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19.マンフリート

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 嫌がるルシャナを、チャドラが説得してなんとか連れてきた。


 なるべくマンフリートと遠くへ行こうとするのだが、あいにくとここは狭い馬車の中だ。下を向いたままのルシャナを乗せて走っていると、一際にぎやかな場所が見えてくる。


『マンフリート様、ご結婚おめでとうございます! ルシャナ様、ようこそ、バウムガルデン領へ!』


 一行は町に入るときに、気合の入った手作りの看板が目に飛び込んできた。


(知れ渡っているとは思っていたが、これは……)


「リチャード、宣伝でもしたのか?」

「いえ、何もしていませんが……」


 城へは通いの使用人も大勢いるため、人の口に戸は立てられないというのはまさにこのことだ。

 ルシャナの存在はあっという間にみんなの知るところとなっていた。しかし、馬車に揺られているルシャナは無反応だ。


(こんなに歓迎されているのに、何も感じないのか?)


 少し落胆したのだが、すぐに間違いだと気づく。

 隣ではやはりチャドラも感激しているのか、しきりに看板の内容を説明すると、ルシャナは少し悲しい顔をしたので、もしや、と思った。


「字が……読めないのか?」

 するとルシャナは少し顔を赤らめて、はい と頷く。


(そうとは知らずに俺は、なぜ悪く思ったのか……そんな人ではないとわかっているのに。自分からは行動を起こしていないくせに、受け入れてもらえないからと、ルシャナのあら探しをしていたというのか?)


 そんな狭量きょうりょうな自分に反吐へどが出る。

 なぜ、ひねくれた見方しかできないのか。


 嫌われていようがいまいが、これから三千年も一緒にいるのだ。時間はあると悠長に構えているわけにはいかない。その長い時間を仲良く快適に過ごすには、努力が必要だ。


「そうか、すまなかった、気づいてやれなくて。他に何かわからないことや疑問に思ったことを、俺に言いにくい場合は……本当は俺に言ってほしいが、無理そうならチャドラにでも尋ねてくれ。とにかく一人で悩んだり落ちこんだりすることだけはなしにしよう。どうかな?」


 少しはにかんだように、はい と頷いたのだ!

 あの結婚の儀式以来、初めて自分に向けられた嫌悪のない表情に、思わず内心ガッツポーズを送った。少しずつではあるが、積み重ねが大切なのかもしれない。


 急ぎすぎてはいけない。まずは自分の想いをぶつけることが先決だろう。それから断られようが拒否されようが、ルシャナのテンポに合わせじっくりと待つべきだ。数日内に実行しようと、己を叱咤した。


 いつもの場所に馬車を止めて、荷台からルシャナを抱き上げて降ろす。


(軽い……軽すぎるな。もっと食べたほうがよいのだが。今日はいろいろなものを食べさせよう)


「市場は人が多いから、はぐれないように……」

 有無を言わさず強引に手を繋ぐ。


 振り解こうとしたので、さらにグッとこちらに引き寄せる。すると観念したのか大人しく握られている。少しだけ凹んだが、気にせず前に進む。


 すると住民がこちらへやってきて、みなが口々に歓迎の意と仲が良いですねというので、少し戸惑っているようだ。それから、そうだと思い出して懐から袋を取り出す。


「ルシャナ。これはあなたの財布だ。好きな物を自分で買うといい」


 そういってから布袋を開いて、通貨を一つ一つ説明していく。分かったような、分からないような。

 首を傾げるその姿さえ、マンフリートには可愛らしく見える。

 おそらくどんなに怒ろうが笑おうが、何をどうしようときっと可愛いと思ってしまうのだ。


「ルシャナ様。試しにあちらの果物屋で何か買われてはどうです? 実地研修ですよ!」


 するとパッと表情が輝く。嬉しくてしかたがないのか、うんうんと頷いて、果物屋へスタスタと歩いていく。マンフリートはそんな様子を少し後ろから眺めている。今まで見た中で一番生き生きとしているような気がする。


 フルーツを数個買い、値切ることまで覚えたルシャナは嬉しそうに買い物袋を提げて、マンフリートの下へと戻ってきた。


「もしかして、買い物は初めてか?」

「はい、楽しいですね」

 頬を紅潮させてはにかむルシャナは、本当に無邪気だ。そしてここ連日の二人の嫌な空気がなかったように心地よい。


 せめてここにいる間だけでも、何事もなかったように振る舞おうと、マンフリートは次の店へ行く。しかし町中ルシャナを一目見ようと、とにかく進まない。ちょっと進めば足止めを食らうのだが、ルシャナはまったく気にする素振りもなく、楽しそうにそれこそ話しかける人すべてと会話をしようとしている。


 彼なりに領主の妻として、領民たちに歩み寄ろうとしているのが見て取れて、なぜかこれが自分の妻だと誇らしげな気分になった。


(俺とも打ち解けてくれる日が、早くくればいいな……っ、どうも感傷的になりすぎる)


 いろいろな思慕しぼを募らせながら、気づけばみんなに先導される形で、噴水広場のほうへと連れて行かれる。


 そこにはさきほどよりもさらに派手にデコレートされた花や横断幕、それにテーブルが用意されていた。



「マンフリート様! 是非披露宴の伝統の食事を、俺たちの料理でやってくださいよ~!」


 思わずリチャードのほうをみると、彼はただ首を横に振るだけだ。町のみんなが彼ら自身でこの結婚を祝福してくれているのだ。


 人々は歓喜して、二人を盛り立てる。俺はいいが、ルシャナは……と思っていると、なんといきなり手を掴まれたと思ったら、自ら先導していくではないか!


