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29.ルシャナ

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「マンフリート様と誰かが話しているようだ。マンフリート様の配下の者か? でも様子が変だぞ……」


 リチャードが怪訝そうに言う。三人とも目を皿のようにして凝視していた。その男はマンフリートから離れていく。


 次の瞬間、なんとマンフリートはその場に崩れ落ちたのだ。


「マンフリート様!」


 三人とも咄嗟に名前を叫んだ。

 そして、無常にも画面はそこでぷつりと消え、ただの鏡が手のひらにあるだけだった。


「ど、どうしようリチャード! 早く、伝えなきゃ!」


「そ、そうですね! 私、王城に連絡を取ります! チャドラ、ルシャナ様と一緒にここにいて、次の一時間後のマンフリート様の様子を細部まで覚えておくんだぞ」


「お父様、わかりました!」


 一時間も待っていられない。


 いますぐにでも駆け付けたい。場所がどこだか分かれば今すぐにでも飛び出したいくらいだ。

 しかしおそらくは軍の機密情報が含まれているのだろう。おいそれと教えてもらえるはずがない。


 あの屈強のマンフリートが倒れるということは、刺されたかもしれない。気が変になりそうだったが、彼らには自力で怪我を直せる魔法があるから、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせる。


「ねえ、マンフリート様も回復魔法は強力だって言ってたよね?」


「そのとおりです! きっと次のときには、自分で直して犯人を捕まえるために再び山の中をかけずり回っている映像に決まってますよ! マンフリート様の治癒力はかなり高いです。そんじょそこらの医術者より即効性がある治癒力がもともと体に備わっている、それが熊一族です! だからきっと大丈夫に決まってます!」


 そんな言葉をいくらかけられたところで、心配が薄まることはないのだ。ちゃんと目の前で自分の名前を呼んでくれるまで、安心はできないのだ。


「うん……そうだよね」


 すでに空返事になっているのはわかっているのだが、それしか返せない。普段ならもっとおしゃべりなチャドラも、それ以降は空気を読んでいるのか、それとも言葉が見つからないのかはわからないが、一言も声を発することはなかった。


 二人はテーブルの前に鏡を置いて、ただひたすら時間が来るのをじっと待っていた。


(どうか、次の映像は笑ってマンフリートが立っていますように!)



「マンフリート・バウムガルデン!」



 二人でそう叫ぶと、映像が映された。


「うそ! なんで!」


 なんとマンフリートは倒れたまま、脇腹を刺されたのか血だらけで、しかもどす黒く、それはみるみる間に大きく広がっていくのだ。


 それを部下たちが必死でマンフリートを取り囲んで詠唱えいしょうして、おそらく回復魔法をかけているのだろうが、明らかに誰がみても間に合っていない。本来他人にかける魔法ではないので微弱なのだ。


「ねえ、チャドラ! マンフリート様の治癒力はすごいんじゃないの? なんで!」


 チャドラに言ったところでどうにかなるわけではないとわかっているのに、これは八つ当たりなのに、言わずにはいられなかった。


「マンフリート様、しっかりして!」


 いくら叫んでも彼に自分の声が届くわけではないのに、叫ぶしか自分にはできないのだ。


(いやだ! 絶対にいや! 死なせない! 僕に力をちょうだい!)


 そう心に強く念じた時だった。


 体の中から何かが溢れ出るような不気味な感覚に、ルシャナは背筋がぞくりとしたのだが、自分のことよりもマンフリートのことで頭がいっぱいだった。


「ルシャナ様!? ど、どういうことで!」


「え?」


 自分がものすごい光に包まれているのだ。そして、その光は一瞬にして鏡を照らし、いや鏡を照らしたのではなく、鏡の中にどんどん吸い込まれていくのだ。


 するとルシャナ自身も光と同化したように、体が勝手に鏡のほうへ吸い寄せられるのだ。


「ちょ!? ルシャナ様?」


「チャドラ! 吸い込まれそう! 助けて!」


「ルシャナ様!」


 チャドラの手を必死で握りしめているのだが、抗えない力に為す術もなく、ついにチャドラの手が離れてしまう。


「きゃあ!! 助けて!!」


 叫びも虚しくルシャナは鏡の中へと引きずられるようにして吸い込まれていった。












 闇の中へさらわれ、目を開けても暗闇で何もないまま、まるで急降下していくようだ。内蔵はぐるぐるとかき回され、正直吐き気を催しそうだったが、ここではしっかり自分を保たないとだめだ、と早く出口まで辿り着いてと必死に祈る。


