリー……何?」
「エミリー・ブロンテ! ヒースクリフきゅんのメンヘラ度合いがどちゃくそキャワキャワで~!」
「ヒースクリフきゅん……キャワキャワ……?」

 ラノベか何かかと思い、彼女が手に持っている本に目をやると、見た目からして重厚な純文学のようだった。それなのに彼女は、まるで恋愛ドラマを観たときのようなコメントを並べる。
 彼女があまりに楽しそうに語るので、聞いているこっちも頬が緩んだ。

「結也先輩も是非読んでみて~! 途中まですっごく辛くて、もういや~ってなるんだけどー、ラストとかキュンキュンして最高なんだよ! 涙が止まんないよ~! エミリー・ブロンテ! 生まれて来てくれてありがとう~ってなるよー!」
「なんだそれ」

 栞奈ちゃんの『嵐が丘』に対する感想は意味不明だったが、彼女がその作品のことを大好きなのはすごく伝わってきた。

「結也先輩は? 何読んでるの?」
「俺はこれ。超短編集」
「あ! それいいよねー! すごいよね! 五ページくらいでしっかりオチがあって、ワクワクできちゃうんだもん!」
「お、読んだことあるんだ」
「あるある! お兄ちゃんが好きでね、本棚にいっぱいこの作家さんの超短編集が並んでて~。なんとなーく読み始めたら、夢中になって徹夜して全部読んじゃった!」
「……すご」

 どうやら俺は、栞奈ちゃんのことを勘違いしていたようだ。ピンク髪でツインテールなんて、アホの子しかいないだろうと思っていた。

 外見だけで判断されることが嫌いなクセに、俺だって彼女を色眼鏡で見ていたんじゃねえか。
 栞奈ちゃんは頬杖をつき、小さく首を横に振る。

「すごくないよ~。ただ本がちょっと好きなだけ」

 俺は、趣味が読書と言っている自分のことが恥ずかしくなった。

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