狂った夢、かなえます

クロモリ

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第一章 愛されるための身体能力

第4話 ストーキングも助手のお仕事

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依頼人の佐伯舞華さえきまいかが出て行った。

バタン、と締まった扉を見つめ、孝幸は真っ黒な机に肘を落として頬杖をついた。

「……」
横目に伺うと、蜜蘭は再び目を伏せていた。
(結局、何だったんだよ……さっきの時間)
知らず頭に溜まっていたらしい疲労感をため息ごと漏らしていると、蜜蘭に言われた。

「何をしているんだね、助手?」
「……はぁ?」
「あの女を尾行してくれ」
「ああァ?」
「失礼。説明してなかったね……工房以外でも助手仕事があるんだよ」
「尾行が、か?」
「正確に言えば依頼人の私生活を可能な限り観察することさ、動画も撮れれば良いね」
「……冗談だろ?」
「私が人を笑わせるような人間に見えるのか? 嬉しい勘違いだ、感謝するよ」
「まず人間かどうか疑わしいぜ、アンタ。少なくとも、まともじゃない」
「正しい認識だ。私はもちろん、まともじゃない」
伏せていた目を吊り上げるようにして、彼女が鼻を鳴らした。
「……さてはて。それより、どうするね? このまま助手の仕事をやるか否か。私から見ればキミは尾行に向いてるよ、個性がまるでない容姿で、目立つような雰囲気も皆無だ」
「受け取らねぇーぞ、ンな褒め言葉」
吐き捨てながら、孝幸は席を立つ。

(この女に復讐……地獄を見せる。そのために、信頼されとくのがいいだろうさ。あとで裏切ってやるためにな)

孝之は決意を確認、覚悟を決める。
「時給二万な、雇い主」
「構わないよ、助手」
早歩きをしながら、孝幸が扉に手をかけた時だった。

「そうそう、一つ言わせてくれ。キミの下手な丁寧語よりも、乱暴で下品なキミの本音がただ漏れる、下品な言葉遣いの方が私の耳には心地良いよ」
「うるせぇーな。気に食わない上司手当も入れて、時給三万だな」
微かな笑い声を聞きながら、孝幸は工房を出た。

     ~~~~~~~~~

人形師の工房で依頼を終えた佐伯舞華は、自身の通う大学の正門前でふと、立ち止まった。背中に刺さるような誰か視線を感じて、振り返る。
同じ学生らしき幾人かがチラりと視線を向けてくるが、直ぐに逸らされる。誰かがじっと見つめているような感じはしなかった。
(気のせいかな?)
少し首を傾げて、歩き出す。幾つものキャンパスが林立する学内を、学生達が行き交っている。今は講義の合間の時間で人が多い方ではあるが、いつも通りの光景だ。
ただ思うのは、いつもとは違うこと。

(あの工房に居た女の人、動画の声と同じだった。あ、場所はなんか分かったな……自分の足が知っていたみたいに。でも、行き方はもう覚えてないっ!)

人形師というもの自体、半信半疑ではあったものの、実際に動画で説明された通りであった。

(なら、信じていいよね、きっと)

心持ち足取りは弾むようになっていく。
見えてくるのは、学部棟の傍、屋外テラスのように幾つか並んだベンチ。その裏側、ちょうど背もたれと並ぶような高さの花壇も見えた。

それよりも目が拾うのは、ベンチで手を振っている男だ。

舞華も手を振り返して、駆け寄ると。
「ごめんなー舞華」
鼻筋が綺麗に通った男が、にへらと無邪気に笑った。
「わたしこそ、ごめんね。ちょっと遅れちゃった」
「いやいや、オレの方だって謝るのは。急に呼んじゃったわけだし」
男は困ったように、こめかみの辺りを掻く。苦笑いと愛想笑いを混ぜたような笑顔を浮かべて。それらの仕草や見た目のどれも、舞華には好ましかった。

(あぁ、うん。今日もじゅんくんは純くんだ)

彼に会えただけで弾んでしまう胸に、我ながら単純だなと口元を綻ばせて、舞華は岸辺純の隣に座る。少しだけ距離を離して座るのが、何故か、好きだった。

「いつでも呼んでくれていいよーあたしもこの辺りに用事あったから」
嘘は言っていない、と舞華は思う。
「ん、なら良かった」
言って、岸辺純は視線を漂わせる。どうやら舞華ではなく、学部棟に入っていく人間を何気なく眺めているようだった。

(最初に好きになったのは、この横顔だったなー)

舞華は思い出していた。

一年前の入学当初から岸辺純は同じ講義を取っていた。気にはなっていた。ただ声をかける勇気なんて持ち合わせていなかった。だから、学内のカフェテリアで彼の方から声をかけてくれた時は、驚きと緊張で上手く喋れなかった。

その後の帰り道……電車の路線が同じだったから、何となくそのまま駅まで、一緒に歩くことになった。
不出来な、まるで英語の教科書のような会話しか出来なかったのを覚えている。


舞華は彼の歩調に合わせるのに必死だった。
彼は彼で舞華ではなく、前を見て歩くのに必死だったように見えた。

ぎこちない二人の時間は、何故か、三ヶ月くらい続いてくれた。

(純くんも緊張しててくれたんだったよね)

それを知ったのは、彼と付き合い始めた日のこと。
それから始まったのは、それまで知らなかった幸福に満ちあふれた日々だった。

毎日起こることもやることもさして変わりもしないのに、彼が傍に居るだけで、難しいだけだった講義も、学内での昼食も、まったく違う景色のように美しく見えた。

何にも代え難い、大切な記憶。

(でも、今、純くんは違う女の人とも一緒に歩いてる)

学部の女友達が見た……というか、岸辺純と見知らぬ女が一緒に歩いているところを画像で見せてくれた。しかも場所が場所。わりかし有名なホテル街だった。
しかも別の女友達が言うには、純はそもそも女の子と遊び倒しているという噂があったということ。舞華の耳に入らないようにしてくれていただけらしい。

「で、さ」
またも困ったように、純はこめかみの辺りを掻く。舞華が好きな笑顔を浮かべて。
(この顔……あたし以外の女の人にも向けてるんだよね、きっと)
舞華の思いも知らないままに、岸辺純は続けていた。

「ちょっとだけ……貸して欲しいんだ」
純の言葉の意味を直ぐに理解して、舞華は財布から紙幣を抜く。それを手で隠すようにして純に渡す。
「これで足りる?」
「……大丈夫か、こんなに。いや、オレが言うのも何か違うかもだけど」
「うん、大丈夫」
ありがとうな、と純が安心したように、子供のように笑った。
(あたしは……純くんがそれでも)
純が呼んでくれた自分の名前、その声音が心の優しく染み渡るように感じて。
(あたしは純くんとずっと好きだな……純くんにそう思われなくても、きっと、ずっと)
彼の笑顔に釣られて、舞華は笑った。

「あたしは純くんの傍に居るね、ずっと」

彼の笑顔が苦笑に染まっても、舞華は笑っていた。
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