「あ!」


 ようやく声が出たと思った瞬間、鏡で見たのと同じ森が目に飛び込んできた。


 一瞬何が起こったのかわからなくて、怒号どごうと騒音の真っ只中にルシャナは突如現れたのだ。


「誰だ!」


 その場にいた全員がルシャナに視線を向ける。


「な!? 光ってる? 特殊魔法か?」

「いや、いにしえの、妖精か?」


 突如現れた全身真っ白のルシャナに、辺りはざわめく。

 ルシャナはまだ自分の体が光っているのを感じたが、ハッとして立ち上げる。


「マ、マンフリート様! どこに!」


 すると兵士二人が近づこうとするが、光を放っているのでそれ以上は近寄れないようだ。


「誰だ、おまえは!」


 突如現れた正体不明の人物に全員が警戒する。


「ま、まさか、伝説の白き異界人?」


 誰かがそんなことを言う。ルシャナは構わず、マンフリートを探す。


「マンフリート様はどこ? 彼の妻の、ルシャナです」


 なんとか震えながらやっとのことで言い、すると一斉に兵士は道を空ける。ルシャナは怖々と一歩ずつ前に進む。


「もう……」


 横たわるマンフリートが目の前にいた。必死で手当をしている数名の兵士の内の一人が、ルシャナに向かってもう助からないと、首を横に振る。


「うそ、うそ!」

「すみません、これ以上はもう……。呪詛じゅそがかけられた短剣で腹部を刺されました。犯人はすぐに殺しましたが、呪詛が消えないのです」


 言っていることがまったくわからない。


 意識のないマンフリートはいつもの優しげな表情で、ルシャナ、と呼んではくれない。



「マンフリート、様。起きて……」



 心が張り裂けそうだった。涙で視界も歪んでいる。


 彼と心が通じ合ったばかりで、二人の人生はようやく始まったばかりなのだ。これからたくさん話、感じ、いろいろと共有していこうと語っていたばかりだったのだ。


 まだ二人は何もしていないのに。


「ねえ、目を、開けて、マンフリート様……」



 頭上では涙ぐむ男達のすすり泣く声があちこちから聞こえてきた。


 ルシャナはこれほどまでに自分の非力さを呪ったことはなかった。命の灯火が今まさに消えようとしている夫を救うことすらできなくて、何が伝説の人だ。



 涙を拭い、マンフリートの手を握る。

 彼からもらった命を今、彼に返そう。

 この体、血の一滴に至るまで、すべてを捧げよう。

 方法など知らない。

 そんな力があるかなんて知らない。



 知っているのは、ただ彼を愛し、彼のものである自分、それだけだ。

 傷口に手を当てて彼を思い〝彼をお救い下さい〟と強く念じる。


 すると自分の体の中から、暖かいものが流れ出てくるのを感じる。


 それは指先に伝わり、自分の生命がまるでマンフリートへ流れていくようだ。

 血の動きすらが感じられるほど、神経が研ぎ澄まされている。その一つ一つが、彼と融合していくようだ。


 やがて、マンフリートの体も完全に光で包まれる。


(お願い! 死なないで!)


 心でありったけの祈りを捧げていた時だ。


「…………んっ」


 意識を失っていたマンフリートが、突如目を覚ます。


 するとさらに奇跡が起こった。


 そこにいた兵士すべてをもルシャナの光が包み込み、一瞬にして彼らの傷は塞がれ、体力が回復したのだ。


 その場にいた全員、何が起こったのかわからず、しばらく呆然と立ち尽くしていた。


「ル、シャナ? なぜ、ここに?」


 もはやルシャナの視界は涙で揺れていて、まっすぐしっかりと見返したいのに、マンフリートがよく見えなかった。


「マンフリート様!」


 ルシャナはマンフリートの首に抱きつき、顔を埋めて泣いた。

 それから彼の傷を見たのだが、呪詛どころか傷一つない体になっていた。さらには驚くべきことに、古傷まで消えていたのだ。


「な、なんという力だ。これが、伝説の白き異界人の力なのか?」


 気が動転していたマンフリートは、ポロリとルシャナの正体を口にしてしまった。するとやはり伝説の、とルシャナの正体が口々に一気に広まった。


 立ちあがったマンフリートは、ルシャナのことと力のことは、けして口外してはならぬと戒厳令かいげんれいを敷いた。兵士全員は同意し、喜びはあとにしようと駐屯地に戻ることを優先させた。
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