 これにはマンフリートも感動してしまった。皆の期待と喜びに、ルシャナ自身で誰にうながされるでもなく、自発的に彼らの要求に答えようとしているのだ。


「……皆さん、素敵な趣向をありがとうございます」

 そういうが早いか、みんなが拍手をして、それから再びお祭り騒ぎになる。

 すぐに準備が整い、いよいよ花嫁の食事の始まりだ。


「一品目は、この町の名物、蜂蜜に漬け込んだ果物をパンに挟んだ〝ミナシュ〟」


 マンフリートは小さく千切って、イチゴの部分を丸ごとルシャナの前に持っていく。すると彼は躊躇なくそれをパクリと口に入れる。


「甘くて、美味しい……」


 うっとりとした表情を浮かべたルシャナを、周囲の人々は…・・・うっとり眺めていた。


「いや~、なんともかわいらしい奥方様ですね! では二品目行きます。次はおかず系です! 蜂蜜水と特製ソースを何層にもわけて塗りこんだ、豚肉のロースの塊のステーキです! 一口サイズにカット!」


 これもいたく気に入ったようで、もう一口とねだられたほどだ。ルシャナは8品食べたところでギブアップし、フルーツの盛り合わせで胃を落ち着かせる。


「楽しかったです」

 ぽろりと感想を口にした。すると言った本人が驚いたのか、ハッとしてプイッとそっぽを向く。でも、わずかに白い頬が赤く染まるのをマンフリートは見逃さなかった。



 散策を開始してすぐに、装飾品の前を通り過ぎようとしていたときだ。


 そこで端と気づく。結婚指輪も、結婚の贈り物も何もしていないことを。ちらりとリチャードを見ると、彼は頷いているので、本当は用意していたことに気づく。


 しかし、今さらながらプロポーズのタイミングを逃してしまって後手に回ってしまった感があるようで、リチャードも言い淀んでいたのだろう。


「ルシャナ。何か気に入った物はあるか?」


 そう言って店先で足を止めた。珍しそうなネックレスや指輪がずらりと並んでいてその一つを手に取ってみているところだ。


 手にしていたのは、琥珀色の綺麗な指輪だ。繊細な金細工が施されており、爪の部分に小さくカットされた琥珀が埋め込まれている。


「これ、蜂蜜と同じ色ですね。マンフリート様の、瞳みたいで、綺麗です」

 おそらく何も考えずに言ったのだろう。だからこそ、マンフリートは柄にもなく――照れてしまったのだ。


「あ、いや。そうか? 気に入ったか?」

「はい、これは素敵だと思います」

 ならばと、マンフリートもルシャナの瞳と同じような色を探す。


「これなんかどうだろうか」

「素敵ですね。どれも迷ってしまいそうです。赤がお好きなんですか?」

「あ……あなたの瞳と同じ色を探したんだが……」


 意図を察したルシャナは、途端にトマトのように真っ赤になってしまった。

 気恥ずかしくあるが、そういう表情をさせたのが自分だと思うと、気分はかなり高揚した。気をよくしたマンフリートは店主にこの二つ分のお金を払った。


「この琥珀色の指輪を、あなたの指にはめてもよいだろうか?」


 断られたらショックだと思ったが、いますぐつけてもらいたいという欲求には逆らえなかった。すると、彼はなんと無言だが、頷いてくれた。


 これは明らかに安物だ。とても領主の妻がつけるような代物ではない。

 結婚指輪はあとで代々伝わるものを贈るつもりだが、これは今日の記念に買った、おもちゃのようなものだ。それでも、いつも身に着けていてもらいたいという思いで、右手の中指にした。


「ルシャナ。俺にも指輪をはめてくれるかい?」


 嫌がる素振りを見せずに頷いてくれた。マンフリートの手の半分しかない華奢な手。その白い手が自分の浅黒い手に絡みつき、思わずごくりと唾を呑み込む。


(こんな街中で、何をそんなに欲情しているんだ……)


 ともあれ、ほんの少しだが、昨日と比べたらかなり二人の関係は近くなったのではと、密かに喜んだ。


 それから日没の数時間を、ルシャナが本気で楽しんでいる様子が幾度となく見られた。少々強引ではあったが連れてきてよかったと、新妻の機嫌を心配するマンフリートであった。
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